最終話 輝かしい明日を

 十日が過ぎていた。

 パリカは魔界へと帰っていき、馬車に乗る者は三人だけとなっている。


 クリエスたちはヒナが生まれたグランタル聖王国を目指している。しかしながら、不安を覚えずにはいられない。何しろヒナは今もまだ制約の値に届いていないのだ。世界や女神が問題ないと話していたけれど、あと三時間でどうこうできるとは考えられなかった。


「クリエス様、わたくしは先に天界へと還ります。この一年という期間は本当に楽しかったです。お父様とお母様によろしくお伝えくださいまし」


 ヒナはもう諦めていた。あと三時間の命。ディーテ曰く、苦しむことなく逝けるという話を思い出している。


「ヒナ、世界も女神様も問題ないと話していたんだ。この先にレベル2000超えの魔物が現れるんじゃないかと思う。そいつを倒して一気にレベルアップするぞ」


 既にクリエスは如何なる魔物が現れようと負ける気がしない。エクストラヒールもあることだし、終末級だって問題ないと考えている。だからこそ、ヒナの運命はこの先に出現する魔物が鍵を握ると信じていた。


 ところが、一時間が過ぎ、二時間が経過。残すところ、あと三十分しかない。ヒナが制約を遂げるのはいよいよ難しくなっている。


「まだかよ!? 幾らでも強い魔物が現れんじゃねぇのか!?」


 クリエスは苛立ちを隠せない。

 一方でヒナはもう目を瞑って、何やら悟りを開いている様子。流石に見ていられず、クリエスは馬車の扉を開いていた。


「エルサさん、魔物の気配とかありませんか!?」


「いえ、ありません! 月明かりに見える範囲ですが、怪しい影も見当たりません!」


 焦るほどに時間の経過が早く感じる。魔道時計を確認すると、あと三分で日付が変わろうとしていた。


「ちくしょう、世界の奴、俺が無茶を言ったから嘘を口にしやがったんじゃねぇのか?」


「クリエス様、落ち着いてくださいまし。わたくしは覚悟をしておりますから。わたくしが失われたあとのことを申し上げておきます。誠に申し訳ないのですけれど、クリエス様はわたくし以外の誰かと幸せになってください。お胸の大きな女性はきっとわたくし以外にもおりますから。わたくしは天界からクリエス様を見守っております……」


 今さら魔物が現れたとしてヒナがトドメを刺す時間など残っていない。彼女が討伐するにはクリエスが瀕死に追い込んでいなければ不可能なのだ。


 時計はもう零時を指そうとしている。絶望的かと思われたそのとき、


『固有スキル[華の女子高生]が[夢見し乙女の栄華]に昇格しました――――』


 唐突の通知があった。

 ヒナは声を失っている。続けられた通知には呆然と顔を振るしかない。


『ステータス補正が加わります』


 時計は零時を過ぎた。一秒、二秒と時を刻んでいる。

 今もまだヒナは息をしたままだ。十八歳を迎える前日にヒナは輪廻へと還る運命だったはずなのに。


「クリエス様、固有スキルが昇格しました!」


 ステータスを確認すると昇格した[夢見し乙女の栄華]は全ステータス50%アップ。懸念であった体力値は現状から73が加算され、合計で220となっていた。


「マジ!? ギリギリとかふざけんなよ!」


 声を荒らげながらもクリエスは笑顔であった。それはもう本当に嬉しそうに笑う。

 ようやく二人の未来が開かれた瞬間であった。天界で約束した通りに、二人で過ごす時間が確定している。


 二人して笑い合った。正直にもう無理だと考えていたけれど、やはり世界には未来が見えていたのかと思う。結果的にクリエスの望みは叶っていたのだから。


 エルサも馬車を止め、歓喜の輪へと加わる。彼女も気が気でなかったけれど、笑い声が木霊する様子に状況を察知したのかもしれない。


 静けさに満ちた夜の街道。しかし、純白の馬車が停車する場所には賑やかな声が響いていた。全ての懸念が払拭された瞬間。笑い声が途絶える様子はない。


 三人は喜びを分かち合っていた……。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 一ヶ月が経過していた。

