グラハム・ベルの功罪

ネームレス

20XX年 6月

6月8日

第1話 6月8日 月曜日①

 今まであったものがなくなるのは不便だと思う。

 でも、ないならないでどうにかなるものだ。

 僕は今日もそう思いながら校門をでた。

 まだ、すこしだけ癖が残っていて、ついついスクールバッグに手を入れてしまう。


 あっ、そっか、染みついた習慣は侮れない。

 振り返って生徒玄関の上にあるアナログ時計を見る。

 三時四十五分……。  


 道路を挟んで目と鼻のさきに中年夫婦が営む理髪店がある。

 理髪店の右側にはすこし寂れた二階建てのアパートが建っていて人影はない。

 

 階段を上がった手すりの横には薄い金属の看板が提げられている。

 錆でコーティングしたような看板の文字の大部分はかすれていて「なんとか荘」の「荘」という漢字だけがゆいいつ判別できた。


 アパートの住所や管理会社の電話番号も、むかしのホラー映画のタイトルのように斜め下に伸びていてなんて書いてあるのかわからない。

 「荘」の文字はきっちりとした漢字じゃなくて、職人さんが手で書いたようなものだ。

 必然的に判別不能の文字も手書きのもの。


 僕がすごくお世話になっている人もむかしは看板職人だった。

 脚立に乗りながらバケツに入ったペンキと刷毛はけだけで文字を書いて生計を立てていた。

 そのころはそれだけで生活ができていたと言っていた。

 

 現在、令和元年。 

 僕に実感はないけれど、もう、二十年前くらい前にほとんどのものがデジタルに変わってしまったそうだ。

 いわゆるパソコンで文字を入れてそれを看板に印刷するようなもののこと。

 看板職人だったその人は今はまったく畑違いな病院の警備の仕事をしている。

 

 時代の波ってやつだ。

 僕もつい二か月前にその波から落ちてしまったばっかりだけど。

 と、いっても僕が生まれたときから世の中はデジタルで、よくいわれるデジタルネイティブの高校生ではある。


 このアパートはきっと僕よりもさきに生まれた先輩だろう。

 看板だけじゃなくアパートの外壁の年季つくりもそういっている。

 アパートから見下ろされている理髪店に僕もむかしは通っていた。


 でも今は学校の真向かいにあるということで中学卒業を境に遠ざかってしまった。

 それはやっぱり知り合いに見られたくないのが理由だ。

 

 通学している高校の真ん前にある理髪店だ、当然のことながら下級生や上級生、同級生との遭遇確率はこのうえなく高い。

 いや、むしろ部活は土日も活動しているんだから誰にも見つからずにここに髪を切りにいくのは不可能に近い。


 だから今は別のところで髪を切っている。

 って、最近はセルフカットしかしてないか。

 もっとも僕がいる北海道はあまりに大きすぎて振興局しんこうきょくという十四の地域に分けらている。

 それら振興局の中に大小さまざまな市町村があり、僕はそんな中にあるS町という小さな町に住んでいる。

 このS町で僕が髪を切れる店は四店舗しかない。

 

 僕が女性じょしであったなら、そこから五店舗ほど選択肢は増えるけれど……。

 町の規模のわりには理容室や美容室の数は多いのかもしれない。

 それでもWeb、いや年配こうれいの人はいまだにホームページって呼んでいからホームページかな……?を持っている理美容店はS町で二店舗のみ。

 S町ではホームページを持っているだけで町民の評価は相当高くなる。

 

