6 散策途中のこと

冬の風の冷たさがいよいよとなってきたら、大晦日が近いということでもある。

 そんなわけで江戸はどこでも年末に向けての支度で忙しい。

 どの通りの店でも、新年飾りを張り切って売り出していて、とても賑々しいものである。


「七福神の絵だよ、どうだい?」


正月用のありがたい絵を売っている売り子の声を聞きながら、福田は通りを見て歩いていた。

 福田は本日、遠山様の上屋敷への道中のお供をしたのだが、「長くなるので先にお戻り」と言われて、一人下屋敷に戻っていた。

 確かに、加代を一人でいつまでも留守番させているわけにもいかないし、夕餉の支度の都合もあるだろう。

 しかしまだ日も高いので、このように通りを散策してから、大川の方を回って戻ることにした。

 すると大川を吹き抜ける風がまた大層冷たく、福田はぶるりと身を震わせる。

 しかし、川の香りのする風は、なんとも心地よいものだ。

 しばし立ち止まり、川面をなんとはなしに眺めていると。


「……!」


なんだか騒がしい声がしたので、「さて、なんだろうか?」と福田はぐるりと眺める。

 すると、河原の離れた辺りで、なにやら喧嘩をしているではないか。

 子どもの喧嘩のように見えたが、いつまでも揉めているので見過ごすのもよくないかと思い、そちらへ行ってみることにした。


 ――はて、ついぞ最近も子どもの喧嘩に出くわしたか?


 福田はふとそう思ったが、どうでもいいことかと深く考えない。


「これこれ、そこの子らよ。

 なにをしておるのか」


福田はそう声をかけたものの、なにやら様子がおかしいと、この時になって気付く。


「ゲゲッ!」

「ギャギャッ!」


鳥の鳴き声と蛙の鳴き声を混ぜたような声を返してくるのは、子どもではなかった。

 というより、人間ではない。

 子どもくらいの背で、亀のような甲羅に、とがった口先、頭に水をたたえたくぼみ。

 このような特徴のある生き物を、どこかで聞いたことがあった。

 河原を歩くなら悪戯されぬように気をつけろと、そのような話であったか。


「こりゃあたまげた、お主らはもしや、河童か?」


そう、福田が喧嘩をしていると思ったのは、子どもではなく河童だったのである。


 ――なんということか!


 こうなると、生来怖がりな福田であるので、急にぶるりと身を震わせ出す。


「いや、邪魔をした、すまぬ。

 だが喧嘩はよくない、そうだ」


福田は後ずさりながら謝り、しかし生真面目さゆえに喧嘩の仲裁も口にする。


「ゲゲ!」


すると喧嘩に口出しをされたのが気に食わないのか、河童のなかから身体が大きいのが、福田の方へと近付いてきた。

 そして河原の地面をばんばんと叩き、他の河童が周りをぐるりと囲むではないか。


「なんだ、なんだ?」


河童に囲まれて「ギャアギャア」と喚かれ、福田は顔が青くなってくるが、大きな河童と見合うように立たされて、「もしや」と思いつく。


「これは、相撲をしようと、いうのか?」

「ゲゲッ!」


福田が声をつっかえさせながら問いかけるのに、大きな河童が鳴くと、しゃがんでぐっと前のめりになった。


「ギャギャギャア」


すると囲んでいた河童がはやし立て始める。

 武士たるもの、挑まれては引くわけにはいくまい。

 それに相撲であれば福田とて、子どもの時に故郷の村の子どもたちとさんざんやったものだ。


「よぉし、受けてたとうではないか」


福田は多少声が震えながらも意地を見せ、同じくしゃがんでぐっと前のめりになった。


「ギャギャ!」


河童のどれかが鳴いたのを合図に、福田たちはぶつかり合う。


 ――ぬ、力が強い!


 福田はこれまで相手にしたことのない力強さに、二歩ほど後ろに下がる。

 しかし、ここで無様なことになっては、この身を立てていただいたお殿様に申し訳ない。


「よいせぇ!」


福田は己を奮起させようと声を張り上げると、全身がかっと熱くなる。

 こういう事はしばしば起きるもので、火事場の馬鹿力ともいえるものが湧きおこる合図でもあった。


「どっせぃ!」


下がった足を前に出し、河童の身体をぐっと抱き込むと、力任せに抱え上げ、ぽーんと放る。


「ゲゲッ!」


河童は河原にごろごろと転がった。

 つまり、この勝負は福田の勝ちである。

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