オーク・ガール
Slick
第1話
高校からの帰り道。いつもの日常の風景――の、中に。
その緑道が、あった。
その緑道は、表の道路に沿って伸びていた。
歩道かつ、細長い公園のように幅ひろい空間が、道路からガードレール一本を挟んで伸びていたんだ。
緑道内には、まばらな灌木を縫うように木々が植えられている。そしてその緑の傘の下を、古びたアスファルトの歩道が背骨のように貫いていた。およそ3メートルほどの幅を持つ遊歩道の傍らには、いくつか設置されたベンチが木陰の下、静かに佇む。この緑道は東西に走っており、朝夕には陽光が歩道沿いにまっすぐ差し込んだ。
――そんな場所で、奇跡は起こった。
□ □ □ □
秋。緑道にとっては、ドングリの季節。
林立する幾多のクヌギやコナラが、可愛らしい笠をかぶったドングリを落とす。丸まった落ち葉が絨毯のように地を覆い、カサカサと衣擦れのような音を立てている。
実にのどかで、平和な場所だった。
そんな秋の日の夕方、僕はこの緑道を歩いていた。
今年で高校一年になる。通っているのは、隣町にある中高一貫の進学校だ。
通学は徒歩で片道40分くらい。県内ではちょっとした有名校なので、僕のように遠くから通う生徒も珍しい訳ではない。けれども僕の家の方面から来る生徒は、学年では僕一人だけだった。
だから登下校はもっぱら一人。もちろん学校に友達はいるけれど、帰り道が違うのだから仕方ない。
そしてその通学路沿いに、あの緑道があった訳だった。
□ □ □ □
夕日が眩しく照らす道を、歩いていた。この緑道を利用する人は少ない――まぁ犬の散歩とか、ジョギングする人が使う程度。そしてそのような人も、最近は何故だかグッと減ってしまった。
だからなのだろうか。町の中でもこの緑道だけは、あたかも別世界のような雰囲気があった。例えるなら、『憩いの場』というより『隠された秘境』みたいだと言えば通じるかな?
歩道に散っている落ち葉を踏んで歩くと、シャリシャリとシャーベットのような音がした。秋の夕日が背中を温め、体だけでなく心までもがポカポカとしてくる。軽く吹く風の音と、表の通りを走る車の響きとが重なって、爽やかな二重奏が耳を撫ぜた。
秋の夕日が、緑道に沿って貫く。
そして、とあるクヌギの木の前を通りがかった時――
すべての時と音が止まった。
□ □ □ □
「――ぇ?」
時が止まった世界――いや、違う?
そう。時間が静止しているのは、この緑道の外部だけだった!
木々の間から覗く道路では、車がシーンと止まっている。さっきまでゆっくりと緩慢に流れていた白雲が、今や完全に静止していた。
――だが。
元から誰もいない緑道、この緑道の中でだけは、時間が流れていた。
まっすぐに立つ木々の間を微風が流れ、鳥のさえずりがピチピチと響く。試しに足元を蹴るとパッと落ち葉が舞い、ひらひらと回転の軌跡を描いた。
え、いやこれどういう状況!? おいちょっと誰か教えてくれよ!?――、と思った、その時だった。
「――初めまして、キミ」
声がして、僕は振り返った。
すぐ傍のクヌギの幹に、一人の少女がもたれ掛かっていた。
歳は、僕と同じくらいだろうか? すらりとした身体に、緑色の縁がついた白いワンピースを着ている。健康そうな肌の色で、肩甲骨の辺りまで伸びる髪に縁どられた端正な顔には、緑色の目がこちらを見つめていた。
可憐なその姿は、無骨にゴツゴツしたクヌギとは対象的に見えた。
「――と言っても、私は初めましてじゃないけどね」
そう言いながら、少女は後ろ手を組むと僕に歩み寄ってきたのだ。......いや、いやいやいや、え!?
「君は......、その、誰なんだい?」
僕はそう、恐る恐る謎の少女に問いかけた。一応彼女に敵意はなさそうだけど、もう何が何だか分からない!
だが僕の問いかけに、彼女はコテンと首を傾げてみせると――
「ニヒヒッ、ヒミツ!」
唐突にそう、悪戯っぽい笑みを浮かべたのだ。そして、僕の周りをクルリと華麗に一周して見せる。
「っ⁉ ちょっ、何なんだよ一体!?」
少女の唐突な動作に、僕は狼狽を隠せない。そんな僕に、彼女は心底面白そうな笑みを向けた。
「〝ヒミツ〟って言ったでしょ? 答え合わせは、また今度ね!」
それだけ手短に言うと、少女は先ほど凭れ掛かっていたクヌギの後ろにササっと身を隠したのだ。もう訳分かんない!
