第104話 聖域

 北大陸の中央部。ゴハラ砂漠から少し西へ向かった谷間に集落が存在していた。


 ここは楽園と呼ばれるホリゾンタルエデン教団の隠れ里。ペターパイ教皇より魔王候補の動向を探れと指示されていたアリス・バーランドはここを本拠地としていた。


「セイジョ様、北大陸の南東部は完全に魔王候補の手に落ちました」

「そう、いよいよ西側へと侵攻するのかしら? それとも南大陸へ?」


 アリスは困り果てていた。ペターパイ教皇から預かった僧兵は随分と目減りしている。このままでは里に戻れない。教団の計画を台無しにした自分が許されるとは思えなかった。


「やはりサンドワームが厄介なの?」


「正直に参謀っぽいインキュバス族以外は災厄レベルです。巨大なサンドワームは五体に増えておりますし、魔王候補ケンタには物理攻撃が少しも効いていない様子なのです」


 正直に人の手に余る敵であった。通常のケンタウロス族であれば、何とかなったかもしれないが、魔王候補ケンタは竜種かと見紛うほどの巨躯であったのだから。


「ならば聖域[地平の楽園]へと向かいましょう――――」


 ふと告げられたのは彼らの教団名。しかしながら、アリスが口にしたのはホリゾンタルエデン教団の別名ではない。


「まさか邪神ツルオカ様を復活させるおつもりでしょうか!? まだ贄が足りないと聞いております!」


 僧兵は反対であるようだ。アリスが語ったことはまだ時期尚早なのだと。


「私は教皇様に全権を任されているのよ? それに最悪の結果しか残していない私たちは里に戻ったとして、奴隷落ちは避けられない」


 アリスの説明にようやく僧兵も理解したようだ。このままでは結果が見えている。非情な命令を平然と下すペターパイ教皇が大失態を犯した者たちを許すはずもないのだと。


「直ぐに兵を掻き集めます。準備が整い次第、聖域へと向かいましょう」


 僧兵も腹を括ったらしい。どうせ死ぬしかないのであれば、生存可能性にかけるべきだと。魔王候補の相手には邪神こそが相応しいと理解したようだ。


 ここに来て窮地に立たされたホリゾンタルエデン教団。追い詰められたネズミは果たして強大な敵に噛みつけるのだろうか……。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ダリスを発ったクリエスたち一行。約一ヶ月という期間を経て、港町プルネアの直ぐ近くまで到着していた。


 道中はずっとエルサが御者台におり、クリエスはというと真・尻穴大辞典をイーサに読み聞かせるという残念な役割を請け負っている。


『婿殿、次のページじゃ! 早く!』


 イーサは本当に尻穴大辞典が気に入っているようで、ページを捲る役目のクリエスを急かした。彼女は霊体であって物に触れられないのだから仕方ないけれど、クリエスは必要のない無駄な情報を強制的に知らされていた。


「尻穴にこれだけの分類が必要なのか?」


『当たり前じゃろう! ボーイズラブ道は奥が深いのじゃ! 尻穴だけにな!』


 何度聞かされた台詞であろうか。クリエスは嘆息しながら真・尻穴大辞典を捲っていた。


「つまらないですわ……」


 向かい側に座るヒナがポツリ。薄い目をしてクリエスを見ている。彼女はリング(絶)の効果に抗った結果、ツンデレという属性になっていたのだ。放置すると拗ねて、相手をすると冷たく接するという面倒臭い性格に変貌している。


「クリエス様が相手をしてくれません……」

「じゃあ、ヒナもこっち側に来いよ?」


「べ、別に隣へ座りたいわけではないのですからね!?」


 いつもこんな感じだ。最初は可愛いと考えていたものの、既に疲れ果てている。長旅の間、ずっとこのような反応なのだ。

 早くレベル2000に到達して、指輪を外したい。今更ながらにミアの心情が推し量れていた。


「まあ、そういうな。こっちへ来いよ?」

「し、仕方ないですわね。でも、クリエス様が仰るから、そちら側に座るのではございませんからね!!」


 長い息を吐きながら、クリエスは真・尻穴大辞典のページを捲る。すると尻穴ではない表題が目に入った。


『四大隆起の謎』


 明らかに尻穴ではない。しかしながら、卑猥な感じである。基本的に男と男の情事について記されるそれに過度な期待は持てそうにもない。


『アストラル世界には四つの大いなる山がそびえ立つ。北にあるのはデスメタリア山。南にあるのはオルカプス火山。加えて東の海に浮かぶ無人島と西端にある岩礁の一部がそれである。師であるサソイウケの調査によると、これらの山はディーテ神を表しているらしい』


 少しばかり興味を惹く話であった。ディーテの胸について書かれているのなら、クリエスにとって重要な内容。たとえそれが自然が生み出したる絶景であろうと。


「クリエス様、もう少しくっつきすぎでしょうか? でも、少し寒く感じますし、仕方ありませんよね……?」

 せっかく興味が湧く記事だというのに、唐突にヒナのツンモードがデレモードへと切り替わった。ツンモードよりも嬉しいモードなのだが、性欲が無限大に増大するクリエスにとっては苦行でもある。


「ヒナ、四大隆起って知ってるか?」


 咄嗟に話題を変える。常にイーサが精気を吸い取ってくれているのだが、ボディータッチは流石にヤバい。仮に性欲がイーサの許容量を超えてしまったとすれば、クリエスは間違いなくヒナに襲いかかってしまうだろう。