 クリエスたちはテオドール公爵領セントリーズへと到着している。


 ディーテ教団のトップであるエバートン教皇もセントリーズを訪れており、本日はセントリーズ大聖堂にてアストラル世界が救済された事実を全世界に向けて発表していた。


 聖都ネオシュバルツにて演説を行わなかった理由。それは世界の安寧に加え、嬉しい知らせがあったからだ。


「本日はもう一つ、喜ばしい知らせがある。何と世界を救ったクリエス様とヒナ様がご婚約されたというのだ。これ程までに喜ばしいことはない。若き二人を世界中で祝福してあげようではないか!」


 演説は全世界に発信され、その一報はアストラル世界に希望を与えている。散々破壊し尽くされた世界。立ち直る力と勇気を人々に抱かせていた。


 クリエスとヒナによる報告も終わり、二人はようやく祭事ともいうべきイベントから解放されている。


「クリエス様、流石に疲れましたね?」


 苦笑いのヒナが聞いた。何しろ婚約話は二人が決めたことではない。ヒナの母親であるクレア・テオドールが勝手に推し進めてしまったことなのだ。エバートン教皇をセントリーズに喚び寄せたのも全て彼女の策略であり、結婚式には大勢の信徒たちが訪れ、セントリーズの発展に多大な貢献をしてくれるだろうとの算段だった。


「まあな。それでヒナ、もう婚約者なんだ。いつまで敬称を付けて呼ぶつもりだ?」


 クリエスが問いを返した。流石に不満げである。ヒナが敬称を付けて呼ばないのはエルサだけなのだ。クリエスとしては特別扱いをしてもらいたかったというのに。


「ええ!? 呼び捨てだなんておこがましいです!」


 やはりヒナは難色を示した。悪党にまで様付けしてしまう彼女である。夫となる人だろうと呼び捨てにはできない感じだ。


「頼むよ。何かさ、むず痒いというか、壁を感じてしまうというか。俺はもっと親しげに話して欲しいんだよ」


 真面目なクリエスの説明にヒナも思い直している。

 前世を含めて初めてのことだ。恋人ならばまだしも、クリエスは結婚する相手。距離感を保ったままではいけないと思う。


「確か味噌汁が食べたいとか言っていたキャラクターも最後には呼び捨てでしたわね……」


 ヒナは漫画の知識を総動員させて事態の収拾に努める。頑なに敬称を付けて呼んでいたキャラクターでさえ、最後には呼び捨てにしていたことを思い出しながら。


 一つ頷いて、ヒナは決意した。今よりクリエスを呼び捨てにするのだと。


「ククク、クリエスさま……」


 緊張してはいつも通り。どうしても様と口にしてしまう。


「いけませんわ。このままでは一生涯クリエス様と呼んでしまいます……」


 クリエスは生暖かく見守っている。彼女の性根が真っ直ぐであること。他人行儀であろうとしていないのは明らかであったけれど、ここは彼女にも成長してもらいたいと願って。


「大丈夫。何も怖くはないはずです。わたくしは不可能を可能にしなければなりません。この極めて険しい頂きを越えることができたのなら、わたくしにもハッピーエンドが待っているはずなのです。もし仮に失敗したとすれば、明確なバッドエンドが訪れるに違いありませんわ……」


