第131話 決戦の狼煙

 北大陸の南端。聖域と呼ばれるそこは、名称の印象とは異なり草木すら生えない岩山が拡がるだけだ。しかも、現在では岩山が削り取られており、何もないと表現するしかない土地であった。


「ツルオカ様、そろそろでしょうか?」


 ペターパイが聞いた。彼はずっと付き従っている。降臨から数週間が過ぎて、朽ちてきたエルフの身体に天へと昇る時期が来たのだと思う。


「まだ早い。取り込んだ魂は徐々に神格へと呑み込まれつつある。肉体が完全に失われた時こそがその頃合いだろう」


 ツルオカ曰く、まだ魂が昇華しきっていないという。大精霊の神格でしかなかったツルオカは多くの信徒たちの魂を取り込み、神として的確な格まで昇華しなければならないのだ。一朝一夕に完結できるはずもない。


「まあそれにあれだ……」


 ツルオカが続ける。天界へと向かえない理由がまだあるのだと彼は言う。


「ディーテの使徒が来る――――」


 どうやら神格を得た彼は使徒の動きを察知しているようだ。ヒナたちがここへ向かっていることに気付いているかのよう。


「ディーテの使徒ですか?」


「ああ、それにもう一つ邪悪な気配。何だろうな。まるで魔王のような……」


 かつて魔王と戦った経験のあるツルオカはクリエスの気配も感じ取っていた。かといって逃げ出すつもりはないようだ。直ぐそこまで迫る二人に気付いたとして、ツルオカは何のアクションも起こさない。邪神竜ナーガラージがそうであったように、ただその時を待つようである。


 神として矮小なる地上の動きなど気にも留めないのだと……。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 クリエスたちは北大陸の南端まで突き進んでいた。想定よりも時間はかかっていない。


 何しろ南北に真っ直ぐな道が通っていたのだ。地平一文字により出っ張りが一掃された大地。手間がかかったとすればイーサが生みだした世界の狭間を超えるくらいであった。


「見えてきたぞ……」


 神々しい力を感じる。明確にツルオカは邪神であったけれど、存在の根底にあるのは光属性であって、彼はいっぱしの神であるかのようだ。


「クリエス様、天使の祝福をかけましょうか?」

「いや、俺はもう闇属性がメイン。恐らく逆効果になるはずだ」


 天使の祝福は少しばかり幸運値を上げる効果を持つが、重ね掛けが有効であって役に立つ場面があるだろう。しかしながら、善の魂であることが前提であると考えられ、魔王と化したクリエスには逆効果になる恐れがあった。


「それよりヒナ、最後は頼むぞ? 覚悟はできてるんだろうな?」


 クリエスは決戦を前に問う。恐らく自身は激闘の末、闇に呑まれるはず。だからこそ最後の処理を受け持つヒナの覚悟を聞いた。


「クリエス様、わたくしは葛藤しておりますけれど、やるべき事を履き違えることなどございません。わたくしは貴方様と共にあれたことを嬉しく思っております」


 ヒナもまた色々と思い悩んだことだろう。しかし、結末は一つしかないことを分かっている。勝っても負けてもクリエスはこの世を去るだけなのだと。


「助かる。もし俺が地縛霊になったら、浄化してくれよな?」


「その場合はわたくしに取り憑いてくれても結構です。少しばかりクリエス様にも世界の平和を感じてもらいたいですし」


 二人は笑い合っていた。もうクリエスとヒナが共にあるという未来の選択肢は失われているのだ。あるとすれば地縛霊となったクリエスの処遇くらいである。しかし、クリエスの居場所は判然としており、イーサのように見逃されるはずもない。失われるや、管理局の天使たちに連れ去られていくだろう。


