第109話 心積もり
北大陸の中央に国土を構えるアルテシオ帝国。ディーテ神からの神託によって魔王候補の誕生は知っていたけれど、帝国は今まさに魔王候補ケンタの猛攻を受けていた。
「皇帝陛下、もはや魔王軍の勢いを止める手立てはありません。東の重要拠点であるクラガ砦も敢えなく陥落した模様です」
兵からの報告を受けたアルテシオ皇帝は長い息を吐いた。東の砦クラガは第一防衛線として築かれた砦であり、南北に長い防護壁が設置されている。デスメタリア山付近に住む魔族の侵攻を想定して築かれていたのだが、魔王軍には何の役にも立たなかったらしい。
「父上、俺が前線に赴きます。多少は兵の士気が上がるはず」
「ならぬぞ、ロベール。魔王軍はお前が考えるほど柔な存在ではない!」
「しかし、このままでは帝都ラベンズリまで幾ばくもかかりませぬ! せめて民が避難する時間を稼ぎたく存じます!」
ロベールは皇位継承権第二位の王子である。かつては民について軽んじていた彼もヒナに激怒された結果、考えを改めていた。
「成長したな、ロベール。覚悟は決まっておるのか?」
「当然です! 生きてラベンズリに戻ろうなどと考えておりません!」
勇敢な台詞が返ってきた。しかし、アルテシオ皇帝としては望ましいものではなく、ただ民のために果てようとする愛息が不憫でならなく思う。
「ロベール、神託によると救世主が南大陸に現れたそうだ。かの救世主は邪神竜という神格を叩き斬ったという。また救世主は北大陸へ向かったとの話もある。もう少し待ってみないか?」
アルテシオ皇帝は宥めるように話す。伝え聞いた話によると世界に救世主が現れたらしい。聖都ネオシュバルツでは既に救世主に対して祈りが捧げられており、帝国もそれに習って女神ディーテと併せて救世主の奮闘を祈り続けていた。
「父上、ご神託があれど、救世主が明日到着するとは決まっておりません。いち早く民の避難を指示してください。俺は東の街キュリオへと向かいます。かの魔王はそこで足止めいたしますから」
ロベールは勇ましく答えた。既に待つ時間は過ぎ去っているのだと。国どころか世界が破滅に向かっている状況で祈るだけだなんて我慢ならないといった風に。
「そうか。ならばロベール、帝国を救って見せよ。救世主の到着まで持ち堪えて見せよ。我は其方の父であることを誇りに思う」
どうやらアルテシオ皇帝も覚悟を決められたらしい。出兵するというロベールに対して、もう反論は口を衝かない。
皇帝陛下も分かっていた。現状が自己保身的な状況ではないこと。世界の危機であり、住人の一人一人ができることを成すしかないのだと。
謁見の間にアルテシオ皇帝の号令が響く。この世界を救うという決意と覚悟を乗せて。
「兵たちよ、奮起せよ! 魔王軍を返り討ちにしてやるのだ!――――」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
クリエスたちはようやくと北大陸にやって来た。しかし、聞いていたように港町は無惨にも破壊され、人っ子一人存在していない。
「マジか。とりあえず食糧を探そう……」
一応は買いだめしていたけれど、女神たち曰く北大陸の南東部は既に壊滅しているとのこと。今後も食糧が手に入る可能性は低く、干物やパンといった食べられそうなものを集めておくべきだ。
「何もねぇな……」
ナーガラージによって焼き尽くされた街よりはマシであったものの、巨大な蛇が這ったように街は押し潰されており、食べられそうなものは見つけられない。
「クリエス様!」
そんなときヒナが声を上げる。何か食べ物を見つけたのかもしれない。
「食糧対策ならあれしかないのでは?」
言ってヒナが指さす。クリエスが視線を動かすと、
「おえぇぇぇぇえええぇぇっっぷ!!」
イカを産むエルサの姿。今も絶えずイカを産み続ける彼女を食糧問題の解決策にしようと考えているのかもしれない。
「えっと、流石になぁ……」
クリエスは苦笑いを返す。流石に女性が吐いたものを食べられないのだと。
「確かに躊躇いはありますよね。わたくしが浅はかでした……」
