第097話 絶望と幸福の狭間

 絶望的かと思われたキアブスに転換点が訪れていた。


 邪神竜ナーガラージの無慈悲な破壊はヒナ・テオドールの登場から一転している。彼女が願ったままの状況となりつつあった。


「クリエス様――――」


 ヒナの悲痛な声。敵いもしない存在と相まみえた彼女は思わず現れた救世主の名を呼ぶ。

 全ての感情を織り交ぜたその一言はそれだけで意味を成している。経緯を説明する必要はなかった。


「待たせた。ヒナ……」


 キアブスに現れたのはクリエスであった。不眠不休で馬車を走らせ、彼はキアブスまで到着している。凄惨な殺戮の物語に終止符を打つために。


 大した会話もなくクリエスは光輝く刀をナーガラージへと向けた。それは明確な宣戦布告であり、必ずや討伐するという意思表明である。


「小僧……貴様、神格を得たのか!?」


 切断された腕を押さえながら、ナーガラージが聞く。クリエスの格では少しのダメージも受けないはずだったのにと。


「知るかよ? お前だけは斬り刻むと決めているんだ。ミアがあの世で待っている。彼女が憂えることなく生まれ変われるように、お前が存在した痕跡すらも消してやんよ……」


 口調こそ穏やかであったものの、クリエスは怒りに震えていた。再び相まみえた邪神竜に燃え上がる憎悪。かつて誓ったままに魂まで斬り刻んでやろうと思う。


「ふはは、あの女か! お前を強くしたのはあの女なのか!?」

「黙れよ、邪竜。俺はもう誰も失わない……」


 クリエスは強気に返している。自身が何者なのかを明確に告げるだけであった。


「今からは俺が奪う側だ――――」


 クリエスは切っ先をナーガラージへと向け、鋭い視線で睨み付けている。腕を切り落としたとしても、ナーガラージは明確な脅威であったというのに。


「クリエス様、わたくしの神格を!」


 背後から聞こえるヒナの声には首を振る。ヒナの台詞はシルアンナに聞いたままだ。けれど、そんな話に耳を貸すつもりはない。クリエスはヒナを含めた全員の命を守るつもりでキアブスまで来たのだから。


「ヒナ、俺には神格なんか必要ない。それに天界でも言ったはずだ……」


 クリエスはこの瞬間のために生きてきた。再会を約束したヒナと出会い、前世から続く願望を叶えるためだけに。


「お前の巨乳は俺のものだ――――」


 絶対に失いたくないとクリエス。ヒナの神格を奪うような真似はせず、果敢にもナーガラージに斬り掛かっていく。


「天使の祝福!」


 神格を拒否されたヒナ。彼女は効果のほども分からない支援を始めた。それは幸運値を上げるだけのスキルであったけれど、何もしないよりはマシだろうと。


「ナーガラージ、愚行の全てを悔いろォォッ!!」


 クリエスは再びナーガラージの腕を斬り落としてしまう。

 神器は明らかに通用していた。これにより確信を得る。神器によりクリエスは同格相当となったのだと。


「こ、小童ァァッ!?」


 両腕を失ったナーガラージは即座に竜化を始めた。流石に分が悪いと感じ取ったのか、巨大な竜と化して対抗しようとしている。


「弱者は燃え尽きよ!!」


 ナーガラージは火球を吐く。クリエスに接近戦は必要ないと。強大な火球にて消し炭にしてやれば良いのだと。


『エクストリームテラプロージョン!』


 即座にイーサの爆裂魔法が炸裂。ナーガラージの強大な火球を相殺している。かといって、イーサの魔法は威力過剰であり、どちらかというと間近に受けたクリエスはダメージを負ってしまう。


「手加減を覚えろつったろ!?」

『何も問題なかろう? さあ婿殿、トカゲを輪切りにしてやるのじゃ!』


 思わぬダメージを受けたクリエスだが、自信を深めている。決して新しい力を得たわけではなかったけれど、この戦闘の結末を朧気に見たのだ。邪神竜ナーガラージは神器による攻撃を無効化できないこと。火炎による攻撃もイーサが相殺できるのだと知って。


「邪神竜、覚悟しやがれっ!!」


 目一杯に魔力を込めた一撃は竜化をしたナーガラージの足元を捕らえた。巨大な竜の一部でしかなかったけれど、クリエスは思い切り振り抜いている。


「ぬうぅ!?」


 膝下辺りを綺麗に分断されたナーガラージは態勢を崩す。よろめいたあと、徐に倒れ込んでいく。しかしながら、まだ彼は己が迎える結末に気付いていない。神という存在にまで登り詰めた自分自身が、たった一人の人族によって殺められることになるなんて。


