第092話 決意の先にあるもの

 邪神竜ナーガラージは鍛冶屋街サイオンを壊滅させたあと、アル・デス山脈を越え、港街ラプールへと来ていた。


 ラプールは北大陸との交易で栄える街である。大陸の真ん中に位置していたため、航路が豊富にあったのだ。現在は東航路がクラーケンの出現にて航海できなくなっているが、幽霊船騒ぎのあった西側はほぼ日常を取り戻している。


「ふん、ここはハズレか……」


 ナーガラージはとりあえず人化して様子を窺っている。ディーテやシルアンナを大々的に祭り上げた場所にて大暴れしてやろうと。しかし、ラプールには巨大な女神像など存在しない。信徒たちの信頼を地に落とすというナーガラージの目的に、ラプールは合致しないようだ。


 竜化するまでもないと炎を吐きかけたそのとき、


「聖女様が邪竜をやっつけてくれるんだ!」


 ナーガラージの目を前を子供たちが駆けていく。聞き慣れぬ言葉。しかし、邪竜とは自身のことだと分かった。


「おい小童、聖女とは何者だ?」


 子供たちを思わず呼び止める。ナーガラージは疑問を解消するべく問いを投げていた。


「おっちゃん、聖女様を知らないの? 聖女ヒナ・テオドール様だよ! 世界中の悪者を退治してるんだ!」


 眉根を寄せるナーガラージ。聖女との響きに宗教的な意味合いだと理解し、尚且つ対象が女性であることも分かった。


「その聖女はどこにいる?」

「分かんない! 南大陸のどこかだよ!」


 言って子供たちは駆け出していく。話す相手が邪神竜だとは気付きもせずに。

 少しばかり考えるナーガラージは小さく頷いていた。


「ふはは、きっとそれはディーテの使徒だな! 我に必要な情報を感謝するぞ、小童!」


 言ってナーガラージは火炎を吐く。走り去る子供たち目掛けて息の続く限り。

 活気に包まれていたラプールは一転して地獄へと変貌する。泣き叫ぶ声が木霊し、逃げ惑う人々は更なる混乱に陥ってしまう。


 しかしながら、助かるはずもない。現れた災厄は不幸にも全ての生命を亡き者にしようとする邪神竜であったのだから。


「我はしばし南大陸に留まることにしよう! まずは南を全滅させるのだ!」


 北大陸へ渡ろうかと考えていたナーガラージは方針を転換している。

 何気ない子供の一言によって……。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ドワーフの里をあとにしたヒナたちは来た道を戻って、無政府状態にあったゼクシルに到着していた。既に教団からの僧兵たちが施政にあたっており、街には少しばかり活気が戻っている。


「エルサ、少しお祈りしてきます」

「ええ、お気を付けて」


 聖堂前にいた僧兵に礼をしてからヒナは入っていく。シスターと軽い挨拶を交わしたあと、彼女は膝をついて祈り始めていた。


 教団の関係者がいたからか、ディーテは脳裏へと降臨している。


『ヒナ、ようやく連絡がついたわね。心配していたのよ……』


 単なる報告であったはずが、ヒナは妙な話を聞かされている。邪神竜ナーガラージがクリエスを狙っていることは知っていたけれど、自分が何を心配されているのかと。


「どうされたのでしょう?」

『ええ、実は邪神竜ナーガラージが暴走し始めまして、既に南大陸の三つの都市が破壊され尽くしておるのです』


 伝えられた話はまるで状況が異なっていた。邪神竜ナーガラージは姿をくらませていたはず。この二ヶ月で一体何が変わったのかヒナには想像もできない。


『現在は北の港町ラプールが破壊されたところです。北大陸に向かったのなら良いのですけれど、クリエス君が南大陸にいると知っている彼が南大陸を離れるとは考えられません』


 つまるところ、邪神竜が無差別に人を殺めているのだと分かる。従ってヒナもまた心配されているのだと。


『ヒナ、リンクシャア連邦国まで行くのは中止して、しばらくはゼクシルに留まりなさい。邪神竜ナーガラージは比較的大きな街を破壊しているように感じます。国の中枢を残し、主要都市を攻撃する。それは恐怖の伝達手段を残すためであり、ワタシたちの無力さを知らしめるためでしょう』


