第108話 最低な計画
衝撃の告白を受けたクリエスとヒナ。どう返して良いのか分からなかった。気の毒としか言いようのない事態に慰めの言葉など見つからない。
「ううっ……!? ま、また!?」
「産気付いたのですか!?」
口を押さえて苦しみ出すエルサ。何とかしてあげたいけれど、産気にヒールが有効かどうかが分からない。治療院で働いていたクリエスであったけれど、男性の患者しか診てこなかったのだ。
このあと予想もしない事態となる。
「おぇぇえええぇえぇぇっっ!!」
嘔吐したのかと思えば、エルサの口からイカが産まれた。一匹、二匹と彼女は口からイカを吐き出している。
「えぇ……?」
困惑するクリエス。自身が考えていた産み方とまるで異なっている。この様子には流石にヒナも唖然と口を開いたままだ。
『婿殿、あれだけ大量の液体を浴びたのじゃ。この娘はしばらくイカを産み続けるじゃろう』
「いや、口から産むものなのかよ!?」
どうにも戸惑ってしまう。確かに全身に浴びたけれど、どうして口から出てくるのかと。
『尻穴大辞典によると、クラーケン・ガヌーシャの液に含まれるアレは身体中のあらゆる穴から侵入し、最終的に胃を目指すらしい。そこで一匹ずつ成長し、ある程度の大きさになると吐き出させるという。目玉だろうが毛穴だろうが、どこからでも侵入してくるようじゃ』
とても信じられない生態であるが、今まさに目撃しているのだ。アカシックレコードこと尻穴大辞典を信頼するしかなさそうである。
「おえぇぇぇええぇっぷ!!」
こうしている間にもエルサはイカを産み続けている。どうしようかと思うも、クリエスには見守ることしかできなかった。
「しかし、俺は何ともないぞ? 胃で育つなら俺も産みそうじゃないか?」
『そこが謎なんじゃ。あらゆる穴から侵入するのじゃが、どうしてかオスでは途端に死んでしまうらしい。そもそも生態自体が謎の生物じゃしなぁ』
どうやらエルサだけの罰ゲームであるようだ。同じように全身に浴びたクリエスは何ともないというのに。
『ま、良いこともあるのじゃ。感染者は産みきるまで腹が減らんと載っておった!』
「ささやかだなぁ……」
胃の中で育つ個体をそのまま消化するのかもしれない。元がアノ液体であるのだから、嬉しくはないし気持ち悪いだけである。
「とりあえず俺も海に飛び込むか……」
流石に身体が気持ち悪かったので、クリエスも海へと入った。イカ墨ならばまだしも、全身に浴びたのはイカ培養液なのだから。
「船の中はどうすっかな……」
船の中にも溢れんばかりに満たされている。ヒナが乗ると危険な状態だ。彼女にまでイカを産ませるわけにはならない。
「そいや生き物はアイテムボックスに入らないんだったな」
アノ液体も生き物だろうと、クリエスは小船を収納。するとバサっと液体のみが海へと落ちた。考えるのも嫌であったが、やはりイカの液体は生き物であったらしい。
「エルサさん、綺麗な場所まで泳ぎましょう。そこで船を出します!」
一応は海中に一度船を出してから、再び収納している。少しですら液体を残してはならないのだと。
何度か洗ったあと、クリエスは小船を海に浮かべた。恐る恐るヒナが降りたあと、クリエスも船へと上がる。
「何で私がこんな目に……。って、うおっぷっっ!!」
今もイカを産み続けるエルサが気の毒である。イーサ曰くしばらく産み続けることになるようだ。
「エルサ、もうイカは充分よ?」
「容赦ねぇな!?」
ツンなのかデレなのか、或いは素なのかもしれない。イカの液体に侵されたエルサは何も悪くなかったというのに。
「お嬢様、おえぇぇっっぷっっ!!」
「困りましたわね。このイカって食べられるのかしら?」
「いや、それ以前の問題だからな!?」
一応はエルサの子供である。元気に泳ぎ去っていくものと、小船に残っているものがいた。
『割と美味いらしいのじゃ!』
「俺は食う気ねぇよ!」
原料を知っているし、何よりエルサが産んだものだ。美味しく食べられる気はしない。
「とりあえず、ヒナはあのイカゾンビを倒せ。エルサさんが、イカを産み続けるのは仕方ないし」
「気が引けますわね……」
やはり従者が心配なのだろう。ツンだろうがデレだろうがヒナは心優しい女性である。
「エルサの旦那様を倒すなんて……」
「それ死体蹴りだからな!?」
どうやらエルサの旦那を殺めるのに躊躇っただけのようだ。元よりエルサは触れることなく孕まされていたというのに。
「お嬢様、ひと思いにやってください! あのイカを許してはなりませ……うえぇぇぇええっっぷ!」
再び出産。まあしかし、ヒナにもエルサの怒りは伝わっている。手加減の必要はない。自身のレベルアップを最優先に考えるべきなのだと。
「セイクリッドフレアァァッ!」
天使に昇格したヒナのセイクリッドフレア。目が眩むほどの輝きを伴いながら撃ち出されている。クリエスの命令通りに少しも動かないクラーケン・ガヌーシャはもはや的でしかない。
