5 冬の湯屋
湯屋の釜焚きに焚き物を大量に出した日の、夕方の七つ鐘が鳴った頃。
福田は加代の勧めで、いつもよりも早めに湯屋へとやってきた。
よほど竈の灰を被ったままなのが嫌がられているらしい。
すると今番台には、さきほど屋敷で顔を見た、千吉という名のあの釜焚きの男が座っているではないか。
いつも番台に座っている主殿は、最近しばしば腰を悪くしているとかで、今も二階で横になっているとのことだ。
腰を痛めると冬の寒さで余計に痛むというので、冬の間は苦しむことだろう。
その代わりの、他がどうにも都合がつかない間だけ、千吉が座るらしいのだが、あの者はなかなかの男前であるので、客の女たちが喜んでいることといったらない。
「千吉さぁん!」
今、女たちが番台にひっついて、きゃあきゃあと騒いでいるのだが、当の千吉は窮屈そうに座って、困ったようにしているばかりだ。
福田はその女たちの隙間から腕を差し込んで番台に湯銭を置くと、早く女たちから離れようと、そそくさと脱衣所へと行く。
それにしてもこの湯屋というものは、なんとも贅沢なものである。
町人らの中には、一日のうちに何度もやってきて湯に入る者もいるとか。
風呂というものを焚くのも一苦労だった山中での暮らしを思えば、便利なものだ。
村にいた頃の福田は、身を清めるのも夏は沢で水浴びすれば十分であったが、冬はやはり凍えてしまって温かい湯が欲しくなったものである。
さっさと裸になった福田は、清めたつもりでもまだ竈の灰があちらこちらに残っていたのがわかる。
洗い場で竈の灰の洗い残しを念入りに落とすと、気分もさっぱりとしてくる。
満足いくまで身体を磨いてから奥の湯槽へ行くと、小柄な先客がいた。
この御仁は、たまにここで行き会う相手である。
「田舎者でして、申し訳ない」
福田は一言断って湯に浸かると、少々熱めの湯が身に沁みるようだ。
しかし、もっと贅沢を言うならば。
「湯屋というのは、冬場は臭いますなぁ」
福田は思わず、そうぼやく。
山育ちの男であるので、実のところ江戸の人込みと、人が集まるゆえの臭いには辟易としていた。
特にこの時期の湯屋というのは、冬の冷たい風を避けるためにどうしても風通しが悪くなり、そうなると自然と臭いが籠るのだ。
それでもここの湯屋は余所よりも良い方だろう。
いつ来ても湯が清い気がするので、福田としても好んで使っているのだが、それでもたまに山の空気が恋しくなるのだ。
「あの沢の香りが、懐かしいものよのぅ。
ああいや、詮無き愚痴でござる、勘弁くだされ」
あの先客は「田舎者よ」と小馬鹿にしているかもしれないと思うと、福田はなんだか恥ずかしくなり、すぐにそそくさと湯から出た。
そんな福田の姿を、小柄な先客がじぃっと見ていたが、福田がそれに気付くことはない。
身支度を済ませた福田の戻り際になると、番台のあの女たちはいなくなっていた。
さすがにいつまでも群がっている暇はなかったらしい。
「おや福田様、お帰りで」
千吉はちゃんと福田の姿が見えていたらしい、戻りの際に声をかけてきた。
「うむ、本日も良い湯であった。
湯の入れ替えは大変であろうが、おかげで気分が良い」
「へえ、ありがたいお言葉で。
湯番の奴に行っておきまさぁ」
ぺこりと頭を下げる千吉に手をひらりと振ると、福田は湯屋を出た。
その福田の後姿を、千吉がじぃっと見ていたのだが。
――ありゃあ、妙な気配がするなぁ。
千吉は一人、首を捻っていた。
今日話してみたところ、本人はいたって無骨そうな男だが、なんだか気にかかるのだ。
それに、あの気配はおそらく――
「御免よ、おや、今日は千吉かい」
するとそこへ、新たな客がやってくる。
「へえ、らっしゃい」
それで千吉は考えるのを途中でやめるのだった。
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