第50話
(まずいまずいまずい。どこまで聞こえた?)
私がこんなミスをするなんて。
状況を確認するためザリィバは急いで周りを見渡す。戦っていたはずの騎士たちは一斉に動きを止め、全員がザリィバを注視している。
冷や汗が頬を伝った。
なんとか誤魔化せないかと、ザリィバは脳をフル回転させる。
(状況は最悪だ……だが、聞こえているのがこの程度の範囲ならば、まだなんとかなる)
だからここで今すぐハイリンに指令を送らなければ。まだ間に合う。
ザリィバはよろよろと立ち上がり、誤魔化すように微笑んだ。ハイリンの表情は読めない。
しかし、彼女にはまだ、精神操作の魔法が効いているはずだ。それをちょっと上書きすればいい。今の気温も、周囲の音も分からない。ただそれがたった一つの救いであるというように、ザリィバはハイリンの頭部へと手を伸ばす。
その手首を誰かがパシリと。掴んだ。
「誰だ………!」
自分の手首を掴む手を見る。そのまま視線をあげると、そこにはフィオラが立っている。
「なんであんたがここに」
(スイリンと戦っていたはずじゃなかったのか!?)
慌ててスイリンの方を見れば、膝をつき、呆然とザリィバを見ている彼女がいた。
(まさかフィオラに負けたのか?
どいつもこいつも使えない奴め……だが、こんなことを考えている場合ではない)
ザリィバは咳払いをして気を鎮める。
そして出来る限り人当たりの良い顔をを作ると 、フィアラ優しく語り掛ける。
「フィオラ、どうしたんだい?この手を離してちょうだい。私はハイリンに色々と説明をしなきゃいけないから」
フィアラもまた、ザリィバに微笑みかける。その顔には『離すわけがない』そう書かれているような気がした。
焦りは募っていく。
「いいから、離しなさいよ!」
ザリィバは叫ぶ。しかし手が離されることはない。
(くそ!くそ!くそ!あと少しなんだ。あと少しで……。仕方ない。直接触れないと精度は落ちるが、とにかく呪文を……)
ザリィバは呪文を唱えようと息を吸った。
その瞬間、ぐるんと視界が回る。
「は?」
気がついたときには、ザリィバは大の字になり、空を見上げていた。
やけに綺麗な空にザリィバは一瞬、自分が何をしていたか忘れそうになる。
次いで、背中に衝撃が走る。肺から漏れ出た空気が口から飛び出していった。そこで初めて、ザリィバはフィオラに投げとばされたことに気がついた。
「ガハッ!」
「失礼、祝詞を唱えようとなさられているようにみえたので……。魔族に習ったのなら呪文でしょうか」
フィオラの言葉に答えず、ザリィバは懐から一本の短剣を取り出す。体のやわらかさを生かし、太刀筋を読ませない動きで、それを素早くハイリンの首元へと迫らせる。
(最後のチャンスだ……!)
ここで彼女の首をはねれば、近くにフィオラもいることだし、記憶操作でスムーズに彼女に罪を着せることができる。
ここでのザリィバの誤算は、彼女にはもう体力がろくに残っていなかったということだ。
風を切るように繰り出されたと思われた短剣はヘロヘロとゆっくり弧を描きながら、ハイリンへと向かっていく。その短剣をハイリンが掴むのはたやすいことだった 。
信じられない、とザリィバはハイリンを見る。それは、自分の短剣が止められたことではなく 、計画が失敗したことをザリィバが自覚したからだった。
「はは、ははははは……」
乾いた笑いが喉から漏れる。
そうか失敗したのか。私が。
「ならやり直すしかないねえ」
ザリィバの言葉に、フィオラは眉をひそめる。
これ以上何をすることがあるのだろう。
ザリィバは凶悪な笑みを浮かべ、最後のあがきだとこの広場全体を手で指し示した。
「万が一……万が一、計画が失敗した時のために、この城の全体に爆弾を仕掛けておいたのさ!ここで全てを終わらせる。
大丈夫、やさしいスイリンがさっき市民を避難させているのは見ていたからねえ。
人口が減ってしまうのは残念だが、やり直すにはこれしかない!残念だったね、アハハハハハ!」
高笑いをし、ザリィバは口を開ける。その歯の奥に、歯に似せて作られた起爆スイッチがキラリと光る。
誰かが静止する前に、ザリバはガチンと口を閉じた。
何も起こらない 。
きょとんとするザリィバに、フィオラは憐れみの目を向けた。
「ザリィバ……この城に仕掛けられていた爆弾は私が全て責任をもって回収し、しかるべき処置をしておりますわ。
大変でしたのよ、本当。……それもこれもフーシィ様が全て私に任せるから!」
フィオラの不満に慌ててフーシィが弁明をする。彼は(体の所々に傷はあるものの)ピンピンしている。
「いやいや仕方がなかったのよ!
なんせこっちは動ける人数が限られてたし……俺もほら!捕まっちゃってたからさぁ」
「はぁ……そうですよね、この計画は貴方が捕らえられ、処刑をされる場が整えられなければ実行できませんでしたからね。
それにしてもですよ」
ぷんぷんとフィオラはフーシィに怒ってみせる。
その様子をザリィバは終始呆然と見ていた。
フィオラは言葉を付け足す。
「ああそう、もうお気づきかもしれませんが、私の魔法によって、あなたの言葉はこの広場、いやこの国全土に響き渡っておりますわ。このために、
「…………」
ザリィバはパクパクと口を開けて閉じ、へたりと地面に座り込んだ。
それを確認し、フィオラはハイリンの頭にそっと触れる。
「pla──p───」
フィオラは祝詞を唱えた。ぱぁ、と優しい光が ハイリンの頭を包み込む。緊張していた彼女の体から力が抜けた。
「………これは」
ハイリンは頭をおさえ、よろめく。
大量の情報が正しく直され、脳が混乱しているのだろう。数秒後、彼女は しっかりと2本の足で立ち、視点は正しく定まった。
続いてフィオラはスイリンの元へも向かった。スイリンは先のフィオラとの戦闘でもう立ち上がる力はなかった。
「………。失礼いたしますわ」
フィオラは同じようにスイリンの頭に手をかざす。光が生まれ、消えた。
スイリンはハイリンよりも精神を支配されていなかったらしく、幾分か早く正気を取り戻した。
「フィオラ……これは……?」
困惑し、スイリンが尋ねる。
フィオラは安心させるように優しく微笑み、再びザリィバの元へと歩いていく。
力なくへたりと座っているザリィバに、ハイリンが口を開いた。
「さて何か申し開きはあるか、ザリィバ?」
怒りの滲む声でハイリンは尋ねる。
彼女の顔には青筋が浮き出ており、これまでにないほどの凄絶な表情をしてザリィバを睨んでいる。
ザリィバはうつむいたまま、「どうして……こんなはずじゃ……」と、ひたすらブツブツと呟いていた。
「連れて行け」
近くにいる兵にハイリンは命じる。指示を出された兵は困惑しながらも、ザリィバの腕を掴み、城の地下牢へと連行していく。ザリィバももう抵抗せず、そのまま大人しく連れて行かれる。
「終わったな」
「ええ」
フーシィの言葉にフィオラは頷く。
雲は完全に晴れ、気持ちの良い晴天が広がっていた。
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