巨体故に輪廻へと還すまで数発を要したけれど、それでもヒナはクラーケン・ガヌーシャのゾンビ体を討伐できていた。
『レベルが1285となりました』
待望のレベルアップ。ディーテから聞いた話によると、制約を満たすには確かレベル1200が条件であったはず。従ってヒナはあと五ヶ月を残した状況にて制約を遂げたことになる。
喜々としてステータスを確認する。体力値が200を超えたのかどうかを。
【名前】ヒナ・テオドール
【種別】人族
【年齢】17
【ジョブ】天使
【属性】光・火
【レベル】1285
【体力】138(+27)
【魔力】1295(+259)
【戦闘】172(+120)
【知恵】1230(+246)
【俊敏】335(+67)
【信仰】1787(+357)
【魅力】1042(+208)
【幸運】590(+118)
「えっ……?」
ヒナは声を失っていた。どうしてか体力値は18しか上がっていなかった。レベルが280上がったので割合で計算すると28プラスされるはずなのに。
「そういえば……」
よくよく考えると前回のレベルアップ時もおかしかった。レベル1005に上がったとき、素の体力値は120しかなかったのだ。仮にレベル10につき1上がっていたとすれば、レベル1000の時点で補正値を除いた数値は150でなければならない。体力値170+補正値34が最低のクリア基準であったのだから。
「ジョブ天使はレベルアップ15につき1しか上がっていない?」
原因は明らかであった。天使にジョブチェンジしたことで、体力値の上昇が更に鈍化したということ。前回はレベルが700も上がるという異常な状況であり、ディーテから聞いたレベル1200という目標に近付いたと歓喜するだけであったのだ。あの頃から成長が鈍化していたなんて考えもしていない。
「そんな……」
割合で考えるとレベル1965が最低ラインとなる。強者と戦う術がアンデッド特化であるヒナにとって、それは途方もない数字であった。
愕然とするヒナに、クリエスが小首を傾げている。
「ヒナ、どうした? 制約はクリアできたのか?」
クリエスの問いに対してヒナは静かに首を振るだけ。現状の彼女にはツン成分もデレ成分も感じられない。
「どうしてだ? レベル1200くらいは超えただろ?」
確かに基準としていたレベル1200は超えた。しかし、肝心の体力値は目標に達していない。協力してくれたクリエスに対する返答は口を衝かなかった。
「おいシル、応答しろ。ディーテ様と繋いでくれ……」
ヒナが何も答えないからか、クリエスはシルアンナに連絡を取った。ヒナがこんなにも落胆している理由を彼女の主神から聞きだそうとして。
しばらく待っていると、
【寵愛通信】シルアンナ
いつものように通信が始まる。だが、此度は脳裏にではなく、海上に彼女たちは降臨していた。
「ディーテ様……」
現れた主神の姿にヒナが声を上げる。
縋るような弱々しい瞳。その目は使徒というより、救いを求める熱心な信徒と呼ぶべきものであった。
「ヒナ、貴方は間違っておりません。強くありなさい。例のないジョブ[天使]になったことを後悔してはなりません。貴方は天使に昇華したからこそ、ここにいるのです。寧ろ感謝をし、世界を受け入れてください」
ディーテはまず心の持ちようを口にする。今もまだヒナが生きているのは天使に昇華したからこそだと。
「計算上ではレベル1965が制約を満たすライン。しかし、途方もない数字です。あらゆる世界を鑑みても、僅かな人数しか達成できていないものです。さりとて目指すしかありません。この先もどうせ力が必要なのです。レベルアップが必要なのは変わりありませんので前向きに捉えるよう願います。それに絶望することはありませんよ? なぜならクリエス君は既にそこへ到達した一人ですから。彼が側にいる限り、不可能ではないと考えます」
ディーテの話はヒナを落ち着かせた。確かにクリエスの存在が大きい。何も一人で戦う必要はなかった。
「クリエス様は災禍級ですよね?」
「ええ、その通りです。だから気に病む必要はありません。これからも努力し続けてください」
実際に成し遂げた者の存在はヒナに安堵感を覚えさせた。荒唐無稽な目標にも思えたけれど、ちゃんと現実味があるのだと。
『女神とやら、妾は少し文句があるのじゃ……』
どうしてか、ここでイーサが話に割り込んでいる。教会にはついてこない彼女。恐らくディーテとは初対面であるはずだ。
「ふふ、イーサ・メイテル。千年前は苦労させられました。ワタシも貴方には言っておきたいことが山ほどあります」
睨み合うような両者。千年前の災禍にて敵対していた二人は互いをよく思っていないのだろう。
『ツルオカについては神々の失態じゃろう? それを婿殿と娘ッ子に丸投げするとかどうなっている? 全て天界で処理せよ!』
