第2話

 幹の向こう側から顔を覗かせた彼女は、ツンと取り澄ました笑みを浮かべていて。でもその笑みの中には、どこか嗜虐的な輝きがあった。

 まるで、問題の答えを知らない子供に姉がむけるような、そんな目つき。

「答え合わせ?」

「そ。昨日言ったでしょ? さーて、私は誰でしょう?」

 少女はそう言うと、勝ち誇るような顔で胸を張ってみせた。まっすぐ緑道に差し込む日差しに、その髪がサラサラと煌めいていた。

「――実をいうと、僕もいろいろと考えたんだ」少し拍を取った後、僕は少女に言った。

「こんなことができる存在って、一体何なんだろう?って。僕のことを知っていて、時間を止めることができるし、なおかつ自在に姿を消せる存在。考えてみたら、答えは一つしかないんだよね――」

 そう言って、僕は彼女の瞳を正面から見つめた。その、緑色に透き通った瞳を。

 頭の中に、様々な言葉が浮かんでは消える。例えば、『お化け』『木霊』『物の怪』『スピリット』など……。でも、やっぱり一番しっくりするのは――。

「君は、このクヌギの樹の『』だろう?」

 そう、言い切ってみせた。

 少女はその言葉に、一瞬ビクッと肩を震わせたように見えた。唐突にその顔を伏せると、胸を押さえながらじりじりと後ずさる。クヌギに手を付くと艷やかな前髪が垂れて、その表情を隠した。

 そして、彼女はクツクツと笑い出した。

「ふっ、ふふっ、……、アハハハッ!」そしてついに笑いを抑えきれなくなったのか、大声で笑いだした。

「キミ、凄いね! まさか当てられるなんて思わなかったよ! アハハッ!」

 少女はひとしきり笑い転げていた。そしてしばらくして、笑いの発作がようやく引いたかと思うと、唐突に僕に歩み寄って上体を下げたのだ。その顔に、あのニヤッした笑みを浮かべながら。

「えぇそうよ、私はクヌギの木の精霊。今までずっと、キミを見てきたの」

 秋風が、緑道を撫ぜた。


□ □ □ □


「――たま~に、こういうことが起こるんだって。つまり私みたいに、植物に別個で魂が宿るのよ」少女はそう語った。

 精霊、と言っても、彼女は生身の人間にとても近かった。身体が透き通っている訳でもないし、もちろんちゃんと足も付いている。耳を澄ませば、彼女の息遣いまでもが聞こえてきそうだ。

 でも唯一。その身体にだけは、人間は触れることが出来ないらしかった。


 僕たち二人は、緑道のベンチに腰かけていた。周りには誰もいなかったし、外の世界ではもちろん時間が止まっている。

 正真正銘、世界に二人っきりだった。

「ふ~ん? そうなんだ」僕は彼女の話に、適当に相槌を打った。

 精霊の少女は話を続ける。

「なんだけどさ、やっぱりつまんないじゃん?」そう言って、嘆かわしげに首を振った。「キミ、ちょっと考えてもみてよ。なんだか最近、誰も緑道に来ないのにずーっと同じ場所に立ってるしかないんだよ? 友達もいないし、一人ぼっちで」

