25 二人並んで
――まったく、しょうのない人たちねぇ。
加代は二階を少々睨みつけてやるが、こちらを眺めている連中には娯楽なのだろう。
これこそが湯屋なのだから仕方ない。
「や、そんな話じゃあなくて……」
「いいから、行った行った!」
困った顔で千吉がなにか言おうとするのを、しかし慎さんが遮って再び「しっしっ」と追い払う。
これは、どうにも二人で連れ立って出ないと収まりそうにない。
そんなわけで、加代と千吉の二人そろって湯屋から出ることとなった。
「なんだか、妙な事になっちまって申し訳ねぇ」
出たところで、千吉がぺこりと頭を下げて来た。
「爺さんは、俺がお加代さんを気にしていたのを上から見ていたんだ。
それであんなことを言ったんだろうが」
申し訳なさそうに事情を話す千吉曰く、加代が湯屋に入った時に話しかけようと思ったのだが、えらい剣幕だったものだから、声をかけることができなかったという。
それで話しかける隙を窺ってずっと様子を目で追っていたのを、ああやって湯屋の二階から覗かれる羽目になってしまったと、そういうことだろうか。
――なんだか、巡り巡って自分が悪いってことなのね。
加代が意味不明な怒りを持て余していたから、今千吉を巻き込んだのだ。
本当に、自分は一体何をそんなに怒っていたというのか? と我ながら呆れてしまう。
けど、まあいいだろう。
どうせ夕飯を済ませて行こうと思っていたのだ。
この際だから、それに千吉に付き合ってもらおうではないか。
「あたしね、遠山様から今日はお夕飯の支度をしなくていいって言われて、外で済ませるつもりなの。
どうせなら、それに付き合ってよ」
「そのくらい、お安い御用でさぁ」
加代がそう言うのが、いつもの調子であるように見えたのだろう、千吉がホッとした顔で頷いた。
というわけで、浜の方に一応心配をさせないために、そこいらで知り合いの子どもをつかまえて「今日は顔を出さない」という父への伝言を頼む。
――そうだ、せっかくだし、いつもは行かない飯屋に行こう。
実は以前から洒落た料理を出すと評判の店に、一度料理の勉強のために行ってみようと思っていたのだ。
加代の作る料理はどうしても漁師飯のようになってしまい、見た目の洒落さがない。
遠山様に恥をかかせないためにも、やはり勉強は大事だろう。
知らない店へ入るには、女一人だと妙な輩に絡まれないかとちょっと不安だが、千吉が一緒であればそうした不安もなくなるというものだ。
そう決めた加代は、いつもはあまり通らない方へと道を進み、向かった先は橋を渡った先にある店だった。
店先も小奇麗にしてあり、戸を潜ると「いらっしゃい!」という娘の元気な声をかけられる。
「空いている席に、お好きにどうぞ!」
にこりとした笑顔でそう勧めてくる娘は、加代の妹よりもいくらか若いくらいの年頃で、この店の看板娘といったところだろう。
まだ込み合う時間ではないらしく、川を望める席が空いていたので、千吉と向かい合ってそこに座った。
「お酒もあるのね、せっかくなのでお酒もつけましょうか。
千吉さんも飲む?」
加代がお品書きを見つめながらそう話を振ると、千吉は首を横に振る。
「いえ、俺たちにとっちゃあ、人の飲む酒は水みたいなもので、全然酔えないんでさぁ」
つまり、水と同じであるのなら、酒を飲むよりも水を飲んでいた方が金がかからないと、そういうことのようで、加代もそこは頷けるので無理強いはしない。
けれど、女が一人で飲むのは見た目がよくないだろうからと、最初の一杯だけを付き合ってもらうことにした。
そしてどの品を頼むかを決めて、加代は季節の天ぷらを、千吉は魚の煮込みを頼む。
「先に熱燗を持ってきてちょうだい」
「はい!」
加代の注文に、娘は頷いて奥の台所へと行く。
そちらには料理人であろう年嵩の男がいて、その男に「おとっつぁん」と話しかけているので、この店は家族でやっているのだろう。
それから間もなく熱燗が持ってこられて、言った通りに加代は一杯目だけ千吉に付き合ってもらう。
「どうぞ」
千吉が加代の杯に注ぎ、加代も注ぎ返したところで、チン、と互いの杯を慣らす。
杯をぐっとあおって酒を喉に流し入れると、湯上りだったとはいえ、秋の風に吹かれて少々冷えた身体が温もる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます