第132話 切り札
ヒナは固唾を呑んで見守っていた。ひとたび戦闘が始まってしまうと、ヒナにできることなどない。あったとして聖域にて自衛するくらいなものである。
「わたくしにも力があれば……」
見た感じでは劣勢であった。魔王二人による攻撃も効いていないような気がする。
けれど、ヒナは何もできない。魔王化する前であれば、天使の祝福くらいは使えたというのに。
「クリエス様……」
幾度となくクリエスは斬り付けられていた。しかし、目を逸らしてはならないと思う。結末を知りながらも戦う彼の雄姿を一秒たりとも見逃してはならないのだと。
勇敢であり、正義に生きた彼の人生。過度に俗っぽいクレリックはヒナの目の前でその使命を終えようとしている。
「どうかクリエス様に力を。せめてクリエス様が望む平穏が訪れますように」
ヒナは祈るだけだ。主神であるディーテや、彼を導いてきた世界という存在に。
クリエスが力を得るということは闇に呑まれるということ。だが、ヒナはそれでも構わないと思う。為す術なく失われるくらいならば、彼の望みが叶った方が良いはずだと。
「どうかお願いいたします――――」
◇ ◇ ◇
ツルオカとの戦闘が始まってから三十分ほどが経過していた。
僅かな時間であったのだが、もう既にクリエスは身体中を斬り裂かれていた。超回復という魔王ケンタのスキルがなければ、何度死んでいたか分からない。また超回復は斬られた側から回復するのだが、精神的にかなり追い詰められてしまう。
「流石は魔王といったところか? 神に昇華する前であれば良い勝負だったかもしれん。格の差は歴然としている。その回復も永遠ではないだろう? 私は回復できなくなるまで貴様を斬るだけだ」
何度目かの鋭い一撃。右肩から左脇腹まで。完全に一刀両断となったクリエスであるけれど、此度も超回復は彼を元通りにしてしまう。
クリエスは既に正気を失いつつあった。身体は確実に回復していたというのに、意識が朦朧としている。臨死体験を繰り返すのは聖典にある地獄の罰を受けているような気さえした。
「クソッタレ、魔王ケンタの精神力は半端ねぇな……」
今さらながらに魔王ケンタの底力を知った。クリエスとは比べものにならない苦痛を味わったことだろう。イーサによるニルヴァーナを彼は受けていたのだ。それでも立ち塞がった魔王にクリエスは尊敬の念を覚えてしまう。
『婿殿、ニルヴァーナを撃つか?』
ここでイーサが聞いた。深く繋がる彼女はクリエスの思考を読み取ったのかもしれない。
もう既にニルヴァーナ以外は全て試したのだ。有効な攻撃が他にあるとは考えられなかった。
「いや、ニルヴァーナは駄目だ。魔力切れを引き起こすあの魔法は使うべきじゃない。撃つとしても最後の最後だ。俺はまだ回復できる……」
クリエスはリング(絶)を装備している。シミツキパンツが錬成した絶倫になるというリング。精力を消費する超回復との相性は抜群であった。
『婿殿……』
イーサは改めて主人たるクリエスを誇りに思う。彼女から見ても明らかに勝機はない。だというのに、彼は今も諦めずに、ひたすら刀を振っているのだ。
『やはりカッコいいのじゃ……』
惚れ直すとはこのことかとイーサは感じた。クリエスが勝利する確率など存在しない。現状ではどれだけの時間を持ち堪えられるかだけであった。
また今さら闇に呑まれたとして勝てる見込みもない。格の違いが明らかとなった今、闇に呑まれたとして無駄なことだと言える。真の実力といっても、ステータスが加算されるだけであるのだから。
「俺が世界を救うって決めてんだよ!!」
尚も斬りかかっていくクリエスにイーサは目を細めていた。弱者に興味はなく、強者こそが全てだと考えていた彼女だが、一方的に斬られるだけのクリエスは強いと思った。
「ぐぁはっっ!!」
再び真っ二つにされるクリエス。胴体を水平に斬り裂かれたけれど、今回も彼は回復し刀を握り直していた……。
◇ ◇ ◇
天界ではヒナを通してクリエスの奮闘を見守っている。しかしながら、女神たちはアストラル世界が迎える結末を想像してもいた。
「シル、最高神様に連絡を入れるわ。ツルオカが昇天したならば大変なことになる」
ディーテは既にクリエスに勝機がないと悟ったかのよう。ツルオカの目的を知る彼女はいち早く手を打つべきだと考えているらしい。
「ディーテ様、まだクリエスは闇に呑まれていません! 彼は必ずや邪神を討伐します!」
「シル、使徒を応援したい気持ちは分かる。でもね、ツルオカの神格は想像以上に高まっているの。神器をもってしても傷すら与えられないのよ? 闇に呑まれたとして魂の格が上がるわけではない。もうクリエス君には勝てる見込みなどありません」
非情な宣告であった。確かに優勢とはいえず、終始押されっぱなしのクリエスであったけれど、シルアンナは信じていたというのに。
いつもそうであったように、最後にはクリエスが起死回生の一撃を見せてくれるはずだと。
「それでも私は……」
