23 腹立たしい朝
夜が明けて、朝になった。
加代はいつものように起きたら朝の支度をして、遠山様の朝食の膳を運ぶ。
その膳を遠山様の前に置いた時、声をかけられる。
「おや、どうしたんだい?
ひどい顔をしているねぇ」
心底心配そうな遠山様だが、加代は笑って誤魔化す。
「えぇっと、なんだか風がうるさくて、寝つきが悪かったんですよ」
「そうかい?
昨夜はそんなに風が強かったかねぇ、気付かなかった」
加代の下手な言い訳に、遠山様が首を捻っている。
――やっぱり、ひどい顔をしているのか。
今朝、自分でも鍋に張った水を覗いて、まるで幽霊に憑かれでもしたかのようだと思ったものだ。
これも、昨夜のあれからほぼ一睡もできなかったからである。
昨夜は、あの短い間に色々なことがありすぎた。
興奮してしまい、睡魔など訪れるわけがない。
それに、と加代はうなじを撫でる。
――舐めたんだ、あの男、女の首を!
嫁入り前であるこの自分の首を、一体なんだと思っているのか?
誰にも見られていないからいいものの、これが往来であったならば、悪い噂が立ったに違いない。
まったく人でなしの仕業だ。
いや、そもそも人ではない男なのだが。
――なんであの時、文句が言えなかったの!
ぼんやりと見送ってしまった昨夜の自分の頭を、加代は今から叩きに行きたい。
いや、鬼に面と向かって向かって文句を言う度胸が、自分にあるのかわからないけれども。
そんな風に、ああだこうだと思い悩む加代の様子は、遠山様から丸見えなわけで。
「顔を赤くしたりしかめ面になったり、忙しいことだなぁ」
遠山様が魚の干物をほぐしながら、こんな加代を興味深そうに眺めていた。
それにしても、加代があまりにひどい様子なので、遠山様に本当に「体調が悪いのではないか?」と心配されてしまう。
「今日の仕事は適当でいいから、昼寝をしなさい」
そう言いつけられたので、加代は実は朝からいつもの調子が出ないこともあり、ありがたくそのお言葉通りに昼寝した。
加代が昼寝から起きたら、いくらか気分がすっきりとして、身体が重かったのも和らいでいた。
やはり寝不足はよくないものだ。
ひどい顔だったのも、多少具合が悪そうかもしれない、ぐらいにまで治っている。
昼寝をしている間に遠山様が湯屋から戻ってきていたので、加代はお茶を出しに行く。
「具合はどうだい?」
「おかげさまで、この通りしゃんとしました」
遠山様に心配されて、加代は胸をどんと叩いてみせた。
「そうかい、夕食は出前でも頼むとするから、お加代さんは湯屋でゆっくりしておいで」
「はい、ではそうさせていただきます」
夕食の支度をなくしてくれた遠山様に礼を言うと、加代は部屋から下がった。
――なら、浜に寄ってからお夕飯を食べて帰ろうかしらね。
浜の連中が集まる飯屋に顔を出すのもいいだろう。
そんなことを考えながら、湯屋に向かった加代だったが。
「あ!」
湯屋に入るなり、思わず声を上げる。
番台に、また千吉がいたからだ。
どうやら、まだ主の慎さんの腰は治っていないらしい。
加代としてはできれば、しばらく顔をみたくないと思っていたというのに。
「らっしゃい」
客にそう声をかける千吉は、いつものように手拭いを被っている姿で小さくなって座っていて、加代の姿を見て微かに目を見張ったものの、ぺこりと小さく頭を下げるのみで、あまりなにかを思っていそうな態度には見えない。
朝からひどい顔だと言われ、さんざん怒りがぶり返した自分との、この違いはなんなのだろう?
なんだか普段にないくらいに腹の底からむかむかしてきた加代は、お代を番台のところへパン! と叩きつけるように置いてから、さっさと脱衣場まで入っていく。
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