第098話 口づけのあと

 抱き合ったままの口づけ。長い時間を惜しむかのように、二人はゆっくりと唇を離す。少しばかり照れくさいのは今世において初対面であるからだ。


 ヒナは顔を赤らめながらも、クリエスに問う。


「クリエス様、わたくしの成長を確認されなくてもよろしかったのでしょうか?」


 天界での話では巨乳であることが条件であった。従ってプロポーズよりも先に確認をしなかった彼を不思議に思う。


「もう必要ない。俺が意味もなく抱きついたと思うか?」


 期待とは正反対の返答に薄い目をするヒナ。感情のまま抱きしめたのではないと知って、不覚にもときめいてしまった自分自身を恥じる。


「クリエス様、少しくらいは乙女心を理解していただきとうございますわ。わたくしはずっと待っておりましたし、それこそ接吻だなんて初めての経験でしたのに……」


「ああ、すまん。でもヒナを一目見たときに確信したんだ。俺は君に会うためだけに生きてきたのだと……」


 ヒナは再びキュンとしてしまう。こんなにも自分はチョロかったのかと思わざるを得ない。甘い言葉には慣れていると考えていたというのに。


 天界で見た記憶よりも、クリエスはずっと逞しい。返り血を浴びていたけれど、精悍な顔つきは記憶と変わらなかった。また聞いた限りにおいては、かなりの無茶をしたはず。敵うはずもない邪神竜へ立ち向かってしまうほどに。


 直接会うまでの情報がこの感情の根幹にあるとヒナは思う。世界の救済という使命に取り組む姿勢。何より自分を助けようと努力してくれたこと。それらは天界での約束という枠を超えて、ヒナの心へと優しく溶け込んでいた。


「それならば承知しました。それでクリエス様、わたくしは公爵家の令嬢です。よって婚姻についてはお父様やお母様の意見を聞いてからでないと返答しかねます。わたくしたち二人の気持ちだけでは決められません……」


 クリエスは頷きを返している。感情に任せて思わず口走った台詞。今考えると過度に恥ずかしいけれど、ヒナの返答を聞く限りは勢いで口にして良かったと思う。何よりヒナの気持ちを確認できたのだから。


「一応は俺も子爵位を手に入れた。全てはヒナと並び立つために。まだ足りないだろうけど、俺はきっと君に相応しい人間になるよ。世界を救った対価としてヒナを手に入れようと思う」


 やはり彼は本気なのだとヒナは思う。この恋の行方は険しい頂の向こう側にしか存在しないのだ。幸せの果実は世界を救ったあとでしか実らない。


 頬を染めて頷くヒナも同意見だった。制約を遂げられたとして、ヒナの人生もまた世界を救ったあとでしか輝きを発せない。何しろ自身にプロポーズした人には世界を救うという使命があり、その使命はまだ魔王と邪神という脅威を残していたのだから。


「クリエス様、わたくしは幸せになりとうございます……」


 そう返すのが精一杯だ。人知れず戦ってきた彼に世界を救えだなんて言葉は口を衝かない。願わくば、使命の先にある幸福を手にしたいのだと。


 クリエスは小さく頷いて見せた。彼女の真意を受け取ったかのように。


「ああ、俺たちの努力は報われるに値している……」


 クリエスもまた多くを語らない。ヒナとは初対面であったけれど、彼女の行動は主神より聞いていたのだ。努力を重ねて聖女とまで呼ばれたこと。誰よりも強い正義感を持ち、自らの命を擲ってまで世界を救済しようとしていたことまで。


