第3話「学年一の美少女との会話は命懸け」


「——おはよ、あおい


 こうした挨拶を今まで何度も交わしてきたかのように、美玲みれいは気安く短い挨拶を返した。


 俺のことを下の名前で呼ぶ生徒は少ない。

 基本的には同級生でも名字で呼ばれることが多いし、クラスメイトでもそれは変わらない。

 唯一呼んでくるのは、一年生の時からつるんでいた仲良しグループのメンバーだけだ。


 それはつまり、俺と美玲がとても近い距離感で仲良くしていることを表していた。


「こんな所で会えるなんて……朝から偶然だね」


 そう言いながら、彼女は全く気負いせず当然のように俺の隣に並んできたので、思わず「ひっ」と声が出そうになる。


 そりゃ、俺から声をかけたんだから隣に来るのは当たり前なんだけど、覚悟しててもめっちゃ怖いよね。学年一の美少女と一緒に登校するのを怖がる男なんか、世界広しと言えど俺ぐらいだろう。


「…… こんな所って、ただの通学路だろ? それに、俺の家と美玲の家ってそう遠くないし。登校中にバッタリ出会うのなんか大して珍しくないだろ」


 恐れを誤魔化すため、美玲の言葉に対して俺は真顔でツッコむと、彼女は呆れたように笑みを浮かべた。


「もう、蒼は相変わらず屁理屈な返しをしてくるなぁ。それはそうなんだけどさ。朝からお互いに顔を見れた喜びを分かち合おうよ」

「悪い悪い、いつもならお前に合わせて冗談の一つでも言う所だけどな。それだとマンネリ化するから、今回はあえてマジレスしてみたんだ」

「まったく、ロマンのない男はモテないよ?」


 ヘラヘラと笑ってみせる俺の脇腹を、美玲がチョンチョンとつついてくる。危うく頬が引き攣りそうになった。やめて、急なボディタッチは! 死ぬから!


「はんっ、ロマンが無くても女の子と良い雰囲気になれるのがこの俺、久藤くどう蒼くんなのさ。無自覚天然ロマンチストと呼んでくれ」

「無自覚天然たらしの間違いじゃない? 意図せず泣かせてきた女は数知れず……この前廊下で蒼の悪口言ってる女子いたよ?」

「え、マジで? ちょっと詳しく聞いてもいいかな?」


 ていうかさっきから距離が近すぎませんかね。美玲の肩と俺の肩が触れ合っちゃってるから。付き合いたてのカップルみたいな距離感はやめた方がいい。死ぬぞ。俺が。


 軽口の交わし合いでくすぐったそうに笑っている美玲に対して、俺は彼女への恐怖症状を抑え込むのに必死なのだった。


 そうしていると。

 美玲は「本当にもう……」と笑みを残したまま腕を組み、こちらを上目遣いで見て、


「——連休が明けて、朝から仲の良い男の子と久々に会えたんだから。喜んじゃうのも仕方ないでしょ?」


 などと言うので、俺はつい万感の思いを込めて溜息を吐いた。


 世の中の女性を恐れる俺が、特に美玲を恐れている理由の一つが——だ。


 美玲は、自分の魅力を自覚している。

 自分が普段周りからどう見えているのか、どんな仕草や立ち振る舞いをすれば魅力が高まるのか、どういったセリフを吐けば相手が喜ぶのか。

 それら全てを完璧に理解し、完璧にコントロールすることができる。


 そのため、やや大げさな言い回しをすることもあれば、わざとらしく可愛い仕草をすることもある。

 今のように確信犯で甘いセリフを吐き、相手を弄ぶ——演技派女優タイプの女子高生である。


 こういう輩は『女性の魅力』を武器にして近づいてくるので、普通の女の子よりも更に恐ろしい。

 鬼に金棒どころか、血塗れの幽霊がマシンガンとチェンソー持って振り回してる感じだ。


 そのため、今の美玲のあざと可愛いセリフも俺は「ぐっ……」と吐き気を堪えるのに必死なのだった。


 だがそんなことはつゆ知らず、美玲はウルウルと濡れた瞳をこちらに向けてくる。


「こうして蒼と久々に会えるのを、実は密かに楽しみにしてたんだからね?」

「……久々ってお前」


 やや青ざめた表情になりながらも、俺は懸命に会話を続ける。


 確かに今年のゴールデンウィークは十日間と結構長かったので、友達と顔を合わせると久しぶりに感じるのも無理はない。最長で五連休もあったし、学校自体も久々に思える。

 学生の頃の十日間ってのは、短いようでとても長いからな。きっと美玲だけでなく、他の生徒も同様に感じていることだろう。


 ……しかし、だ。


「……ゴールデンウィーク中に散々俺を買い物に連れ回してたのは、一体どこの誰ですかね?」

「ここにいる私でーす!」

「はい正解。本当、見た目とは裏腹に図太い神経してるね全く」


 元気よく手を上げた美玲に対して、呆れたように俺は溜息を吐いた。そのままゲロも吐きたい気分である。


 連休の間は女性のことを忘れて家でゆっくり過ごそうと思っていたのだが、ほぼ毎日美玲から「今日のお昼買い物に付き合って!」とお誘いのLINEがきていたのだ。

 せっかくの休日も休むことなく美玲にあちこち連れ回され、それで俺の予定が埋め尽くされていた。


 まさに閻魔大王もビックリのマジ地獄。

 密かに大量の血反吐を出しながら、今回の連休を乗り切ったわけである。多分寿命がめちゃくちゃ減ったと思う。


 そのため、連休明けに美玲と会っても全然久しぶりに感じないのだった。むしろ食傷気味とも言える。夢に出てきそうなのでやめて下さい。


「美玲の中で久々の定義はどうなってるんだ……」

「『それはそれ、これはこれ』ってやつだよ。制服を着た蒼と会うのは本当に久々だし。たった数日見なかっただけなのに新鮮に感じるんだもん」


 そう言いながら彼女は俺の制服姿をじっくりと眺め始める。

 え? 視線で俺を殺す気か?

