2 福田甚右衛門という男
江戸の町に、本格的な冬がやってきた。
今度の冬はたいそう寒く、あちらこちらで堀や水路の水が凍ってしまい、朝から氷を割って回る音が響いている。
人びとの歩く足取りも、自然と早足になろうというものだ。
この日も冷たい風が吹き荒れていたが、南部家の下屋敷では、加代が冷たい風に震えながら洗濯をしていた。
「はぁ~、もうちょっと日が覗いてくれないものかしらね?」
曇っているわけではないが、薄い雲に隠れがちなお日様を、加代は恨めしそうに睨む。
けれど冷たいが風がよく吹いているので、洗濯物もきっとよく乾くことだろう。
そう思って、洗い張りをするつもりであらかじめ解いていた着物を、今こうして洗って干しているのである。
こうしてお屋敷で働くようになってから、加代はいくらか着物を買い足していた。
しかも、べらぼうにお高い着物ではないけれど、これまで着ていたものよりは質のいいものをだ。
遠山様が言うには、加代のような町人の住み込み働きであっても、それなりの格好をしていないと御家の格を疑われる、とのことである。
加代としてもお殿様に恥をかかせるわけにはいかないので、身だしなみにも気を付けて、こうして寒い中に洗い張りをしているのだ。
着物を全てぴんと張ってしまったところで、誰かがやって来る足音がした。
「加代殿、竈の掃除を終えましたぞ」
「まあ福田様、助かりました」
ずんぐりとした侍に声をかけられ、加代はぺこりと頭を下げる。
実はここ下屋敷の住人が、先日より一人増えていた。
というのも、やはりお殿様が、いざという時の警護役がいないことを気にされたのだ。
遠山様は「隠居生活に敬語はいらん!」と言い張られていたのだが、この意見は通らなず。
いくら人手不足とはいえ、警護の一人くらいは置いて置こうということになった。
この侍こそが先日やってきた警護役で、名を福田甚右衛門という。
竹内流という槍術に長けた武芸者、というか武芸馬鹿のきらいのある男だというのが、遠山様の話だ。
このお人の世話も加代の仕事であり、これまで遠山様一人のお世話をしていた頃と比べて、やることが二人分になったわけであるが、今のところ、食事の好き嫌いを言われないので助かっている。
力仕事も率先して変わってくれて、今日も案外力仕事である竈掃除を買って出られ、大いに助かったところだ。
けれど、唯一困っていることといえば。
「……」
加代がなにを言っても無反応でむっつりとしていて、しかも絶対にある程度よりも近付いてこないのだ。
なんだろうかこれは、加代はこのお人に嫌われているのか?
それとも町人風情と会話をしないと、そういうことなのか?
いや、屋敷に出入りする他の者とは話をしている様子を見かけるので、これは加代だけのことなのだろう。
ということは、加代と特別話をしたくないと、そういうことになる。
――あたし、なにか気に障ることをしたのかしらねぇ?
心当たりがないので困ってしまうが、今のところは様子を見る他はない。
とりあえず、竈の灰を被って真っ黒になった福田なので、いくら軽く拭って清めたとはいえ、きっとそのままでは心地が悪いことだろう。
「どうか、お先に湯屋にどうぞ」
遠山様のための支度をするのに、いつも先に湯屋に行かせてもらっている加代だったので、今日はそう申し出た。
「いや、それには及ばぬ」
しかし福田は仏頂面でそう返すのみで、なんとも不愛想なことである。
そんな押し問答をしていると。
「湯屋ぁ、湯屋でござぁい、焚き物はありゃせんかぁ~」
通りの方から、いつもの湯屋の釜焚き、千吉の声が響いてきた
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