第127話 最後の試練へ


 北の果てホリゾンタルエデン教団の聖地リベル。まだ陽が昇るには早い。早朝というより、深夜と呼ぶべき時間帯にペターパイ教皇はうなされていた。


 天涯のある豪華なベッド。隣には美しい女性。彼がうなされる理由など何もなかったはずなのに。


『ペターパイよ、東西のオーブが破壊された……』


 彼がうなされていた理由。それは唐突に脳裏へとツルオカが降臨したからである。無理矢理に思考へと入り込まれた彼は酷い頭痛を覚えているに違いない。


『ツルオカ様、であれば地平十字の陣は機能しなくなるのでしょうか?』


 ペターパイは悪夢とも呼ぶべき降臨に困惑しながらも返している。

 頷くツルオカ。千年をかけて準備した全てが破綻しようとしているらしい。


『これより術式は地平一文字の陣とする。早々に準備せよ』

『早々に!? いや、地平一文字の陣ですか!? 魔王ケンタに楽園が荒らされ、贄が不足しております。しばらくお待ちいただくことになりますが……』


『ならぬ。どうやら天が使わせた勇者が力をつけているようだ。オーブの守護者にはそれなりの神格を配置したが、東も西も破壊されている。北のオーブを破壊されてしまえば、私は神として降臨できない。不完全であろうと成さねばならんのだ』


 ツルオカは言った。魂をアストラル世界に留めている彼であるが、やはり神として降臨することが最優先事項らしい。たとえそれが完全な形でなかったとしても。


『いやしかし、贄が圧倒的に不足しています! これまでに捧げた数は一万にも及びますが、お伺いしていた数の三割程度です!』


 ペターパイは訴えている。強引に降臨陣を起動したとして、現状では何の意味もないのだと。


『もう選別はしなくてよい』

『ですが、不浄なる胸を持つ奴隷を全て集めたとして、千人にも満たない数でしかありませんよ!?』


 何を言おうと無駄である。ツルオカは既に降臨陣の行使を決めたのだ。不完全であろうと急ぐだけなのだと。


『地平一文字の陣とするのだ。贄はあと一万もあれば充分。準備ができ次第、私は降臨する。ペターパイよ、怠るなよ?』


 頭を上下させるしかない。ペターパイは不可能だと感じていたとしても、絶対神たるツルオカには逆らえない。


『あと九千人も集めるのには、お時間をいただきとうございます。半年、いえ、三ヶ月で準備して見せましょう』


『虚け者が。贄ならばいるだろう?』


 どうしてかツルオカは既に贄が揃っていると話す。たった今、千人しか奴隷がいないと聞いたばかりなのに。


『聖地リベルにちょうど一万人が住んでいるじゃないか?――――』


 ペターパイは愕然としてしまう。奴隷以外でリベルに住む者たちは全て上級信徒たちである。厳しい審査を乗り越えて、選ばれた民であったのだ。


『本気でしょうか……? 私めもその中に入っているのですか?』


 気になる点はそこだけであった。ペターパイは何とか自分だけは逃れようと考えている。贄となるために、尽力したわけではないのだと。


『それはこれからの働きによる。見事やり遂げたのならば、褒美として贄からはずしてやろう』


 ペターパイはどうしてか幸せな気分になっていた。褒美というには実利がない。生き長らえることを許されただけであったというのに。


 さりとて言霊というスキルはペターパイを侵食していく。もう既に生かしてもらうことが喜びだと彼は感じるようになっていた。


『お任せください。一ヶ月で聖域まで移動いたします』

『可能な限り急げ。私も依り代の保存術式を解き、大精霊融合の準備を始める』


 静かに計画が実行されようとしている。慎重なツルオカらしくない行動であったものの、それだけ天界の動きが気になっていたのだろう。


 脳裏への顕現が終わり、ようやくペターパイは悪夢から解放されていた……。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 西のオーブを破壊したクリエスたち。タワワ岩礁を離れ、再び北大陸へと上陸していた。さりとて今度は大きく割れた大地の北側。世界の狭間に割られたグランタル聖王国のテオドール公爵領内である。