 見た目通りの可愛らしい人ではない。彼女は芯のある強い女性であり、使徒としての使命だけでなく、天界でしたクリエスとの約束をも果たそうとする真っ直ぐな女性なのだと。

 だからこそ、今以上に求めるような言葉は間違っても口にできなかった。


「ここに約束が果たされたこと。俺はとても嬉しく感じている。やはり俺にはヒナしかいない。君がいてくれたから頑張れた……」


 歯が浮くような台詞。言ったそばから恥ずかしくなる。

 しかし、聞かされた方もまた同じだ。二人して顔を紅潮させるだけである。

 沈黙の中、十七年という期間に各々が育んできた感情は、ようやくと一つになっていく。


「クリエス様……」

「ヒナ……」


 またもや怪しげな雰囲気となる。静かに目を瞑るヒナにクリエスは彼女の両肩へそっと手を添えた。


『なあ、妾もおるのじゃが……』


 急に声がして、二人してビクリと固まる。そういえばクリエスには悪霊が憑いていた。その悪霊は一部始終を見ていたに違いない。


「イーサ、お前、良いところだったのに!」

『婿殿、妾は配慮したつもりじゃぞ? なのにイチャコライチャコラとしおってからに』


 まあ確かにとクリエス。最初の口づけからずっとイーサは姿すら見せなかった。二人の再会に水を差さぬようにと。


『まあ妾は他人の行為でも興奮できる上級者じゃがな?』

「興奮すんじゃねぇよ!!」


 カッカと笑うイーサにヒナは頭を下げている。

 悪霊は既に払う必要がないと聞いているのだ。クリエスと契約をし、命令に忠実になったのだと。


「初めましてイーサ様。わたくしはヒナ・テオドールでございます」

『ほう、妾が見えるのじゃな?』


「ええ、まあ。一応は神格持ちですし……」


 そういえばヒナには黄金に輝く羽が生えていた。当然のことながら、クリエスは神格を有する天使であるのだと分かっている。


「なあ、ヒナ。ひょっとしてお前はイーサに触れられるんじゃないか? 俺は全くなんだけど……」


 完全に興味本位である。邪神竜ナーガラージはミアに触れていたのだ。明確な神格ジョブを持つヒナであればイーサに触れられる可能性があった。


『ふむ、触ってみせい。妾も気になるのじゃ。胸でも尻でもどこでも良いぞ!』


 イーサも同意していることだ。ヒナは恐る恐る彼女に手を伸ばした。

 ヒナの手がイーサの腕を掴む。まるで実体のような感触。体温こそ感じなかったけれど、ヒナは霊体であるイーサに触れていた。


『ぬおお! 何と素晴らしい! この千年で一度もなかった久しぶりの感覚なのじゃ!』


 どうしてかイーサは興奮している。千年も霊体をしていたからか、ボディタッチに飢えていたのかもしれない。


『おいヒナとやら……』


 どうやらヒナは気に入られたようだ。満面の笑みを浮かべながら、イーサはヒナを呼ぶ。


『今後はバターと名乗るがよい!』

「名乗らせんな!!」


 今も存在する使役魔と同じ名を与えようとするイーサには呆れるしかない。クリエスがプロポーズした相手をバター犬と同列に見てしまうなんて。

 

『カッカ! 冗談じゃよ?』

「絶対、本気だっただろうが!?」


 イーサを睨み付けるクリエスにどうしてかヒナは不思議そうな顔をしている。


「バターって、パンに塗るバターのことでしょうか?」

「知らなくて良いから! いやマジで聖女や天使が知るべきではない穢れた話なんだよ!」


 妻になるかもしれないヒナに卑猥な言葉を学ばせたくはない。イーサが全てを喋ってしまう前に、クリエスはこの話題を終わらせている。


『それで婿殿、呪いはどうなったのじゃ? 婿殿の趣味に合致するなら、この状況はマズいのではないのか?』


 すっかり忘れていた。邪神竜ナーガラージの討伐により、クリエスは300ほどレベルアップしていたけれど、ヒナの存在がパーティーメンバーに含まれてしまったならば、あの呪いがランクアップしているかもしれない。



【名前】クリエス・フォスター

【種別】人族

【年齢】17

【ジョブ】クレリック(竜滅士)(ネクロマンサー)(魔王候補)

【属性】光・闇・雷・氷・火・風・土

【レベル】1985

【体力】2655

【魔力】2350

【戦闘】2300(+230)

【知恵】2278

【俊敏】2504

【信仰】2849

【魅力】2012(女性+320)

【幸運】250



 確かにレベルは300からアップしていたものの、やはりステータスは半減しているようだ。


【付与】

・貧乳の怨念[★★★☆☆]

・女難[★★★☆☆]


 魂に付与されたスキルを見ても間違いはない。イーサだけで★2にまで低下したというのに、再び★3となっていた。


「マジか。まあヒナの巨乳は確定したけれど……」


 とりあえず喫緊の問題であった邪神竜ナーガラージは討伐できた。だからこそ、そこまでの悲壮感はなかったものの、やはり大幅なレベルアップ後にステータスダウンはやるせない気持ちになってしまう。