「……そうなんだ」

「だからさ私、誰かとお話ししたいなぁって思ったの。そう考えたら、真っ先に浮かんだのがキミの顔だった」

 そう言うと精霊の少女は、最早お馴染みになりつつある悪戯っぽい笑いを浮かべて、僕を見た。

「私はず〜っとキミのことを見てきたんだよ? キミがよく口ずさんでいる曲のフレーズから、暇な時たまに耳の後ろを掻く癖があることまで、全部知ってる」

「おいおい、嘘だろ……」

 曲の趣味はともかく、あの癖については女の子っぽいと思ってて、ちょっとしたコンプレックスがあるのだけれども。

「壁に耳あり障子に目あり、クヌギの木には美少女あり、って言うじゃない?」

「......んゴメン、多分言わないと思う」

「ま、そんなこんなで私はキミとファースト・コンタクトを取ってみたいと思った訳なのよ」

「そうなのか」

「――それに、人をからかうのって、ちょっと面白そうじゃない?」

 彼女はそう言うと、弾けるような笑みを見せた。その顔は眩い夕日に彩られていて――、とても綺麗だった。


□ □ □ □


 その日、僕は彼女と知り合った訳だ。

 そして彼女は何故だか......僕を好いてくれているようだった。

 だがもしかすると、ただ話し相手が欲しかっただけなのかもしれない。

 そう考えると、何だかちょっと寂しかった。


□ □ □ □


□ □ □ □


「ん、どしたお前? 何か遠い目つきしてんな?」

 数日後、学校の休み時間に。

 読んでいた本を開いたまま物思いに耽っていると、あの友人が絡んできた。まぁよくあることだ。個人的には、人と喋るのはあまり得意じゃないんだけども。

 精霊の少女のことは、まだ誰にも話していない。当たり前、でしょ? 何せ僕自身だって、未だに半分信じられていないんだから。

「ま、この前はちょっと病んでそうな雰囲気だったけどさ。元気そうに戻って何よりだな」 

 脳天気な彼は続ける。「で、何考えてたんだ?」

「......何でもないよ?」

「オイ嘘つけや! 今さっき、魂が頭上30センチぐらいに浮いてそうな顔してたぞ」

「どんな顔だよ」

「へーへー誤魔化すのか? あ、これアレか? お前もついに好きな人出来たとか? 初恋なんですかいお兄さん?」

「違いますよ〜? 僕が恋するなんて、天地が540°回転してもあり得ないんですからね〜?」

「俺の目は誤魔化せないぜ?」

「誤魔化すまでもなく節穴だけどなぁ」

「何をこの! この学校で一番の情報通は俺だ」

「ハイハイ自称自称」

 いつものことなので僕は、彼を軽くあしらった。が。

「まぁで、だ。恋のアドバイスが必要なら俺を頼りなさい。豊富な経験と確かな実績を持つ恋愛コンサルタントたる俺が、いつでも助けてやるからさ」

 ムダに決め顔でサムズ・アップをする彼。僕はその顔を見返しながら、苦笑混じりに――。


□ □ □ □


「――こう言ってやったんだ。『君はそもそも、恋する器でも恋される器でもないだろう?』って」

「ップ! アハハッ、何それ面白すぎ!」少女が笑った。

 このところ放課後に、緑道で精霊の少女と話すのが日常となっていた。学校での出来事を彼女に話すと、すごく面白がって聞いてくれた。僕は最初、何がそんなに可笑しいのかが分からなかった。でも、すぐに気が付いたんだ。

