第119話 エクストラヒール
北大陸最大の難所であるゴハラ砂漠。中東部にある砂漠のせいで、ここより東は西部ほど発展していない。加えて既に魔王ケンタにより破壊され尽くしており、クリエスたちの旅路も困難なものとなっていた。
「まさかエルサさんのイカしか食糧がなくなるなんて……」
既に持ち合わせの食料は尽き、エルサが産み出すイカを頼るしかなくなっている。
「エルサが身体を痛めてまで産みだした命の輝きに感謝いたしましょう……」
「お嬢様、寄生されているだけですから! おえぇぇぇっっぷ!!」
あくまでエルサは産んだと認めない。かといって一時間に何匹も産んでしまうので、もう既に日常と化している。
「飲み水はウンディーのおかげで助かってるし、何とかなるものだな」
「今は亡きエルサの夫、クラーケン・ガヌーシャ様にも感謝を……」
「私は独身ですっ!!」
「エルサさま、実に美味いですよ。何というか新鮮です!」
パリカまでイカを食べている。エルサが産んだことを考えなければ、身は柔らかく臭みもない。生で食べても焼いて食べても絶品であった。
ゴハラ砂漠を発って数週間。ヒナの誕生日まであと二ヶ月半となっていた。正直に時間がなかったのだが、ヒナのレベルアップに相応しい魔物は現れず、時間だけが虚しく過ぎている。
「やっとこ海岸線まで到着したな。東海にまたクラーケン・ガヌーシャいねぇかなぁ」
「クリエス殿、私は二度と近付きませんからね!?」
クリエスはヒナの現状を気にしている。彼女を助けたいと考えていても、強敵が存在しないのだ。魔王ケンタにトドメを刺すのは無理であったし、クラーケン・ガヌーシャ以降はヒナがレベルアップする機会などなかった。
「クリエス様、わたくしはもう充分幸せです。ディーテ様が天界で雇ってくれるそうですので、死ぬのも怖くありません。思い詰める必要などございませんから……」
ヒナはそう言ってくれるけれど、クリエスとしては絶対に許容できない話である。巨乳な彼女とイチャコラするという前世からの願望を遂げない限り、悪霊堕ちすら考えられてしまう。
「いや、俺はヒナを生かすと決めたんだ。何があってもヒナには成人してもらうからな」
ヒナが成人を迎えることができれば、婚約には何の障害も残されていないと考えている。勇者というジョブを得たことにより、世界的な地位を得たのだ。既にクリエスという存在は世界中で認知されているし、テオドール公爵も同意してくれるだろうと。
東海に到着し、船を出そうとしていると、
【寵愛通信シルアンナ】
どうしてかシルアンナからの通信が入っている。そういえばホリゾンタルエデン教団の支部がある場所を特定したという話を聞いていたのだ。その続報である可能性は高い。
「何だよ?」
『ぶっきらぼうね? とりあえず現状の方針に異論はないってことだけ。ホリゾンタルエデン教団の対処はアストラル世界の人たちに任せておきなさい。既に南大陸の国々は支部の排除に動き出している。北大陸は魔王ケンタの件で遅れているけれど、一つずつ潰していくことになったから』
既に幾つかの支部は壊滅させており、天界でアリスが証言した内容は確認が取れている。その事実により、全ての支部を排除するようアストラル世界は動き始めていた。
「大丈夫なのか? 俺たちは変態悪魔から情報を得たら、直ぐに戻るつもりだけど」
『時間がないでしょ? クリエスたちは島での用事が済めば、海路を使ってデスメタリア山の北側へと向かって欲しい。そこにホリゾンタルエデン教団の本部がある』
本部にはかなりの人数がいるとシルアンナ。知らされる情報は以前と異なり、いずれも詳細な内容を含んでいる。
「しかし、急に情報が漏れ出したんだな? これまで本拠地の場所すら分からなかったのに」
『そりゃそうよ。何しろアリスに聞いた情報……』
言ってシルアンナは言い淀む。うっかり口を滑らせてしまった。ディーテと話し合った結果、アリスの話をクリエスには伝えないことで決定していたというのに。
「アリス? どうしてアリスが出てくる? あいつは谷底へ飛び降りたはずだろ?」