 世界の狭間がある直ぐ近く。ヒナは長い息を吐いていた。


「戻ってきたのですね……」


 もう一年近くになる。グランタル聖王国への帰還は全てをやり終えてからと考えていたけれど、意図せずヒナは故郷へと戻ることになっていた。


「お嬢様、長かったようで早かったですね」


 エルサもまた感慨深げだ。元々彼女はテオドール公爵領にて冒険者をしており、若くして頭角を現した彼女はヒナの剣術指南役として抜擢されていた。


「ええ、本当に。エルサが妊娠したり大変でしたわね……」


 ずっと否定しているというのに、ヒナは衝撃のイカ騒動について認識を更新していない。彼女にとって、あの事件は明確に情事であり、イカを産むエルサが妊娠したのだと信じている。


「お嬢様、何度言えば……。って、おうぇえええぇぇっぷぷ!!」


 今もまだエルサは生イカ生産機であるままだ。頻度は減っていたけれど、定期的にイカを産んでいる。


「あら大変! 陣痛かしら!?」

「違いま……おええええぇぇえっぷ!!」


 一度に二匹。非常食として助かっているけれど、既に全員がイカに飽きていた。街に到着したのなら、まともな食事をしたいと考えている。


「しっかし、この裂け目をイーサが作り出していたのか……」


 聞いていた通りに大地が大きく割れていたのだ。クリエスは中部でもイーサのニルヴァーナを見ていたけれど、北大陸はさぞかし不便な千年を過ごしたのだと思わざるを得ない。


『まあでも、二発目のニルヴァーナは南北に割れたじゃろ? 恐らくこの裂け目と接続したはずじゃ。二発目は海とも繋がったはず。ここの標高では意味などないかもしれんが、内陸部は川になっておるかもしれん」


 イーサが弁明のように述べる。世界の狭間と魔王戦で割れた裂け目が接続し、南端の切れ目から海水が入り込むのではないかと。


「仕方ないとはいえ、海水が入り込んでいるのなら、ここみたいな高所でもなければ船が使えるし、橋だって架けられるかもな」


 正直に二つの裂け目が北大陸に与える影響を危惧していたけれど、海抜の低い地域では本当に河となっていそうだ。新しい裂け目は意図せず、北大陸の生活を改善しているかもしれない。


「さあ、ご案内します。テオドール公爵領セントリーズは直ぐ近くです!」


 東端に馬車を置いてきたのだ。ここからは徒歩となるのだが、ヒナ曰くそれほど距離はないという。歩き続けたのなら数日で到着するとのことだ。


 デスメタリア山にある北のオーブ。その破壊とヒナのレベルアップを目的とした旅が始まる。少しばかりの休息を挟んで、クリエスたちは邪神復活を阻止しなければならない。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 天界では再び女神たちが集まっていた。議題は魔王化したクリエスについて。全ての加護を失った彼をどうするのかと。


「ヒナと合流したあとであったのは不幸中の幸いです」


 ディーテが嘆息しつつ話し出す。ヒナがいなければ何も分からなかったのだ。クリエスは全ての加護を失い、自身のステータスすら確認できなくなっている。ヒナをモニターできたからこそ、クリエスの現状が把握できていた。


「申し訳ございません。まさか魔王化してしまうなんて……」


 シルアンナが謝罪している。少しも予期できない話であったけれど、使徒たるクリエスが魔王化したことを彼女は心苦しく感じていた。


「シル、今はクリエス君を信じましょう。彼にある正義感。破壊衝動に呑み込まれないことを期待するしかありません」


 魔王は明確に悪である。基本的に世界により生み出された魔物が得るジョブであった。

 しかしながら、バランスを崩した世界ならば、善たる魂の転生魂からも選定されてしまう。千年前のイーサやケンタウロス族であるケンタもまた転生魂であって、バランスを崩した世界が生み出した魔王である。さりとて、数多ある世界を調べても、天界から送り込まれた魂が魔王となるだなんて事例は他になかった。


「クリエス君であれば、災禍となる前に自害を選んでくれると思います」


 超回復を持つ魔王。しかも前魔王候補の闇魔法まで持っている。従ってクリエスが魔王というジョブに呑まれた場合の被害は計り知れない。魔王ケンタの方がマシだと思えるほどに。