 彼女は今まで、誰とも会話をしたことがないのだ。もちろん学校に行ったことさえも。僕にとっての日常も、彼女にとっては非日常なんだろう。

「それでそれで? その友達はなんて答えたのよ!?」

「まぁアイツは、笑い飛ばしたけどさ。そのあと彼が恋愛論を説き始めた所で、次の授業のチャイムが鳴ったんだ。アイツはクラスが違うものだから、大慌てで帰ってったよ」

「ヘ〜?」

「その数秒後に、あいつのクラスから教師の罵声が飛んできたり」

「それホント? そんなこと本当にあるんだね!?」

「彼は常習犯だからさ」僕はさらりと答えた。

 その日は快晴で、眩しい夕日が緑道に真っ直ぐ差していた。彼女曰く、自分は緑道に夕日が差す時間にだけ現出できるという。

 どうやら、緑道外で時空が止まっている時でも、太陽だけはちゃんと動いている様だった。

「思ってたんだけど、これって一体どういう原理なのかな?」僕は尋ねた。

「私だって知らないよ」彼女はけろりと答える。

「ふ〜ん、そう?」

「......あっキミ、今私のこと、ちょっと疑ったでしょ?」

「バレた?」

「当たり前よ。精霊に隠し事なんて出来っこないわ?」

 マウントを取るように少女にこう言われ、僕は思わず、ずっと考えていた事を彼女に訊いてしまったのだ。

「......こう言っちゃ悪いんだけどさ、君って......その、精霊っぽくないよね?」

「え何? 今私、馬鹿にされた?」

「いやいや何と言うか、雰囲気的にあんまり神秘的じゃないというか、普通の女の子みたいっていうか、その、......」

 僕が言い淀むと、彼女は口を尖らせた。

「ムッ、今のはカッチンきたわよ〜? 何だってキミに、そんなコト言われなくちゃならないの?」

「......何かゴメン」

 どうも気まずい雰囲気になってしまった。これはちょっと話題を変えなきゃ、と思った、その時。

 唐突に、彼女が口を開いた。

「もういいわ。そこまで言うなら、見せてあげる」

「――ぇ?」

 いやいや、見せるって何をですかい?

「決まってるでしょ? 私が精霊だって証拠よ。見たいんでしょ?」

 いや、まぁそうだけどさ......。

「それならさっさと済ませましょ。キミ、こっちに来て」

 そう言うと、少女はベンチから立ち上がりスタスタとクヌギの樹のそばに歩み寄った。僕も一瞬遅れて、彼女に付いて行く。少女はそっと、クヌギの幹に片手を置いた。その直後に、こちらを振り返ると人差し指を唇に当てる。

「これから何を見ても、絶対に騒いだり、声を上げたりしないでよ? 集中が乱れると良くないから。約束だからね?」

「......分かったよ。で、一体何を見せてくれ――」

「黙って」

 そう短く言い切ると、彼女は目を閉じた。片手はクヌギの樹に触れたままだった。大きく深呼吸をしているようで、彼女の胸がゆっくりと上下に動いていた。

 そして彼女は、幹に触れていない方の腕を地面と平行にスッと伸ばしたのだ。

 途端、周囲の緑道のざわめきが大きくなる。

 何、だ、これ!?

 彼女は目をつぶったまま、何かを呟いているようだった。呪文か、それとも祈りの言葉だろうか? そしてゆっくりと――最初は僕の幻覚かと思ったが――、彼女の掌が、糸のように纏わりつく光を帯び始めたのだ。

「!」

 僕が見守る中、その光はどんどん強さを増してゆく。そして、あたかも彼女が光の手袋をはめているように見えたとき――。

 彼女はその手を、ゆっくりと大きく横に回したのだ。ちょうど、見えない糸を横に断ち切るような感じで。

 そして、彼女の腕の真下にある地面から、草木の芽が次々と生え始めたのだ!

「――ワォ」

 僕は思わず、声を漏らした。

 彼女から半径1メートルほどの地面から、続々と植物が伸びてくる。よく見ると、それらも微かにきらきらと光を放っているようだった。芽が顔を出し、茎が伸びると葉が柔らかく膨らんでゆく。更にそれらのいくつかは、小さな可愛らしい花もを咲かしていった。超高速で植物の成長シーンを見ているようだった。

 瞬く間に彼女を中心として、放射状に小さなプラントが出来上がったのだった。


□ □ □ □


 しばらくして、全ての草木が十分に成長しきった後。精霊の少女はゆっくりと目を開くと、僕に悪戯げに笑いかけた。

「ニヒヒッ! どう、凄いでしょ?」

「......確かに、文句無しに凄いね」

 僕は何とかそうとだけ答え、少女はゆっくりと僕に歩み寄った。彼女の足元で、新しく生えた草木がシャリシャリと心地よい音を立てた。

「精霊は、周囲の植物の息吹を感じることができるの。今やってみせたのは、彼らにちょっと語りかけただけよ」

「......その魔法と、さっきのクヌギの樹とは何か関係があるのかい?」

 少女の言葉に頭が追い付いてから、僕はそう尋ねた。

「ヘェ〜、よく見てたねキミ」彼女はそう答えると、振り返ってあのクヌギを示した。

「これは私の宿り木なの。私はこの樹からエネルギーを貰うし、この樹を通じて植物たちの生命に語り掛けることもできるわ。この樹はある意味、私にとっての“命”なのよ」

「......な、何か凄いんだね......」

「でしょ!? 分かってくれたかな? これが精霊の力なのよ」  

 


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