クリエスの眼前でアリスは身投げしたのだ。トラウマを蘇らせるような話を敢えて伝える必要はなかった。さりとて、問われてしまえば答えるしかない。天界にアリスが召喚されたという話を。
『実はポンネルが同界転生の召喚チケットを手に入れてしまってね。アリスは幸か不幸か召喚対象に選ばれてしまったのよ……』
嘆息するのはクリエスである。願わくば迷わず逝って欲しかったけれど、どうやらアリスは非業の死を遂げたあと、天界へ召喚されてしまったらしい。
「じゃあ、アリスは転生したってのか?」
女神たちが秘匿したかった理由が問われている。もしも、アリスが転生していたとすれば、クリエスに隠す必要などなかったのだ。
『いいえ。彼女は転生を望まなかった……』
端的に返されている。シルアンナは思案していたから。
隠しきれるはずもなかったというのに。
対するクリエスは長い息を吐いていた。もう既に充分であった。アリスが転生を望まなかった理由など、容易に想像できる。全ては彼女の人生がろくでもないものであったからだと。
「俺のせいか……」
もし仮にアリスが人生を謳歌していたとすれば、転生のチャンスを逃してはいないはず。よって断った理由は一つ。彼女が最悪といえるような人生を過ごしたからだ。
シルアンナは何も擁護できない。アリスの人生を台無しにしたのは明確にクリエスであった。彼さえ自重していたのなら、アリスの人生は異なるものになったことだろう。
長い沈黙のあと、ようやくクリエスが言葉を繋げる。
「俺は最低だったな……」
今さらではあったものの、クリエスは前世の愚行を悔やんでいた。刺殺されたあと呪いまで受けたけれど、自身は転生したのだ。
何事もなかったかのように、お気に入りの女性を側に置き、アリスはそれを目撃している。彼女が死の直前に何を思ったのか。最低だと感じて然るべき話だ。
『クリエス、世界は常に廻り続けている。時間も魂も全てが平等に。過ちは進む時間の中でしか償えない。平等に与えられる時間を巻き戻すなんてできないのよ。貴方は残された人生でしか何も償えない。世界を救うこと。アリスの魂が再び世界に戻ったとき、彼女に美しい世界を与えてあげることしかクリエスにはできない。もう彼女が苦労しない世界を作り上げることでしか報いることなどできないわ』
諭すようなシルアンナの言葉は痛く心に染みている。
もうアリスという女性はいない。しかし、流転する彼女の魂は再びこの大地に現れるだろう。クリエスは誰とも分からぬ彼女にしか報いることができなかった。
「まあ分かった。俺はやるべきことをやるよ。今はヒナの制約を優先する。それで構わないな?」
『ええ、それで問題ないわ。教団の力を削いでいけば、ツルオカは力を得られないだろうし』
邪神復活阻止に向けて世界は動き出している。また今すぐに教団本部を制圧する必要性はない。まだ幾ばくかの時間が残されているはずであり、それは支部を壊滅させることで更なる猶予を得るだろう。
後味の悪い魔王討伐。だが、クリエスは前を向く。シルアンナが話す通り、過去は確定した事象であり、未来にしか頑張れる時間はないのだからと……。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
名前を口にするのも憚られるチンチポッポ島へと到着したクリエスたち。
まあしかし、よく言ったものだと思う。この島は平地部分が極めて少なく、縦長の岩山となっていたのだ。
「卑猥な名前を聞いたあとだと、アレに見えて仕方ねぇ……」
長い息を吐くクリエス。聞けば根元に洞窟があるようで、サソイウケ氏とソウウケ氏はそこから内部を調査しているらしい。
「クリエスさんは生粋の攻めですからねぇ……」
「受けでも嫌だろ!? こんな島!!」
完全に鬼畜攻めであると決めつけられている。まあしかし、もうクリエスは抵抗を止めた。彼女に何を言おうと無駄であるのだから。
「それでサソイウケはどこにいる? 俺たちは急いでいるんだ……」
「焦らないでください。ほら、あそこの洞窟から入るのですよ」
