第130話 遠い過去
北大陸の南端にある聖域。地平一文字の陣にて復活を遂げたツルオカだが、その姿は神というべきものではなかった。
彼はエルフの姿をしている。依り代であったリルという少女の身体を借りたままの姿で顕現していた。
「ツルオカ様……でしょうか?」
全員を呑み込んだかと思われた地平一文字の陣であったけれど、約束通りにペターパイだけは見逃されていた。まだ役に立つと判断されたのか、彼は今も生を残している。
「うむ、残念ながら地平一文字の陣は完全に機能しなかった。本来ならこの娘の魂ごと昇華する予定であったが、不完全な術式行使のせいで肉体と魂が残ってしまったようだ」
「そうであれば問題ないのでしょうか? これから天界へ向かわれるのですよね?」
予定では依り代とした肉体は残らないはずであった。また神という存在には肉体など不要。よってツルオカは完全な復活を遂げられたわけではないらしい。
「魂と肉体を完全に取り込める時を待つしかない。天界へ向かうのに魂や肉体は重すぎるのだ。輪廻に還るのとはまるで異なる。何しろ神は魂すら持たぬ存在。神格とは魂の昇華であり、天神となるには肉体と魂の全てを昇華させねばならない」
ツルオカが神について語る。地上に生きる者たちは肉体という入れ物に魂を宿す。しかしながら、天界に存在する神たちは魂すら持たないという。
「精神値の高いエルフを依り代としたことが裏目に出た。まあしかし、エルフでなければ千年という時を生きられぬ。地平一文字の陣であったことを考慮すれば、成功したといえるだろう」
魂どころか肉体をも残していたけれど、ツルオカは成功したという。この顕現は想定内であったらしい。
「贄とした魂は全て取り込めている。私を神と仰ぐ者たち。急速に神格は高まった。あとは肉体と魂が溶けていくだけ。そのとき私は完全な天神となるだろう」
失敗だと思われた地平一文字の陣であったが、どうやら時間がかかるだけのようだ。時間さえあれば、ツルオカは完全なる神としてアストラル世界に存在できるらしい。
「であれば計画はどれくらい延期されるのでしょうか?」
「一ヶ月。その程度であると思われる。半神化状態においては徐々に溶け込ますしかできぬのだ。そのうち私の身体は淡く消えゆく。完全に失われたときこそ、魂の完全昇華となるはずだ」
ホリゾンタルエデン教団の計画。それはツルオカがアストラル世界の主神となることであった。穢れた世界を浄化するため、彼はディーテに代わってアストラル世界に君臨するつもりである。
再び大地に足を付けたツルオカ。北から南へ真っ直ぐに伸びた地平線を眺めている。地平一文字の陣は直線上にあった全てを破壊し、大地から盛り上がるものを消し去っていた。
満足げに声を上げる。ツルオカはようやくと訪れたこの機会に声を昂ぶらせていた。
「千年の時を経て、私の願いは叶おうとしている」――――と。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
クリエスたちが聖域を目指して南下してから二週間が経とうとしていた。
途中に世界の狭間があったけれど、二度目のニルヴァーナにて海と接続したため、完全な大河となっている。標高のない内陸部では船での移動が可能となっていた。
とはいえ、簡単ではない。馬車をアイテムボックスに収納し、馬を無理矢理に小舟へと乗せて渡らねばならなかったのだ。
「天界の情報が入らないのはきついな……」
魔王化したクリエスは寵愛による通信どころか、今やステータスすら確認できなくなっているのだ。復活したツルオカがどうなっているのか、少しも分からない現状には焦りすら覚えてしまう。
『婿殿、まあまずツルオカは南におる。感じないか? 奴の魔力波を。忌々しい光の魔素で構成された強大な力を……』
そう言われるとクリエスにも感じ取れた。魔王化の影響だろうか。光属性に対して敏感になっているように思う。
「この感覚がそうなのか。俺も一端の魔王になって来たじゃねぇか?」
『ふはは、よいよい! 妾は楽しくなって来たのじゃ!』
もう全員がクリエスの未来を知っている。邪神を討伐したのちに浄化されること。ヒナの手によって、この世から去って行くことを。
一蓮托生であるイーサはどうしてか駄々をこねることなく了承していた。クリエスの死は明確に彼女の死でもあったというのに。