「ま、本当に最後にしよう。これから先の懸念に俺はなりたくねぇ。イーサみたく現世にしがみつくことなどないさ」


『婿殿、そういう意味なら妾はまだ旅立てんぞ? 世界中の男共を同時に絶頂させてやりたいのじゃからな!』


 割り込んだイーサの話に笑い声は一層大きくなる。心配事がないわけではなかったけれど、到着までの時間に各々が訪れる未来を整理できていた。


「さてと、派手に行こうか。イーサ、初っ端から全開だぞ?」


『分かっておる! あの男に千年越しの仕返しをしてやるのじゃ!』


 イーサもまた邪神ツルオカの討伐にやる気を見せる。クリエス共々消えゆく運命にある彼女だが、今や一緒に旅立つことを楽しみにも感じていた。


 戦闘員ではないエルサとパリカを残し、三人が南へと向かう。いよいよ最終決戦が始まろうとしていた。


 邪神ツルオカの討伐を全員が期待し、アストラル世界に光が満ちることを願っている。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ツルオカはその時を待っていた。自身を討伐すべく派遣された使徒。もっとも、それらは魔王や邪竜を目的とした者たちだと分かっていたけれど、世界に顕現した自分を天界が見逃すはずもないと察している。


「ペターパイ、離れていろ。正直にお前如きが生き残る戦闘ではない」


「ツルオカ様でも苦戦すると仰るのですか!?」


 流石にペターパイは動揺している。神と成ったツルオカであれば瞬殺すると考えていたのだ。女神の使徒とはいえ、所詮は人である。神との差は歴然としていたというのに。


「負けはせん。しかし、使徒たちは邪竜を討ち、魔王をも殺めている。人に似つかわしくない魂強度を得ているはずだ……」


 慎重なツルオカらしい意見が返され、ペターパイは納得したようだ。直ぐさまこの場をあとにし、距離を取っていく。


 ツルオカがアストラル世界の主神となった折り、ペターパイは世界の支配者となる予定だった。だからこそ、ツルオカが存分に戦えるように動いていかねばならない。


 しばらくして、ツルオカが小さく息を吐く。視線を北へと向け、朽ち果てつつある肉体を動かしていた。


「よう、遅かったじゃないか?」


 美少女の身体を乗っ取った彼であるが、容姿に不似合いな言葉を発している。

 言葉を投げられた者たち。当然のこと、ツルオカという存在を知ってやって来た者たちであった。


「まあな。意外な格好だったから、発見が遅れたと言っておこうか?」


 ツルオカに返したのはクリエスである。ちょっとした冗談を口にするくらいに、彼は落ち着いているらしい。


「ふはは、貴様は魔王か? 使徒が魔王化するなどあり得んな? どうせ女神にそそのかされた口だろう?」


 ツルオカが言った。クリエスは心を強く持っていたけれど、どうしてかツルオカの話を真剣に捉えてしまう。


『婿殿、奴の心理戦に乗っかってはならんぞ? 奴は心を乗っ取ろうとしておる』


 イーサの話にクリエスは頷きを返す。ツルオカが持つ言霊はSランクスキルでしかなかったというのに、熟練度なのかツルオカ自身の資質のせいなのか、激しく心を惑わせている。自分自身を強く持たなければ、瞬く間に言いくるめられてしまいそうな感さえあった。


「むぅ? お前はイーサ・メイテルじゃないか? 美しい淫魔は輪廻に還らなかったのか?」


『ううう、美しいじゃと!? 当然なのじゃ! わわ、妾は誰よりも美しい!』

「おい、イーサ!?」


 早速と言霊の餌食になりそうなイーサにクリエスは釘を刺した。やはりツルオカは只者ではない。魔王候補を戦わずして討伐したのだ。その能力値の高さは油断ならないものである。


「して、魔王よ。お前はどうして天界に与している? 魔王化するには悪という前提が必須。お前は悪に染まった今もなぜ天界の指示に従う? どうあっても、お前は破棄されるだけなのだぞ?」


 ツルオカの精神攻撃が続く。しかし、彼の話は的外れだ。クリエスは悪に染まったから魔王となったわけではない。契約によりサブジョブを得ただけであり、その素質を開花させるリングを装備しただけなのだ。