 ディーテは一定の予測を済ませている。アーレスト王国首都デカルネではなく、ミクスやサイオンを破壊したこと。それらは全て計算されたことなのだろうと。


「クリエス様はどうされているのでしょう?」

『クリエス君は現在、サイオンに到着しております。ヒナはゼクシルで待機をし、彼の到着を待ってください』


 ヒナは不似合いなシワを眉間に作っている。なぜならサイオンからゼクシルに来るのであれば、確実に通るべき街があったからだ。


「アーレスト王国の西端にあるキアブスは破壊されていないのですよね? それにクリエス様は神格を持つ魔物と戦えるのでしょうか?」


 もしもディーテが予想する通りであれば、キアブスは非常に危険だと言える。首都デカルネの周囲で巨大な街はもうそこしかなかったのだから。


『現状のクリエス君では厳しいかと思います。しかし、彼であれば何とかなるかもしれない。クリエス君には使役魔というべき悪霊が憑いておりますからね。けれど、ヒナには可能性がありません。邪神竜に出会うと、貴方は間違いなく輪廻へと還ることになるでしょう。だからこそ、ゼクシルで彼の到着を待ってください』


 ゼクシルは圧政から解放された直後であり、恐らくナーガラージの優先度は低い。従ってディーテはヒナに動いて欲しくなかった。


 少しばかりの沈黙があったが、ヒナはディーテに返答している。


「わたくしはキアブスに向かいます……」


 ディーテは息を呑んでいた。強い意志を持つ使徒に。困難に立ち向かおうとするヒナに対して。


『無茶を言わないで。ヒナ、貴方が向かったとして無駄になるだけです。魂の格は恐らく同等でしょうが、戦闘値が違いすぎます。攻撃手段のないヒナは邪魔になるだけですから』


 説得を試みるもヒナは首を振っていた。もう決めたことだと言わんばかりに。


「ディーテ様、わたくしは役に立てるかと思います。もしも、クリエス様が邪神竜に敵わなかったとき。そのときこそ、わたくしの出番です」


 ディーテにも意味が分からない。ヒナが何を話しているのか、少しですら理解できなかった。


 ところが、ディーテは知らされている。ヒナが役に立つという場面について。


「クリエス様がわたくしを斬れば解決いたします――――」


 その返答には絶句するしかない。確かに解決するかもしれないが、ディーテが望む未来とは、かけ離れすぎている。


「わたくしの神格をクリエス様に捧げます……」

『少しは自分自身について考えなさいっ!』

「いいえ、クリエス様が失われることの方が問題です。わたくしがキアブスへと向かうことは理にかなっております。何しろ、わたくしとクリエス様の約束は果たされ、尚且つ世界を救うことになるのですから」


 ディーテは呆然と頭を振る。そのような作戦は正直に思いつかなかった。いつしかディーテは二人を生かす方向でのみ思考していたからだ。


「ディーテ様、わたくしはそもそも悪役令嬢になりたくて、転生いたしました。しかし、わたくしの力不足でそれは叶っておりません。恐らくはこれからも、わたくしは聖女と呼ばれるだけでしょう。だから、気にしないでくださいまし。わたくしは此度の生をクリエス様に託そうと考えます」


 もうディーテは何も言えなかった。頑固で真っ直ぐな使徒は簡単に意志を曲げない。ヒナは世界にとっての正答を自ら導き出し、更には実行してしまうはずだ。


 加えてディーテも最善策がそれであると思い始めている。終末警報が発令しているアストラル世界を救うのであれば、クリエスがヒナを斬り、神格を得るしかないように感じていた。


『ヒナ、貴方の献身にはいつも驚かされます。分かりました。その方向で動きましょう。死後、貴方は天使としてワタシに仕えなさい。天界からクリエス君を手助けしてもらいます』


 ヒナに特例は必要なかった。既に天使である彼女は死後、天界へ戻ることが決まっている。ディーテは先んじて働き口として手を挙げただけだ。


「承知いたしました。まだ続きがあるのでしたら、気が楽です。天界でクリエス様の英雄譚を拝見させていただくことにしましょう」


 最終手段とも感じる作戦が決定していた。双方が望まずとも、それが最善であったのだ。心情的なものを排除すれば、それが最も合理的であり、確実性があった。


 ディーテの姿が薄くなっていくや、ヒナは目を見開いている。


 小さく息を吐いた。正直な感想はこんな人生になるはずではなかったということ。しかし、口にした全ては本心であり、ヒナは後悔なんてしていない。


「問題はエルサね……」


 エルサを巻き込みたくはない。だから何とか説得するつもりだ。

 時間がないヒナは急いで馬車へと戻っていくのだった……。

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