言ってパリカが指さす。チンチポッポ島の由来となった塔部分よりも離れた場所に入り口があるようだ。
まあしかし、クリエスは乗り気がしない。塔部分の手前に小さな双子山があり、その中央部分に洞窟があったのだ。
正面から見ると本当にチンチポッポである。今から入ろうとする場所は全体の作りから一定の連想をさせていた。
「まるで尻穴ですよねぇ!」
「言うなぁぁっ!!」
もうそれにしか見えない。ただでさえ卑猥な岩山だというのに、それ以外のオプションまで完全再現されているのだ。
溜め息を吐くクリエスに、どうしてかヒナが近付いてくる。
「クリエス様、これがお尻の穴でしたら、あの岩山は何でしょうかね?」
「知らんでいい!!」
思わずヒナに対しても声を荒らげてしまう。しかしながら、それは本心だ。これ程までにそそり立つアレが標準であると信じ込ませないためにも。
『婿殿、早う入るのじゃ!』
尻穴愛好家のイーサは、いてもたってもいられない感じだ。二の足を踏むクリエスを急かし続けていた。
はぁっと息を吐きつつも、クリエスは洞窟内へと侵入していく。立ち止まっていたとして、サソイウケ氏が出てくるはずもないのだと。
洞窟の中は何だか生暖かい感じがする。どうやら火山島であるらしい。
「クリエスさん、この尻穴洞窟ってタチ(攻め側)的にアリでしょ?」
「タチとか言うな。俺は攻めでも受けでもねぇよ」
専門用語が過ぎるとクリエス。もう既に帰りたくなっていたけれど、ここに来た目的はエクストラヒールについて聞くためであり、サソイウケ氏と会うためだ。クリエスは過度に嫌悪感を露わにしながら、洞窟を進んでいく。
しばらく歩くと吹き抜けの広い場所へと到達。どうやら岩山の中は空洞となっていたらしい。見上げると頂上の火口まで視界を遮るものなどなかった。
まるで天高くそびえる大聖堂のような雰囲気。上部から微かに届く日光によって、岩壁が神々しい輝きを放っている。
大自然が作り上げた圧巻の景色にクリエスは心奪われていた。
『婿殿、幻想的な洞穴じゃなぁ……』
クリエスと同じようにイーサもまたこの壮大な景色に見入っているようだ。島名からは想像もできない美しい洞穴である。
『まるで尿道のようじゃ……』
「台無しだよっ!!」
せっかく卑猥な島名を忘れかけていたというのに、クリエスは幻想的な世界から帰還。もう既に尿道だとしか思えなくなっている。
「ちくしょう……。それでパリカさん、サソイウケ氏はどこにいるのです?」
それほど大きくない島なのだ。居場所さえ分かれば時間などかからないと思う。
「確かダンジョン化していると話しておりました。この奥に火口へと続く穴があるはずです」
どうやら南大陸で踏破したオルカプス火山と同じようにダンジョン化しているらしい。サソイウケは火口へと入り、調査しているようだ。
パリカに先導され、クリエスたちは火口へと入っていく。
「完全にダンジョンじゃないか?」
オルカプス火山のような構造を想像していたけれど、火口へと繋がっている通路は洞窟のようになっていた。
「最後に起きた噴火はかなり昔のようで、今や火口はマグマ溜まりと通じておりません。この通路は魔素の通り道らしいですね」
ダンジョン化したことからダンジョンコアがあるのは明らか。大量の魔素が吐き出され、通路のようなものを作り上げたとのことだ。
「クリエス様、魔物はわたくしにお任せください」
ヒナは愛刀を抜き、先頭に立った。どうやら少しでもレベルを上げるつもりのよう。
「フォローするよ。危ないようなら手を貸すから……」
「ヒナさん、貴方もしかして……?」
黄金の羽根を羽ばたかせて飛んでいくヒナに、どうしてかパリカは目を剥いて驚きを露わにしている。
「天使なの!?」
「今さらかよ!?」
もうかなり長く一緒にいる。ヒナはずっと金色に輝く羽を出していたというのに。
「いや、まさか天使が下界にいるなど思いませんでしたし。というよりヒナさん……」
パリカは信じられないのか、今もまだ目を剥いたままである。
「左足がないじゃないですか!?」
「気付くの遅えぇよ!!」
散々エクストラヒールについて話をしたというのに、パリカはエクストラヒールを求める理由に気付かなかったらしい。