「さあな。俺は自分がやるべき事を見誤らない。結末なんて知らねぇよ……」


 クリエスは心を強く持ち、ツルオカの言霊に抵抗する。彼が信じるままに返答していた。


「俺は女神の使徒だからだ――――」


 魔王となった今も信じる正義は変わらない。世を乱すものこそが悪であり、弱者を救う者こそが善であると。


 たとえ天界が魔王を悪だと認定したとしても、クリエスは自分が善であると信じている。



 ◇ ◇ ◇



 天界では遂に相対した使徒と邪神の邂逅に固唾を呑んでいた。


「ディーテ様、クリエスはまだ私の使徒だって!?」

「落ち着きなさい。これは充分に戦えると思える雰囲気よ。クリエス君に言霊はあまり効果がないみたいだし」


 女神たちはヒナを通してモニタリングしている。クリエスとツルオカの戦いを見届けようとしていた。


「クリエスは闇に呑まれずとも勝てるのでしょうか?」

「可能性はあります。何しろ彼は力を得ようとして魔王化したのです。それは勇者よりも魔王が上位ジョブである証し。ツルオカの光属性は本来なら対魔王に絶大な力となるでしょうが、クリエス君は光属性も所有しています。問題は神格だけ。ツクリ・マースを宿した神器がその差を補えるかどうかですね」


 ディーテの見解では二人は互角らしい。神格の差で有利に立つツルオカであるが、属性的不利があるという。またツルオカが完全に昇華していないこともクリエスが戦えるという根拠になっていた。


「クリエス……」


 シルアンナは願っている。クリエスが闇に呑まれないように。もしも、正気を保ったままクリエスがツルオカを討伐したならば、残された人生だけでも全うできるように伺いを立てようと。何度も世界を救ったクリエスにはその権利があるはずだと。


 一つしかない結末。シルアンナは祈り続けていた。



 ◇ ◇ ◇



 クリエスは刀を抜く。邪神と雑談するために来たのではない。話し合いは言霊を持つツルオカの思う壺だと。


「ツルオカ、死ねぇぇえええっ!!」


 全力で斬りかかるクリエスに併せて、イーサの爆裂魔法が炸裂。魔王二人の攻撃は途轍もない威力を発揮していた。


『うはっ! 魔王化した妾は無敵なのじゃ!』

「イーサ、浮かれんな!!」


 斬った感触からクリエスは気付いていた。魔法を使ったイーサには分からなかった格の差というものを。


 爆裂魔法による粉塵が収まったあと、クリエスが危惧した現実が露わになる。


「二人がかりで、その程度か?」


 エルフの姿をしたツルオカがそこにいた。肉体がある今こそがチャンスであったというのに、クリエスとイーサの攻撃は何の効果もなかったらしい。


「るせぇぇっ! イーサ、行くぞ!!」

『承知!!』


 クリエスは攻撃を仕掛けていくしかない。いつだったか相手が神であろうと戦う決心をしたままに。人生の集大成を神殺しにしようと考えていた。


 しかしながら、ツルオカは微動だにしない。クリエスとイーサの攻撃を避けることなく受け、加えて平然とそこに立っていた。


「何だよ、これ……」


『婿殿、奴は思おておったよりも神に近付いているのやもしれん』


 クリエスはイーサの話に頷いていた。クリエスにはツクリ・マースを宿した神器があり、イーサはその魂に竜神を取り込んでいるのだ。まるで相手にならないなど考えていなかった。


「もう終わりにしよう。せっかくだからお前の魂を天へと連れて行く。女神の目の前で取り込んでくれよう」


 ツルオカは邪悪な笑みを浮かべている。クリエスを倒したのち、魂を引き連れて天に向かうという。


「昇天の時は近い。手土産の一つとしてやろうぞ!」


 言ってツルオカは何もない空間に大剣を生み出す。既に力量を把握したからだろうか。早々に決着を付けるつもりかもしれない。


「死ねぇぇえええ!!」


 目を見張る斬撃。初撃は何とか刀で受けたクリエスだが、その重さに加えて、繰り出されるスピードはツルオカの実力を如実に現していた。


 何しろ剣聖であるドザエモンを僅か十歳で斬り殺した天才なのだ。転生前から勇者であり、オールS評価であったツルオカはクレリックであったクリエスとは根本からして異なっている。


「ふはは、少しは楽しませろよ!」


 連撃が加えられ、クリエスは遂に斬り裂かれてしまう。深い傷ではなかったけれど、袈裟懸けに皮膚が裂けていた。


「クッソ……」


 一旦距離を取るも、打開策は思いつかない。剣術の技量だけでなく、ステータスから魂強度まで差がありすぎるのだ。ましてクリエスの攻撃は少しですらダメージを加えられないのだから。


「チックショォォォッ!!」


 それでもクリエスは刀を振った。攻撃しないことには討伐などあり得ないのだと。

 絶望的な状況にもクリエスの心はまだ折れていない。

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