第6話 死の重み

「死んだか」


一人の男は呟いた。


外はすつかりと日が暮れてゐる。

夜闇に侵された美しい庭園からは蟋蟀の音が聞こえ、池の水面みなもは何も映さない。


男の呟きは秋の音の中に埋もれてしまつたかに思えたが、其れを拾う者があつた。


「ええ。犬神筋らしく、犬神に喰われて貰いました」


其れは紛れもなく鶴太郎であつた。


彼の凛々しい顔つきとは真反対に、其の乾いた唇からは呪詛のろいの詞が止め処なく流れ出てゐた。


「お身、心は痛まぬのか。幾日か共に連れ添つた仲ぢやらう。私なら彼女が生きる道を探しておつた」


其の男──仮に貴人としやう。

貴人の顔立ちはまるで艶女たおやめのやうであつた。

鶴太郎の男らしい顔とは相対する、其の中性的な顔つきには神聖の気が漂ひ、柔らかな眉鼻のなかで鋭い眼が際立つてゐた。


黒い立烏帽子も、彼の威厳を象徴してゐる。


「お師匠様。其れは私が彼女について申し上げてからに御座いませう。普段のお師匠様なら左様な気遣いなど無用。直ちに喰わせろと命じられた筈に御座います」


弟子の訴えを聞いて、貴人はにやりと笑つた。


「犬神を無手で殺し、終いには其の肉を喰ったとなれば、並大抵の女子ではない。犬神筋なら犬神に祟られる事も無いぢやらう。興味を持たない方がおかしい」

「然し、如何なる理由があらうと犬神は禁忌の呪術。私は私の仕事をしただけに御座います」


鶴太郎は貴人を説き伏せた。

すると彼は途端に拗ねたやうな顔になり、其の重い腰を上げて、背後の棚から何かを取り出し、鶴太郎の前に置いた。


「私が優しいお師匠様で助かつたのう、鶴太郎」


鶴太郎は黙つたまゝ、眼の前の"其れ"を見つめた。


「私はお身が大好きぢや。お身の左様な心構へは敬服に値する」


"其れ"は、金色の包みであつた。


「其の心構へを蔑ろにするでないぞ、鶴太郎。情にも欲にも流されてはならぬ。流されたときが、お身の滅ぶときぢや。其れはあの日から忘れておらぬ筈ぢや」


包みは六つあつた。

無論、此れは鶴太郎の仕事の報酬であつたが、一度に六つといふのは余りに多く、鶴太郎は其の重み故自己の懐へと仕舞ひ込む勇気が出なかつた。 


「鶴太郎」


貴人が声を厳しくした。

眼光炯々とした彼の表情、其の背後から溢れる云い表しやうの無い気が、鶴太郎の眼にもと見えた。


「有難く頂戴致します」


鶴太郎は遅々と躙り寄り、包みを一つずつ懐へと仕舞ひ込んでいつた。


其の僅かな間、秋の音は沈黙してゐる。


最後の一つを木板の上から消すと、拳を床につき、頭を深々と下げた。


「重いか」

「いえ」

「此れが可愛い弟子に対する私の罰ぢや」

「・・・・・・」


鶴太郎は重くなつた烏帽子を持ち上げる事が出来ず、頭を垂れたまゝ動けなかつた。

彼の白い装束が大きく下に揺れてゐた。


「女子の屋敷には他の巫女を遣はす。お身は下がつてよい」


彼は何とか腰を上げて、貴人の前を去つた。


貴人の眼から鶴太郎の背中が消えてなくなると、彼はもう既に暗闇の坩堝となつた庭園を覗き込んだ。

そして聞こえもしない蟋蟀の音に耳を澄ませたかと思うと、不意に声を零した。


「雪郎」


呟くやうな小さな呼びかけに応じ、何処からともなく一人の男が現れた。


彼はまだ烏帽子の要らない位の年頃に見えたが、其の頭には粗末な黒い布でできた烏帽子を被つてゐた。


「取つておけ」


貴人は、懐に隠しておいた金の包みを二つ、彼の前に置いた。


「女子の骸を回収せよ」


雪郎は承知の旨を短く伝えると、又暗闇へと姿を消した。


「・・・・・・不思議ぢやなう」


貴人は又呟いた。


然し、誰も其れを拾ふ者は居ない。


貴人の険しい顔が見える。

三つの燈灯あかしに照らされ、幻のやうに揺れてゐる。

妖しさに満ち充ちた顔は、燈灯と共に消え失せた。

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