「脳みそまで腐ってんじゃねぇのか?」
「腐ってなんぼの腐女子ですから!」
クリエスの皮肉にも意に介する様子はない。寧ろ誇らしげに彼女は胸を張っている。
兎にも角にも、ダンジョン攻略が始まっていた。考えていたよりヒナはずっと戦える。中級爆裂魔法ハイプロージョンは効果的であるし、加護として授かった【超怪力】や先天スキル【華の女子高生】も剣術に威力を与えていた。
「ヒナ、大丈夫か!?」
「まだまだ戦えます!」
既に師であるエルサを軽く超えているだろう。かといってヒナには制約があった。ソロで竜種を討伐できる目安だという戦闘値200と体力値200を達成しなければならないのだ。
しかしながら、一刀にて倒すことが可能な魔物ではレベルアップなど望めない。何しろ彼女は既にレベル1200を超えているのだから。
ダンジョンに入って二時間ほどが経過。魔素が吹き抜ける通気口であるからか、道は曲がりくねっており、想像よりも階層は広い。また碁盤の目のようになった階層まで存在し、最下層であるマグマ溜まりに到着するのにどれくらいかかるのか分からなかった。
何となく魔物の種類が一新されたような気がする。恐らくは魔素濃度が上がったのだろう。明確に強い魔物が現れ始めていた。
「ハイプロージョン!!」
今もヒナは剣術と魔法の二段構えである。何とか魔物を討伐していたけれど、流石に手を焼くようになっていた。
「ヒナ、俺が致命傷を与えるから、トドメを刺していけ!」
かつてチチクリがしてくれたこと。弱らせた魔物を斬り裂くだけ。勇者というジョブを得て、呪いが解けたクリエスならばチチクリと同じようなことができるはずだ。
狭い通路に現れたのはバジリスク。竜種ではなかったけれど、四足歩行をし毒を吐く魔物である。
「動きまわんじゃねぇよ!!」
クリエスが駆け出し、瞬く間にバジリスクの足を斬り落としていく。動きを封じてしまえばヒナも余裕を持って戦えるはずと
。
「ヒナ、首の根元を狙え!」
魔眼によると首の辺りにマーカーが集中している。恐らく首回りの鱗が他と比べて柔いのだろう。
「いきます!!」
クリエスのお膳立て。ヒナは勇敢にも正面から斬りかかっている。苦しみながらもバジリスクは毒を吐こうと口を開いていたというのに。
刹那に吐き出される毒。しかし、ヒナは予測していたのか、高く飛んでそれを躱す。
「わたくしは倒すしかないのです!」
閃光一閃、ヒナの一太刀がバジリスクを捕らえた。狙い通りに首筋に沿って袈裟懸けに斬り裂いている。血飛沫を上げるバジリスクは程なく息絶えていた。
「お嬢様、お見事です!」
「いえ、クリエス様のおかげですわ」
ここでようやくレベルが上がった。僅かに一つしかアップしなかったけれど、地道な積み重ねもヒナには必要である。
愛刀デカボイーンを鞘にしまおうとしたそのとき、
「退けぇぇっ!!」
階層の奥から声が聞こえた。無人島にあるダンジョンの奥から響く声。その正体は限定的である。
「サソイウケさん!?」
「如何にも、そこを退いてくれぇぇつ!!」
クリエスは魔眼にて確認してみる。照明魔法が照らす奥。何が起きているのかを。
【サソイウケ・タチ Lv998】
【ソウウケ・ネコ Lv755】
予想通りの名前が見えた。しかしながら、その奥にもう一つマーカーが浮かび上がっている。
【??? Lv不明】
何と正体不明の狼的な魔物が二人を追いかけていた。サソイウケたちもかなりの猛者であったけれど、太刀打ちできなかったのだろう。
「距離があるからか?」
クリエスは再び魔眼を行使。狼の詳しい情報を得ようとして。
ところが、何の情報も得られない。姿は確認できたものの、かつてイーサやミアを調べたときと同じ。不明項目ばかりが見えていた。
「まさか俺より強ぇってのか!?」
もう敵などいないと考えていたのだ。イーサには及ばないものの、勇者となった現在のステータスは八千平均と、敵う魔物などいないと思えるものだ。イーサは神殺しというステータス上昇スキルを持っていることから、プラス補正を加味しなければ彼女よりも強くなっていたというのに。
