3 焚き物を出す
ちょうど出したいものがあった加代は、急いで声のした方へと駆けていく。
「千吉さん、ちょいと寄ってちょうだい」
「へえ」
この加代の声が聞こえたらしい千吉が、いつものあたりで車を止めたのが、塀越しにもみてとれた。
全く、どこにいるのかわかりやすい大男である。
「これ、持っていってちょうだい」
遠山様が用意した焚き物を色々と渡し、最後に加代が寄越したのは、ぼろぼろの布地である。
これは、加代がちょうど今洗い張りをしている着物を解いた際に、裏地がさすがに痛んでいたので取り替えることにしたものだ。
着物の表地は多少の事では破れたりしない丈夫な布地でこしらえてあるが、裏地は肌触りを気にして柔らかい布地を貼ってあって、それが肌とこすれて傷みが早いのは仕方のないことだ。
こうなったら拭きものに使うにもぼろぼろ過ぎて使いにくいとあって、焚き物行きとなったわけである。
「どうも、いただきやす」
千吉はそれを受け取ると、荷車の上にぽんと置いてから、「そういやぁ」と言ってきた。
「聞きましたよ、最近こちらに新顔のお侍様がいなさるそうで」
千吉がそんな風に言ってくるので、まだ湯屋で福田の顔を見てはいないようだ。
普段釜焚きをしている千吉なので、最近出入りをしている湯屋の客の顔を憶えないのも無理もないことだろう。
「そうよ、名を福田甚右衛門様とおっしゃってね、顔は少々強そうなお方だけれど、良い方なのだとは思うの、けどねぇ……」
加代がそう言って「ほぅ」と息を吐いていると。
「おお、間に合ったか」
その噂の福田が大荷物の包みを抱えて、こちらへと大股に歩いてきたではないか。
そして加代から少々離れた辺りで立ち止まった福田が、塀の向こうの千吉をまじまじと見る。
「ほう、噂に聞く大男よ。
釜焚きよ、これも持っていってくれぬか」
福田は千吉にそう話しかけて、大荷物をひょいと差し出す。
「へぇ、いただいていきやす」
千吉が、加代と福田とのなんとも言えない離れ具合を見て首を捻ってから、福田の大荷物を片手で軽々と受け取るが、あれは案外軽いのだろうか?
加代が不思議に思っていると、荷物が車に乗ったらどしん! と重そうな音を立てた。
やはりあれは重かったらしい。
「ずいぶんな荷物ですねぇ」
加代が半ば感心していると、福田はむっつり顔をさらにむっつりさせて、ぼそぼそと話す。
「拙者、こちらへ移ることになり、住んでいた長屋からある物全てを持ってきてな」
そう話す福田によると、主に着物や身の回りの物でそのまま使うわけにはいかない物が多く、ご奉公とは気を遣うものだと思いつつ、これを良い機会として要らぬ物を捨ててしまおうと思ったのだそうだ。
福田のこのぼやきに、加代は大いに同情した。
「まあ、お侍様でもそうなのですねぇ。
あたしも、このお屋敷に合わせた身支度をするのに、そりゃあもう苦労しましたよぉ。
着物なんて、今までは着れりゃあよかったものを、お店のお嬢さんみたいに小奇麗にしておけ、なぁんて言われるのですもの」
加代がこのように話すのに、福田が「うむうむ」と頷く。
「まさしく左様でござるよ。
拙者も奉公というものに慣れぬでなぁ。
思えば、棒を振っていただけの頃は気楽であった」
そう言って深くため息を吐く福田だが、加代はこのように長く会話したのは、福田が屋敷へ来て初めてかもしれない。
――なんだ、話をするのも嫌だというわけではないのね。
加代が少々ほっとしていると、千吉が塀越しに身を乗り出してきた。
「お侍様は、ずいぶんとお強そうだとお見受けしやすが、得物は刀ではございませんので?」
普段は焚き物を受け取ったらさっさと行ってしまう千吉であるのに、珍しく世間話を仕向けてくるのだから、多少の興味が湧いたようだ。
それに先程棒を振るとか言っていたが、槍の鍛錬だろうか?
武芸にはとんと疎い加代であるので、そのあたりのことがさっぱりわからない。
――強そうだなんて、どうしてわかるのかしら?
それとも、それは千吉が「鬼」という人ではない者であるゆえの、なにかしらの力なのだろうか?
加代がそんな風に考えていると、福田が千吉身を乗り出した分だけ後ろへ下がると、困ったように頭を掻く。
「拙者は槍を扱うが、強いのかと尋ねられても、いかんせん他人と比べたことがないものでわからんなぁ」
そう話すと、福田は屋敷へと戻っていく。
「俺ぁ、どうも好かれていないようです」
千吉がそう言って頭を掻くので、加代は「まだましな方よ」と言ってやった。
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