「それでディーテ様ぁ、クリエスは邪神に勝てるのですかぁ?」


 ここでポンネルが聞いた。魔王化したクリエスと邪神ツルオカ。双方共が世界にとって害をなす存在であったのだが、その二つが戦った記録など残っていない。


「分かりません。格としては間違いなく邪神。ですが、戦闘値という面では魔王となるでしょう。問題は魂の格にどれほどの差があるか。クリエス君の攻撃が入らない限り、邪神には勝てないでしょう」


 ひとたび邪神が発生すれば、ほぼ確実に世界は滅びる。天界が定める滅亡とは魂の循環が途絶えること。転生魂より輪廻に還る魂が増加し、やがて転生先がなくなることを意味した。


「でもぉ、邪神竜には勝っちゃいましたよねぇ?」


「邪神竜は世界の認知度が過度に不足していましたからね。神格を増強できていないのです。土着神でも恐らく最も低位の神であったことでしょう。生産神ツクリ・マースが宿った神器で簡単に切り裂かれたこと。地域限定的な神でさえも格上でしたから、神格を持たない勇者や英雄というジョブでも討伐できたはずです」


 どうやら同じ神格持ちだとしても、細分化されているようだ。邪神竜ナーガラージは最低位の神として存在していたという。


「邪神はイレギュラーで生み出されるものではありません。世界が生み出す中で最悪の魔物が魔王なのですから。邪神は常に人為的な発生をします。滅びた世界の情報からも、それは明らかです」


 どうやら魔王は本来なら最強であるらしい。確かに世界が管理する魂である魔物の王。それ以上のジョブは生み出されないはずである。


「今はクリエス君に期待するしかありません。もうワタシの祝福も効果はないでしょうけれど、我ら女神は魔王クリエスに光あらんことを願いましょう」


 まさか魔王の側につくだなんて。女神にとって魔王は悪である。しかし、彼は歴とした人族であって、世界が生み出したる魔物ではない。


 アストラル世界を守護する女神たちはクリエスの奮闘に望みを託していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 クリエスたちは三日間歩き続けてテオドール公爵領の主要都市セントリーズへと到着している。ヒナにとっては貴族院に入るまで過ごした場所であり、ネオシュバルツの別邸に移り住んでからは長期休暇の折りくらいしか戻ることのなかった場所だ。


 まずはテオドール邸へと挨拶に行く。そこにはヒナの母親であるクレア・テオドールが住んでいるのだ。彼女は元々テオドール公爵家の一人娘であり、宰相であった公爵を入り婿とした。しかしながら、実質的に領地の実権は彼女が握っており、その辣腕を振るっているらしい。


「クレア様、お嬢様が戻られました」


 メイドに案内され、クリエスたちは屋敷の一室へと通されている。そこはクレア公爵夫人の執務室であるらしく、王城かと思うほどの立派な大扉があった。


 中から応答があり、メイドが扉を開いてくれる。慣れた様子で進むヒナに対して、クリエスは戦々恐々としていた。まるで王族と謁見するかのような仰々しい部屋にいるのが、本当にヒナの母親なのかと。


「ヒナ、無事だったのね?」


 第一声はヒナに。印象としてはそこまで怖くない。クレアはとても美しい女性であったけれど、転生したヒナとは異なる系統の凛々しい美人であった。


「お母様、お久しぶりでございます。これより邪神復活阻止のため、デスメタリア山へと向かいますので、立ち寄らせてもらったのです」


 ヒナの話に頷き、クレアは小さく笑みを浮かべている。


「とんでもない運命を我が子が背負うなど考えもしませんでした。それでヒナ、課せられた誓約とやらは遂げられたのですか?」


 やはり気になるのはヒナが十八歳の誕生日を迎えられないこと。母親として真っ先に確認したかったのだろう。


 しかし、ヒナは首を振った。その件に関しては色好い返答がない。天使に昇華してしまったヒナは災禍級レベルにまで成長しなければ制約を遂げられないのだから。


「まあ、その羽を見れば明らかですわね。人外になってしまうとは、我が子ながら不憫で仕方ありません。ヒナには公爵領を任せたいと考えておりますのに」


 嘆息するクレア。彼女は将来的にヒナが公爵領の運営を担うことを期待しているようだ。さりとて十八歳を前にして天命が尽きてしまうのならば、公爵家は跡取りを失うことになる。