「マジかよ……?」
『婿殿、ちいっとばかし危ないようじゃな? 魔物はフェンリルという神格持ちじゃぞ!』
クリエスには魔物の名前すら分からなかったというのに、イーサは狼のような魔物に心当たりがあるらしい。
「フェンリル? 神格持ちってマジか?」
『うむ、准神格という毛が生えたものじゃがな。妾はフェンリルを知っておる……』
かつて戦ったかのような言い方。自信満々なイーサを見ると、迫り来る魔物はフェンリルで確定的である。
『尻穴大辞典で見たぞ!!』
「ああん、信憑性ガタ落ち!!」
まあしかし、その著者もまた逃げているのだ。手練れである彼らが逃げる理由は分が悪いと理解しているからだろう。
「君たち、逃げろ! それか退けぇぇっ!!」
ようやくサソイウケの姿が視認できた。と同時にフェンリルの影が浮かび上がっていく。
大きさは狼の二倍くらい。体躯はそれほどでもなかったけれど、准神格を持っているからだろうか。迫り来る姿には威圧感を覚えている。
「クソッ!!」
フェンリルの突進をクリエスは愛刀で受け止めた。格が劣るとはいえ、勝機は残されているはずと疑わない。
「ヒナは聖域を使ってくれ!」
「承知しました!」
ヒナの聖域さえあれば仲間たちは安全である。彼女は劣化神格ではなく、明確に神格持ちの天使であるのだから。
「准神格とか知るかぁぁっ!!」
受け止めるや、クリエスは愛刀を振る。神格を持たぬ彼であったけれど、今は勇者であるし、彼には神器もある。少なからずダメージを与えられるはずだ。
フェンリルの首筋に切り傷が生まれ、血飛沫が舞う。邪神竜ナーガラージをも斬り裂いた神器ラブボイーンはここでも格の違いを感じさせない。
直ぐさま後退するフェンリル。驚いた表情をしてクリエスを見ている。
「むぅ、まさか私を斬り付ける人族が主人様以外に存在するとは……」
予想はしていたけれど、フェンリルは言語を操る。またフェンリルが語る内容にクリエスはとある予測を立てていた。
「フェンリル、お前の主人はツルオカか?」
返答があるかどうかは分からない。 けれども、クリエスは疑問を解消したいと思う。
どうにも嫌な予感がしていた。ダンジョン化した火口。言葉を操る強大な魔物までオルカプス火山と一致していたからだ。
「ほう、よく知っているな……?」
割と緊張したけれど、フェンリルはクリエスに答えている。期待した回答ではなかったが、どうやらフェンリルは話し合う知性を持ち合わせているらしい。
「如何にも我が主人はツルオカ様だ。私はツルオカ様が復活されるまで、この祠を守護する役目を承っている」
残念ながらクリエスが予想したままである。こうなるとフェンリルを倒さねば火口には近付けない。
「なら、お前はオルカプス火山にいたイフリートって精霊と同格か?」
魔眼が通じないところを見ると明らかに別格である。しかし、ツルオカの目的を探る意味でもクリエスは聞いておかねばならない。
「ふはは、あのような雑魚と比べるな。私は十字芒星陣に配置された中で最も重要なオーブの守護を任されているのだ。イフリートのようなゴミと同列に扱うなよ?」
「十字芒星陣? ってことは、オルカプス火山と同じようなダンジョンコアがあるってのか?」
フェンリルの話には思い当たる節があった。かつてオルカプス火山で読んだ碑文。加えて自身が持つツルオカが使用したという剣。チンチポッポ島が十字芒星陣の一角であるのなら、このダンジョンにはツルオカが生成したオーブがあるはずだ。
「ここまで辿り着いたというのに知らないのか? ここは地平十字の一角。世界には同じような高くそびえる山が存在する。北のデスメタリア山に南のオルカプス火山……」
どうやらクリエスの予想は当たっていたらしい。ツルオカの剣にある紋様も地平十字である。十字の先には薄桃色をした宝石が埋め込まれており、その宝石の地点が世界の四方に配置されたオーブに他ならない。
「そんなこと俺に話しても良かったのか?」
「もちろんだとも。どうせお主はここで死ぬのだ……」