主神としてディーテは報告を行うだけ。ツルオカが天へと昇ることを伝えるのは主神の義務である。先んじて最高神が対策したのなら事前に防げるかもしれないのだ。
だからこそ、シルアンナは言葉を呑み込んだ。副神である彼女はクリエスを信じるだけ。彼が再び期待に応えてくれる未来を待ち望むだけであった。
「クリエス、頑張って……」
一心に願っている。シルアンナは元使徒の奮闘に期待していた。
◇ ◇ ◇
戦闘が始まってから1時間が経過している。今もまだクリエスは一つの傷痕すら与えられていない。精神的にかなり追い込まれていたけれど、それでも彼は攻撃の手を止めない。
「がはぁっっ!!」
対するツルオカの一撃は正確であり、力強くもある。既に防御を捨てているクリエスは攻撃を受けるたびに身体を切断されることになっていた。
『婿殿! もう良い!!』
流石に見かねたのかイーサが声を張る。数えられないほど真っ二つにされたクリエスをこれ以上見てはいられないと。
「るせぇよ……。俺の人生なんだ。好きにさせろ……」
クリエスは意地になっていた。既に討伐など考えられずにいたけれど、せめてツルオカの表情を苦痛で歪めたいと。生きた証しとして神となったツルオカの身体に痕跡を残してやるのだと。
「ツルオカァ、ぶった切れろォォッ!」
どれだけ斬り付けようと格の差は歴然としている。だからこそ、クリエスは反撃に遭う。いつも通りに身体を分断されるだけであった。
「ちくしょうが……」
それでも愛刀は離さない。既に死への恐怖などなかった。もし仮に恐怖を感じることがあるとすれば、この戦いにおいて何も成すことなく失われることくらいである。
クリエスはまたも立ち上がり、刀を構えた。どれだけ精神的に追い込まれようとも、張り詰めた糸を切ることはない。今も天界ではシルアンナがこの様子を見ているだろう。自身を信頼してくれた彼女に少しくらいは期待を持たせてあげたかった。
「俺は……」
徐々に回復が遅くなっていた。瞬時に回復していたはずが、今や修復されながらも痛みを伴っている。恐らくはもう尽きかけているのだろう。幾ばくもなく回復できなくなるのかもしれない。
『婿殿、もう良いのじゃ!』
再びイーサが声をかけた。彼女もまた諦めているのだろう。既にクリエスの攻撃に併せて攻撃を仕掛けることもなくなっていたのだ。
『妾が婿殿を勝たせてやる――――』
ふとイーサはそんなことを口にする。どう見ても死に体であるクリエスに勝利をもたらせるなんて話を。
眉根を寄せるクリエス。正直に一撃を入れるだけでも御の字であったというのに、イーサは勝利できるといった風に語るのだ。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。俺だって現実は分かっている……」
『じゃから、現実を変えてやろうというのじゃ。魂の格が劣っておるならば、上げるだけでよい』
意味不明な話だ。そんなことが可能であれば即座に実行している。できないからこそクリエスは一撃すら与えられていないのだから。
ところが、イーサは解決策を口にした。クリエスが想像すらしない方法を。
『妾を取り込め――――』
ゴクリと唾を飲み込み、クリエスは台詞の意味合いを考えてみる。イーサが話す取り込めとはどういうことなのかと。
『どうせ妾たちは敗戦濃厚なのじゃ。二度もツルオカに負けるなんぞ、妾は嫌じゃ。婿殿、一つになろうぞ。妾は竜神の神格を取り込んでおる。また婿殿も邪神竜の神格を持っておる。対するツルオカは大精霊一人分だけじゃ。最低でも同格にはなるはずじゃて……』
クリエスは思考を停止。回答は全て提案者から伝えられていた。
確かに勝機があるとすれば、それしかないように思う。だが、あれ程までに現世に執着したイーサは構わないのかと感じる。
「イーサは構わんのか……?」
『婿殿は優しいの。妾はそんなところも大好きじゃ。気にするでない。ようやく一つになれるのじゃ。妾はそれを望んでおる……』
背中を押すイーサにクリエスは頷きを返している。悩む頃合いはもう過ぎたのだ。やれるべきことをやろうと思った。
「どうすればいい? お前と一つになるには……」
『命じれば良い。妾は婿殿の命令に背けないのじゃからな……』
どうしてかクリエスは小さく笑い声を上げてしまう。命令を聞かない悪霊を手懐けるために施した契約。それがこの土壇場で活用されるなんて考えもしなかった。
「イーサ、恩に着る。俺も直ぐにお前の後を追うからな……」
『必ず勝つのじゃ。婿殿、妾は永遠の愛をここに語ろう。世界最強の魔王が妾の婿殿なのじゃ。心より愛する者はクリエス・フォスターしかおらぬ』
二人は互いに笑みを浮かべていた。どうあっても敵わない神を前にして、勝利の算段を描いている。
「イーサ、俺に全てを捧げよ!!――――」
何もない荒野に響く声。クリエスの大声が一帯に木霊していた……。
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