第18話 口比べ
日が高く照りつける中、屋敷の前に貍の群が集っていた。
彼等は互いに会釈を交わしながら、かしわの葉を一枚口に咥えて、眼の前にいる巨大な三体の貍を見上げていた。
『長が御見えになる』と、通常の貍の五倍はあるかと思われる、最も大きな貍が宣言した。
『皆の者、頭を下げよ』と、二番目に大きい貍が振り向いて頭を下げた。『父上。此度は私と三郎の口比べの為に屋敷まで来て頂き、有難う御座います』
そこに現れたのは太郎よりも更に一回り大きい貍だった。
まるで一つの大岩に毛が生えているかのような容貌で、太い手脚はゆっくりと地を踏み鳴らしている。
貍の群は、長貍と呼ばれるその巨体にひれ伏した。
茶色の毛の塊がずらりと日のもとに並び、異様な集会の様を晒していた。
『かしわきよ、御言頂戴致す』と、長貍は立ち止まって他の貍どもを臠した。
『では只今より、口比べを執り行う。先ずは三郎、お身の云ひ分を申せ』
『はい』
三郎は小さく了承すると、屋敷の階段を飛び越え、縁側の部分に立った。
貍の群は一斉に三郎の方を向く。
無数のつぶらな瞳が彼を見つめた。
『・・・・・・あ、あの土地は、私のものである』と、三郎は大きな口をもごもごと動かしながら話し始めた。『もともと私が父上から賜つた土地で・・・・・・其れは皆の識る所である筈だ・・・・・・だから・・・・・・あれは私の土地だ』
父との約束、それだけが三郎の持つ論拠であったが、貍どもの雰囲気からははっきりとした手応えが感じられず、何か言わなければならないという焦燥感が頭の中を支配した。
頭の中が真っ白になる。
頭の奥が熱くなる。
彼の脳はいよいよ働きを失って、目に映る二本の前脚が今すぐこの場所から離れたがっていた。
『もう良いのか、三郎』と、次郎が嫌な笑みを浮かべながら問うた。
『此れ以上黙るなら、此処で三郎の番は終わりにしやう』と、太郎も付け加える。
三郎は必死で言葉を練りだそうとした。
しかし、考えようとすればするほど、身体の中の熱い何かが思考を邪魔した。
ただの貍である聴衆は、苦しむ三郎を不思議がるような目で見た。
その時間がほんの十秒ほど続いて、太郎は三郎の番を終了させた。
『次は次郎の番ぢや。次郎、上がれ』と、三郎の醜態が余程可笑しいのか、にやにやと笑いながら言った。
『では私の番を始めます』と、彼の尊大な自信とは裏腹に、静かに話し始めた。
無論その口調は徐々に激しくなっていく。
彼の言い分は以下の通りであった。
三郎の土地は確かに父である長貍から与えられたものであったが、いま彼の土地を棲家にする貍たちは貧困に喘ぎ、毎日が餓死の危機であるという。
そしてそれらの苦難は全て、持ち主である三郎の責任であり、彼の働きが悪いが故に、このような事態を引き起こしているのだと次郎は主張した。
つまり、あの土地を持つに相応しいのは三郎ではなく次郎であり、次郎ならば食物の不足を解消できるというのである。
更に、次郎は演説を続けた。
彼が加えて主張するのは、この山全体の未来についてであった。
次郎によると、これからは人間の活動も活発になり、山の木々が切り倒されて棲家が無くなっていくらしい。
この話を聞いて、聴衆はどよめいた。
三郎のような軟弱者が領主では生活が危ないのではないか、このような未来の見えている次郎に任せるべきではないのか、そのような会話が、群衆のなかで小さく波打ち始めた。
『だが然し、いまは北北西の土地の話ぢや。皆には是非、あの土地を私に任せて欲しい。必ずや人間の手から守り、其の土地に棲むものを満足させやうぞ』
貍の民衆は湧きに湧いた。
次郎の演説が終わるや否や、貍の四本の脚がぞろぞろと縁側に集まり、口に咥えたかしわの葉を裏向きにして次郎の前に重ねた。
それが投票の証であった。
かしわの葉は次々と重ねられていく。
『見よ!此れが民の意思ぢや!』と、次郎は笑い転げながら三郎を探した。が、三郎は既にこの場を離れて、山のなかへと帰っていた。
次郎はそれを知って更に笑った。
「かしわきよ はもりのかみも おはすらむ かぜにみだるゝ われたへめやも」
雫の宿った目のまゝ、三郎は二本の脚で山を駆け下りた。
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