『婿殿、地獄巡りは楽しみじゃな? ハネムーンに相応しいスポットじゃ』
「ツルオカも道連れにしてやるんだぞ? 二人きりで逝くのは勘弁だ。地獄へと旅立つのは絶対にツルオカを含めた三つの魂でなければならない」
クリエスは勝っても負けても地獄行き。地獄という行き先など実際には存在しないのだが、天に還られぬというのならば、そこは地獄だろうという話だ。
『分かっておる! ようやく現世から旅立てるのじゃ。しかも生涯を共に過ごすと誓った相手と一緒。少しばかり浮かれたとて仕方ないじゃろう?』
ニシシと笑うイーサ。彼女は千年も悪霊として現世に留まった。しかしながら、もう既に未練などないように語っている。
「クリエス殿、貴方様は死にたいのですか? まるで悲愴感がありません。もしも邪神とやらを討伐したのなら、女神様も考え直してくださるはず。私には貴方様が邪悪な存在だとは思えないのです。たとえジョブが魔王だとしても……」
エルサはまだ天界の決定に不満があるようだ。詳しい経緯は伝え終えていたのだが、世界に生きる人々が理解できる話ではないらしい。
「エルサさん、天界の決定は何もゴリ押しではありません。魔王の魂を消去することは決まりごとなんです。今は問題なかったとしても、いつ闇に呑まれるのか分からない。もし仮に俺が問題なかったとして、俺の魂は転生後に再び魔王となる可能性があるからです」
「いやしかし、クリエス殿の余生まで奪うなんて殺生です。しかもお嬢様に殺めさせるなんて……」
二人の感情を知るエルサには天界の決定など受け入れられるものではない。
クリエスはヒナの想い人である。彼が失われるだけでなく、彼を殺める者にヒナを指名した女神の考えなど理解したいとも思えなかった。
「俺はヒナによって送られたい。だからそれは喜ばしいこと。黄泉路も一人じゃありませんし、何も怖くはありません。邪神ツルオカを討伐することが俺の望みです。今はそれだけしか考えられません」
クリエスの話にエルサは嘆息している。話せば話すほど立派な人だと思う。転生者であったとして、自身の命よりも使命を重んじるなんて簡単にできることではない。常に世界を優先していたし、泣き言は一度も聞いていないのだ。
「あと決戦の場までエルサさんを連れて行くわけにはなりません。貴方を守る余裕などありませんし、相手は邪神ですから」
「いえ、お供します。私は覚悟を決めておりますから。守ってもらう必要はありませんし、見届けさせてください!」
エルサは折れなかった。最後の最後でパーティーから外されることを彼女は望まない。世界を救った心優しき魔王の最後まで見届けるつもりのよう。
エルサの懇願にクリエスは溜め息を漏らす。最後の時、ヒナには彼女が必要だと思う。自分自身を無に還したヒナが冷静でいられるはずもなかったからだ。
「必ず距離は取ってください。それ以上の譲歩はできませんので……」
「もちろんです。結末が変わらないのであれば、私にはパーティーメンバーとして見届ける義務がございます。世界を救った心優しき魔王の一部始終を後世へと伝えるためにも……」
エルサの決意は固いようだ。
納得のいかない結末が確定的な未来だとして、クリエスという魔王が世界を救った事実を記憶したいのだという。人知れず消失するのではなく、言葉にしてクリエスという存在をアストラル世界に残したいのだと語る。
「ならば邪神ツルオカに挑みましょう。地平線の向こう側に世界の敵がいる……」
頷くクリエスが言った。
エルサの話は望んでもいないことであるけれど、彼女の心遣いを嬉しく思う。
もう失うものは何もない。人生さえも尽きる運命なのだ。死を受け入れたクリエスにとって恐れるものなどなかった。
願わくば、この命の代償としてアストラル世界に平穏が訪れることを期待している。邪神がこの世を去り、再びアストラル世界に女神の加護があるようにと……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
天界ではアストラル世界を担当する女神たちが勢揃いしていた。
どのような結末も既に覚悟している。結果により女神たちは罰を受けることもあるだろう。しかしながら、大切な使徒を切り捨てるような決断しかできなかったのだから、寧ろ罰を望んでいる節もあった。
「ディーテ様、私は女神に向いていないようです」
