第133話 運命の分岐点

 クリエスの声が荒野に響き渡っていた。


「イーサ、俺に全てを捧げよ!!」


 その命令を受けたイーサ。彼女は何をするでもなく、クリエスの身体に重なっていく。

 そのあとは溶けるように。手の平に落ちた雪が淡く失われていくかのように彼女は溶け込んでいく。


『婿殿、妾も駄肉に言ったような言葉が欲しいのじゃ……』


 既に魂へと溶け込んだのかと思えば、クリエスはイーサの声を聞く。

 それは最後の要望であった。この世を去るに相応しい台詞を彼女は望んでいる。


「欲どしい奴だな。まったく……」


 クリエスは笑っている。ミアとは異なり、悲しい別れではない。寧ろ一つになるのだ。よって冗談を含んだ言葉を彼女に返している。


「愛してるぜ、イーサ――――」


 しばらくは何の反応もない。しかし、再びイーサの声が届く。

 とても小さな声。彼女らしくない落ち着いた口調であった。


『妾はこの時を待っておったのか……』


 よく分からない話だ。イーサは独り言のように喋っている。既に表情が見えない彼女は今どのような顔をしてその台詞を口にしているのだろうか。


『その言葉を千年も待ち侘びていたのか――――』


 そう聞こえた刹那、クリエスは胸に痛みを覚えた。強大な力が無理矢理に流れ込んでくるのが分かる。またそれがイーサという存在の大きさなのだと理解できた。


「マジか……?」


『婿殿、先に地獄へ逝っておる。ゆっくりしてから来い……』

「おい、イーサ!?」


 一瞬のあと、クリエスは身体の中心から感じたことのない力を感じていた。漏れ出す力は想像を絶するものだ。イーサの魂強度と一つになったその力は無限にも感じるほど膨れ上がっていた。


 周囲には地鳴りのような音が響く。発生源はクリエスであり、彼を中心にして強大な魔力波が放射状に放たれていた。


「貴様、何をした!?」


 高をくくっていたツルオカも流石に気付いたらしい。どうあっても負けないと考えていた彼ですら気になる変化がクリエスに起きていた。


「俺は何もしてねぇよ……」


 クリエスは小さく笑っている。自然と魂に溶け込んでいった彼女のことを思いながら。


「ちいっとばかし変態な小悪魔が地獄巡りに行っただけだ……」


 もうイーサの気配は少しもない。完全に溶け込んだことをクリエスは理解している。


「お前を倒すためだけに――――」


 自ら犠牲を名乗り出たイーサにクリエスは応えねばならない。だが、確信している。この力さえあれば戦えるはずだと。


 イーサが存在を失ってまでチャンスをくれたのだ。互角以上に戦えないのなら、彼女に申し訳が立たない。


「邪神ツルオカ、俺たちも地獄観光に行こうぜ? 罪深き魂の行き先は間違っても天界じゃねぇよ……」


 言ってクリエスは斬りかかっていく。此度こそ明確なダメージが与えられるはずと。


「おらあああぁっっ!!」


 戦闘が始まって一時間。ここでクリエスの一太刀がようやくツルオカの身体を斬り裂いていた……。



 ◇ ◇ ◇



 天界は騒然としていた。

 なぜなら魔王クリエスと魔王イーサ・メイテルの魂が融合を果たしたからだ。


 魂の融合なんて特殊な事例であり、まして魔王同士の融合など聞いたことがない。現実に起きた事象であるけれど、俄に信じられるはずもなかった。


「嘘でしょ? 魔王同士が融合するなんて……」


 最高神への報告を終えたディーテ。モニターに映る事象を理解できないでいる。千年前の災禍であるイーサ・メイテルが融合に同意したのも驚きだが、彼女を丸々取り込んでしまった新魔王クリエスの魂にも驚愕せざるを得ない。


「ディーテ様、クリエスはどうなるのですか!?」


 シルアンナは不安そうである。闇に呑まれたわけではなかったけれど、クリエスは魔王を取り込んでしまったのだ。


 刹那にクリエスの攻撃がツルオカを捕らえた。今までかすり傷すら負わなかったツルオカの身体が斬り裂かれている。


 ディーテは長い息を吐きつつも、見解を述べる。既にモニターは事実を映していたけれど。


「イーサ・メイテルは勝機を見出すために自らの神格ごとクリエス君に移譲したみたいね。詳しくは分からないけれど、クリエス君は次なる何かに進化したと言えます」


 ヒナ視点でしかない映像。二人の詳しい遣り取りは分からなかった。しかし、融合を果たしたことにより、ツルオカの神格と同格になったのは明らか。何しろクリエスの剣は明確にツルオカを斬っていたのだから。