「え? デスメタリア山のことでしょうか? 知っていてもクリエス様に教える義理はないのですけれど、わたくしとクリエス様の仲ですし、どうしてもというのなら……」


 デレモードではあっても、とにかく面倒なのが現在のヒナだ。さりとて知識として持っているのなら、クリエスは彼女の話を聞きたいと思う。


「どうしてもだ。ヒナ、教えてくれ……」


 ジッと見つめるとヒナの顔が激しく紅潮する。やはりデレモードのヒナはツンモードよりも幾分か扱いやすい。


「す、凄い破壊力ですわ……。本当にクリエス様は仕方がないですわね。四大隆起は別名聖山と呼ばれております。まあしかし、かつて魔王候補が発生したりもしておりますので、魔山とも呼ばれます。デスメタリア山とオルカプス火山以外は島ですので詳しくは分かっておりません」


 どうやら真・尻穴大辞典に嘘はないようである。ならばとクリエスは読み進めていく。


『師の研究から私は理解した。東西南北の山々がこの世界の核であることを。全ての山が竜脈の上にあり、膨大な魔素を吐き続けている。人々や魔物の生息に必須である魔素。やはり、これらの隆起はディーテ神にたとえられるだけはある』


 続けられた内容は四大隆起の全てが世界の営みであるという話。高濃度の魔素は人に悪影響を与えるけれど、少なからず人は魔素を消費して生きているのだ。


『ふと気付いたことがある。探究心の権化である我々編集部員は疑問を調査しなければならない。四大隆起を線で結んだとしたら。それは十字となる。ならばクロスした地点に何があるのかと』


 ここで話題が転換する。著者ソウウケ氏はなにげに四大隆起を線で結んだという。その中心地に何があるのか疑問に感じたらしい。


『気になった私は調査隊を結成し、その地点へと向かった。北大陸の最南端にある岩山。特筆すべき内容を持たない岩山であったはずが、クロスポイントに広域結界が張られていることを突き止めている』


 イーサの死よりもあとに記された本。それによると北大陸の南端にある岩山に結界が張られているという。


『謎を解明すべく結界の解除に乗り出したのだが、どうして結界は強固なものであった。結局我々は一枚目の結界を解除しただけで挫折することになる。しかし、二枚目の結界内に小さな祠があることだけは確認できた。恐らく何かが祀られているのだろう』


 正直にクリエスは嫌な予感を覚えていた。図解説明で結ばれた四大隆起の絵。それはかつて使用していたツルオカの剣にある文様と合致していたからだ。


 ページの最後に記されていたのは内部の結界についてである。


『内部の結界には文字が記されていた。古代文字ではなく、現代文字。我々にも読めたのだが理解をできたとは言い難い』


 記される文言。結界にあった文字についての詳細が記されていた。


『ここは地平の楽園――――』


 既に確信している。クリエスは最後の文字を見るや、イーサと視線を合わす。


「おいイーサ……」

『うむ、これは間違いなくツルオカの仕業じゃな。奴は十字芒星陣が発する力をその祠に集めようとしているのじゃろう……』


 どうやらイーサも同意見であるようだ。ここまで知った内容を鑑みると、ツルオカの思惑が見えてくる。


『巨チンとして復活するつもりじゃ……』

「邪神だからな!?」


 クリエスのツッコミにイーサはそうじゃったと話す。隙あらばサキュバス成分を出してくるのは相変わらずだ。


「クリエス様……?」


 流石にヒナも気付いたらしい。ツンでもデレでもないような口調は事の重大さに気付いたからだろう。


「巨チンとはなんでしょう?」

「それは重要じゃねぇし!!」


 思わぬワードに引っかかったヒナ。この質問には緊張感が削がれてしまう。かといってクリエスは続きを読むべくページを捲る。


「あれ……?」


 ところが、既に四大隆起の謎とは関係のない表題があった。継続調査中なのか、或いは諦めてしまったのか。


「イーサ、これはどういうことだと思う?」


『分からん。本当にツルオカが設置した結界ならば、解けなかったのかもしれん。恐らく外側の結界は第三者によって張られたのじゃろうな。編集員である悪魔でさえもツルオカの結界を解除できなかったはずじゃ』


 意外にもまともな見解が返ってきた。再びサキュバス成分を全面に出すのではと考えていたというのに。


「まあ、そうか。真・尻穴大辞典にはもう少し踏み込んで欲しかったな……」


『そういうな。光属性持ちの同格でもなければ不可能じゃろう。流石にツルオカの結界は妾でも解除できぬ』


 イーサは首を振っている。ツルオカを知る彼女はそのような人物がいるとは考えられないらしい。


『途轍もなくデカいアレを持っておるし……』

「ソレは関係ねぇからな!?」


 小さくても良いだろとクリエスは反論する。自身のタイプについては何も考慮せず。


「クリエス様、デカいアレって何でしょうか?」

「さっきからエロいワードばっか食いついてない!?」


 ツンツンしないのは良かったが、デレヒナはどうにも無意識にエロくなる感じだ。どちらがマシなのかクリエスには判断できない。


「よし、俺たちはクラーケンを退治したのち、魔王候補ケンタを討伐。そのあとは聖域[地平の楽園]を目指そうと思う。ヒナであれば結界を解除できるかもしれないし」


「わたくしに用事を申し付けるのでしたら対価が必要ですわよ?」


 デレヒナはそんな風に返す。仮にデレヒナであれば、文句を言いつつも引き受けてくれるはずなのに。


「また長く熱いチューをしてくださいまし……」

「お嬢様、何て破廉恥な!?」


 透かさずエルサが御者台から声をかけてくれたおかげで、クリエスは性欲を制御できている。危うくイーサの許容量を超えてしまうところであった。


 兎にも角にも目的地が決定した。魔王候補ケンタを最優先として、そのあとは地平の楽園を目指す。そこで何かしら邪神についての情報が得られるだろうと。


 全員が浮かない表情であったけれど、クリエスたちは女神の使徒として突き進むだけであった……。

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