 女の子の目からは冗談抜きで殺人光線が出てるからな、マジで。


「改めてじっくり見られると照れるな」

「本当に? 今更蒼が照れたりするの?」

「ああ。ちょっと踵上げて背伸びして、顎引いて背中をピンと張るくらいには」

「それめちゃくちゃ照れてるじゃん」


 俺のしょうもない軽口にクスリと笑う美玲。

 その後に「あ、糸クズついてる」とブレザーのゴミを摘み取られ、思わずブルリと鳥肌が立った。


 ……とまあこんな風に、他愛もない会話を繰り広げる俺たち。


 お互いにくだらない冗談を言い合ったり、連休中の思い出話に花を咲かせたりと——学年を代表するリア充のやり取りとして、自然で違和感のないものになっているのではと思う。


 実際周りの生徒たちも、俺と美玲という美男美女の組み合わせに疑問を抱いておらず、憧れの眼差しで見てきていた。


 これが俺の日常。

 今日も俺は女性への恐怖を死に物狂いで隠し、何も違和感のない会話を繰り広げていた。


 ——そんな中、周りの後輩たちのヒソヒソとした囁き声が、風に乗って聞こえてくる。


「あの二人、付き合ってるのかな? 超お似合いじゃない?」

「イケメンの久藤先輩と美少女の永野ながの先輩……絵になるカップルだわ」


 ひいぃ、めちゃくちゃ噂されてるよぉ……。


 ただでさえさっきから注目されてたのに、美玲と並んだことで更に視線が集まっていた。これが俗に言う公開処刑ってやつか。残酷すぎる。お前たちに人の心は無いのか。


 そんな風にプルプル震えていると、隣の美玲が悪戯っぽい目になり、スッと顔を近づけてきた。


「っ……!」


 思わずビクッと肩を跳ねさせる俺だったが、幸いそれに気づかず美玲は口を開く。


「……噂されてますなぁ、久藤センパイ?」


 後輩たちの話し声が彼女にも聞こえたのだろう。からかうような口調でそう囁いてきた。

 突然の接近に身体中の内臓が痙攣するが、俺はゴクリと喉を鳴らした後、覚悟を決めて口を開く。


「……それはお主もだろう? 永野センパイ」


 口元に手の甲を近づけ、密談をする悪代官のように囁いてくる彼女に、俺も合わせて口調を変える。


「私たち、周りから恋人同士に見られてるのかな」

「学年一の美少女と付き合ってるなんて勘違い、男としては否定したくないね」

「おや。それはつまり、蒼は私と付き合いたいと思っていると?」

「『それはそれ、これはこれ』ってやつです」

「ありゃ、上手い具合にやり返されちゃった」


 近い近い、本当に顔が近いんだよ。

 何なら美玲の甘い吐息が顔にかかるぐらい近いし。なんか「私と付き合いたいと思ってる」だとか恐ろしい言質取ろうとしてくるし。この距離感は非常にマズイんですが。


 ——そう思っている時だった。


 隣の美玲はクスリと笑みを浮かべて、


「それじゃあ、こうしてやろうじゃないの」

「……え——」


 おもむろに俺の片腕に手を回し、本当の恋人のようにギュッとくっついてきたのだ。


 恐らく俺に対してのイタズラ心で、腕を組み後輩たちを騒がせてやろうと思ったのだろう。

 それと同時に俺をからかうこともできる。

 まさに、自分の魅力を自覚している美玲がやりそうなイタズラだ。


 そして、案の定キャーキャー騒ぎ始める一年生たちを見て、彼女は楽しそうにクスクスと笑う。

 しかし当然、俺は気が気でなかった。


「ちょ、美玲!?」

「こうした方が、より恋人同士に見られちゃうかもね、蒼?」

「見られちゃうし、近いって! あ、あまりにもくっつきすぎじゃないか……!?」

「えー? いいじゃん別にー。蒼は可愛い女の子にくっつかれて嬉しくないの?」

「嬉しいよ! 嬉しいからさ、ちょっと一旦離れて……」

「本当に嬉しいと思ってる? 何だか信じられないなぁ」


 そう言って更にくっつくので、美玲の胸がぎゅむっと形を変えて押し当てられる。

 どれだけ抵抗しても離れようとしてくれず、むしろニヤニヤと笑みが深まっていく彼女に、俺は恐怖で目をグルグルと回していた。


「——ああもう! 分かった認めるよ! 良い匂いとか柔らかい体とかで超ドキドキしてるし興奮してる! 不意のイタズラの成果は充分出てるよ! だから離れてくれぇ!」

「……よし、その答えでとりあえず満足しておきましょう」


 俺のヤケクソじみた言葉に満足したのか、美玲は頷きながらようやく離れてくれた。

 しかし今のダメージは確実に体に刻まれており、俺は偽装する余裕すらなく、肩で息をしていた。


「ゼェ……ゼェ……美玲さん、朝から飛ばしすぎじゃないですかね……?」

「言ったでしょ。久々に蒼に会えたからはしゃいじゃってるの、私」

「それ久々じゃないって言うたやんけぇ……」


 上機嫌な様子で先に歩みを進める美玲の後ろ姿を、俺は満身創痍の状態で見つめる。


 今のはヤバかった。

 今までの登校史上で一番怖かった。

 よく吐かずに耐えたよ俺。学校に着いたら真っ先にトイレに向かおう……。


 ゾンビ並みに顔色が悪くなっている俺は、密かに「うぷ……」と口元を抑えるのだった。

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