第6話 6月8日 月曜日⑥
どうしてこの状況でそうなるかな? まあ、僕個人、人として出来るかぎりのことはしたからあとは自分の力で頑張って、と、心の中だけで応援する。
「そう。わかった」
「なのですが。きみも一緒についてきてくれたまえ」
はっ?
「どうして?」
「私には手持ちの
ああ、そういうことか。
あのがま口には千円以外お金が入っていなかったんだ。
それならスーパーかコンビニで何かを買って千円を崩すのが早い。
「とにかく私は十円と百円を手に入れないとだめなの。ジュースくらいおごるからさ。戻ってきてからひとりで電話するのも心細いなーって」
彼女はスクールバッグを手に持つ。
「公立U高校」の刺繍が見えた。
そっか、この制服ってU校のだったんだ。
でもU町はS町から南に三十キロも離れている。
しかもS町とU町のあいだで振興局が変わるから「
と僕が考えていると彼女は「公立U高校」のスクールバッグを右肩にかけた。
ファスナーについているローマ字のキーホルダーがゆらゆら揺れた。
「あっ、ちょっと待って。ジュースはいらないから」
僕は彼女を呼び止めた。
仮に僕がその千円札を持っていってもコンビニで買うものはひとつだ。
ジュースなんかの飲み物を買ってお釣りをもらう必要もない。
彼女がこれからも公衆電話を使いつづけるならその存在を教えてあげたほうがいい。
僕はなんとなく新たなアイテムを与えるメンターみたいにして生徒手帳の中に挟んであったテレホンカードを出した。
「これ使っていいよ」
「なにこれ? トレカ」
僕は彼女に「TELEPHONE CARD」というスペルと「50」という数字の書かれた青いグラデーションのカードを差しだした。
カードの上には不等間隔に穴が開いている。
まさか、これを誰かに見せるときがくるなんて。
すこしくらいデザインの凝ったテレホンカードを買うべきだったかもしれない。
にしてもこんな色味のないトレーディングカードがあるんだろうか?
「違うよ。これはテレホンカード」
「テレホンカード?」
「そう通称テレカと呼ぶらしい」
僕に公衆電話のことを教えてくれた人がしきりにそう呼んでいた。
「テレカ。やっぱりトレカの仲間じゃん」
どうしてそうなるかな? まあ、カードを略すと最後の「カ」で留まるんだからそういうことになるか。
「カードという意味では仲間だけど存在理由はまるで違うし。これは公衆電話で電話をするために存在するカード。たとえば硬貨を使って電話をしていれば一分で十円。一分を越えても話が終わらなさそうって場合はさらに十円を追加する必要がある」
「ゲーセンかよ」
途中だったのに話の腰を折られた。
彼女はテレホンカードの表裏を見返している。
ゲーセンのゲームとも違うんだけど、でも、まあ、つづけざまに小銭を入れていくという意味では間違ってないかも。
「このカードの上の小さい穴はなに?」
「ちょと難しいけど使った金額で穴が開いてくんだよ。残りの通話時間の目安みたいなもの」
「へ~HPかよ。MPかよ」
「まあ、とにかくこのカード使えば途中でお金を追加しなきゃいけないとかを気にしなくていいの」
「魔法のカードかよ」
今度は女子高生特有の「かよ」で突っ込んできた。
「まあ、そんなとこ。ただこのテレホンカードも有限だよ。使い切ればそれで終わり」
彼女自身の目で見てもらったほうが早いと思って僕は彼女と入れ替わるようにして電話ボックスに入った。
「見てて」
僕は受話器を上げて公衆電話のテレホンカード投入口にテレカを入れた。
するっとテレホンカードが吸い込まれていく。
電話機に赤い文字で「12」と表示されている。
「簡単にいえばこのカードであと百二十円分の通話ができる。一分を十円換算すると単純に十二分は話せること」
「なんと。すごー」
彼女はわざとらしく声をあげた。
僕は受話器を上げている手ごと彼女に差しだした。
彼女は僕と入れ替わりで電話機の前に立つ。
僕は相変わらず背中でドアを押さえながら彼女の行動を見守っている。
彼女の指先は公衆電話のボタンの「1」を押した。
つぎに指先は横三列、縦四列に並んだ十個の数字と「※」「#」の中のどのボタンの押そうか迷っている。
人差し指は目を回すゲームのようにぐるぐると時計回りに回る。
悩んだあげく「1」を押した。
現在のところ彼女が押したボタンは「11」だ。
さあ、つぎ……ま、まさかとは思うけど「0」と「9」だけはヤメてくれよ。
蚊取り線香のように回っていた指先がピタっと止まった。
「7」のボタンがぷちんと反発した。
つまりは彼女は「117」の時報を選んだ。
僕はホッと安心した。
