第四章 アストラル世界の命運
第118話 ゴハラ砂漠にて
クリエスは数週間をかけてエルサがいるゴハラ砂漠へと戻っていた。
正直に彼女が心配ではあったものの、戻ってみるとそのような思考は不必要であったと知らされている。
「エルサ様、水くみが完了しました!」
「うむ、女性は洗濯と食事班に分かれろ! 男は周辺警護に当たれ!」
クリエスたちは呆然としている。完全にこの繁殖場を掌握するエルサに。
堪らずクリエスは話しかけていた。クリエスとヒナの帰還にいち早く気付いたキュバスという使役魔に。
「キュバス、これはどういうことだ?」
「クリエス様、実はエルサ様は神と崇められているのです……」
何だかよく分からない返答があった。クリエスたちは夜を徹して戻って来たのだ。エルサを心配するがあまりに。
「マジで言ってんの? エルサさんが神だって?」
「ええ、その通りです。彼女はこのコロニーの救世主。口々に彼女の事を神だと言っております」
キュバスはエルサが神とされた理由を語る。それは単に愛称にも似た言葉であったけれど、エルサが信奉されている事実を肯定するだけだ。
「イカ神さまと――――」
目が点になる。確かにクリエスは食糧危機を乗り越えるために彼女をここへ残した。しかし、神と崇められるまで信仰されるだなんて予想すらしていない。
「イカ神って……」
「あ、クリエス様! エルサがわたくしたちに気付いたみたいですよ!」
信徒たちに手を振りながら、威風堂々とエルサが現れた。彼女はまんざらでもない表情である。
「お嬢様、お待ちしておりました! ってその左足はどうなっているのです!?」
危惧していたままに、エルサはヒナの左足に気がついた。見目麗しい公爵令嬢であるヒナ。聖女とも呼ばれる彼女が隻脚となっているなんてエルサには受け入れ難い。
「エルサ、わたくしたちは魔王と対峙したのですよ? 生きて戻れただけでも幸運であったと考えるべきです」
クリエスに代わってヒナが答えている。クリエスが失態を犯したわけではなく、左足だけで済んだ事実は寧ろ幸運であったのだと。
「しかし、お嬢様……」
「わたくしには羽がありますので問題ありません。それにいつかクリエス様がエクストラヒールによって回復させてくれると話してくれましたから」
ヒナがどこまでも信頼するクリエスという貴族。正直にエルサはまだ信頼しきれていなかったけれど、文句を口にするのは止めている。
「エルサ、その顔はクリエス様に不信感を抱いているみたいですね? 彼は魔王ケンタと戦い勝利した勇者様ですよ?」
続けられた話にエルサは声を失っていた。生きて戻ったことに安堵していた彼女だが、目的を達成したとは露も思わなかったのだ。言葉は悪くとも、逃げ戻ったものとばかり考えていた。
「本当ですか? 世界はようやく救われたのでしょうか?」
返された問いには首を振る。まだ世界は脅威に晒されたままだ。二人の使命はまだ続いている。
「いいえ、未だ世界は存亡の機にあります。邪神の復活を阻止しなければ、アストラル世界に平穏は訪れません」
ヒナの言葉にエルサは嘆息している。魔王を倒したというのに、まだ危機が去っていないなんてと。
「ク、クリエス様!!」
ここで大きな声が響く。その声はクリエスに向けたものであり、聞いたこともない声色である。クリエスが声の方を振り返ると、そこには一人のインキュバス族が現れていた。
「貴方は誰です?」
クリエスが問うとインキュバス族は頭を下げ、自身が何者なのか語り始める。
「私めはインクと申します。誠に遺憾ながら魔王軍の参謀をしておりました。ですが全ては私の独断。インキュバス族は私に従っただけなのです!」
そういえば戦場にインキュバス族がいたように思う。いつの間にか姿が見えなくなっていたけれど、先にゴハラ砂漠へと戻っていたらしい。
「私は如何なる罰も請け負う所存です! どうか同胞たちを見逃してはもらえないでしょうか?」
インクは平身低頭、頭を下げ続けた。
