学校中の女子から人気のイケメン陽キャである俺が、実は【女性恐怖症】だということを誰も知らない。

松之助

第1章

プロローグ

第1話「イケメン陽キャ(女性恐怖症持ち)のいたって平和な日常」


 四月の下旬。

 ゴールデンウィーク前の暖かな風が流れている、とある日の放課後。


 俺は、少し前に知り合ったばかりの可愛い女の子と一緒に、校門へ向かって歩いていた。


 お互いに歩調を合わせながら足を進める。

 少し早すぎるかとペースを緩めると、隣の女の子と肩が触れ合い、あっと声が横から聞こえてきた。

 その二人の姿は、付き合いたてのカップルのような初々しさがあるかもしれない。


「あの……久藤くどうくん。さっきは本当にありがとね」


 やがて、女の子が恐る恐るといったようにそう言った。


「一緒に落とし物を探してくれて……私に付き合わせちゃってごめんね」

「気にしなくていい。困ってる女の子は放って置けない性分なんだ」


 それは、遡ること十数分前。


 放課後を迎え、教室を出て昇降口へ向かっている途中、この女の子がオロオロと何かを探している姿を見かけたのだ。

 話を聞くと、親に貰ったお守りをどこかに落としてしまったらしい。

 彼女に声をかけた以上、そのまま見て見ぬフリをするわけにもいかず、俺は一緒に落し物を探してあげた。


「このお守りは、小さい頃にお母さんから貰った大事な物だから……」


 言いながら女の子は、古びたお守りを大切そうに手のひらで包み込む。

 その様子を見て俺はフッと微笑んだ。


「そんな大事なお守りが見つかってよかった。次からは落とさないようにな」

「う、うん! 本当にありがとう!」


 俺の微笑みを受けて、女の子はポッと頬を赤く染めながら礼を言った。

 彼女の瞳は、まるでカッコいい憧れの同級生を見ているかのようにキラキラと輝いている。


「久藤くんってさ、カッコいいよね」

「そうか? 男なら誰でも、可愛い女の子が困ってたら助けるもんだと思うぞ」

「か、可愛いって……そういうことをサラッと言えちゃう所がカッコいいんだよ」


 俺の褒め言葉に女の子は表情をキュンとさせる。


「久藤くん、二年の女子の間で有名だもん。物凄くイケメンな男の人がいるって。この学校で一番カッコいい男子と言えば、久藤くどうあおいだって」

「同姓同名の影武者がいない限り、そいつは多分俺のことだろうな」

「フフ、何言ってるの。学年関係なく、学校中の女の子から人気な生徒なんて、久藤くん以外にいないよ」


 俺のくだらない軽口を聞いて、女の子はクスクスと忍び笑いしている。

 同学年の女の子からストレートに褒められた俺だが、別段照れることなくキザな表情を浮かべておいた。

 すると、俺の表情を覗き込んでいた彼女は、やや神妙な顔つきで口を開く。


「……でも、こんな話をしても久藤くんは平然としてるよね。やっぱりカッコいいなんて褒め言葉は、普段から言われ慣れてるのかな」

「いや、そんなことないぞ。顔に出てないだけだ」

「本当に〜? 聞き飽きてるレベルじゃない?」

「違うって言っても信じてもらえそうにないなこりゃ……」


 女の子の悪戯っぽい言い方に肩をすくめ、おどけた口調でそう返す。


 実際——そこら辺の有象無象ではなく、イケメン陽キャ学内トップカーストの俺にとっては、周りの女の子からカッコいいと褒められることは、さして珍しくも何ともない。

 昔から何度もそういった褒め言葉を言われ続けてきたため、自分が周りからどう見えてるのかぐらいは自覚できている。


 ただ、今その事実を彼女に伝えるのは憚られた。

 その証拠に、女の子は何だかシュンとした様子で視線を落としている。


「まあ、私なんかに褒められても、大して嬉しくないよね。久藤くんの周りって可愛い子多いし、私なんかじゃ何も思わないか……」


 久藤蒼という男の隣に立つ女として引け目を感じるのか、遠慮がちに——あるいは自虐的に、可愛らしく落ち込んだ姿を見せてくる。


 そんな彼女に、俺はフッと苦笑を浮かべた。


「……そんな顔しなくても、心配いらないさ。君は自分が思っているよりずっと可愛いぞ」


 そう言うと、女の子は分かりやすくパッと喜んだ表情で顔を上げる。


「ほ、本当に?」

「本当だ。そのアレンジした髪型もよく似合っててとても可愛いよ」

「あぅ……あ、ありがとう……。えへへ、逆に久藤くんに褒め返されちゃったね」


 恥ずかしそうに、嬉しそうにはにかむ女の子。

 彼女を見て俺も柔らかい笑みを浮かべた。


 そんな会話を通して俺たちの間には、お互いに初恋のような甘酸っぱい雰囲気が漂っている。

 お互いに褒め合い、女の子は顔を赤らめて、指をもじもじとさせている。


 だからこそ、その雰囲気に当てられたように——彼女は上目遣いを向けてきた。


「……あの、この後って空いてるかな? 探すのを手伝ってくれたお礼に、一緒にご飯でもどうかなって……」