「奥様、お嬢様は精一杯に頑張っておられます。今や天使なのですよ? 必ずや成人されるものと、私は確信しております」


「エルサ、頑張るだけでは駄目なのよ? 結果が伴わない努力など無駄でしかありません。現状で厳しいと分かっているのなら、どうして奴隷を増やさないのです? 一人ではなく三人でも四人でも買うべきでしょう?」


 何だか理解に悩む話が返ってきた。急に会話へと紛れ込んだ奴隷という単語。まるで奴隷が紛れ込んでいるかのような物言いである。ここにはヒナの他、エルサにクリエス、あとは悪魔と悪霊しかいなかったというのに。


 眉根を寄せるエルサに、クレアはピッとクリエスを指さした。


「性奴隷を買ったのでしょう?」

「俺は性奴隷じゃねぇよ!!」


 思わず無礼も考えず、クリエスはツッコミを入れてしまう。奴隷だけでなく性奴隷と間違われてしまっては流石に看過できなかった。


 どうしてか、ここで悪魔であるパリカが前に出た。何度も頭を振る彼女はクリエスが性奴隷と間違われてしまったことに憤りを覚えているのかもしれない。


「クレアさま、あたしはパリカという悪魔です。悪魔王に誓いましてクリエスさんは性奴隷などではないとお伝えさせていただきます。断じて性奴隷などではございません」


 パリカは毅然と意見していた。クリエスが性奴隷ではないのだと。


「ショートダガーで性奴隷は務まりませんから……」

「るっせぇぇよ!!」


 どうやら異議は性奴隷のポテンシャルがないという話だけであったようだ。物忘れの激しい彼女だが、アレに関してだけは決して忘れないのかもしれない。


「お母様、本当にクリエス様は性奴隷ではないのです! 彼は邪神竜と魔王を倒した元勇者様ですから……」


 ここでヒナがフォローしてくれる。身なりは最低であったクリエスだが、元勇者であったのだと。


「ショートダガーでも……」

「ああん、傷つくぅぅ!!」


 天然のディスフォローにより、クリエスの精神値は尽きた。ガクリと肩を落とし、白目を剥いている。


「なるほど、神託にあったクリエスという勇者様なのですか。共に戦うと聞いておりましたけれど。まあしかし、残念ですね」


 クレアは納得したようで、みすぼらしいクリエスを見ては溜め息を吐いている。ヒナの相手として相応しく思えなかったのだろう。


「ショートダガーだなんて……」

「もうやめてぇぇっ!!」


 クリエスは膝から崩れ落ちる。口からは煙のようなものを吐き出しながら。


「お母様、ショートダガーでも女神様から愛されて生を受けたのです! ショートダガーだからといって、生きる価値がないだなんてことはありません! ショートダガーでも彼は立派なんです! ショートダガーであっても……」


「お嬢様、それくらいに……。クリエス殿から魂が抜け出ておりますので……」


 悪意無き攻撃にクリエスはその場に倒れた。エルサが二人の会話に割り込んだものの、既に致命傷を受けたあとである。


「奥様、とりあえず奴隷など必要ありません。現状では私であっても戦えないような魔物が相手です。寧ろ奴隷は私なのではと考えてしまうほどに」


「そうなのね? 我が娘ながら辛い人生を課せられたと感じます」


 クレアはようやく経緯を理解したようだ。長い溜め息はヒナの人生を危惧するものに他ならない。


「よりによってショートダガーだなんて……」

「ちゃんと聞いておられましたか!?」


 思わずツッコんでしまうエルサ。

 まあしかし、よほど衝撃だったのだろう。神託にあった救世主がショートダガーであったことは……。


「とにかく、我々は時間がありません。お嬢様の未来を繋ぎ止めるためにも、戦いに赴かなくてはならないのです。ですから本日は軽い挨拶だけ……って、おええぇえぇぇぷぷ!」