 倒れ込んだ巨体に斬りかかる影。無慈悲に繰り出されていく斬撃。執拗なまでに身を斬り裂く連続攻撃に邪神竜ナーガラージは覚えたことのない感情を植え付けられている。


「わ、我は邪神竜ぞ……。天を我が物とする唯一無二なる存在……」


 こんな今も強者である誇りがあった。為す術なく斬られているというのに、神として飛竜種として人族などに負けるはずがないと。


「お前の居場所はここじゃねぇぇっ!!」


 決意のままに斬り続けるクリエス。ミアの弔いはそれこそ熾烈なものとなっていた。

 魂まで斬り刻むと誓った通り、存在だけでなくナーガラージの心までもを斬り裂いている。自尊心も優越感も侮蔑の思考すらも全て。それこそ邪神竜の心が存在を支えきれなくなるまで……。


「ぐっぁ、ま、待て……」


 遂にナーガラージは制止を求めるような言葉を吐く。

 ところが、自身に襲いかかる狂人は手を休めようとしない。一時も攻撃の手を緩めることなく、刀で斬り付けていた。

 

 その姿はまるで自分自身を見ているかのようだ。命乞いをする者たちを墨になるまで焼き続けたこと。何百と身を裂かれる自分自身と弱者が重なって見えてしまう。蹂躙され続ける現状は力量差を明らかとし、遂には強者としての心を折っていた。


「汝は悪魔だ……」


 四肢を破壊され羽ですら原形を留めていない。せめて一撃で輪廻に還られるのなら楽であったというのに。彼が持つ魂強度はそれを是としない。


 身動きできない自分を容赦なく斬り付ける人族は明確に悪魔だった。永遠にも続くような苦痛を与え続けるだなんて。


「生憎だが、俺は聖職者なんでな! 巨悪を許すつもりはねぇぇよ!!」


 悪という概念。強さこそが正義であったナーガラージには分からない。

 弱さは罪であり、強さがそれを裁くと彼は考えていたのだ。しかし、明確に弱者の立場となった今、歪んだ解釈にて彼は現状を把握した。


「これが罰なのか……?」


 甘んじて受けなければならない。弱さこそが罪であるのなら、自分自身はこの罰に相応しいと。手も足もでない現状は弱者の定義に合致する。


 地獄よりも苛烈で残酷なる罰。何の抵抗もできず死を迎えるまで斬られ続けることこそが自身に課せられた罰であるのだと察していた。


「まだ死ぬんじゃねぇぞ!? 最後の肉片まで残さねぇからなっ!!」


 このあとも悪魔は斬り裂き続けた。殺さぬように罰を与え続けている。

 ナーガラージは長い生の終わりを見た。女神を手に入れようとしたばかりに、罰を受けて死を迎える。


「クリエスよ、汝は比類なき強者だ。だが、貴様もいずれ罰を受けることになろう。我と同じ苦しみを味わうが良い……」


「るせぇぇよ!!」


 遂にクリエスはナーガラージの目玉に刀を突きつけた。引き抜いてはもう一方の目にも突き刺している。この期に及んで負け惜しみのような話を聞くつもりはないのだと。


「見事だ――――」


 言ってナーガラージは動かなくなった。そこには巨大な肉塊と成り果てた【神】であったものが転がるだけだ……。


 荒い息を吐くクリエス。徐に刀を抜いては小さく頷いていた。


「ミア、やったぞ……」


 ようやくあの爆乳な悪霊が天へと還った気がする。邪神竜の討伐を見届け、輪廻の最後尾に並んだのではないかと。


『レベル1985となりました』


 戦いの終わりを告げる調べが届いた。もう既に確信していたけれど、クリエスは邪神竜ナーガラージを討伐できたらしい。


 神器を手にしたことや竜特化のサブジョブを得たこと。自身の魂強度をかなり強化できたことまで。何よりも勝利への執念が確実に邪神竜を超えていたことだろう。


「思ったほど上がんねぇな……」


 恐らく邪神竜ナーガラージのレベルは二千前後だと考えられる。300程度のレベルアップは魂強度にそれほど差がない事実を肯定していた。加えて圧倒できたこと。神格だけが差であって、ステータス上はクリエスに分があったのだと思われる。


「ジョブに変化はないか……」


『婿殿、昇格や昇華には強い意志がいるのじゃろうな。妾が神格持ち相当なのと同じ。妾と決定的に異なるのは婿殿はまだ生きておる。トカゲの神格は確実に受け継いだことじゃろう。婿殿が本当に必要としたとき、それは現れるような気がする……』


 クリエスの疑問にイーサが答えた。確かにジョブは世界が決めているのだと聞いている。だからこそクリエスが心から望んだとき、もし仮に世界が認めてくれたのなら、それは自然と成されるだろう。