イーサは忌憚ない意見を述べる。そもそもサキュバス族である彼女は女神に対する信仰心が薄かった。
「全ては貴方たちが暴れ回ったからでしょう? ワタシたちは魂の管理が業務なのです。その業務を円滑に行うため、世界の安寧に努めておるのですから。そもそも世界に介入する権利を殆ど与えられておりません。ワタシたちは世界を誘うことくらい。使徒を送り、世界のバランスを調整する薬師のようなものなのですからね」
毅然と返すディーテ。失態であったのは本人も認めるところだが、現状はできる限りを尽くした結果なのだと。
『妾たち住人は自由じゃ。駄肉のやつも目的があっただけのこと。世界のことを考えて、いちいち行動せんよ』
イーサもまた折れることなく返す。全ては女神のせいであって、自分たちのせいではないと言いたげである。
『貴様たちの命令や指示を聞くまでもない。妾は自分のケツくらい拭けるのじゃ……』
イーサは言った。終末世界においてすべきこと。彼女も覚悟を決めているかのように。
『尻穴大辞典に誓ってな!!』
「もっとマシな物に誓えよ!?」
思わず突っ込んだクリエス。まあしかし、彼女にとってのバイブルは尻穴大辞典である。神に誓うのと同義なのかもしれない。
「ま、まあ、イーサは原因ではありますけど、俺の命令は聞いてくれますし、話せば分かる人です。少し変態なだけで……」
どうしてかクリエスは悪霊の側についている。自身を弱体化させている原因のフォローに回っていた。
「クリエス君、今となっては君だけが頼りです。今更ヒナを失うわけにはなりません。再召喚し、育成する時間が残されていないのですよ。苦労をかけますが、ヒナをよろしくお願いします」
「もちろんです。彼女がいるから俺は頑張れた。ヒナこそが全てだと断言できる。だから彼女の存在を失うなんて選択はあり得ません」
クリエスもまた確固たる意思をぶつけている。
「俺には世界よりもヒナが必要だ……」
その台詞は明確に女神の意思と異なっている。彼はたった一人のために、転生したわけではなかったというのに。
「クリエス様……」
頬を染めるヒナ。彼が間違っているのは明らかであったものの、本心を言えば嬉しくて堪らない。加えて、そこはかとない安堵感を覚えていた。
「ディーテ様、俺自身は死のうが構わない。必ずや世界を守ると誓います。だから、俺の無茶はご容赦願います……」
この先にあるクリエスの行動。許しを請う内容は彼が世界のことよりヒナを優先すると考えられるものであった。
静かに頷くディーテは受け入れた感じだ。自身の失態を丸投げしたクリエスに彼女は任せるつもりらしい。
「如何様にも。貴方が世界を救ってくれるのでしたら、ワタシは過程を問いません。ただし、誓ってください」
ディーテはクリエスの意思に同意し、最後に希望を伝えた。
「貴方自身も幸せになるのだと――――」
どう考えてもクリエスの話は最悪の状況を連想させてしまう。彼が最後に何をするつもりなのか。ディーテには薄々と感じられている。
「愛しき女神様。申し訳ありませんが、その約束はできません。ですが、結果的に世界を救うことだけは約束致します。また俺はそれを成し遂げられる……」
ディーテは溜め息を吐いた。やはり危惧したことを考えているのだと。この場にいるシルアンナでさえ気付かぬこと。クリエスはヒナの手によって世界を救おうと考えているはずだ。
「クリエス君、貴方も愛すべき世界の住人です。自身の幸せを優先しても構わないのですよ?」
説得を試みるようなディーテであったけれど、残念ながらクリエスは首を振る。
「俺は聖職者です。更には使徒でもある。二度目の人生を与えてくれましたこと、本当に感謝しております」
普段のクリエスからは考えられないような台詞。ディーテの後ろにいたシルアンナも流石に勘付いている。
「クリエス、貴方何をするつもりなの!?」
どうにも悪い予感しかしない。今の彼は希望も何もないような目をしているのだから。
「シル、以前にいったよな? 俺が輪廻に還ったら、ちゃんと保護してくれ。邪神竜を倒したんだ。構わねぇだろ?」
シルアンナは首を振る。確かに天使として働いて欲しいと伝えた。またクリエスにはそうするだけの実績もある。しかし、今はまだその時ではないと思う。
「あんたねぇ、他にも手があるはず。もう一回海に入って頭を冷やしたら?」
どうやらシルアンナも彼が取る行動を推し量れたようだ。ヒナを生かして世界を救う。その過程は多く存在しない。
「ま、足掻けるだけは足掻くよ。俺が考えているのは本当に最後のこと。心配すんな」
「分かってるならいいのよ。もっと良い選択があるはずだからね……?」
言ってアストラル世界に立つ二柱の女神が淡く消えゆく。女神たちはまだクリエスの最低な計画を考え改めさせることができていないというのに……。
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