どうやら傷を与えた今もフェンリルは勝利を疑っていないようだ。主人から知らされた事実を敵であるクリエスに話してしまうほどに。
「お前が話せるまともな奴で良かったよ。じゃあ、ついでに教えてくれ。ここに東のオーブがあるならば、西はどこだ?」
「あの世で役立つ情報ではないぞ? 西はタワワ岩礁であり、東のオーブがあるこの島の名は……」
隠すことなくフェンリルは饒舌に語っている。どうやらクリエスたちがいるチンチポッポ島(仮名)には本来の名前があるらしい。
「デカマーラ島だ――――」
「卑猥度が増した!!」
本当の名前であっても大差はなかった。恐らく現在まで語り継がれていないのは、最低な名前すぎて誰も口にしなかったからだろう。
「ま、島名はともかく、お前がまともな敵で良かったよ。苦しむことなく逝かせてやる」
「ふはは! 威勢の良い奴は嫌いじゃない。正々堂々相手をしてやろう!」
最近は変態イカやら変態ウマと戦っていたから、本当に久しぶりだ。まともな受け答えができるだけでも戦いやすかった。
「おええぇぇぇっぷ!!」
再び戦いが始まろうとする中、エルサがイカを産む。
緊張感が台無しである。クリエスは慣れていたけれど、フェンリルは戸惑っているようだ。
「そこのイカを産んだ女よ……」
「私は産んでいない!!」
聖域に守られているからか、エルサは強気に返している。彼女曰く産んでいるのではなく、イカを吐いているだけらしい。
クリエスは小首を傾げていた。どうしてかフェンリルはジッとエルサを見つめていたのだ。加えてフェンリルはエルサに対して呟いている。
「貧乳ラブ……」
「お前も変態かよ!?」
最悪であったが、納得もしている。神獣であるフェンリルがツルオカに与したのは彼の信仰に賛同したからに違いない。
「私は鍛え上げているだけだ! 断じて貧乳ではない!」
「勝ち気なところも好みだ。お前以外を輪廻に送り、このデカマーラ島で私と過ごすのだ!」
謎展開となっている。どうしてかフェンリルの戦う理由が増えていた。
聖域を張り続けるヒナも流石に驚いている。なぜにフェンリルがエルサを求めているのかと。
「だ、駄目です。いけませんわ……」
思わず口を挟むヒナ。流石に主人として従者を守ろうとしているらしい。
「エルサにはクラーケン・ガヌーシャ様がおりますので……」
「お嬢様ァァ、そいつは旦那でも何でもないですから!」
まるで夫婦のように扱われ、声を荒らげるエルサ。どうやらヒナはエルサの貞操を危惧しただけのようだ。
「クック、旦那持ちとか余計に興奮するじゃないか……?」
「犬ころ! 旦那じゃないと言っただろう!?」
クリエスは呆れていた。まともだと考えていたフェンリルであったけれど、例によって例のごとく変態である。貧乳信仰だけでなく、NTR属性まで持ち合わせているなんてと。
対するフェンリルは一人で興奮し、勝手に納得している。今もまだクラーケン・ガヌーシャがエルサの夫であると勘違いしているらしい。
だが、キッと表情を厳しくし、再びクリエスを睨み付ける。
「お主がクラーケン・ガヌーシャだな?」
「俺はイカじゃねぇよ!!」
最悪である。どうしてかクリエスは変態イカだと思われている。
「うるさい、いくぞガヌーシャ!!」
まるで人の話を聞いていない。加えて救いようのない馬鹿である。クリエスは嘆息しつつも愛刀ラブボイーンを抜く。
「ボイウェェェブ!!」
遠隔攻撃を繰り出す。既にダメージが入ることは分かっているのだ。接近戦をする必要などなかった。
「ぐぁあぁああっ!!」
予想通りに魔力刃がフェンリルを捕らえた。斬り落とすまではならなかったけれど、太い足からは血が噴き出している。
「ボイウェエエエブ!!」
手当たり次第に撃ち続ける。正直に圧倒的であった。呪いが解け、勇者となったクリエスの敵ではない感じだ。
神獣がとんでもない馬鹿だと分かった今、この戦いはさっさと終わらせるべきだ。ヒナがレベルアップするために、クリエスはできる限りフェンリルを弱らせておかねばならない。
「ちくしょう、なかなかやるじゃん……」
