26 見目良い料理
それにしても、酒を飲むなんていつぶりだろうか?
少なくとも、お屋敷で働くようになってからはお酒を手にしてはいない。
加代はなかなか酒がイケる口とはいえ、万が一痴態をさらしてしまったら大事だからだ。
――こうして静かに酒を飲めるだなんて、贅沢なことね。
弟妹に囲まれた生活で、酒を飲める年頃になっても、一人静かに酒を嗜むなんてことができようはずがない。
せいぜい漁師連中と飲みに行った父親が帰ってこないのを迎えに行き、その時についでにひっかけて帰ったくらいだ。
加代とて、できれば洒落たつまみを並べて悠々と酒を飲みたいと思ったものだった。
それがまさか、今こんな形で叶うとは。
これが漁師連中がいる店に行けば、あちらこちらから絡まれて、結局落ち着いて酒を飲むなんてできなかったことだろう。
そう思うと、千吉と共に送り出した慎さんには、感謝しなくもない。
「いい香りがする酒ですね」
千吉はこの酒では酔わないとはいえ、酒の香りは楽しめるようで、ちびちびと舐めながら香りを楽しむことにしたようだ。
それからなにを話すでもなく、二人で向かい合って酒を楽しんでいると、やがて頼んだ料理が運ばれてきた。
「まあ……!」
評判の料理を目の前にして、加代はその皿をじっくりと眺める。
天ぷらは海老や白身魚、茄子などがからりと揚がっていて、添えられた野菜が華やかな切り口である。
ただに煮漬けた野菜を出すにしても、切り方を工夫するだけで、こんな見ていて楽しい品になるとは知らなかった。
魚の煮付けも、加代が作るとどうしても醤油の色で黒っぽくなっているのが、こちらは身が白いまま魚の形を保っていて、やはり見た目に綺麗だ。
「どうして煮付けの魚がこんなに綺麗なの?」
つい疑問を口に出してしまった加代だが、なんとこれに答えが返ってきた。
「煮過ぎないことですよ、あと煮汁は少なめでしないと、魚が動いて崩れちまいますんで」
「あら……」
料理をじぃっと見ていた加代は、料理を持ってきた娘の後ろに料理人の親父が立っていることに気付かなかった。
けれどなるほど、加代が魚を煮付ける時はいつも沢山を一気に作るので煮汁は多めだし、なによりあれやこれやとしなければいけないことが多いもので、鍋の中に放置したままになってしまう。
その癖が悪かったらしく、これは大発見だ。
「ごめんなさいね、ぶしつけなことを言ってしまって」
加代が謝ると、親父はすっきりとした笑顔で首を横に振る。
「いいえ、えらい真剣に品書きを眺めてらしたんで、どこぞで料理をするお人なのかと思いましてね」
まるでいっぱしの料理人のように言われてしまい、加代は恥じ入る。
自分はそんな御大層な肩書を名乗れやしないのだ。
「料理をするというか、ただ飯炊きも仕事なので、ちょっとでも工夫を覚えようかと勉強に来たんです」
「おや、そうでしたかい。
飯炊きだって料理人仲間ですよ、お嬢さん。
じっくり味わって食べてください、勉強になるといいんですがね」
親父はそういうとぺこりと頭を下げ、台所へと戻っていく。
なんとも、目端の利く親父殿である。
「勉強ってえなら、ぜひ先に一口つまんでみなせぇ」
親父と加代の会話を黙って聞いていた千吉が、そう言って煮魚の皿を押し出してきた。
他人の料理を欲しがるなんて、と思いもするが、一口食べてみたい欲が勝った。
「……お言葉に甘えたいわ」
加代はそう言うと、勧められるままに端の方を箸でつまんでぱくりと食べる。
煮魚はホロリとした舌触りで、優しい味がした。
きっとこれが、上品な味だというものなのだろう。
それから二人して会話を楽しむでもなく、黙って料理を食べる。
千吉はきっと加代があまりに真剣に料理を食べているので、話しかけるのを遠慮しているのだろう。
千吉が普段どのように食事をしているのか知らないが、賑やかな方が好きなのであれば申し訳ない。
それにしてもこうしている千吉は、普通の人にしか見えなかった。
昨夜のあれは、夢の中の出来事か、なにかの見間違いではないか? と思ってしまうくらいに、ちょっと大男なだけの人間だ。
あの頭に、本当にツノなんて生えていただろうか?
そう思って加代がじぃっと千吉の手拭いを被ったままの頭を見つめていると、ぼんやりとだがツノらしき影がみえてきた。
いや、これも思い込みのまぼろしだろうか?
加代がそう思って、内心で首を捻っていると。
「お加代さん、やめてくだせぇよ。
そんなに見られるとムズムズしちまって、化けているのがとけちまわぁ」
早食いの質なのか、もう料理を食べ終えていた千吉が、困った顔でそう言ってきた。
「あ、え、そう?」
面と向かって「化けてる」と言われ、加代はぎょっとしつつも目を千吉の頭から逸らす。
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