 媚びるような目つき。

 今回の件をきっかけにあわよくば恋仲になりたいと思っているような、女子高生の可愛い欲求。

 もはや見慣れたその目つきを見て、俺はピクリと眉を震わせた。


「……可愛い女の子からのお誘いなんて、即オーケーしたいところなんだが……悪いな。この後は外せない用事があるんだ。今は君の気持ちだけありがたく受け取っておくよ」


 残念そうな俺の声に、女の子はシュンとしつつも慌てて平静を取り繕う。


「い、いやそんな! 急に図々しいこと言っちゃってごめんね!」

「いやいや、嬉しかったよ。いつか機会があったら食べに行こうか」

「うん! その時は私がご飯奢るね!」

「ハハ、そりゃ嬉しいけど、女の子に奢られたら男のメンツが立たないな」


 そんな風に、付き合いたてのカップルのように仲睦まじく会話を交わしている中で。


 俺は、唐突にクルリと校舎の方を振り向く。


「——っと、そうだ。まだ教室にやり残したことがあるんだった。悪いけど、俺はまた学校に戻るよ」

「そ、そうなんだ。分かった、今日はありがとね」

「ああ。それじゃあまたな」


 手を振る女の子にそう別れを告げて、俺は校舎の中へ早足で向かった。




 ——今日知り合ったばかりの女の子から、恋をされる。



 それは、いつもと何ら変わりのない、俺の日常だ。

 名前も知らない他人から勝手に好意を抱かれ、言い寄られるという、ありふれたイベント。

 それに対して俺がやんわりと断るという、つつがない予定調和。


 そんな日常茶飯事を、今までの人生で何度も繰り返してきた。

 だから、今更どうこう思うこともない。

 今日も俺は平常運転である。


 そんなことを思いながら、俺は廊下を移動していく。


 そして、一階の男子トイレへ。


 周囲をキョロキョロと見回しつつ、中に入る。

 小便器や個室トイレの方に誰もいないことを確認して、一番奥の個室へ向かう。


 扉を閉め、すぐに鍵をかけて。

 便座のフタを上げた俺は、我慢の限界だとばかりに口を開けた。


 そして。


「—— オロロロロロロロロロロロロロロロ!!!」


 めちゃくちゃ吐いた。


 それはもう盛大に。


 俺の口からは、大量の虹が描かれていた。

 ナイアガラの滝も真っ青の勢いで、キラキラとした濁流が口から流れ出ていく。


 その様を見届けながら、俺は鈍い思考の中で先程のやり取りを思い返した。


「うぐ……く、くそ……まさか飯に誘われるとは。警戒は勿論してたし、向こうもそんな大胆に誘ってくると思わなかったのに……よ、予想外のボディブローだぜ……」


 見た感じ、先ほどの女の子は恋多き少女っぽさはあったが、今日知り合ったばかりでいきなりご飯に誘ってくるとは思わなかったのだ。

 だからこっちも油断していたのだが……死角から上目遣いという攻撃を喰らったことで、俺のストレス指数がマックスまで跳ね上がったらしい。


「身体接触が無かったのがせめてもの救いだな……流れで腕とか組まれたら、その場でゲロ吐いてた自信あるぞ……」


 そこまでガツガツしてる女の子じゃなくてよかった、と思いながらまた「うぷっ」と胃液がせり上がる。


 ——そして、ひとしきりゲェーゲェーと吐いた俺の顔を鏡で確認すると、それはもう酷いことになっていた。


 顔がこんなに白かったっけって言うぐらい白すぎるし、プールに入った小学生みたいに唇が紫色だし、汗ダラダラだし、急に目の下にクマができてるし。

 普段はイケメン陽キャの久藤蒼として完璧な笑みを浮かべているが、実際はこのぐらいしまくっているのだと再認識させられた。


「あ″ー……気合い入れろよ久藤蒼。トイレから出たら、いつも通りの俺を演じろ。女の子がヒソヒソ見てきてキャーキャー言ってきても、爽やかな笑顔を返すんだ」


 鏡の前で両頬を力いっぱいに叩く。

 ジンジンとした痛みで意識を覚醒させ、疲弊しきった体をもう一度叱咤する。

 こうすることで、またみんなの久藤蒼に戻ることができるのだ。


「……あ、周りの女子の視線を想像したらまた吐き気が……うぷ」


 ……戻れなかったので、またトイレに駆け込む俺だった。



 ◆◆



 ——女の子に好かれて、俺がゲロを吐く。


 それは、いつもと何ら変わりのない、俺の日常だ。


 である女の子たちに言い寄られ、血の気が引いたり冷や汗をかいたり吐き気を感じたりするという、ありふれたイベント。

 そしてその後、誰もいない所で一人静かにゲロを吐くという、つつがない予定調和。


 そんな日常茶飯事を、今までの人生で何度も繰り返してきた。


 だから、今更どうこう思うこともない。


 ——うむ、今日も俺は平常運転である。

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