「でしたら、クリエスはツルオカに勝てるのでしょうか!?」


「それは分かりません。ですが、ようやく戦えるようにはなりました。絶望的状況は脱したのだと思われます」


 ディーテは楽観視していない。クリエスの一撃が入ったとして、既に彼は何度も斬り裂かれている。ここから圧倒でもしない限りは勝利など望めぬほど疲弊していたのだ。


「私はクリエスを信じます!」


 シルアンナは力強く語った。揺るぎない信頼は魔王となった今も変わらないのだと。


「私の使徒クリエスが世界を救ってくれます――――」



 ◇ ◇ ◇



 ツルオカを斬った感覚。この戦闘が始まってからクリエスは初めて手応えを感じていた。


「イーサ、サンキューな……」


 ツルオカさえ討伐できたのなら、もう何の未練もない。最後はヒナの魔法を受けて失われるだけだ。全てをヒナへと託し、クリエスはイーサのあとを追うだけであった。


「ツルオカ! 俺たちと共に来てもらうぜ? 魔王二体の力を甘く見るなよ?」


 言ってクリエスが追撃を加える。これまで少しもダメージを与えられなかったというのに、斬るたびにツルオカの身体が傷を負っていく。


 既に勝利を確信した。クリエスには言霊の効果は薄いし、何よりツルオカに対しても剣技が通用していたのだから。


 しかしながら、クリエスは気付いた。明確な違和感。ツルオカであれば回避できる攻撃も彼は避けようとしないのだ。まるでクリエスに切り刻まれることを望んでいるかのように。


 だが、クリエスは愛刀を振り続けた。肉体が朽ちたそのときこそツルオカの最後だろうと。


 切り刻まれたツルオカ。超回復を持たぬ彼は既に肉片と化していた。荒い息を吐きながらクリエスは成れの果てを見つめていたけれど、ツルオカの残骸ともいうべき肉片にどうしてか一筋の光が射している。


「なっ!?」


 目を疑う光景であった。先ほどまではエルフの姿であったはず。しかし、光が射し込んだその位置に、どうしてか青年の姿が現れていたのだ。


「くはは! 礼を言う。クリエス、お前が秘めたる神格により、溶け込むのを待つしかなかった余計な魂まで削ぎ落とせた。よって私は今より完全体。魂を持たぬ神へと昇華したのだよ!」


