第129話 真相を告げると

 長い祈りが終わった。ヒナは途切れることのない溜め息を吐き続けている。


 ディーテの話をクリエスにすべきかどうか。口止めされなかった事実を考えると別に黙っている必要はないと思う。


「クリエス様……」


 ヒナは覚悟した。クリエスに嫌われるようなことは望むはずもないが、やはり事前に伝えておくべきだと。使徒たる使命を優先するという話を。


 小首を傾げるクリエスにヒナは続けた。


「長話になってすみません。やはり邪神ツルオカ様が復活したそうです」


 まずは状況の説明から。何らかの術式が発動した瞬間を目の当たりにしたところだ。よってクリエスがその話に疑問を抱くことはない。


「話が長くなった理由は邪神を討伐したあとのことについて話し合いがあったからです」


「話し合い? てか俺たちは邪神に勝てるのか?」


 悪魔王ガマン・ジルからクリエスは聞いている。ひとたび邪神が発生した世界はほぼ壊滅するのだと。


「魔王化したクリエス様がいますからね。それに邪神様は完全な形での復活ではないみたいです。勝機はあるとディーテ様はお考えです」


 どうやら天界は考えていたよりも冷静であるようだ。討伐後を考える余裕があるだなんて思いもしなかった。


「なるほどな。それで討伐後に何の問題がある?」


 クリエスが問う。邪神を討伐すれば、ようやくとアストラル世界に平穏が戻るのだ。そこには何の問題も残っていないと感じる。


「実はクリエス様のことです……」


 重々しい口調で語られる。クリエスは眉根を寄せるしかない。どうして邪神討伐後に自分が問題となるのかと。


「俺に何か問題が?」


「ええ、その通りです。天界はクリエス様のメインジョブを問題視されております。現状は抑え込めている破壊衝動。しかし、もし仮に邪神を討伐するのなら、恐らくクリエス様はその衝動に呑み込まれたあとらしいのです。闇の力を全解放するしか邪神を討伐する可能性はないとのこと……」


 それは何となくクリエスも感じていた。自我を乗っ取ろうとする破壊衝動。溢れ出る力を感じ取っていたのだ。もしも、その力に身を任せたのならば、魔王としての能力が遺憾なく発揮されるだろうと。


 頷くクリエスにヒナが続けた。


「わたくしは後始末というべき難題を仰せつかっております……」


 薄々とクリエスも勘付いている。溜め息と共に吐き出される話が好ましい内容でないことくらい察知できているのだ。


 静かに聞くだけのクリエスへ、ヒナが躊躇いながらも難題とやらを告げた。


「最後に残った魔王の討伐を――――」


 クリエスはただ目を瞑った。最後に残った魔王。ケンタが消え去った今、それは明確に自分自身だ。天界は世界に害を成す存在を許さない。どれだけの功績があろうとも切り捨てるのだと分かった。


「そうか、ヒナも辛かったな……」


 クリエスは小さく返している。正直に落胆はしたけれど、理解もしていた。破壊衝動に呑み込まれたのなら、どうなってしまうのか自分でも分からない。恐らくは想像通り。視界に入る全てを破壊し尽くしてしまうだろうと。


 今も納得していないようなヒナに、クリエスは笑みを浮かべて返す。


「ヒナ、最後は頼む……」


 それ以上の言葉が選べない。クリエスはこの生を終わりを明確に感じ取っていた。あと少しで無に帰するのだと。


「クリエス様は構わないのですか? 魔王というジョブを持った魂は消去されると聞きました。天使に昇華するどころか、輪廻に還ることすら許されないのだと。わたくしはやはり天界の決めごとに納得できません。クリエス様は多大なる貢献を世界に残したというのに」


 ヒナは聞き分けたようで、その実は違った。もしもクリエスが難色を示したのなら、レクイエム・ディーバの使用を止めようと考えていたのだ。


 ところが、クリエスは最後の処理を依頼し、消去されることについても反論すらしない。


「クリエス様、わたくしはクリエス様を送ったあと、わたくしも無に帰する旨を伝えております。天使として天界に残るつもりはありません」


「ヒナ、馬鹿を言うな。黄泉路へのお供はイーサがいる。お前までついてくる必要はない。それに俺はまだヒナが制約を遂げられることを信じているから」


 ヒナは言葉を失ってしまう。もう自分は諦めたというのに、クリエスはまだヒナが制約を遂げられると考えている。


「わたくしはあと600ほどレベルアップしなければならないのですよ? 不可能な話を考えるより、クリエス様に同行したいと考えます」


 頬を膨らませてヒナ。せめてあの世だけでも一緒にと考えていた彼女は何だかフラれたような気がしていた。


 ヒナの膨れっ面にクリエスは笑みを浮かべながら、彼女の頬に触れている。


 天使だけあって、触れた手が痺れてしまう。魔王たるクリエスにとってヒナは神聖な存在過ぎた。一緒に黄泉路へと向かう人ではないと確信に至る。


「ヒナ、何も問題はない。お前は人生を謳歌しろ。ヒナが制約を遂げられることはもう決定事項なんだ」


 小首を傾げるヒナ。オーブの守護者が消失した現在、彼女が600もレベルアップするなど不可能であったはず。しかし、クリエスには根拠があるらしく、彼はその理由を口にしている。