モニターを見つめながらシルアンナが言った。クリエスが魔王化してからというもの、彼女は溜め息ばかり吐いている。女神の御心は少なからず信徒たちに悪影響を及ぼすというのに。
「シル、貴方はできることをした。胸を張りなさい。貴方がクリエス君を引き当てなければ世界はここまで存在できなかったのですから……」
ディーテは精一杯に慰めていたけれど、生憎と落ち込むシルアンナには届かない。
「せいぜい無い胸を張ることにします……」
自虐的に返されると、もうディーテに言葉はなかった。ポンネルとは異なり、シルアンナは女神学校にて優秀な成績を収めている。彼女に女神の素質がないというならば、多くの世界で女神は存在できなくなるはずだ。
「シル、昔話をしましょうか。既に語られることもなくなった、とある世界の話を……」
どうしてか宥める言葉ではなく、昔話を始めるディーテ。使徒を失ったシルアンナに対して何の意味も持たないだろうに。
「第9048番世界レスバー。とても小さなその世界に魔王が誕生しました。担当する女神は異世界召喚を実行。そして優秀な魂を召喚したのです」
何の話だろうとシルアンナは小首を傾げた。現状はアストラル世界の存亡を懸けた場面であり、数多ある世界の情報など必要なかったはずと。
「レスバーに転生した魂は世界を救おうと成長を遂げていきます。それこそ女神の役に立ちたいと。危機もあったようですが、その魂は勇者となり、遂には魔王を討ちました」
聞かされる話はアストラル世界に似ていた。クレリックであったクリエスが勇者となり、魔王ケンタを討ったのだ。レスバーには邪神が発生しなかっただけの違いである。
まるで要領を得ないディーテの話。しかしながら、シルアンナは語られる昔話との接点について知らされていた。
「勇者の名はコウイチ・ツルオカ――――」
唖然と息を呑む。どうやら語られる昔話はディーテが勇者フェスを引くよりも前の話。召喚される魂が勇者となった経緯であるらしい。
「ツルオカは二度も召喚されたのですか?」
疑問はその一点だけだ。聞いた話が事実であるとすれば、ツルオカはレスバーを救った勇者であり、彼はレスバーに存在した時点で女神の使徒であったらしい。
「女神に対する憎悪。行き過ぎた愛が彼を狂わせていました。召喚する前に調べておくべき内容が彼の人生にはあったのです……」
残念ながらディーテがツルオカについて調査したのは彼を送り出したあとなのだという。
「ツルオカに何があったというのです?」
勇者となり、世界を救ったツルオカ。ここまでの話で彼がその性格を拗らせた原因はない。行き過ぎた愛の行方こそがその理由であると思われる。
「第9048番世界レスバーの主神イリアが厳罰処分とされたのです」
返答には眉根を寄せるしかない。恐らくは女神法に違反したのだと考えられるが、主神を更迭されただけでなく、厳罰処分ともなるとかなりの重罪を犯したことになる。
「極刑だったのですか……?」
「いえ、極刑にはなりませんでしたが、非常に重い処分が下されたようです。まあしかし、妥当な処分でした。何しろ主神イリアはレスバー世界を滅亡に追い込んだのですから」
まるで意味が分からない。少しも話が繋がっていないのだ。
聞いた話では勇者となったツルオカが魔王を討伐したはず。けれども、結果はレスバー世界が滅亡したのだという。
「どういうことでしょうか?」
「実をいうと、イリアはツルオカよりも前に異世界召喚を試みております。しかし、召喚した魂は思うような成長を遂げず、レスバー世界は窮地に立たされました。そこでイリアは決断します」
もう既にシルアンナは状況を飲み込めている。それは女神法第一条に守るべき事項として明確に記されていたのだから。
「二人目の勇者召喚を行いました――――」
女神は五十年に一人だけしか転生魂を送り込めない。それは世界を支える女神の柱に一つだけ紐付けできる。五十年が経過し、転生魂が世界に馴染むと二人目も許可されたのだが、五十年内に二人の転生魂を女神は送り込めない。
強制転移は世界に歪みを生じさせる。加えて強い力を持つ転生魂はその重さ故に世界の歪みを大きくしてしまうからだ。
「二人目こそがツルオカ。その召喚は最初の異世界召喚から十五年後のことでした。現在では女神デバイスにて転生魂の数を管理しておりますが、当時は五十年以内であっても召喚が行えたのです」
