第9話 憂鬱
この日は小学生を対象にした年に何度か催されている剣道教室の日。
行われる場所は地域の道場の回り持ちで、今回は柚木が通っている道場が教室場所だ。
主に指導するのは各道場の師範だけど、柚木もその補助や簡単な指導には当たっている。
今までもこういうイベントごとには参加はしてきたが、どちらかといえば早く自分の稽古に時間を当てたいって思いが強かった。
だが今日は、昨夜に引き続き思い切って今朝も朝稽古は行わなかったためかその気持ちは薄れているのか何だか楽しみな気持ちが強い。
道場へと出向くとすでに少し人が集まっていた。
葵の通っている道場との合同なこともあり、そのためか普段は目にしない雑誌社らしき人も目に付く。
ほどなくして、剣道教室が始まった。
技術的なことは教室ではほとんど何も教えない。竹刀を持ってもらい自由に振って、練習試合などをその目で見てもらい、実際に打ち込みなどを軽くしてもらう程度。
その練習試合は柚木と葵で行われることになった。
今日初めて竹刀に触れ、剣道を体験する子も多いはず。
そう思えばいつもの公式戦の時よりもなぜか気合いが入った。
「手加減は無用です。本気で」
「おお……」
向かい合うと葵にそんな釘を刺され試合は開始される。
1日足らず竹刀を振らなかったのは随分と久しぶりで鈍ってやしないかと不安がよぎる中で開始と同時に一気に距離を詰めていつも通りに振ってみた。
「すっげえ、はええ」
「兄ちゃん、つええ」
とてもシャープに振れた気がして、いつもより体も軽い。
休んだ成果かもしれない。子供たちの視線を気にしながら、普段はあまり使わない突きや今人気のあるアニメの剣士になりきっての構えや動き、そして技を見せていく。
一通り見せたところで連続技を披露。2本目までは止められたが、3本目で一本取れた。
礼をして面を取れば、参加したどの子も目を輝かせていて、すげえあんな風に俺もやりたいという声が聞こえて来た。
ちょっと照れるが、柚木もまんざらでもない。
「ちょっと、なんですかさっきの? キレもこの前よりも増してましたし、動きもなんか……」
「ちょっと体調良くて、その悪い、型とか技も今だけは無視した」
「それはいいですけど、なんか全然今日の方が……いえ、なんでもありません。あなたがそういうふうに変わるなら、私はもっと……」
「んっ、お、おう……」
子供たちのはしゃぎ声が聞こえる中、葵とそんな話をしていたら女性の人が近づいてきた。
「葵ちゃんとお知り合いみたいね。ちょっと紹介してもらえる?」
「こちら、倉木柚木君。憎たらしいほどに剣道が強くて、他のことは抜けているアホな人です。こちら雑誌の記者さん。良く取材をしてもらっています」
「……こんにちは」
「はじめまして、水城です。近いうちのこの道場の取材をしたいと思っていて、ぜひあなたにもインタビューさせて!」
「へっ、いや、あの、インタビューとか俺は……」
柚木がそう渋っても、師範の了解は取ったからとグイグイ来られる。
「あっ、そうだ。素顔に迫りたいから当日は剣道着や制服じゃなくて、ぜひ私服でね」
「はあ……」
空返事ばっかりしていた柚木だが、いつの間にかなぜか受ける流れになっていた。
☆☆☆
週明けの月曜日、どことなく今日から学校かと思っているのか周りの生徒たちの表情もさえない。
今日に関しては柚木も憂鬱な気分で、改札口を出て学校へと向かう。
休みの日は特に行くところもないし、そんな時間があるなら稽古に当ててきた柚木。
だからと言っていいかはわからないが、私服と言えるものはジャージしか持っていなかった。
取材の日、それを着て行こうかと昨夜大真面目に萌々に話したら、
「インタビューめんどくさいな……なあ、私服ってこれとかでいいかな?」
「はっ……ちょ、ださっ! 高校生だよ、もうちょっとおしゃれに気を遣うでしょ普通。せっかく写真とかも撮ってもらうんでしょ」
「そりゃあ、そうだけど……」
スマホで写真を撮られ、ないわーと否定される始末。
友達とか周りの人に聞いてみなよとも言われたので、先ほどから悠斗に聞いてみていた。
「そういや柚木試合の時はいつもジャージだったな」
「ああ……中学の修学旅行とかも制服と学校のジャージしか着てないしな」
「お前、服とか気にする感じないもんな……高校生なら、カジュアルから勝負服まで持ってるやつもいるし、少なくとも毎回ジャージでは外に出ねーだろ……その写真のやたらと年季の入ったジャージ姿はねーな」
「そんなにダメか……はあ」
「おいおい、ため息つくなよ。俺なんて取材なんて聞いたら、小躍りするほど嬉しいけどな」
「インタビューなんてなに話していいかもわからねーし、剣道着でいいものを……師範には悪いが断るか……いやそれはさすがに」
「たくっ、おめーはよ……」
悠斗からあからさまに呆れた視線が飛んできたとき、背後から挨拶される。
「おはよう柚っち」
「……あっ、おはよう。あっそうだ。ちょとこの写真見てほしいんだけど」
心春とその友人たちだった。
この人たちなら、来ていく私服がないなんてことはなさそうでちょっとだけ羨ましく感じる。
ちょっと聞いてみようと妹が送ってくれた画像を心春たちにも見てもらい、事情を話した。
「……これでインタビューを受けようと……」
特に女性陣の顔色がさっと血の気が引いた気がした。
それだけみれば、やはりだめなんだなと確信する。
「ゆ、柚木、とりあえず人様の前に出られる服装を買いに行こう? ね?」
「……えっ、そんな憐れむ目されちゃうの」
「そりゃあ、だって……」
「ここまでみんなにダメだしされるとは想像してなかった……心春、マジ頼むわ」
1人で買い物に行けば、また萌々や心春に何か言われてしまう予感はある。
心春が一緒なら安心かなとも思い、自然と言葉が出ていた。
任せろと言うように心春はドンと胸を叩く。
願ってもいない申し出だった。心春なら服装とかも気にかけてないってことはなさそうだし。
そんなことを思い、少し安心したら足取りも軽くなった気がした。
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