「どれだけ苦行なんだよ!?」


 ヒナにとって一筋縄ではいかない事項であるらしい。ただクリエスと呼ぶだけであったというのに。


「何なら悪魔に魂を差し出してでも!」

「それだけはやめろ!!」


 如何に困難だといえども、悪魔にだけは願うべきではない。何しろ悪魔は総じて変態なのだ。大惨事が目に見えている行為は絶対に許可できない。


 ふぅっと息を吐くヒナ。きっと表情を厳しくし、クリエスを振り返った。どうやら彼女は覚悟を決められたらしい。


「ククク、クリエス、わたくしは永遠の愛を誓います――――」


 何とか口にした。しかも彼女は愛の言葉まで付け加えている。

 当然のこと、彼女の台詞はクリエスの心に突き刺さっていた。無意識に鼓動が高鳴る。クリエスは自然とヒナの頬を手に取り、口づけを交わす。

 愛らしく思えて衝動を抑えきれなかったらしい。


 そんな折り、急に控え室の扉が開かれている。


「お嬢様、こんなところに……ってまたイチャコラしてるのですか!?」


 エルサがノックもせずに入室してきた。

 これには不満げに頬を膨らますヒナ。気心知れた従者であったけれど、せめてノックくらいはして欲しかったと。


「お嬢様、助けてください!」


 どうやらエルサは平和になった世界でも何やら困難な状況に追い込まれている感じだ。礼節をわきまえる彼女がノックもしなかったこと。ヒナも彼女が置かれた状況がかなり良くないことを推し量っていた。


「何が起きたっていうの?」

「いや、それが……」


 エルサが説明しようとした直後、控え室に来客が増えた。


「エルサ、こんなところにいたのね!?」

「ひぇぇっ! 奥様、勘弁してください!」


 現れたのはヒナの母親であるクレアだ。どうやらエルサは彼女に追いかけられていたらしい。


「駄目よ! さっさと言う通りにしなさい! ヒナはもう従者を必要としていないのです!」


 どうもエルサはクレアの頼みごとから逃げていただけのよう。しかしながら、クレアは聞く耳を持っていない感じだ。


「妙齢の処女が産んだイカは大好評なのよ! 希少価値があるからと貴族たちがこぞって求めているのだから! 早くイカを産みなさい!!」


「もう産めません! てか吐いているだけですから!」


 エルサはずっとイカの生産要員とされていたようだ。あの事件から数ヶ月が過ぎて、ようやく新しいイカが産まれなくなっていたというのに。


「結婚式には沢山用意しなければなりません! さあ早く産んで! 予約分だけでも何とかしなさい!」


「無理ですってぇぇっ!!」


 どうやらクレアの商魂に火が着いたらしい。高額で売れると分かって、クレアが簡単に諦めるはずもなかった。


 クリエスとの甘い時間を邪魔されたヒナであったけれど、流石に気の毒だと思えている。かといって所領の運営に関わることであるし、上手く纏まるように提案してみた。


「お母様、エルサはもう産めない身体なのです……」


 ヒナの助け船にエルサは目を輝かせている。まさに慈悲深い天使がここにいると彼女は感じていた。


「まずはクラーケン・ガヌーシャ様を捜さなければ……」

「お嬢様ぁぁぁあああっ!!」


 一瞬にして悪魔に見えた。主人が再び自分をイカ製造機にしようとしていると知って。


「エルサ、イカを産むだけでお給金がもらえるのだから良いじゃない?」

「良くありませんよ! 特に私の自尊心が持ちません! 妙齢とか処女だとか!!」


 確かにとヒナ。流石に的を射すぎているように思う。ストレート過ぎる表現は彼女の婚活に影を落とすかもしれないと。


「でも、事実ですし……」

「うわあぁぁぁああああん!!」


 エルサが泣き出してしまう。やはり彼女は乙女である。恋に夢見るお年頃であり、事実を直視できないのだ。


 クリエスは何も口を挟めずにいた。もうエルサには耐えてもらうしかないのだと。

 クレアに目をつけられた時点でアウト。守銭奴である公爵家の婦人は何を言ってもイカを産ませるだろうと。


 騒々しい控え室に泣き声が木霊したかと思えば、妙な声までもが響いていた。

 もう懐かしくすら思う。クリエスは生暖かい視線でエルサを見つめている。



「おえぇぇぇえええっぷぷ!!――――」




                      ~ FIN ~





-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・--・-・-・

最後は本作らしい結末としました(笑)かといって明日も更新がございます。

天界でのお話なのですが、完全な後日談ですので一応は本話で完結とさせていただきました。

明日もどうぞよろしくです!(>_<)/

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・--・-・-・

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