第13話 6月9日 火曜日③

 彼女はコンシェルジュのように手のひらを出して――どうぞ。と言うと電話ボックスから距離をとって下がっていった。

 かれこれ電話ボックスから五メートルくらいは離れている。

 

 プライバシーは尊重してくれるみたいだ。

 僕は電話ボックスに入って電話機の上にマウントレーニアを置いた。

 でもいったんマウントレーニアを持ち上げて上蓋をコースターにしてまた電話機の上に置きなおす。

 

 なんだろうこのあまり意味のない行動は? 自分でも無意味だと思いながら受話器を上げてテレホンカードを入れた。

 彼女が昨日、時報を聞くのに「1度」じゃなくて、えっと、「1」パワー使ったから残りは「11」パワーだ。

 

 なんとなく「度」という単位より「パワー」のほうが馴染んでくるから不思議だ。

 僕は電話ボックスのガラスにもたれながら前方のガラス越しに彼女を見た。

 スクールバッグを肩にかけながら歩道の石ころを蹴っている。

 なんだか幼稚園児のような行動だ。

 

 でも彼女は僕の諸事情には気を使ってくれている。

 あんな感じだけど良識的で僕のなかに土足で踏み込んでくることはしない。


 昨日と同じように生徒手帳に書いてある十一桁の番号を押していく。

 番号のボタンひとつひとつがぷちん、ぷちんと押されていった。

 今思ったけれど菊池さんのスマホの番号はだいたい覚えてるから、もうすこしで暗記できそうだ。


 というか毎回毎回、生徒手帳を出して確認するのも面倒だから暗記しておいたほうがいいな。

 ぶち、ぶつ、ぶちん、そんな音のあとにプルルルと呼び出し音が鳴る。

 

 「もしもし。拓海くん?」

 

 二コール目で菊池さんの声が聞こえた。

 

 「はい、そうです。昨日は電気の支払いありがとうございました。あのあとすこししてから電気、点きました」

 

 「そうよかった。でも、気にしないで」

 

 「はい。すみません」

 

 「でも電気会社も電気会社だよね? 高校生がひとりでいる家の電気を止めるなんて」

 

 「いや、でもそれは僕が郵便物をよく見てなかったからで……それに電力会社も僕がひとりでいるなんて思ってないだろうし」

 

 「そう言われればそうかな」


 なにを隠そう僕が郵便物を細かく確認するようになったのは、ある日、突然家の電気が消えたのがきっかけだ。

 今までそういうのはずっと母さんがやっていたから、といっても年末にカレンダーをもらった地方銀行の口座からの引き落としだけど。

 

 でも僕の家は諸事情でそれができなくなってしまった。

 僕が独りになってからあまりにも大袈裟な「大事なお知らせ」なんて郵便物は中身を見ることなくかたっぱしから破り捨てていた。

 今の僕は家に届く郵便物ひとつひとつを見極めて捨てている。

 

 「今日はどうでしょうか?」

 

 「そうだね。今日もちょっとあったみたいだね」

 

 「そうですか……」

 

 「でも昨日よりは落ち着いてたみたいだよ。浮き沈みが激しいのはしょうがないことだから」

 

 「わかりました。いつもすみません」

 

 「いやいや。子どもは大人に頼ればいいんだよ。僕も拓海くんのおじいさんとおばあさんにお世話になったんだし」

 

 「ご迷惑かけます」

 

 心に響いてくる。

 

 「いやいや。いいのいいの」

 

 僕がしばらく沈黙していると電話機の赤いマークが「11」から「10」に減った。

 「1」パワーを使ってしまった。 

 

 「はい。ありがとうございます。じゃあ失礼します」

 

 「うん。ああ、そうだ。拓海くん土日のどっちか病院にくるんだろ?」

 

 「はい。行きたいと思っています。でも、たぶん土曜日ですね」

 

 「わかった。じゃあ」

 

 「はい」

 

 僕はがしゃんと受話器を置く。

 母さんは今日もあまり調子がよくなさそうだった。

 電話機からピピーピピーピピーと音が鳴ってテレホンカードが出てきた。


 僕はおもおむろにテレホンカード掴んで制服の内ポケットにしまう。

 ポケットからだした指の先にはコンビニの名前の入ったシールがついていた。

 ああ、あのときテレカとシールと分けて内ポケットに入れたんだっけ? 


 僕の指先がシールと格闘している、やがてコンビニのシールは格闘のすえ内ポケットの底に沈んでいった。 

 ちょっと喉が渇いたからマウントレーニアを二口飲む。


 コースターにしていたマウントレーニアの上蓋を掴んで無造作にブレザーの右ポケットに入れそのまま右手でマウントレーニアのカップを持って電話ボックスから出た。

 彼女は電話が終わったの見計らって僕に近づいてきていた。

 

 「はぁ」

 

 言ったあとに喉が乾いた、と僕の手の中にあったマウントレーニアを勝手に飲んでしまった。

 えっ?! 

 

 「うん。やっぱり美味しいね。バニラモカは」

 

 「だ……だよね」

 

 このマウントレーニアは僕がきみからもらったはずだけど……。

 じつはまだ彼女に所有権があるとかじゃないよな? 押し貸し? ――飲みかけのマウントレーニアを返せ、なんてことはさすがにないか?

 

 「ああ潤った~。待ってて喉乾いちゃった」

 

 彼女はけらけらと笑う。

 

 「きみはふたをハズしてストローを挿す派だね?」

 

 「えっ、まあ、だいたいそうかな」

 

 「そっか。目から鱗」

 

 反対に上蓋から直接ストローを挿す派もいるだろうけど。

 今のでどうして目から鱗が落ちたんだろう? 謎だ。

 

 「明日もくるよね?」

 

 僕はしどろもどろになりながらもただうなずいた。

 僕の注意は彼女の口元にいっていた気がする。

 

 「もう一口もらったぁ!!」

 

 彼女は僕の手を掴んで引き寄せるようにしてまたストローに口をつけた。

 

 「ちょっともらっちゃったけど。あとは遠慮なく飲んでくれたまえ」

 

 「えっと、ああ、うん」

 

 やっぱりこのマウントレーニアは押し貸しじゃなく僕の所有物ものでいいみたいだ。

 

 「じゃあまた明日ね」

 

 彼女は無邪気なままクルっと振り返ると昨日と同じように道の駅のほうへと歩いていった。

 僕はマウントレーニアを片手にしばらく立ち尽くした。

 

 えっと……いったんマウントレーニアのカップをながめてみる。

 よくわからないけど商品名の「M」から最後の「R」までのアルファベットを黙読していた。

 

 「マウントレーニアか。マウントレーニアだ。うん、マウントレーニアだ」

 

 当たり前のことを言ってから成分などの項目も読む。

 そして息つく暇もなくマウントレーニアのバニラモカをいっきに飲み干した。

 何回にも分けて飲むのは悪い気がした。

 黙ってずっとマウントレーニアを持ったままでいるのも、だ。

 

 当然、残すや捨てるなんて選択肢もない。

 これは誰への言い訳だろう? カップの底でストローの先がズズッと音を立てた。



 

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