ところが、流石は神獣であった。ステータスが確認できないだけはある。魂の格だけでなく、その能力も神格に劣らぬものがあるようだ。
「貴様もやるじゃないか。ガヌーシャ!!」
戦闘はまたもや削り合いの様相を呈している。かといって魔王ケンタとの一戦とは異なり、負ける気はしない。クリエスは確固たる自信を根拠にして、愛刀を振り続けていた。
『婿殿、よく考えたらツルオカは神格を持っておらなんだ。犬ころが本当に准神格ならば、真名を看破した可能性が高い』
ふとイーサが話し始めた。終わりの見えない戦いに痺れを切らせたのかもしれない。
「じゃあ、真名が分かれば俺のいうことを聞くってか!?」
『その可能性はあるな。真名さえ分かれば自由自在じゃ。お手とかお座りとか……』
イーサは真名さえ看破すればフェンリルを自在に操れるという。
『 チ ン チ ン とかの!』
「強調すんな!!」
ちくしょうとクリエス。イーサは簡単にいうけれど、真名を看破するのは難しい。言霊というSランクスキルを持つツルオカだから聞き出せたのかもしれない。
「ふはは! 我が真名を知るなど主人様にしか不可能だ! もっとも真名を知られていなくとも、私は同志たる主人様の命令を受けただろうがな」
どうやら本当に真名を看破されたらしい。貧乳信仰の同志たるフェンリルはツルオカと意気投合したとのこと。
「クッソ、無乳好き繋がりとか信じられん。ペタン娘のどこが良いって言うんだ……」
愚痴を漏らすようにクリエス。それはただ彼の嗜好に沿って意見しただけである。
ところが……。
「ワオオオオン!!」
どうしてかフェンリルは遠吠えのような声を上げる。
これには眉根を寄せるしかない。返事をしたようなフェンリルには疑問しか思い浮かばなかった。
「ペタンコ……」
「ワオオオオオン!!」
再び同じ反応がある。クリエスは何やら頭痛を覚えていた。
ふと脳裏によぎったこと。そんなはずがあるわけないと思う。何しろ、かつて世界が生み出した神獣なのだ。絶対にそんなはずはない。
「ペタンコ……」
「ワオオオオオォォン!!」
クリエスは長い息を吐く。どうにも世界が生み出す神格持ちは馬鹿しかいないのだと。
もう既に確定事項であった。無謀かと思われた真名探しから、延々と続く戦いは終わりを告げている。もはやフェンリルに対抗する術はなくなっているのだから。
「おいペタンコ、オーブがある場所まで案内しろ……」
「クッ……流石は勇者。いや主人様……」
やはり真名はペタンコであるようだ。既にフェンリルはクリエスを主人と認めているのだから。
『婿殿、待つのじゃ!』
ここでイーサが口を挟む。都合の良すぎる展開を彼女は疑っているのかもしれない。
『チンチンが先じゃ!』
「黙れよ!!」
クリエスはイーサを無視しようとしたのだが、彼女は面白がってフェンリルへと近付く。
『ペタンコとやら、妾はイーサ・メイテルじゃ。ちょうど愛犬がいなくなって寂しく感じていたのじゃ』
どうやらイーサは王国に置いてきたバターとペタンコを重ねて見ているらしい。彼女は頭にそっと手を伸ばす。
『さ、触れたぞ! 婿殿!?』
准神格持ちであったからだろうか。真名を呼ばれたペタンコはイーサを主人として認め、彼の意志により頭を撫でられている。
イーサは飛び跳ねて喜んでいた。あらゆるものに触れられない霊体。久しぶりの感触を確かめるように、ワシャワシャとペタンコの頭を撫で続けている。
『ヤバい……。ヤバいのじゃ! 妾は本当に……』
イーサは無邪気な笑顔を浮かべていた。彼女の見た目は可憐な少女であり、犬と遊ぶ姿は見る者の心を和ませる。
『妾は再びバター犬を手に入れた!!』
「可憐な少女はどこ!?」
嘆息するクリエス。微笑ましいと感じてしまった自分自身を恥じている。イーサはサキュバスであって、見た目に騙されてはならないのだ。
まあしかし、考えなければならない話である。ペタンコをイーサのペットにするのか、或いはヒナのレベルアップを促進させる贄とするのか。
クリエスは決断を迫られている……。
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