本編

第2話「登校中は基本的に死にかけている」


 ——心地よい春風が、サラサラと流れている。


 五月に入った通学路の並木道は、以前までは桜が満開に咲いており、ヒラヒラと花びらが舞っていてとても綺麗な景色があったが、今は瑞々しい緑色の葉桜が咲いていた。


 その光景を目の当たりにすると、四月の始業式から一ヶ月経ったのかと実感する。

 時間の流れは早いもんだと物思いに耽りながら、ぼんやりと前を見つめた。


 視線の先には、登校中の一年生たちの後ろ姿が。


 ゴールデンウィークが早くも過ぎ、彼らもすっかり高校生活に馴染めた頃合いだろう。

 一年生の教室ではどこもかしこも仲の良いグループができあがっており、昼食を食べるメンバーも決まっている筈だ。可愛いクラスメイトに目をつけている者もいるに違いない。


 きっと、そうやって彼らは青春の階段を意気揚々と登っていくのだろう。

 せっかく新しく始まった高校生活なのだ。大人になってからも懐かしめるような、かけがえのない思い出を作ってもらいたい。


 なんていう風に考えながら、ゴールデンウィークが明けた月曜日の通学路を、俺はのんびりプラプラと歩いていた。


「ねえねえ、見てあの人」

「わぁ……すっごいイケメン」


 しかし、青春とは実際何なのだろうと疑問に思ったことはないだろうか?

 漫画やドラマの中でみんな青春青春と口にするが、具体的に何のことを指しているのだろう、と。


 一般的には心身が大きく育つ青年の時期を指しており、その多くが高校時代を意味しているらしい。

 若者である高校生が、友人たちと共に様々な楽しみや葛藤を経験して思い出を作り、成長を積み重ねていくという言葉だそうだ。


「え、誰あれ。同じ学校の人?」

「バカ、あんた知らないの? あの人、二年の久藤くどうあおいっていう超有名な先輩だよ」

「レベル高っ……芸能人かと思った」


 つまり、勉強や部活に励みつつ仲の良い男友達とバカやって、クラスメイトの女の子と付き合ってデートして、そんな仲間たちと最高に楽しい高校生活を送っていれば、それは青春と言えるのだろう。


 なぜならば、俺たち若者にとっては楽しい思い出こそが自身を成長させるのだから。


 青春こそが、成長のスパイスなのだ。


「わ、久藤先輩だ。朝からいいもの見れた〜」

「眠たい朝にイケメンは眼福よねぇ」

「ホントにね。見てるだけでも一生飽きないかも」


 だとしたら、俺は完璧に青春を満喫できている気がする。


 気の合う男友達がいて、仲の良い女友達がいて、クラスではそいつらとずっと一緒に楽しく騒いでて、部活が終わった後はみんなでメシ食いに行ったりして……なんて、溜息が出るほど模範的で、胸焼けしそうなくらい濃厚な、青い春を謳歌している自信がある。


「部活の先輩も、みんな久藤先輩のファンだって言ってたよ」

「まあ、あれだけイケメンだったらそうなるよね」

「確かファンクラブとかあるんだっけ?」

「え、それホントに? 漫画の主人公じゃん」


 ならば、後輩たちにはぜひ俺の背中を見て学んで欲しいものだ。

 青春とはかくあるべき、というのを体現したかのような久藤蒼の生き様を見習って欲しい。


 大丈夫、二年生にして学校中から陽キャのトップみたいな扱いを受けている俺を真似すれば、友達も彼女もおらず弁当をずっと一人で食べ続ける灰色の三年間ではなく、キラキラと充実した高校生活を送れる筈だ。


 ……などと、生意気にも先輩風を吹かす俺でした。まる。


「本当にカッコいいなぁ……試しに告白したらオーケー貰えたりしないかな」

「やめときなって。あの先輩って今まで受けた告白全部断ってるらしいよ」

「え、そうなの? 高嶺すぎでしょ……でもマジでイケメン……」



 ——あ、やべ、気持ち悪くなってきちゃった。



 うぷ、と僅かに頬を膨らませる。


 いつものように通学路を歩いていた俺だったが、流石にこっちをヒソヒソと見てくる女子生徒の数が多すぎた。


 入学したばかりで俺のことをまだよく知らない一年生や、逆に結構知っている一年生たちなどが、頬を上気させて一斉にこちらを振り向いてくるのだ。


 この状況、俺にとっては地獄以外の何物でもない。

 油断すると身体中の穴という穴から大切な何かを垂れ流してしまうくらいにマズい状況である。

 