ヒナは反発することなく同意している。此度はデレているかのように。
「エルサの子供を食べるとか……」
「お嬢様、断じて子供ではありません!!」
即座にエルサのツッコミがある。決して産んでいるのではないのだと。
「おうぇぇえええぇぇっぷ……」
興奮するとまたもや出産である。彼女の足下には上陸して間もないというのにイカの山ができていた。
「ま、とりあえず干物にしてみるか。いざとなれば食べるしかない……」
エルサが子供ではないというのなら、万が一の食糧にするしかない。クリエスは棒切れに紐を括り付け、イカを干し始めた。それを馬車の後部にぶら下げて乾燥させることに。
「とりあえず出発しよう。魔王候補ケンタは西へ向かっているらしい。既にアルテシオ帝国へと入ったと聞いている。聖都まで侵攻されては厄介だ。必ず帝国内で仕留めるぞ」
クリエスは言った。ディーテ教の総本山がある聖都ネオシュバルツまで侵攻させてはならないのだと。ディーテ教の求心力が低下することは更なる世界の混乱に繋がる。加えて魔王候補ケンタが魔王化するまでに討伐しなければならないのだ。
『婿殿、女神相手に策を見抜かれたようじゃが、どうするつもりじゃ?』
イーサが問う。どうやら女神たちだけでなく、彼女もそれとなく察している感じだ。気付いていないのはヒナとエルサだけのよう。
「どうするもこうするもねぇよ。俺は与えられた使命を全うするだけだ」
『なるほどの。まあでも、妾は婿殿に生きて欲しいと考えておる。早まった真似はするな』
やはりイーサは察知していた。クリエスが何をしようとしているかについて。
イーサの話に反応したのはヒナである。早まるなという内容は彼女としても看過できるものではない。
「クリエス様、もしかして天に還るおつもりなのでしょうか?」
この時点で早まるだなんて、死を決めたとしか思えない。ヒナとクリエスは天界での約束を果たしたばかり。よってヒナは首を振るしかない。
「もしものときだよ。まあでも、魔王候補ケンタについてじゃない。魔王候補は別に神格持ちじゃねぇし。問題はその先だ。もし仮に復活してしまったときのこと……」
その先と言われて思いつくものは邪神として復活を目論むツルオカしかいない。確かに邪神であれば神格持ちとなるし、クリエスでは歯が立たない存在であろう。
「ヒナとは違って、俺はAランクジョブでしかない……」
クリエスは告げていく。決意に至る結論がなんであるのかを。
「俺はただのクレリックだ――――」
邪神竜ナーガラージを討伐したというのに、クリエスはクレリックのままだ。やはりこの現状には落胆したし、世界という存在の期待が伺い知れた。
一方でヒナはSSランクという人外の域に達している。天界では期待されていたクリエスであるけれど、現在における優劣判断は明らかだ。その判定に従い、クリエスは自身とヒナとの優先順位を付けただけである。
「いや、クリエス様は邪神竜さえも討ったではありませんか!?」
薄々とヒナも勘付いている。なぜなら、彼女自身が強いられていたことだ。それは他方を犠牲にして有力な者を生かすという無慈悲な作戦そのものであった。
「いや、あれは神器のおかげだ。邪神竜と邪神は明確に異なる。ディーテ様たちの動きを見ていても分かるだろう? 邪神は復活させたら終わり。より格上の神に違いない。だから、もしも最後の場面において、ツルオカの復活を阻止できなかったとすれば……」
ヒナの説得にも似た話だが、クリエスは首を振った。もう決めたこと。世界を救うという至上命令を遂げる唯一の方策なのだと。
「ヒナは俺を斬れ――――」
絶句するヒナ。クリエスと合流する前の自分自身が彷彿と蘇っている。大して時間が経過したわけでもなかったというのに、どうしてか立場が逆転していた。
「クリエス様、何を……?」
「俺は一応、邪神竜の魂強度を奪っている。俺の魂強度をヒナが奪ったならば、天使よりも先の存在に到達できるかもしれない。また俺のレベルは1985。制約を遂げるには絶好の相手だ。ヒナが魔王候補にとどめを刺し、更には俺を斬ったならば恐らく制約に足るだろう」