対するクリエスは困惑している。魔王軍が許せないのは確かだが、巨悪を討ったあと残党まで殲滅させるべきか悩まれるところだ。
「インク、どうして魔王ケンタに与した?」
クリエスは問いを返している。理由があって魔王軍の傘下にいたのかどうかと。
「インキュバス族は強くありません。なので我らは砂漠のオアシスで大人しく生きておりました。しかし、突然、魔王候補というケンタウロスが襲ってきたのです。ケンタ様は女を所望されておりましたが、生憎と我らは男しか存在しません。全滅を避けるためには魔王軍に与するしかありませんでした……」
真相は分からない。けれど、魔王候補ケンタが女を求めて動き始めたことは知っている。女性が存在しないインキュバス族はそれだけで魔王候補ケンタの機嫌を損ねたことだろう。
「まあいい。大人しく生きろ。もう二度と悪に与するな。それが条件だ。あと俺たちはもう旅立つ。けれど、救助隊が到着するまで、ここにいる人たちの面倒をみること」
恐らくはもう直ぐ救助隊がやって来る。イカ神様による大量の食糧供給のおかげで、仮に救助隊が遅れたとしても充分持つだろう。
「もちろんです! それで我らインキュバス族を見逃してくれるのでしたら……」
「約束を破らない限りは保証しよう。もしも、一人でも死者が出たというのなら、勇者の名においてインキュバス族は全滅させるからな?」
勇者との話に震え上がるインクだが、あの魔王ケンタと戦い生き抜いた人族である。その言葉が嘘ではないことを誰よりも理解していた。
「おえぇえええっぷぷっ!!」
ここでエルサがまたもイカを産む。空気を読まないのは相変わらずだ。イカの液体を浴びてかなりの時間が経過していたというのに、彼女はまだイカを体内に宿しているらしい。
「エルサ、もうイカは充分なのよ?」
「そう言われましても、お嬢さまって……おえええぇうつつっぷぷ!!」
一度に三匹を産むという荒技を見せるイカ神様。もはや生理現象的にごく自然と産み続けている。
嘆息しつつ、エルサを眺めていると、
「あら? イカ臭いと思って来てみたのだけど……」
上空から声が聞こえた。何事かと視線を上げてみると、そこには豊満な肉体をした女性が浮かんでいる。
「悪魔……?」
黒一色の衣服。漆黒の黒い羽は見覚えがあるものだ。かつてクリエスの使い魔であったチチクリのそれと彼女の羽は酷似していた。
「あら? 悪魔をご存じ? って君は何か懐かしい臭いがするわね?」
やはり悪魔であるらしい。また彼女はクリエスに近寄り、クンクンと臭いを嗅いでいる。何やら懐かしい臭いがするのだと。
「この臭いはグリゴリ様!?」
どうもクリエスの魂に同化したグリゴリを嗅ぎ分けてしまったようだ。その嗅覚にも驚いたけれど、クリエスは彼女の話をチチクリから聞いていたことを思いだしていた。
「テラキャベツ級の悪魔……」
使役するかどうかで悩んでいた頃、決め手となったのが巨乳悪魔の存在であった。名前は確かパリカであったと記憶している。
「やはり君はグリゴリ様に会ったのね? あたしは部下のパリカ。あのエロ……いえ、グリゴリ様は何処にいるの?」
「彼はもういない。俺に全てを捧げてしまったんだ……」
「えっ……ウソ!?」
パリカは愕然としている。上司たるグリゴリ改めチチクリの消失は衝撃的であったようだ。
「いやまさか……。彼は攻撃的な性格ではない。確実に受け身だもの。だとするとこの少年は……? やだ……、あたし分かっちゃったかもしれない!」
独り言のように呟くパリカ。その内容を聞く限り、嫌な予感しかしない。
「君は誘い攻めなのね!?」
「カップリングすなぁぁっ!!」
どうやら変態紳士の部下は変態淑女であったようだ。僅かな会話だけでクリエスとチチクリの関係を穢れたものとしてしまう。
「ええ!? 鬼畜攻めだったの!?」
「ちげぇぇよ!!」
どうにも反応に困る悪魔であった。既に彼女はクリエスとチチクリの関係を決めつけてしまっている。