 ふぅっと息を吐いたクリエスにイーサが続ける。何やら指さしをしながら。


『ほれ、ボウッとするでない。婿殿がずっと望んでおったオナゴが呆けておるぞ?』


 ニシシと笑うイーサに、クリエスは気付かされていた。そういえばヒナを助けようと全速力でキアブスまで来ていたのだ。邪神竜にはもう何も奪わせないのだと。


 即座に振り返るクリエス。視界の先には小柄な女性がいた。

 瞳に映るのは唖然としたまま微動だにしない彼女。しかし、彼女が視界へと入っただけで、クリエスの鼓動は必要以上に高鳴っていく。


「ヒナ……」


 自身の背後で固まったまま動かない女性。美しい薄桃色をした長い髪を揺らす彼女。自身が知る黒髪ではなかったけれど、見つめているうちに記憶と重なっていく。


 彼女の姿は自分が欲したままだ。愛らしい表情や体型までも。

 他には何もいらないと天界で口にした言葉が間違っていなかったことを今この場所で確信している。


 思わずクリエスは駆け出していた。この十七年に積もり積もった感情を露わにしながら。


「ヒナァアアァァッ!!」


 駆け寄るや、クリエスは彼女を抱きしめていた。

 返り血を浴びた身体。少し考えれば嫌がられると分かったというのに、クリエスは感情のまま彼女をその腕に抱く。長く強く、その温もりを確かめるように。


「ク、クリエス様!?」


 唖然としていたヒナであるが、流石に意識を戻している。

 前世から通して、男性に抱きしめられた記憶は父親以外にない。正直に息苦しくも感じるほど強く、ヒナは彼の胸に抱かれていた。


 漫画で得た知識など通用しない。ヒナはなすがままに抱きしめられるままで、何を口にして良いのかまるで分からなかった。


「ヒナ、俺はずっと会いたかった……」


 強く抱きしめられたまま、耳元で囁かれている。こんな今も宙ぶらりんの腕をどうして良いか分からず、更には考えていた再会の台詞までもすっかり抜け落ちてしまった。


「あの……」


 何とか声を上げてみるも、言葉は続かない。なぜなら感想を口にするなど野暮なことだと気付いたからだ。


 今このとき、この瞬間。ヒナはずっと長く続けばいいと思う。言葉にする必要はなく、感じるだけでいい。とても長い時間に育んだ想いをその身に感じればいいのだと。


 ただ身を任せるだけ。ようやくヒナは回答を導く。行き場を失った腕を彼の背中へとまわし、強ばることなく自身の頭を彼の胸に預けた。


 永遠にも続くかと思われた幸福な時間。これ以上の幸せはないと考えていたというのに、ヒナは漫画で言うところのエピローグ的な台詞を聞くことになった。


「結婚してくれ――――」


 唐突なその話には頭が真っ白になってしまう。勢い余ったクリエスの不用意な発言に違いないけれど、ヒナを困惑させるには充分すぎた。

 クリエスと交際することは天界での遣り取りから決まっていたことであるが、まさか再会するや否にプロポーズされてしまうなんてと。


 ゆっくりと視線を上げる。するとクリエスも自身を見つめていることに気付く。

 今は返答を求められているのだ。ヒナは頭を目一杯に働かせて、彼に返すべき気の利いた台詞を探すけれど、結局は何も考えつかないでいる。


「わたくしとでしょうか……?」


 口にしたそばから失敗したと思う。この場には二人しかいないのだ。しかも何だか嫌がっているように聞こえたかもしれない。


 ヒナはクリエスが答えるよりも前に頭を振り、もう一度彼の目を見つめては返答を終えた。


「わたくしはずっと待っておりました……」


 心からの返答だった。今まで頑張ってこられたのは全て約束があったからだ。失われそうなとき、いつもクリエスのことを想った。王子様に言い寄られたときでさえ、彼のことを考えていたのだ。


「今、この時が訪れることを……」


 嘘偽りない本心。遠く離れた地へと転生したフィアンセに会うことが彼女の望みであった。自身を求めた彼の元へと辿り着くことが。


 返答を終えたヒナは割と動揺していた。今し方の返答が正解なのかどうか。彼に嫌われはしないだろうかと。返答を待つ時間はまるで時が止まったかのように長く感じられている。


 ゴクリと唾を飲み込むヒナ。ずっと返答を待っている。しかし、彼女が望んだ言葉は返ってこない。けれども、ある意味において返答とも取れるリアクションが彼女を待っていた。


「!?!――――」


 不意に顎先に触れられたかと思えば、クリエスの顔が近くにあった。

 あまりに近すぎる。思わずのけ反りそうになった瞬間、ヒナの時間が停止した。


 クリエスの唇が重ねられたことに気付いて。


 再び何も考えられなくなる。焦点が合わないくらい接近したクリエスの顔。重なった唇に感じる温もり。言葉はなくとも、ヒナはクリエスの想いを受け取っていた。


 わたくしは今も求められているのですね――――。


 ヒナは静かに目を瞑る。彼が望む全てを受け入れようと。遠く離れて過ごした時間を思い返すように。募るだけだった想いを噛み締めるように。


 この口づけに二人共が永遠を誓う。仮に肉体が朽ち果て、再び魂に戻ろうとも決して忘れない。輪廻を繰り返す世界の狭間で二人だけの時間が存在すると信じて。


 とても長い時間。クリエスとヒナは約束を果たした末の幸せに身を委ねていた……。


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