 僕はその理髪店を横目に歩きはじめた。

 窓越しからでも店主が誰かの髪を切っているのがわかった。

 店のガラス窓には営業時間と定休日、それに「HAIR SALON」というステッカーが縦七列で斜めに貼ってあって店の中はあまり見えない。


 あのステッカーは客のプライバシーを考えてなのかもしれない。

 あるいはむかし、ああいうふうにステッカーを斜めに貼るのが流行っていたのかも。

 客用玄関の左横には「赤」がトレードマークの有名飲料メーカーの自動販売機が置いてある。

 店の手伝いをしている店主の奥さんがその自動販売機でコーヒーを一本買って店内に戻っていった。


 店主は壁掛に掛けてある薄型の液晶テレビを観ながら、客と会話をしつつ髪を切っている。

 これもあくまで僕がステッカーのあいだから見た光景であって僕が通っていたころの思い出と重ねた結果だ。

 今、じっさいに店主が薄型の液晶テレビを観ながらお客と会話しながら髪を切っているのかはわからない。


 僕が小学生のころも髪を切り終えたあとに、あの奥さんから自販で買ったジュースをもらっていたっけ。

 髪を切ったお客は大人、子ども関係なくジュースがもらえる。

 よくできたサービスで子どもの僕は完全に虜になってしまっていた。


 夏場は冷たい炭酸飲料で冬は温かい飲み物を選んでくれた。

 冬場は髪を切ってスースーしているうなじにホットのミルクコーヒーを押し当てて首筋を暖めたりもした。

 そうやって母さんが車で迎えにきてくれるのを店の中で待った。


 今じゃ自動販売機じはんでジュースを買うこともめっきりなくなった。

 なにせ小銭を用意するのも面倒だし自動販売機じはんの飲み物は定価だから高い。

 支払い方法でもコンビニならキャッシュレスを選ぶから「ピッ」で終わる。


 このS町でもそんな電子マネーが使える最新の自動販売機は道の駅のところにしかない。

 寂れたアパートから十メートルほど離れた場所では新旧対決のように新しいアパートの工事の真っ最中。

 工事が始まって間もないというのに完成したときの設備一覧が金網フェンスに仰々しく載っていた。


 光回線、乾燥機、シャワートイレそれにクーラーまで完備してるらしい。

 S町ではらしくない・・・・・アパート設備だ。

 僕の住むS町は数年前に珍しい化石の発見で脚光を浴びることになったけど、それまではとくにこれといった特徴のない町だった。

 ほんとにここ数年でガラリと変わった印象だ。


 過疎化が進んでいるのは間違いないけど他の市町村からの転入者も多い。

 家族単位で引っ越してしてくる人も多いらしい。

 S町のWebを見れば月ごとの「人口」と「世帯数」の増減がわかる。

 当たり前だけれど三月は「人口」と「世帯数」のマイナスが多い。


 かくゆう僕も来年、正確には来年度、このS町をでていく予定だった。

 でも、それは今、現在未定になっている。 

 だから最近はS町の人口の増減も調べていない。


 校舎を囲んでいる植木壁の横を歩いていると今度は何年か前に夜逃げしたという個人経営の居酒屋の空き店舗が見えてきた。

 夜逃げした店舗はなぜか窓ガラスがなくなっていて、壁もところどころ剥がれ落ちている。

 僕の夜逃げのイメージは町の人がみんなが寝ているときに、誰にも見つからないように荷物をまとめて家族全員で町をでて行くことだ。


 それがなぜ数年で窓ガラスがなくなるのだろう? 窓の端のほうも細かくギザギザに割れていて割れたというより割られたに近い。

 

 それでも人が住んでいないから一度割れた窓はそのままだ。

 風見鶏の矢印のようなアンテナと丸いBSアンテナもぽっきりと折れていて屋根からぶら下がっている。 

 最近は台風も多いし強風の日も多いからこんなこともあるか。


 自然災害ならしょうがない。

 でもボコボコと壁に穴が開いているのはどうしてだろう? バットのさきかなんかが外壁かべに当たればこんなふうなあなになりそうだ。

 

 復旧する人がいるから直る。

 止まった電気もガスも水道も、それぞれ電気屋、ガス屋、水道屋が修復なおしにいくから元通りになるんだ。

 勝手に直るわけじゃない。

 そんなことにあらためて気づく。


 誰もいない非日常的な居酒屋の空き店舗を通り過ぎるとまた日常の風景が戻ってきた。

 あんなふうに食べ物を提供できなくなった店がある一方、ここ最近S町では中華料理、寿司屋、まさかのイタリア料理の新規出店まであった。

 この場には似つかわしくない「家賃7万5000円~」という最新アパートの案内看板が廃墟の居酒屋の斜め向かいの角に立っている。


 工事がはじまったばかりだというのにもう入居者募集の案内だ。

 こういうことはなんでも早いほうがいいのかもしれない。

 S町でこの値段は場違いに思えるけどそうでもないのかな? 僕は見慣れたその風景の中で左の道路の一区画に向き直した。


 そこにも時代錯誤な教員住宅がある。

 この集合住宅たちもホラー看板のアパートと同世代だろう。

 毎度ながらS町に赴任してくる先生たちはツイてないと思う。


 いつだったか担任の水木先生は家の風呂をガスで沸かすと言っていた。

 だから家で浴槽に入ることはなく車を十分ほどの走らせた隣町のM町のスーパー銭湯にいくらしい。

 そうS町から車で十分も走ればスーパー銭湯がある。


 スーパー銭湯が人気なのはもちろんだけれど、そこの駐車場にはいつもキャンピングカーが停まっている。

 広大おおきな北海道を周っている人なのかな。


 スーパー銭湯とキャンピングカーなら相性はいいだろう。

 スーパー銭湯にはコインランドリーもあるそうだし。

 S町でも四月のはじめ町の中央にコインランドリーがオープンした。

 そのコインランドリーは町外れで建設会社をやっている人が経営しているらしかった。


 S町でコインランドリーを使う人なんているのかな?と疑問に思ったけれど洗濯機を持たないひとり暮らしの人が意外と利用してるみたいだ。

 

 今は屋外の風呂と洗濯に需要があるのかもしれない。

 僕もときどきそのコインランドリーの前を通ることがある。

 中には大きな洗濯機が七、八台くらい置いてあって消毒や両替機がある。

 コインランドリーはさすがにキャシュレスには対応していない。

 壁際の台座には緑色の公衆電話もあったはずだ。


 待合室ではいつも誰かが長イスに座っていて漫画を読んだりスマホをいじったりしている。

 スマホがあれば時間なんていくらでも潰せる。

 まあ、ないならないでどうにかなるけれど……。

 僕は教員住宅のある一画を横目にそのまま直進して一般住宅だけの道を一、二分ほど歩いた。

 やがて十字の交差点が見えてきた。

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