ディーテ曰く、レスバー世界が滅びたあと、デバイスによって転生魂の管理をすることになったらしい。女神イリアが残した数少ない功績ともいえる。
「ツルオカが転生して二十五年後。ツルオカが魔王を討伐してから三年後のことでした。突如として世界が壊れ始めたのです。山々は崩れ、海は水柱を空へと巻き上げました。遂には世界全体が歪み、存在した全てが無に還ったのです」
世界という存在の死をであるとディーテは言う。少しずつ歪んだ世界はバランスを取り戻すことなく、過度に偏った重さに耐えられず崩壊したのだと。
「世界が滅びる一年ほど前にイリアの罪は発覚し、彼女は処分されました。まあそれで、ツルオカはイリアから聞いてしまったのですよ。彼女の罪が発覚して直ぐに……」
昔話はようやくと核心に迫る。ツルオカがどのようにして歪んでしまったのか。
「君を召喚しなければ良かった――――と」
シルアンナは愕然としていた。世界を救ったツルオカには何の罪もない。寧ろ命を懸けて戦った彼は称えられるべきであり、女神の責任を負う立場ではなかったはず。なのに彼は罰せられることの原因であるかのように扱われてしまったらしい。
「そんな……?」
「しかもイリアは特例を使用し、ツルオカを天使に昇華させる約束までしていました。ツルオカ自身もイリアに心酔しており、両想いの関係であったと記録されています」
大事件であった第9048番世界の経緯はイリアのデバイス記録から詳細に記されているという。イリアの行動だけでなく、使徒への指示や会話の全てを。
「イリアに裏切られたとツルオカは絶望したことでしょう。加えてレスバー世界が滅びた瞬間、ワタシに召喚されてしまったのです」
女神を恨むはずだとシルアンナは思った。絶望の淵を彷徨っていた彼が再び天界に召喚されてしまうなんて。勇者として世界を救おうとするはずもないことは明らかであった。
「その……女神イリアは巨乳だったのでしょうか……?」
「いいえ、イリアの身体つきはシルとよく似ています。人の好みは容易く変化しないのですよ。まあだからこそ、ワタシの話など聞いてくれるはずもありませんね」
女神であり、タイプでもないディーテの話など聞いてくれるはずもなかった。結果としてディーテはツルオカに自由を与え、魔王候補の討伐を依頼してしまう。千年後に未曾有の危機へと発展するなど考えもせずに。
嘆息するシルアンナ。状況は異なるようで似てもいた。今さらながらに、ディーテが昔話を始めた理由を推し量れている。
「ディーテ様、私はクリエスを誇りに思います。彼がどう考えていようと、どのような結末になろうと。女神である限り彼のことを尊敬し、クリエスのことは絶対に忘れない。私は永遠にクリエスを信じています」
シルアンナは語る。初めての使徒。世界の災いたる魔王となってしまった使徒なのだが、シルアンナはクリエスへの信頼は揺るぎないものだと話す。この先に何が起きようと、どのような結末が待っていたとしても。
「それでいいの。女神は使徒と共に歩むべき。また全責任を負うべきでしょうね……」
ディーテは長い息を吐いて言う。彼女は何やら思い詰めたような面持ちであった。
「シル、全てが終わればアストラル世界は貴方が主神です。ワタシは主神を辞退しようと考えております」
シルアンナは声を失ってしまう。この土壇場で聞く話にしては重大発表すぎる。シルアンナはようやく信仰の土台を構築したばかりなのだ。いきなり主神だなんて彼女にとって荷が重すぎる話に違いない。
「ディーテ様は間違っておりません! 女神イリアとは違うのです! 此度の結果はベテラン女神であっても予想できませんし、ディーテ様の責任ではありません! 何の処罰もないことが、無実を証明しておりますから!」
力説するシルアンナにディーテは笑みを返している。今すべき話ではなかったと彼女は思い直していた。
「シル、本当にこれで最後としましょう。千年も続いた災禍の結末。アストラル世界は未来永劫続いていく世界なのですから」
女神たちは前を向いた。事後処理を考える時期ではなく、今は未来を繋ぎとめるだけなのだと。
愛すべき使徒たちの活躍によって、これから先も歴史が紡がれていくことを願っている。
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