「それでしばらくすると時報につながるから」
彼女は受話器を耳に当てながら耳を澄ましている。
「おお!!」
声をあげた。
「ピッ、ピッ、ピッ、ピッー!! 午後四時。二十。一分。二十。秒。を。お知らせいたします」
彼女は電話口の向こうの独特な女性の
とくに秒をカウントする「二十」と「秒」と「を」を分ける
彼女は電話機の赤い数字が「12」から「11」になったところで受話器を置く。
それまでしばらく電話の向こうの女の人と同じリズムでカウントダウンをしていた。
公衆電話はピピーピピーピピーというデジタル音とともにテレホンカードを吐き出す。
「ほーほー」
彼女は出てきたテレホンカードを手にとるとまた裏表をながめている。
電話機に入れる前と入れたあとでも何も変わらないのに……。
あっ、でも「11」が「10」になるとテレホンカードの上に穴があく、たぶん? まあ、僕もいまいちどのタイミングで穴があくのかわからない。
今はいいか。
彼女はテレホンカードの二等辺三角形をふたつに割った図形とそのうしろに書かれている「IN矢印の方向にお入れください」の部分を指でなぞってから、また片手で受話器を持ち上げた。
「こっちが表でこうね」
そのままテレホンカードを矢印の向きに入れる。
「11」が赤く点灯している。
「ほー。なるほどね~」
感心しながら受話器を戻すと電話機はまた、ピピーピピーピピーとテレホンカードを押し返す。
彼女はサッとテレホンカードをとると彼女のうしろにいた僕にテレホンカードを差しだした。
「よし。使いかたはなんとなくわかった。でもお礼にジュースはおごってあげるよ」
彼女がスクールバッグを持って電話ボックスから出る雰囲気だったので、僕はそれを察し電話ボックスの出口を確保する。
「いや、別にいいよ。一分で十円の通話だし」
僕がさきに歩道に出ると彼女も僕につづいて歩道に出た。
電話ボックスのドアががちゃんと閉まる。
「だめだよ~。それにそのテレカがどこで買えるのか知りたいし。やっぱりネット?」
そう思うよね? テレホンカードは特別なものだって。
ところが。
「ああ、これね。ふつうにコンビニにで売ってるよ」
「えー。目から鱗」
今日、二枚目の鱗が落ちた。
これは鱗が落ちてもしょうがないと思う。
僕も最初はテレホンカードがコンビニで買えるとは知らなかったし。
「チャージもコンビニでできるの?」
これぞ現代っ子の発想。
「テレホンカードはチャージ式じゃないんだよ」
「えっ、そうなの?」
今度は目から鱗は落ちなかった。
「じゃあどうやってさっきの数字増やすの?」
チャージ式だと思ってたんだから当然の質問だ。
「数字がゼロになったら新しいテレカを買うしかないんだ」
「あっ?! それがあの穴の数かぁ」
おっ、鋭い。
ただし穴のあく位置はやっぱり僕でもぜんぜんわからない。
知人に訊くしかない。
知人と僕とは使ってきた年季が違うから。
ただ「10」を下回ったときに穴があくのは確実だと思う。
「そう。正解」
「でも環境に悪いね?」
使い捨てのことか?
「まあね」
「世の中そういうものかもね。下手に延命させるより逆に環境にはいいのかもしれない。……いらないとやっぱり捨てるしかないんだよね? だっていらないんだもんね?」
彼女はどことなく真顔になった。
それでいて何かを自分に向けて言ってるようにも思えた。
そこまで深く考えることでもないんだけどな。
「うん。まあね。んで、テレホンカードはたいていのコンビニで買えるから。ほらS町の真ん中にあるコンビニでも売ってるよ。僕はあそこで買ってる」
「そっか。良いこときいた~。教えてくれてありがとう。行ってみるね?」
「うん。じゃあ」
「じゃあね~。ばいばい」
彼女はスクールバッグをぐんぐん揺らして歩きはじめた。
飾りのキーホルダーも振り子のように揺れている。
どんな理由かわからないけど公衆電話で電話をしたかっただけかもしれない。
彼女は僕がこれから向かおうとしている真反対にある道の駅のほうに歩いていった。
まっすぐにずーっと進んで、突き当りのボタン式信号を右に曲がればやがてあのコンビニに着く。
そのルートでコンビニにいくのかな? 僕はそんな彼女を最後まで見送ることもなく家へと歩きはじめた。
テレホンカードさえあれば電話をかけるのはそんなに難しくないだろうからあとはひとりでも電話はかけられるはず。
ただ、とくにかけたい相手もいないみたいだから……。
今日はもう戻ってこないかもしれない。
◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます