第096話 絶体絶命の窮地に

 あちこちで火の手が上がるキアブスの街。信仰する女神を確認したあと、邪神竜ナーガラージは竜化をし、街を破壊し始めていた。


「矮小なる人族どもよ! 我の糧となるがいい!」


 殺めれば殺めるほど神に近付き、主神であるディーテは地に堕ちる。ナーガラージは疑いなく、そうなるのだと信じていた。従って彼が情けをかけたり逃げ出す住人を見逃すことはない。


「この世は地獄となり、天界は地へと堕ちる運命なのだ!!」


 火炎を吐き、破壊という名の殺戮を繰り返す。ナーガラージの目的は女神へと近付くこと。よって、過程に如何なる問題が起きようとも気にするはずがない。


 ところが、ナーガラージは攻撃の手を止める。視界に現れた意外な存在に、意図せず目を凝らすしかなかった。


「来たか! 貴様はディーテの使徒である聖女ヒナ・テオドールだな?」


 天使のように宙を舞う女性。聞いていたままに神々しいオーラを放っている。ナーガラージが予想するのは至極単純な思考でしかない。


 頷く女性に対し、ナーガラージは竜化した状態ながら口元を切り上げ、笑っているようだった。


「残念だが、貴様は輪廻へと還れ! ディーテは我がもらい受ける!」


 初めからヒナを殺そうとしていた。女神の使徒は全員輪廻送りにすると決めていたのだ。のこのこと現れたヒナに向け大きな口を開いている。


「苦しみは一瞬だ! 身体を構成する全てを焼き尽くしてやるわぁぁっ!!」


 巨大な火球がヒナへと撃ち出されている――――。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 眼前には巨大な飛竜。ヒナは気圧されている。しかし、自身はキングヒュドラアンデッドとも戦ったのだと、心を強く持った。


「何とか時間を稼ぐしかありません……」


 もうヒナはキアブスのために犠牲となる未来を見ている。邪神竜ナーガラージが好き放題暴れている背景に推測できること。それは既にクリエスが倒されたあとか、或いはまだクリエスが到着していないことを意味したからだ。


 願わくばクリエスがまだ到着していないことを望む。もし仮に世界が滅亡を回避するならば、彼の存在が必須であると。


 やはりナーガラージの狙いは自分自身だと判明する。ヒナの名を知るだけでなく、確認とも言える遣り取りがあったのだから。


 刹那に撃ち出される巨大な火球。ヒナは避けることなく、真っ向からそれを受ける。初撃で失われるくらいであれば、勝機などあり得ないのだと。


「聖域!!」


 刹那にヒナの身体を神の力が包み込む。

 聖域は天使になった折り、習得した基礎スキルであった。邪悪から身を守る神の光らしい。邪神竜たるナーガラージにも有効だろうと考えてのことだ。


「――っっ!?」


 手の平が灼けるようであった。手をかざした方向にある光の壁は確実に炎を受け止めていたけれど、その熱は内部にまで漏れ出している。


 視界が回復するや、ヒナは小さく息を吐いた。


「大丈夫。クリエス様が到着するまで持ち堪えてみせましょう」


 とりあえず賭には勝った。聖域が邪神竜ナーガラージにも有効であると理解し、ヒナは改めて思う。救世主が現れるまで何とか凌いでやろうと。


「やるじゃないか、聖女! 流石はディーテの使徒だな?」

「お褒めにあずかり恐縮ですわ。邪なる神竜様……」


 もしもエルサが側にいたとすればツッコミは避けられない遣り取りであるけれど、ヒナは時間を稼ぐべく話を続けたいと思う。


「貴方様はクリエス様をご存じでしょうか?」


 まずは確認である。ナーガラージがクリエスを見たのかどうか。それによりこの防戦にも意味を見出せるはずだと。


「んん? 悪霊に取り憑かれた小僧か? 一度出会ったが、それっきりだな。我に恐れをなして逃げていったのだろう」


 ナーガラージの返答にヒナは笑みを浮かべていた。やはりクリエスはまだ生きている。女神の使徒たる彼が簡単に失われるはずがないのだと。


「彼は何か話されていたでしょうか?」


 ここは話を続けるべき。クリエスは確実にここを目指しているのだ。一分でも一秒でも時間を稼ぎ、彼の到着を待つだけである。


 ところが、上手くは運ばない。邪神竜ナーガラージは豪快に笑い飛ばしている。


「時間を稼ごうとしても無駄だ。我は地上の全てを破壊すると決めている。貴様もあの小僧も等しく天に還すだけだ。悪く思うな。全ては天界のせいである。我を受け入れん天界への罰なのだよ!」


 言ってナーガラージは再び火球を吐く。無駄なお喋りなどするつもりはないらしい。また火球を吐いた後、ヒナに向かって接近し始めた。


「聖域!!」


 とりあえず聖域にて火球を防ぐ。しかし、迫り来る巨大な竜に対して効果があるのか不明である。


「ぁぁっ!?」


 刹那にヒナは攻撃を受けてしまう。邪神竜ナーガラージの大きな腕により叩き落とされていた。


 聖域により攻撃のダメージは受けなかったものの、地面に叩き付けられた衝撃までは効果の範囲外らしい。だが、一応はまだ生きている。全身に痛みを覚えていたけれど、聖域というSランクスキルの効果は邪神竜の攻撃全てに及ぶと確認できた。


「ハイヒール!」


 即座に魔力回復ポーションを飲み干す。明確に持久戦となるはず。回復できる隙にしておかねば、後になって苦しくなるはずだと。


「って、聖域!!」


 ナーガラージの連続攻撃。火球を防がれると知った彼は肉弾戦を選択する。執拗な攻撃を仕掛けていた。


 ところが、連続で叩き付けたあと、


「ふはは! 貴様はなかなか良い女だ! 我の女になるつもりはないか?」


 どうしてかナーガラージは会話を始める。その内容はヒナに対する最終勧告でもあるはずだ。もしも受諾するのなら、命だけは助けてやろうというのだから。


 ヒナは首を振って答える。最初から死を覚悟してキアブスまで来たのだ。今さら命乞いなどするつもりはないし、邪神竜に与するだなんて使命に反することだと。


「わたくしは女神ディーテの使徒。申し訳ございませんが、わたくしを好きにするのでしたら、亡骸だけにしてくださいまし。それにわたくしは予約済みである身の上。キャンセル待ちいただくしかございませんわ」


 ヒナは強気に返した。こんな今も彼が現れることを願って。アストラル世界の命運を一身に背負った彼がこの場に現れると信じている。


「あの小僧のことか? 期待しても無駄だぞ。人族にしては悪くはないが、所詮はその程度。貴様のように我が炎を受け止めきれる力すらない」


 一度の邂逅によりナーガラージはクリエスの力を推し量っているらしい。執拗に捜さなかった理由は格下であると理解したから。神格を得た自分自身の足元にも及ばないと分かっていたからだ。


「わたくしは彼を信じます。女神様たちが信頼する彼こそがアストラル世界の救世主です。貴方様が如何様に評価しようとも、わたくしには関係のない話。わたくしが待ち焦がれる殿方は一人だけであります……」


 ヒナの願い。ナーガラージと対峙するこの場面では望みが薄いようにも感じるけれど、彼女は人生の全てを託したいと考え、また彼が現れることを信じていた。


「クリエス様だけを――――」


 小さく頷いたナーガラージはどうしてか人化していく。巨大な体躯は見る見るうちに小さくなり、彼はヒナよりも少し背が高いだけの存在となる。


「やはり我が女としよう! 気位の高い女は好物だ! その強い意志をへし折ってくれる!」


 言ってナーガラージは手を伸ばす。聖域という結界が張られるよりも早く。


「聖域!」


 瞬時に聖域を発動したけれど、ヒナは腕を掴まれてしまう。引っ張ろうともナーガラージは微動だにしない。


「離しなさい!」


「ふはは! 結界など張られる前に行動すればいいだけだ。引きずり出してくれる!」


 ナーガラージは目一杯の魔力を流し、聖域に干渉していく。内部から結界を破壊し、ヒナを手に入れようとしているのだろう。


「わたくしの生は全てクリエス様のものです!」

「知らぬわ! 貴様は我に目をつけられたのだ。感謝するが良い!」


 ヒナは焦っていた。聖域があれば持ち堪えられると考えていたというのに、内部から侵食していくナーガラージの魔力は絶大であり、同格である現状は幾ばくも結界が持たないことを意味している。


「わたくしはまだ約束を遂げておりませんのに……」


 もう駄目だと思考した瞬間、腕を引っ張る力が消失。何が何だか分からなかったけれど、ヒナはナーガラージから解放されていた。


 距離を取ったヒナは気付く。自身を掴んでいたナーガラージの腕が斬り落とされていることに。


 視線を上げると、そこには人影があった。燃え盛る炎によりシルエット的に浮かび上がるだけであったけれど、ヒナは理解している。長刀を握るその人物こそがナーガラージの腕を斬り落としてくれたのだと。


 自然と涙が溢れていた。恐怖心と安堵感。入り乱れる感情に心が流す幾つもの雫。ヒナは視界に映る光景をその瞳に焼き付けている。


 ヒナを振り返るその人影は笑みを浮かべていた。

 颯爽と現れ、窮地から救ってくれた人。邪神竜ナーガラージの腕を斬り落とした猛者。そのような人材が多くいるはずもない。ヒナに微笑みかける彼は心の内に想像していたままであった。


 天界での記憶はもうかなり色褪せていたけれど、現れた彼はその記憶を再び着色し、新たな記憶としてヒナの脳裏に描かれている。


 声にならない声を絞り出すヒナ。今もまだ脅威に晒されているというのに、彼女は声を上げずにはいられない。


 ヒナは涙声のまま、待ち焦がれた救世主の名を呼んだ。


「クリエス様――――」

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