「俺が得た全てをヒナは手に入れるのだから――――」


 言われて気付く。クリエスにレクイエム・ディーバを使用すること。それはクリエスを討伐することと同義だ。クリエスの魂は直ちに天界にて捕らえられるだろうが、そこまでの行程に違いはない。クリエスは魂に乗っかっていた魂強度を全て吐き出し、自身を殺めたヒナにそれを与えることになるのだから。


 加えてイーサの存在。クリエスと同じく魔王となった彼女もまたレクイエム・ディーバの標的となるはずだ。二人の魔王を倒した魂強度は想像を絶するものとなるだろう。


「そんな……?」


 ヒナとしては自身もまた失われる結果を贖罪としていたのだ。クリエスを送る役目。レクイエム・ディーバの使用は対価として自身の命を懸けていたはず。しかしながら、その対価は失うものではなく、寧ろ罪悪感を増幅させるだけであった。


「俺の心残りはもうない。ヒナにも会えたし、一応はイチャつきもしたしな?」


「まだです! わたくしはまだ色々と経験しておりません! 先に消失などしないでくださいまし!」


 ヒナは反論してみるも、クリエスには届かない。彼はもう一定の未来を受け入れ、そして期待する未来を見ていた。


「ヒナ、俺の全てを持ってけ……」


 とても悲しい別れの言葉に聞こえていた。ヒナは何も返せない。彼の笑みは心からそう願っていると分かったから。


 対するクリエスも満足だった。ずっと追い求めていた女性。もしも失われることが確定しているのなら、愛するはずだった人に全てを捧げたい。ただ消えてなくなるより、彼女の糧になりたかった。


「もしも邪神ツルオカを討伐したなら、迷いなく俺を葬れ。俺は超回復を持っているけれど、ヒナならば可能なんだろ?」


 見透かしたような台詞にヒナは頷きを返していた。それは魔王を土着神がソロ討伐したという魔法。詠唱難度は最大級であったけれど、対魔王戦にて最も有効な魔法であり、天界の記述によると一撃にて存在を消去したとある。


「レクイエム・ディーバは対魔王に特化した魔法らしいです。神格者でレベル1500が求められる超高難度魔法。わたくしが詠唱に成功すれば、恐らく苦しむ間もないはずです。ここでクリエス様にかけるべき言葉は無数にあるはずが、どうしてか現状のわたくしには一つも思いつきません……」


 ヒナは苦悩している。クリエスのためにレクイエム・ディーバを唱えることになるのだが、本当にクリエスのためだろうかという葛藤があった。消去されるだけの未来が彼女の躊躇いとなってしまっている。


「ヒナ、気にすんな。俺は十七年前に死んだ。思えば俺は転生すべきじゃなかった。アリスに酷い言葉を投げて殺された挙げ句、最後は魔王だなんてな……」


「いや、クリエス様はアストラル世界に必要な存在でした! 何度も世界を救ってきたではないですか!?」


 現状がどうあろうと、クリエスが残した功績は明白であった。邪神竜ナーガラージや魔王ケンタはクリエス以外にどうにもできなかったのだから。


「ま、ディーテ様が考えられている通りだ。俺はアストラル世界を壊したくねぇ。だったら俺はヒナの手でこの世を去りたい。煩悩を残すことなく消し去ってくれ」


 クリエスの覚悟は揺るがない。術式の行使を肯定されるたびに、ヒナは否定したくなっていたけれど、それは叶わぬこと。世界の安寧や女神たちの思惑、そしてクリエス自身の考えまでもが一致しているのだから。


「最後にヒナの鎮魂歌を聴きながら逝くのは悪くない……」


 決定的というべき台詞があった。クリエスの覚悟は既に決まっているらしい。

 身体中の息を吐ききったヒナ。小さく頷きを返している。


「承知いたしました。せめてクリエス様の御霊が安らかに逝けますよう願っております」


 現状で考えられる結末は二つしかなくなっていた。


 邪神ツルオカの討伐に失敗し、アストラル世界が滅びること。更にはクリエスが闇に呑まれ、魔王の力をもって邪神を討伐する未来。どちらにしてもクリエスは失われる。もう彼の命運は尽きているのだとヒナも理解していた。


「さあ、邪神と戦おう。南へと向かうぞ」


 クリエスの号令により、一行は方向転換。復活してしまった邪神の討伐へと向かうことになった。


 晴れやかな表情のクリエス。二代に亘って続いた自分自身の集大成として邪神を討伐しようと思う。


 新たな目標を立てた彼は確実な死ですらも恐れていない……。

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