 ここでエルサがイカを産む。真面目な話をしようとした彼女だが、またも生きの良いイカを二匹も産み落としてしまう。


「エルサ、今イカを産みましたか!?」

「失礼しました。奥様、私は厄介な魔物に寄生されまして、定期的にイカを吐く身体になってしまったのです……」


 目を丸くするクレアにエルサは説明する。進化したクラーケンに寄生されてしまったことについて。


「お母様、エルサは未婚の母になったのです……」

「でも、元気な赤ちゃんで良かったわ。勢いよくイカスミを吐いてますね」

「ちゃんと聞いておられましたか!?」


 エルサもまた精神値が削られていく。幾ら説明しようとも理解してもらえる気がしない。


「おえぇぇえええっぷぷ!!」


 トドメとばかりに三匹も産むエルサ。これでは益々未婚の母としての認識が固まってしまいそうだ。


「まあ、五つ子? エルサったらなかなか激しい夜を過ごしたみたいね?」

「お母様、エルサは全身ベタベタの真っ白な状態になっておりました」


 ヒナの説明にクレアは顔を赤くしてエルサを見つめている。


「エルサ、まだ若いからといって無茶をしたわね?」

「だから不可抗力です! それに私は今も純潔ですし、イカは子供じゃありません! これまでも吐いたイカを食べて過ごしてきたのですから!」


 精一杯に否定する。自身はまだ純潔を守っているのだと。三十路を迎えようという彼女には非常に説明しづらい話であったけれど。


「まあ、食べられるの? どれくらい産んできたのかしら?」

「お母様、飽きるまでは美味しいです。恐らく一万匹以上かと思いますわ」

「それは凄いわね。旅が終わったなら、所領の特産品にしましょう」


 ふとクレアは思いつく。商才に関しては誰よりもある彼女。公爵家の無尽蔵な財力は全て彼女の才能によるものであった。


「特産品でしょうか?」

「ええ、これは売れます。わたしの直感が高嶺で売れると囁いておりますから」


 エルサを余所に話が進んでいく。エルサのイカを大々的に売り出すという話が。


「妙齢の処女が産んだイカとして――――」

「やめてくださぁぁい!!」


 ここでエルサもまた精神値が尽きた。自身が吐いたイカを売るだけでなく妙齢の処女と呼ばれてしまっては無理もない。


 パリカ以外が床に突っ伏すという状況。イーサはケタケタと笑っているけれど、生憎とクレアは彼女を認識できなかった。


「お母様、わたくしたちはこれで失礼します。馬車を一台いただいてもよろしいですか? 何しろデスメタリア山までかなりございますので」


「それならば直ぐに用意するわ。ヒナ、必ずや戻ってくるのよ? ルーカス殿下も貴方が戻ることを待ちわびていらっしゃるわ」


 話は終わりかと思えば、ルーカスの話になってしまう。どうやらクレアも一連の騒動を知っているらしく、ヒナの相手として悪くないと考えているようだ。


「お母様、わたくしは殿下と婚約するつもりなどありません。成人できたのなら、ここにおられるクリエス様と結ばれとうございます」


 ヒナはハッキリと口にしている。共に旅をして確信した。自身の相手は天界で約束をしたクリエスしかいないのだと。


 驚いたようなクレアであったが、別に強要するつもりもない感じだ。ヒナの話に頷きを返している。


「あらそうだったのね? しかし、聖王国は後継者を失ってしまうかもしれないわね。何しろルーカス殿下は貴方が手に入らないのなら、死ぬと常々仰っているらしいのです」


「そんなに思い詰めていらっしゃるのですか!?」


 流石に聞き流せない話である。最後に期待を持たせるような話をした結果かもしれない。今もルーカスはヒナしかいないと考えているようだ。


「お母様、何を申されましても、わたくしは意見を変えたくありません」


「そうね。王太子妃殿下なんて立場で所領に留まるわけにもなりませんし、早々に断っておきましょう。最悪の場合はテオドール公国として独立してもいいですね」


 どうやらクレアは権力には少しもなびかないようだ。毎年のように王家へ送る税金を彼女は勘定しているのかもしれない。


「大丈夫なのでしょうか?」

「ええ、任せなさい。貴方は成人することだけを考えるべき。余計な悩みまで抱える必要はありません」


 ようやくまともな話が続いている。そもそも公爵領にとって王家の庇護は必要なかった。所領の海側は高い岩壁によって守られているし、攻め込まれるとしてグランタル聖王国しかなかったのだから。


 このあとヒナは馬車をもらい受け、早速と旅に出る。食糧やポーション類なども大量に用意してくれたので買い出しすら必要なかった。


 いよいよ最後の旅が始まる。ヒナが成人するため。北のオーブを守護する何者かを倒す旅路が始まっていた。


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