「そんな……。あたしの属性判定がハズレるだなんて……」
「一歩目から間違ってんだけどな!?」
どれだけ自信があったのだろう。パリカはガクリと肩を落とした。だが、直ぐさまキッと顔を上げ、クリエスを睨み付ける。
「ウソよ! 絶対に君たちは爛れた関係。パンピーは騙せても、あたしは騙されない! 魔界に咲く腐りきった黒薔薇。崇高な二つ名を授かったあたしには分かるわ!」
「折れねぇなぁ……」
もうカップルでもいいような気がした。どうせチチクリはいないのだし、訂正するのにも骨が折れそうなのだ。
「それで腐った黒薔薇はどうして砂漠に現れたんだ?」
悪魔は聖典に記されているほどの巨悪ではない。使役していたクリエスは敵対することなく話を始める。ましてパリカはチチクリの部下だというのだし。
「ええ、あたしはとある書物の編集を手伝っているの。それでこの砂漠から謎のイカ臭さが漂っていたからね。調査に来たってわけよ」
どうやらイカ神様が発するイカ臭の謎を解明しに来たようだ。彼女は世界の謎を解き明かすような書物を制作しているのかもしれない。
「へぇ、悪魔ってのは変わってるな?」
「そりゃそうよ。あたしたちは寿命が途轍もなく長いからね。探究心でもなければ生きるのに疲れちゃうでしょ?」
「まあ、頑張ってくれ。その書物が出版されたら見てみるよ」
パリカはかなりの巨乳であったけれど、クリエスは関わりを持たぬようにと決めた。さっさと別れて、ホリゾンタルエデン教団を追い詰める旅に出なければと思う。
「ええ、是非手に取ってみてね……」
パリカも笑顔を返している。この分だと余計な労力もなく彼女と縁が切れそうであった。
「裏・尻穴大辞典を――――」
一瞬の静寂。パリカが口にした書物。それをクリエスは知っている。しかし、表情に出してはいけない。ここは知らぬ振りをしてスルーすべきところだ。
『なんじゃとぉぉっ!?!』
ここで大声が轟く。そういえばずっと存在を忘れていた。三日三晩寝込むと話していた彼女がようやく目覚めたらしい。
『おい悪魔、詳しく話してみよ!』
次の瞬間には姿まで現れていた。イーサは尻穴大辞典というパワーワードによって目覚めを促されている。クリエスとしては腐った悪魔とは早く別れたかったというのに。
「悪霊……って貴方様はイーサ様!? 我が大師匠様の大ファンであり、自身も尻穴研究の第一人者だという」
「イーサ、お前って有名人なの!? 魔王としてではなく!?」
超展開にクリエスは困惑していた。イーサといえば世界を震撼させた魔王候補である。しかし、第一声が尻穴研究の第一人者だなんてと。
『うむ。妾は尻穴の魅力に取り憑かれし、悲しき尻穴淫魔じゃ。サソイウケ氏は尊敬しておるし、弟子のソウウケ氏の書物も読破した。サソイウケ氏は元気にしておるのかのぉ』
「千年以上前の著者だろ? 流石に……」
『いや、二人とも悪魔じゃし。何事もなければ生きておろう』
どうやら尻穴大辞典に関わる者は全員が悪魔であるようだ。長寿である彼らが記した書物。あらゆる事象に精通している理由が分かったような気がする。
「師匠も大師匠もご存命です。ちょうど北大陸にいらっしゃいますのでお会いになられては?」
『ほう、機会があればお邪魔しよう。今は何の研究をしているのじゃ?』
クリエスを余所に話が進んでいく。クリエスは少しも興味が湧かなかったというのに。
「悪魔的研究が進んでおります。東海にそそり立つ島。かの島の研究に二人して取り組まれておりますね。名もなき島に名前を付けてまで熱心に研究されております」
東海とは北大陸の東側に拡がる大海だ。どうやら悪魔たちはそこにある無人島を研究しているようだ。
「チンチポッポ島の謎を――――」
「ろくでもねぇ島だし!!」
思わずツッコミを入れたクリエスだが、かつての内容を思い返せば予想の範囲内である。かといって、まるで興味を惹かぬ研究に付き合いたくはない。