 あーめっちゃ見られてるな……ゲロ吐きそう。ってか何なら倒れそう。俺の心臓が嘘でしょって言うぐらいバクバク鳴ってるし。

 いやこれ倒れるどころか死ぬまであるんじゃないか? 学校の後輩たちに見られながらポックリ逝くとか洒落にならないんだが……。


 彼女たちの視線がグサグサと刺さり続け、恐怖やストレスで見えないダメージが蓄積されたおかげで、朝から俺の体調は絶不調だった。


 ——しかしこの間、俺の『偽装』は完璧だった。


 真っ青ではなく健康的な顔色に、冷や汗一つないさっぱりとした肌。

 清々しい朝に瞳は冴えきっており、穏やかな表情で淀みなく歩みを進めている。


 誰がどう見たって、イケメン陽キャ学内トップカーストとして堂々たる姿だった。


 俺はこのように、どれだけ女の子への拒否反応を起こしたとしても、それを完璧に隠せる技術を持っている。

 吐き気を催してもキザな笑みを浮かべ、血反吐が出そうになっても女の子に優しく接する。


 なぜなら——俺はだからだ。


 俺という存在に恥じないように、俺は女の子への恐怖心を微塵も表に出さない。

 そのおかげで、俺が女性を怖がっていることに未だ誰にも気づかれていないのだ。


 そんなわけで、今も俺は体調不良を周りに悟らせないようにカッコつけた立ち振る舞いをしているのだった。


「久藤くんおはよ〜」

「ああ、おはよう」


 同級生の挨拶を受けて、内心「ビクッ!!」としながらも爽やかに挨拶し返す。

 今の俺はどこにも隙がない、完璧な俺を演じられているな。この調子で今日も頑張ろう。マジで。


 そんな風に歩いている時だった。



「見て見て、あの人も超美人……」



 周りのほぼ全員が俺に注目していた中、どこかでそんな声が聞こえてくる。


 その直後、俺の前方を歩いている一人の女子生徒に視線が集まった。


 ——鎖骨の辺りまで伸びたセミロングの黒髪が、春風にはらはらと揺れている。

 パッチリとした二重瞼からは、芸術品のように長く細い睫毛がクルンと浮いていた。

 周りの視線をものともせず、ファッションモデルのように堂々と歩く姿は、老若男女が目を見開きハッとさせられるほどのオーラを放っている。


 全国の女子高生の中でもトップクラスに可愛くてオシャレで妖しい魅力を持っていると言っていい彼女に、周囲は密かにザワついていた。


「ヤバ、うちの学校レベル高くない?」

「同性の私たちでも見惚れちゃうよね」

「あの人も二年の先輩だよね? 名前は確か……」


 ——永野ながの美玲みれい


 彼女は俺同様に、学校の有名人だ。

 基本的には誰とでも仲良くできるコミュ力に加え、思わず見惚れるほどの美貌もあり、男子も女子も、陽キャも陰キャも関係なく、この学校のほとんどの生徒に好かれている陽キャ女子。


 更には学力も高く運動神経も優れているという、欠点と言えばちょっぴり天然な所ぐらいしかないほどのパーフェクト女子高生だ。

 当然モテており、入学してから今まで何人もの男子に告白をされてきたらしい。


 そんな彼女につけられた二つ名が『学年一の美少女』。

 世の中の男子にとっては、憧れの対象とも言うべき存在なのである。


 ……まあ、俺にとっては恐怖の対象なんですけど。


 こういう、女性としての魅力が充分に備わっている女性っていうのは、普通の女の子以上に怖く見えてしまうのだ。

 ふっくらと柔らかそうな胸も、きゅるんとした可愛い瞳も、良い匂いがする髪も、全てが恐ろしい。海外のホラー映画に出てくるバケモノにしか見えない。


 しかも、こういう女の子に限って自分に自信があるので、ガツガツ言い寄ってくるタイプが多い。恐怖でしかないです。


 ……だけど、よなぁ。

 そう思った俺は、吐き気を堪えながら彼女のもとへ小走りで近寄っていった。


 怖い。めちゃくちゃ怖い。彼女の背中が近づいてくるにつれて胃の痛みが強くなる。手が震えてくるし、呼吸もしづらい。

 およそ人に話しかけられるコンディションではないけれど、それでも俺は自分を叱咤して話しかけに行くのだった。


 ——なぜなら、彼女は。

 同じクラスの生徒であり、久藤グループの一員であり、一年生の時から仲良くしている親友だからだ。


「よう、美玲」


 喉の震えを完璧に隠し、爽やかに声をかける。

 美玲はクルリとこちらを振り向くと、目尻を緩めて魅力的な笑みを浮かべた。


「おはよ、蒼」


 ——さて、美少女と一緒に登校イベント発生と。


 ……途中で倒れずにいられるかな?

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