「クリエス様、わたくしのせいで弱体化されてしまったのでしょうか?」

「別にヒナのせいじゃない。この悪霊のせいで呪いが強化されてな。こいつを祓えば問題はなくなる」


『酷いのじゃ! 妾は活躍したじゃろ!?』


 三人して大笑いする。こんな今が存在することなど、数時間前は期待すらしなかった。誰一人として、現状を想像できなかったはずだ。


「ま、ステータスダウンは織り込み済みだよ。それより今はヒナのレベルアップ。まだ制約の値に届いていないんだろ?」


 ずっと手助けしたかったのだ。クリエスはヒナが十八歳を迎えられるようにレベルアップを手伝うつもりであった。


「はい、レベル1200超えが必要だと聞きました。途中で天使になったので、どうなっているのか不明ですけれど」


「俺は最後まで付き合うから。ヒナが途中退場するなんて絶対に嫌だ……」


 ヒナはクリエスが望むようにありたいと願う。生き長らえた命であるけれど、やはり死にたくはない。強者であるクリエスが側にいるのなら、心強いと思う。


「それでクリエス様の戦闘値は如何ほどでしょう?」


 ヒナは知りたいと思う。確実に自分より強者であるクリエスがどれ程の戦闘値を持っているのかと。


「今は半減したんだが、素で2300だな」

「ににに、二千三百でしょうか!?」


 自身は戦闘値200という制約に困っていたのだ。軽く十倍以上であるクリエスにヒナは驚きを隠せない。


「わたくしが犠牲を強いられるはずですわね……」


 自然と長い息が漏れてしまう。二者択一にて選ばれたのであれば、外されるのはヒナに決まっている。千を超える戦闘値なんてヒナには到達できるはずもなかったのだから。


「落ち込まなくても良い。俺はイーサたちからサブジョブを得ているからな。補正分がかなりあると思う」


「それならばレベルはお幾つなのでしょう?」


 確認として聞いておく。自分よりも確実に強者である。人がどこまで強くなれるのかを知ることで安心できるかもしれないと考えてのことだ。


「レベルは1985になったな……」

「さささ、災禍レベルではないですか!?」


 ヒナは千を超えたところ。ほぼ倍というレベル差にヒナは呆然と頭を振っている。とてもじゃないけれど、同じ日に転生したとは思えなかった。


「心配すんなって。俺はヒナに協力するから。この悪霊イーサ・メイテルなんかレベル2400以上もあんだぞ?」


 あり得ないと思うけれど、同時に安心できた。災禍級の二人が仲間になるだなんて、考えもしないことである。二人に協力してもらえたのなら、十八歳以降の人生が現実味を帯びるような気がしていた。


「よろしくお願いいたします。わたくしはまだ死にたくありません……」


「もちろんだ。俺だってヒナに先立たれたら困る。一緒に歩む時間が何よりも欲しい。せっかくプロポーズしたのだし、この先の結果を知りたく思う」


 頬を染めながらヒナは頷く。公爵家という縛りがなければこの場で即決できたのだが、生憎と上位貴族は色々と難しい。


「それでこれからなんだが……」

「あ、それなのですが、わたくしは従者を森で待たせているのです。迎えに行きたいのですけれど……」


 一週間待つと話していたエルサ。さりとて、ヒナは空を飛んでもキアブスまで二日ほどかかっている。帰ることになるなんて少しも考えていなかったから、馬車にて戻る日数は考慮していないのだ。とはいえ、エルサは多少遅れたとしても待っているだろうと思う。


「じゃあ、その従者さんを迎えに行くか。それで一つ聞くけど、従者さんって女性? あと胸のサイズは……?」


 流石にその質問は答えづらいものである。しかしながら、クリエスの呪いを知るヒナはエルサについて話さなければならない。個人情報でもあるのだし、少しばかり濁して直接的な表現を避けようと思う。


「えっと、女難の方はランクアップするでしょうが、クリエス様の呪いにエルサは全く全然、ほんの僅かにも影響がないと断言できます……」


 問いを返さずともクリエスは理解した。従者は女性であり、ド貧乳であるのだと。


「ならば急ごう。キアブスの復興は王国に任せておけば良い。俺たちに残された時間を有意義に使うためにも!」


 とりあえずの目的地はキアブスに程近い森となった。ヒナの従者であるという彼女に会うことが二人にとって最初のパーティー行動となる。


 互いに笑みを浮かべたあと、ヒナはクリエスの馬車へと乗り、クリエスは御者台へと座る。馬に鞭を打って、颯爽とキアブスをあとにするのだった……。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

次話から第三章となります!

ようやく再会を果たした二人。しかし平穏は

長く続きません。イチャコラする間もないほ

ど、二人には問題が発生し……(ry

今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

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