「何でもチンチポッポ島には千年ほど前から異様な雰囲気があるそうです。その力を解明すれば世界の悲願であるエクストラヒールが完成するかもと大師匠は睨んでいますね」
ここで初めてクリエスの興味を惹く。チンチポッポ島には少しも興味がなかったけれど、エクストラヒールとの話はクリエスが望むことの一つである。
「エクストラヒールってマジか? 俺はその魔法を習得したい」
「大師匠はもうかれこれ千年もエクストラヒールを研究されております。彼は本気であり、必死です。狂気にも似た熱意を感じずにはいられません」
どうやらただの変態悪魔ではないようだ。世界のためにエクストラヒールを編み出そうとしているらしい。
「大師匠は勃起不全ですから……」
「聞きたくない理由だった!!」
そもそも島の名前からして変態なのだ。まともな理由を期待するべきではない。
しかしながら、エクストラヒール。自分のアレのために取り組んでいるのならさぞかし熱心に研究しているはずだ。何の手がかりもなかったことを考えると、前進したといえなくもない。
『カッカ! 相変わらず悪魔は愉快じゃのぅ』
「俺には不愉快にしか思えんがな。しかし、シミツキパンツも悪魔だっただろ? 変態しかいねぇんじゃねぇのか? この感じなら悪魔王サタンってやつもしれてるな」
『婿殿、サタンのやつは熾天使だったらしいぞ? 奴なら悪魔堕ちした現在でも神格を有しておるやもしらん』
ここで妙な話になる。神格はクリエスが求めているものだ。邪神と戦う上で必須となる魂の格。イーサはまるでサタンの魂を取り込んでしまえと言っているかのようだ。
「俺にサタンを倒せってか?」
「だ、駄目ですよ! 何不穏な話をされているんです!? 貴方様ではサタン様の相手になりません!」
パリカが話に割って入る。彼女にとってサタンは神にも等しい存在なのだろう。
「サタン様も鬼畜攻めですから……」
「俺は攻めじゃねぇって言ってんだろ!?」
幾ら否定しようともパリカの中では既に属性が決定しているようだ。鬼畜責めの二人では相容れないという。
「じゃあ、出発しよう。急いでチンチポッポ島に向かうぞ」
クリエスたちは馬車に乗り込む。エルサが御者台に乗って馬に鞭を打つと、徐に馬車は動き始めた。
嘆息するクリエス。その理由は明らかである。どうしてか腐った悪魔まで馬車に乗り込んでいたのだ。
「おい、どうしてお前まで乗っている?」
「いや、悪魔の好奇心が貴方たちから離れるべきでないと訴えておりますので」
貧乳の怨念は消失していたが、未だクリエスには女難が残っている。彼女が同行するのには不安しか覚えない。
「サタン様はともかく、師匠や大師匠の反応も気になりますし。あたしはクリエスさんに着いていきます」
駄目だといっても彼女には羽がある。どうせ着いてくるのなら反論は無駄なことだろう。
「俺は別に悪魔と仲良くするつもりもないけどな……」
「そう言わないでください。我が師ソウウケはとても紳士ですし、大師匠サソイウケだってクリエスさんと仲良くなれるはず」
悪魔が想像よりも人間味があるのは理解している。人柄が良いのであればクリエスとしても拒否する理由はない。
「現在、サソイウケは攻め手を失っておりますが、元々守備(受け)の達人でもありますし……」
「俺はノンケだっつったろ!?」
どこまでも絡ませようとするパリカ。脳内に薔薇が咲き乱れているのかもしれない。
「ガンガン攻めてやってください!」
「話を聞いてぇぇっ!!」
お願いだとクリエスは懇願する。まさか自分が薔薇の一族とされてしまうだなんて考えもしないことだ。
『婿殿、楽しくなってきたのぅ!』
「お前のせいだからな!?」
何だかイーサが増えたような気がする。
とにかくパリカには何を言っても無駄。絡むだけ深みに嵌まるのだから、無視するのが一番だと結論づけている。
一行はゴハラ砂漠を抜け、北大陸の東端へと急ぐのであった……。
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