第7話「隣の席が女の子って……地獄か?」


 ——時刻は午前八時半を過ぎ、朝のHRを告げるチャイムの音が鳴り響く。


 それまでは各々友達のところに集まりだべっていたクラスメイトたちも、チャイムが鳴るとすぐに自分の席に着いていった。


 俺たちの高校は別に県内でも随一の進学校というわけではないが、そこそこ高い偏差値を誇っているため生徒たちの意識は低くない。

 これが一年生ならまだ気持ちも浮ついているだろうが、俺たちは一つ上の上級生だ。こういった生活態度の意識は比較的高い水準にあった。


 久藤グループの者たちも一度声をかけ合ったあと、各自席に戻っていく。陽キャだろうが何だろうが、その辺りは周りと変わらない。


「よいしょっと……」


 朝から色々疲れ果てていたため、年寄りみたいに声を漏らしながら席に座る。


 俺の席位置は、教室の一番後ろ。


 よくある窓際ではないが、クラス全体を後ろから見渡せる場所であり、とても満足している。

 それは授業中に寝てるのがバレにくいとか色々理由はあるが、一番大きな理由は『視線を浴びない』ことだ。


 授業中はみんな基本的に前を向くので、女の子から視線を向けられることがない。これは非常にデカいメリットである。

 去年のクラスでは真ん中辺りの席だったので、女の子からの視線を背中にめちゃくちゃ感じていた。ハッキリ言って毎日が地獄だったからな。


 そんなわけで、今年のクラスの席順は相当助かっているのだ。


 せめて、授業中くらいは心を休めたいが——。



「いやー、この席に座るのもやっぱり久しぶりって感じするねー! たった数日来なかっただけなのに!」

「…………」


 隣から、非常に元気そうな声が飛んできた。


 顔が引きつりそうになりながら、俺は壊れたロボットのようにギギギと顔を向ける。


「ねっ、久藤くどうもそう思うでしょ?」

「……ああ、そうだな瑞原みずはら


 一メートルにも満たない至近距離。

 俺の隣の席には——エネルギッシュなスポーツ女子こと、瑞原光里ひかりが座っていた。


 ……今年のクラスの席順は相当助かっているのだが、一つだけ致命的な欠点がある。


 それは、学年一の天真爛漫で天然たらしな元気っ子と隣同士になってしまったことだ。


 これは一体どういうことなのか。

 数十人いるクラスメイトの中から、よりによってこの一番相性が悪い彼女を引き当ててしまうとは。二年生になってクラス替えした時、黒板に書かれた席順を見て軽く絶望したからな。


 神様は絶対に俺のことを嫌っていると思う。

 前世でどんな大罪を犯せばこんな運が悪くなるんでしょうかね。前世の俺テロリストでもやってたの?