 青年が語る内容によると、彼はツルオカなのだという。依り代を失い、更には取り込めずにいた魂をクリエスが切り刻んだことにより、完全体になったのだと口にする。


「完全体だと?」

「そうとも。ならば斬ってみるがいい。貴様の神格では決して届かぬ次元に私はいる。どれほどの魔力を込めようと、空を裂くだけであろう」


 明確にダメージを与えていたはず。従ってクリエスはツルオカが言霊を使っているのだと理解した。ならばと彼は尚も斬りかかる。ツルオカの存在を完全に消し去ろうと。


「っっ!?」


 ところが、結果はツルオカが語ったままだ。クリエスの一撃は素振りをしているかのように、ただ真円を描くだけ。何の抵抗もなく振り切れてしまった。


「非常に惜しかったな。異なる世界に転生していたのなら無双できただろう。かといって貴様の落ち度ではない。全ては無能な天界がもたらせた悲劇なのだから」


 今もツルオカは天界を憎んでいる。女神たちを許すつもりはないらしい。


「茶番は終わりだ。安らかに逝けぇぇっ!!」


 先ほどまでとは異なり、ツルオカの斬撃は目で追うのも難しい。一つ二つとクリエスは斬られ、挙げ句の果てには蹴りを喰らって遠く吹き飛ばされてしまう。


「くっそ……」


「まだ立ち上がるか? 良かろう。格下相手に武器を使うのは美しくない。体技でもって貴様を苦しめ、魔王に相応しい地獄へと送ってやろう」


 どうやら再び形成は逆転してしまったらしい。クリエスに攻め手はなく、ツルオカの一方的な攻撃が繰り出されていった。


 腕をもがれ、足を潰され、その度ごとにクリエスは回復していたけれど、超回復の発動が遅く、全身を走る激痛がクリエスの精神力を削り取っていく。


「どこまでも飛んでいくがいい!!」


 腕を引き千切られ、胴体に蹴りを食らう。その強烈な一撃はクリエスを遥か後方にまで吹き飛ばしていた。


「クリエス様!?」


 あろうことか飛ばされた先にはヒナの姿がある。本当に情けない姿を彼女に見られてしまった。格好良く邪神を討伐し、この世から消え去ろうとしていたというのに。


「ヒナ、すまん……」


 謝罪しか口をつかない。ツルオカには敵いそうもなかったのだ。


 今も乾いた声でツルオカは笑うだけ。雑魚を相手しているかのように、追撃をするでもなく眺めているだけであった。もう勝敗は決したと考えているに違いない。


「絶対に勝たなきゃいけねぇのに……」


 言って立ち上がるクリエスにヒナは言葉がない。もう充分だとさえ思った。何度も死を体験するなんて辛すぎるはずだと。


「クリエス様、もう世界のことは……」

「馬鹿言うな。よく考えろ。何のために転生したのか。何を期待され転生したのかを……」


 ヒナの言葉にクリエスは首を振る。


「アストラル世界を守ることだ――――」


 クリエスは返答を終えると駆け出していった。最後まで彼は戦うつもりのよう。敗戦が決定していたとして、諦めることなどない。それこそ期待してくれた全てに申し訳が立たないといった風に。


「わたくしは天界での評価そのものですわ。何もできません……」


 ヒナは溜め息を吐いた。最終決戦において支援すらできない自分自身。夢を叶えるべく転生を願ったけれど、それは利己的すぎる理由だった。世界のためを考えるのなら辞退しておくべきであったと思う。


 悔しさからか、ヒナの瞳から涙が零れ落ちていく。


「ヒナ? 泣いてるの?」


 不意に話しかけたのはウンディーであった。彼女は涙を零すヒナを心配しているらしい。


「ウンディー、わたくしは何もできなくて悔しいのです。クリエス様の危機に見ているだけ。何の力もないことを痛感させられました。ただ世界とクリエス様の最後を見届けるだけだなんて……」


 世界が終焉に近付いていること。説明したけれど伝わったかは分からない。


「あの、やな奴を倒せばヒナは嬉しい?」


 やはりウンディーはあまり理解していない。一部始終を見ていなかったのか、ツルオカとクリエスの力量差を分かっていないようだ。


「とても難しいのよ? クリエス様でも敵わないのだから」


 ヒナは説明を続ける。聖域を発動する以外、彼女にできることなどない。世界と共に滅びる運命だということを説いている。


「ううん、クリエスは勝てるよ?」


 ところが、予想外の返答があった。正直に元大精霊たちは当てにならないけれど、ヒナは藁をも縋る気持ちで問いを返している。


「本当? クリエス様は神格が敵わないのだけど?」

「少し足りないね。大きい器が二つじゃ、やな奴に足りてない」


 どうもウンディーは神格を視認できるらしい。彼女はクリエスとツルオカの差をそう評価した。


「でもクリエスはもう一つ大きな器を手に入れられる。光と闇。雷と氷。そして火と風と土をもっているからね?」


 確かにクリエスの属性は全てを揃えるまであと一つとなっていたけれど、それが何を意味するのかヒナには分からない。


「あたいがそこに加われば大きな器が出来上がるよ。クリエスは全ての力を手に入れるんだ。あとは願うだけ。女神たちと世界が選定してくれるはずだよ」


 ウンディーの話は理解に悩むものであったが、一つだけ明確な事象を含んでいる。


 あたいがそこに加われば――それはかつてサラがした行為を意味するはずだ。


「ウンディー、わたくしは貴方に無理を押し付けるつもりじゃないのよ?」


「ヒナは優しいからね。あたいはヒナが大好きだ。だから、やな奴をやっつけたい。クリエスと共に戦う。あたいの力を見せてあげるよ!」


 言ってウンディーはヒラヒラと舞い、クリエスの方へと向かっていく。


「ヒナ、また飴玉ちょうだいね?」


 去りゆくウンディーにヒナは何も応えられない。飴玉なら大量に持っていたのに。幾らでも用意できるお金もあったというのに。


 これにより運命は動き始めた……。

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