「⁉ ――ちょ、待って!」
慌ててそう言うと、僕も彼女を追ってクヌギの後ろを覗き込んだのだが――。
そこには誰も、いなかった。
いつの間にか、緑道の外で止まっていた時間が動き出していた。
――再び聞こえてくる車道のタイヤ音。クラクションの響き。それを耳にしながら、僕は首を傾げる。
……まさか今のは、幻覚? いやいや、そんな筈はない。今確かにこの場には、一人の少女がいたんだ!
そう、あの静止した時空の中に。
――でも何故か、ゾッとはしなかった。むしろ僕の心は、奇妙なほどに落ち着いていて穏やかだった。
彼女は一体、何者だったんだろう?
何かを感じて一瞬、クヌギの樹を振り返った。橙色の夕日が、樹の幹を柔らかく照らしている。僕は諦めて頭を振ると、息を吐いて家への帰り道を歩み始めた。
――クヌギの後ろから僕の背を見送る、少女の視線には気付かずに。
□ □ □ □
□ □ □ □
翌日の朝には、高校への道中で再び緑道を通る。毎日通る場所なのに、何故だかその日は妙に不思議な気分だった。
秋の朝はちょっと冷え込んでいて、寒がりの僕はフルフル震えながら歩いていた。白い靄のかかった空が頭上に覗き、じっと見つめていると意識を吸い上げられそうに感じられた。
だが昨日の場所に行き着いた時、ふと何かが気になって、謎の少女がいたクヌギの前で足を止めたんだ。
数分間そうして待ってみたけれど、何も起こらなかった。
「……まぁ、そりゃそうだよなぁ」
昨日見たのは、やっぱり何かの幻覚だったんじゃないのか?
だがそんな考えが頭に浮かぶと、即座に自分で打ち消した。
一晩が経った今でも、あの瞬間の事は克明に覚えていたからだ。少女の服装から、その顔に浮かんだ笑みまで。何もかも全てを。
夢なはずがない。でもあれが現実だなんて、それこそ現実的にありえない訳で。
秋のクヌギ。止まった時間。そして少女の言葉――『私は初めましてじゃないけどね』――。
よく分からない。分からないんだけれども……、でも僕はこう思った。
彼女はきっと、何か特別な存在なんだろうな、と。
□ □ □ □
――と、そんなことばかり考えていたら1日なんてあっという間に過ぎてしまうものだ。気付いたら退屈な授業は終わっていて、僕は今まさに校門を出たところだった。
やばい。今日の授業吸収率0%だな、こりゃ。
「――じゃーな、また明日」
そう言って分かれ道を曲がろうとすると、そこまで一緒に歩いてきた友達が一人、何故か僕のそばに駆け寄ってきた。
「――ん、何? 僕の顔に何か付いてる?」僕は訊いた。
「違う、付いてるんじゃない。憑いているんだ」
いきなりな彼のジョーク(?)に僕は吹き出しそうになったが、彼は真面目な顔で答えた。
「まぁ教室じゃ皆の手前、誰も言わなかったけどな。今日お前、何だか妙だったぞ」
「そう?」
「ああ。何を話しかけても上の空だったし、頓珍漢な返事ばっかでさ。どこか魂を抜き取られたみたいだったぜ」
「笑えるね、ホント。一切記憶にございませんわ〜」
「ほら、そういう所だって。いつもならお前、そんな風に笑って誤魔化すような奴じゃないだろ?」
「……!」
図星だった。
今日一日中、あの少女のことを考えていたんだ。
そして、あの少女について一つの結論に辿り着いたのだ。けれど、学校でボーっとしていたのも、また事実。……でも、そんなに明からさまだったかな?
「まぁ気をつけろよ。体調悪いなら無理して学校来なくてもいいからなっ」
「――っ、あぁ。……ありがとう」
彼の心配げな視線から逃れるように、そう言って別れた。
交差点を渡ると、向こうの通りに緑道が見えてきた。
昨日の場所まで歩いていくだけなのに、何故だか足は
今朝ちゃんと検証した筈なのだ。なのだけれども、やっぱりあそこには『誰か』がいるような気がしてならない。奇妙に心が騒いでいる。理屈じゃなくて、僕の心がそう告げていたんだ。
そしてその思いが……どういう訳だか、切ない感情をかき立てる。心臓が、あの虚構のイメージに縛り付けられる。
それは、もうあの少女に会えないんじゃないか?という思いだった。
それを否定するように、僕をあの木へと導く遊歩道を駆けた。
当たり前のことだけれども、クヌギは昨日と同じ場所にあった。
周りに誰もいないことを確認すると、僕はゆっくりとその木に近付いた。
ひび割れのような溝が走る幹に、そっと手を走らせる。樹の表面に生えるコケが剥がれて、手にしっとりとくっついた。
その時。僕は確信した――確かにここには、神秘的な何かがある。
不意に、時が止まった。そして――、少女の声。
「さて、答え合わせの時間だよ?」
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