「連休を経て、見慣れた筈の教室の景色がこんなにも懐かしいなんて…………これが、本当に大切なものは失ってから気づくってやつなのかな?」


 俺の嘆きもつゆ知らず、隣で瑞原が顎に手を当てて達観した笑みを浮かべている。

 何だコイツの表情ムカつくな……いや、やっぱり怖いわ。ムカつくとかイキってすみません。


「深そうに見えてそんなに深くない話をするな。あと何だそのニヤリ顔」

「久藤の真似だよー。アンタよくキザな顔しながら頭いいぶったセリフ吐くでしょ?」

「流れるようなディスだな。しかし、俺の場合は似合っててカッコいいけど瑞原がキザな顔してもアホそうにしか見えん」

「はぁ? 私アホじゃないし。確かに勉強はちょっと苦手かもだけど、地頭は良いから」

「勉強が苦手な人の言い訳あるある」

「——光里パンチ!」

「ひうっ!?!?」


 不意の光里パンチを肩に食らい、俺はついに本気の悲鳴を上げてしまう。

 「ぷっ、何今の声」とカラカラ笑う瑞原に対して、俺は苦笑を浮かべながら心臓が爆発するのを抑えていた。


 だから、急にそういうのマジでやめて欲しいんですけど。リアルガチで。もちろん痛くはないし、彼女も加減はしているがそんな問題ではない。


 しかもコイツ、休み時間はもちろんのこと、たまに授業中にもちょっかいをかけてくるんだよな。

 何なら去年よりも過酷な状況に涙が止まらないんだが。


「久藤ってリアクション面白いからついつい絡みたくなるんだよね〜」


 俺の反応を見ながら楽しそうに瑞原が言う。

 多くの生徒にとっては花が咲くような可愛らしい笑顔なのだろうが、俺には悪魔の笑みにしか見えない。まるでエクソシストの映画に登場する悪魔だ。


「ったく……みんなの人気者である久藤くんとイチャイチャしたい気持ちは分かるけど、まずは段階を踏んでからにしてもらっていいか?」

「お、それそれキザな顔! その顔が見たかったんだよ〜!」

「観覧料は一回五百円、室内での写真撮影はご遠慮ください」

「いや料金高すぎだし、いっちょ前に肖像権守ってるのも腹立つ〜」


 俺の軽口にノリ良く笑いながらツッコむ瑞原。

 そして、体を寄せて俺の肩をポンポンと叩いてきた。ひっ。


「ま、とりあえず隣の席同士、これからもよろしくやろうね!」

「できるだけ短い付き合いになることを祈っております」

「お? 光里パンチもう一発いっとく?」

「瑞原とは長い付き合いになりそうだな……」

「えへへー。私もそう思うよ、久藤あおいくんや」


 拳にハァと息を吹きかける瑞原に俺が遠い目をすると、彼女は上機嫌な様子で頷く。

 何だかコントじみたテンポのいい会話は、すっかり俺の体に馴染んでいた。


 ——彼女とは、今年で同じクラスになって初めて仲良くなった。


 元々一年生の時に、同じバスケ部員であるあきらを通じてお互いに知り合ってはいたのだ。

 しかし他クラスの異性ということもあり、それほど距離は近くなかった。そこが慎司しんじとの違いである。


 前から彼女のことは体育会系らしい明るい性格だと思っていたが、いざ仲良くなってみればその認識が正しかったことが分かる。

 変に気を遣わずさっぱりとした態度で接してくれるため、女友達というよりも男友達に近い存在だ。


 ……まあ、男友達みたいな女の子なんて、俺は多分世界で一番信じてないけど。


 どれだけさっぱりしてようが、女は女。怖いものは怖いのである。

 しかもそういう奴に限ってスキンシップ激しいの何とかして欲しい。可愛い女の子からのボディタッチで全員が喜ぶと思うなよ。これ、切実な訴えね。


 そんな風に——瑞原と隣同士で会話している時だった。


「ちょっと、二人してなにイチャイチャしてんの? うるさくてこっちまで聞こえてくるんですけどー」


 教室の真ん中辺りの席に座っていた美玲みれいが、何やらジト目で言ってきた。


 学年一可愛いと名高い彼女のイジリに、クラスメイトたちからクスクスと笑いが起こる。

 彼らは、美玲が俺たちをからかったのだと思っているのだろうが……今のはイジリ半分、嫉妬半分、加えて瑞原への釘刺しもう半分ってところか。


 自分の他に俺と仲良くしてる女子を見ると、いつもむくれる奴だからな。さっきの若葉の時もそうだったし、ここはフォローしておくべきか。


「いや聞いてくれよ美玲。瑞原が俺とお喋りしたくて仕方がないって感じでさ……」

「そーそー。久藤とお喋りしたくて仕方がないの。隣同士なんだから逃げられると思うなよ?」

「ただお喋りがしたいだけとは思えない圧なんですけど……?」


 瑞原に肩をガシッと掴まれ、俺は頬をヒクヒクと痙攣させた。怖すぎてもう何も言えない。


 すると、美玲のイジリに慎司しんじが笑いながら便乗してきた。


「美玲の言う通り、この二人はいつもうるさくて授業に集中できないんだよね」

「でしょ? 教室はイチャつく所じゃないし。先生に言って席順変えてもらおっか?」

「それだけは勘弁して美玲〜! この席だと寝てても先生にバレないから最高なの!」


 両手をパチンと合わせて頼む瑞原。

 まだ担任の先生が来てないからこそ言える大胆な発言である。

 つーか美玲、教室はイチャつく所じゃないとかお前が言うな。今はマシだけど去年のお前は場所を憚らず俺にくっついてきてただろうが。


 そして、教室の一番前の列に座っていたあきらも会話に参加してくる。


「席順変えるって話なら俺も賛成だぜ」

「アンタは前の席だと居眠りできなくて嫌なだけでしょ? 動機が不純なので却下でーす」

「不純つっても、光里も居眠りしてるじゃねぇか。お前だけズルいぞ」

「へっへーん、恨むなら自分の運の悪さを恨むんだねぇ」


 教室の端から端に向けて大きな声でやり取りをするバスケ部の二人。

 彰の低い声はよく通るし、瑞原の元気な声も教室中に響き渡っていた。


 椅子の背もたれに身を乗り出した彰が、こちらを振り向いて言う。


「なぁ蒼、俺の席と交換してくれよ」

「嫌だね。俺も今の席が気に入ってるんだ」

「けどよー、俺が一番前の席にいると後ろの奴らが困るんじゃねぇか? 体がデカくて黒板が見えないって言われたことあんだぞ?」

「俺、お前の男らしい広い背中を見てると安心するんだ……」

「だったら仕方ねぇ……って言うと思ったか」


 俺と彰の軽口にまたしてもクラスメイトたちから小さな笑いが起こった。

 コイツとのくだらないやり取りは一年生の頃から続けてるからな。年季の長さで言えば瑞原以上だ。


 ——それからというもの。


 美玲や慎司が茶々を入れつつ、それに彰が便乗し、俺と瑞原の二人が軽口で受け流す。

 そんな陽キャメンバーたちの楽しそうな会話が、教室の中を巻き込んで飛び交い続けた。


 俺たちの会話をクラスメイトたちは笑いながら聞いているが、誰も参加してこようとはしない。


 トップカーストの生徒たちのじゃれ合いを笑顔で眺めつつ、その波が過ぎ去るのを待っている。

 別に彼らに発言権がないわけではないのだが、みんながカーストの違いを意識して、空気を読み合っていた。


 彼らのそんな様子も気にせず、俺たちは大きな声で会話をし続ける。陽キャとはこういう生き物だ。

 自分たちの仲の良さをみんなに聞かせたり、アピールをするという趣味はない。ただ、当たり前に仲間と日常を過ごしているだけなのだ。


 この状況で、性格的に若葉わかばは俺たちの会話に参加しようとはしないが——いつものフワフワとした笑みを向けてくれている。

 それだけが癒し……いや、ごめん嘘ついた。やっぱ怖いです。




 ——そして、少し遅れて担任の先生が来るまで、俺たちの会話は続いたのだった。


 そのせいでクラスメイトたちの視線が俺に集まってしまっていた。主に女の子の視線だ。席が一番後ろでも結局注目浴びるじゃねぇかふざけんな。

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