淡々と告げられてしまう。ヒナの想いなど気にすることなく。
「邪神は任せた……」
最後には聞きたくない言葉が続けられた。任せただなんて話は本当に望んでいない。その世界にはもうクリエスがいないことを意味したから。
呆然と頭を振る。ヒナの桃色をした髪がふわりと宙を舞った。
約束を遂げることだけを目標としてきた彼女だが、幸せを手に入れてしまった現状においてはその先を夢見ていたというのに。
「クリエス様、貴方様は何と惨いことを仰るのでしょうか……?」
ヒナは何とか言葉にする。彼が思い直してくれるようにと。
「世界を救う覚悟は理解しております。わたくしもそうでしたから。わたくしの命と引き換えにして世界が何を得るのか。考えた末にわたくしも犠牲を厭わなくなっていました」
語られていくのは経験談である。しかし、覚悟を決めるのに過程は問題とならないはずだ。得られる結果だけが、覚悟へと導くのだから。
「貴方様にこの命を託そうと思いました。しかし、わたくしは貴方様に救われております。素直に言葉とするのはどうにも難しいのですけれど、貴方様のおかげで、現在のわたくしは幸せであります」
ヒナは生かされたことに感謝している。こんな今はクリエスが邪神竜ナーガラージを討伐してくれなければ絶対に存在しない時間なのだ。
「ならば、わたくしは同じようにしてあげられると考えます。貴方様が窮地に陥ったとき。わたくしは沈み込んだ心を澱みから掬ってあげられるはず。心に安らぎを与えられるでしょう。果てには前を向く力を……」
言ってヒナはブラウスのボタンを一つ二つと外していく。
彼に見えるように。彼が望んだものがここにあると知らしめるように。
「どうでしょう? もしもお気に召さないのであれば仕方ありません。仮にそうであれば、わたくしにはもうクリエス様を思い留まらせることなどできないのでしょうね」
一方でクリエスはガン見している。下着姿となったヒナを初めて目にしたのだ。
想像を絶する成長がそこにあった。天界からこの今まで願っていたままの果実が収穫時期を待っているかのようだ。
「ヒナ……?」
「わたくしは公爵令嬢です。よって婚前交渉は御法度。もしもクリエス様が望まれるのでしたら、世界を救ったあとにでもいかがでしょう?」
クリエスは苦笑いだ。こんなにも上手く操られてしまうなんてと。
生きる意欲とも言うべき性欲が無限大である。イーサが堪えられるか分からないほど、クリエスは精気に満ちていた。
「ヒナ、もうその果実をしまえよ。俺が爆発してしまう前に……」
前世からの願いは今も変わらず巨乳な彼女を手に入れることだ。よって現状のヒナを誰にも奪われたくないと思う。
「俺はもう無茶を言わん。だから約束してくれ。完熟したその果実は俺のものだと」
クリエスの返答には笑みが返されている。だが、それはヒナ自身も望む未来だ。従って更なる返答に悩む時間などなかった。
「元より、わたくしは貴方様に決めております」
クリエスに力が湧いてきた。世界を救った報酬として最高のものが用意されるのだ。魔王だろうが邪神だろうがその希望を断ち切らせてはならないと思う。
ところが、甘い話は長く続かなかった。
「全て嘘ですわ! 別にわたくしの本心ではありませんの! 服を脱いだのは、からかっただけですからね!?」
ここでツン成分が露わになるが、クリエスは笑みを浮かべたままだ。彼女の本心を知れたのだ。天の邪鬼な言葉の裏こそがヒナの心に違いない。
「しゃーねぇ。なら俺は邪神とやらをぶった切るしかねぇな……」
紛い物の神である邪神竜とは明らかに異なるはずだ。よってクリエスは過度に気弱な思考をしていたのだが、やはり生の先に希望があるならば、それを手に入れたいと願う。
「ヒナ、前言撤回だ。全て俺に任せておけ。魔王や邪神だけでなく……」
不敵な笑みを浮かべたクリエス。彼はもう前しか向いていない。
「天の邪鬼な巨乳退治もしねぇとなぁ――――」
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