第087話 終末の調べ

 天界の下界管理センターにあるシルアンナの業務室。

 警報が発令されてからというもの、シルアンナは自宅へ戻ることなく、ずっと業務室で生活している。しかしながら、ディーテもまた同じであり、世界の危機にプライベートな時間など存在しないのだ。


「何とかなるのかしら?」


 クリエスだけを見ている分には期待しかない。けれども、もう一人の転生者を思うと不安を覚えてならなかった。


「ディーテ様はもう神力がない……」


 結果的に無駄弾であった神雷。あの場面の介入さえなければ、今も新規の召喚について選択肢が残っていた。しかし、天変地異による神雷は命中せず、ヒナは自力で生き残っただけだ。


「ヒナに制約さえなければ……」


 天使だなんてジョブを得たディーテの使徒。他の世界を見渡したとして、生きながらにして魂を昇華させた例は極めて少ない。期待したいと考えても、彼女に課せられた制約はやはり重すぎた。


 シルアンナが嘆息していると、徐に業務室の扉が開かれている。


「シル、入るわよ?」


 現れたのはディーテだ。昨日から天上界へと行っていた彼女がどうしてか業務室を訪問している。


「ディーテ様!? もう解放されたのでしょうか!?」


 シルアンナが驚くのも無理はない。何しろディーテは天変地異を使用したことで、査問委員会に出席を命じられていたからだ。


「今さっきエンジェルゲートに戻ったところよ。半日も問答させられて、本当に面倒ったらありゃしない。ガチャの不具合について話し合う方が有意義だわ!」


 ディーテは不似合いな膨れ面をしている。かといって、半日も拘束されていた割に元気そうでもあった。


「主神代理が立てられるのかと思いましたよ……」


「災禍警報中なのよ? そんな貧乏くじを引きたがる男神がいるもんですか。それに天変地異を使用した場所は無人島なの。非常時であるのだし、あの場面でワタシにできることなど天変地異しかなかった。男神たちはルールに囚われ過ぎよ!」


 どうやらディーテは徹底的に男神たちと対立したようだ。

 シルアンナは小首を傾げている。平謝りなら早々の解放も理解できるのだが、対立したのならもっと長い拘束となるはずだと。


「男神様たちは納得したのでしょうか?」


「ま、解放されたのはヒナのおかげよ。彼女が天使に昇華したこと。ワタシを更迭したのなら、彼女は加護を失ってしまう。アイテムボックスやステータスの閲覧ができなくなってしまうの。しかもヒナは制約を課せられています。ワタシを更迭するとヒナが制約を遂げる可能性は低くなる。神格持ちをみすみす失うなんて判断が男神たちにできるはずもない。アストラル世界が滅びたとすれば、関わりのある男神たちは全員が最高神様に罰せられるでしょうし」


 どうやらヒナの昇華がディーテの切り札となったようだ。今回に限ってはヒナに課した制約が役に立ったといえる。


「なるほどです。それでご用件は何でしょうかね?」


 シルアンナが問う。わざわざ業務室にやって来たわけ。男神たちの悪口をいうために来たわけではないだろうと。


「ええ、そろそろクリエス君と合流するべきかと思いまし……」


 ディーテがそう言った直後、業務室に警報音が鳴り響く。今まで何度もあったことであるが、今回の音量はこれまでのものとは一線を画する。


【終末警報】【95%】


 モニターには終末警報との文字。何がどうなったのかまるで理解できないが、災禍警報は終末警報へと引き上げられてしまう。


「シル、これまで何か異変でもあった!?」

「いえ、私が知る限りは特に何も……」


 現状は魔王候補と邪神竜が発生している。加えて邪神注意報が発令しているままだ。今以上に困難な状況など考えられないというのに。


「ディーテ様、魔王発生率が99%になっています!」


 シルアンナが変化を見つけた。比較的動きを見せなかった魔王候補が覚醒する可能性。アストラル世界に魔王が誕生する確率はもはや確定的であった。


「邪神竜の問題さえ片付いていないというのに……」


 ディーテは頭を抱えている。

 アストラル世界は男神たちによって文明の基礎が築かれた。その男神たちからディーテが世界を引き継いで1300年。過去に魔王が誕生したことなどなかったというのに、アストラル世界は極めて珍しい終末警報という危機に晒されている。


「ディーテ様……?」


「シル、開き直るしかないわ。女神として魔王候補ケンタと邪神竜ナーガラージの情報を徹底的に集めるの。神託を与えて、僧兵を動かすことによって。神力がないワタシたちはクリエス君とヒナに託すしかありません」


 シルアンナも同意見であった。幸いにも使徒たちは充分な成長を見せている。二人が合流さえできたのなら、未来は切り開かれるように感じる。


 刻一刻と迫る終末。アストラル世界は二人の転生者に託されていた……。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 広大なゴハラ砂漠にあるオアシス。魔王候補ケンタはサンドワーム養殖場へと来ていた。

 デンマーとテンガーという番から生まれた子供を引き取るためである。


「ケンタ様、ナホは気性に難がありますけれど、最高傑作と呼べるサンドワームです」


 自信満々にキュバス。どうやらデンマーとテンガーの子はメスであり、ナホと名付けられたらしい。


「ふはは、待ちに待ったぞ! どれ早速、試してみよう!」


 ケンタは今日という日を待ちわびていた。従って昨晩は少しも眠れなかった。さりとて充実した今日を迎えるため、珍しく自重していたという。


 ケンタは以前と同じようにおっぱじめている。しかし、思いのほかつまらない。期待が大きかっただけ、何やら失望している感じだ。


「おいキュバス、交配とやらはサンドワーム以外でもできるのか?」


 一度も果てることなく、ケンタはそんなことを問う。

 まるで意外な話であった。ケンタであれば喜々としてナホが死ぬまで行為に励むと考えていたというのに。


「ええまあ、研究は必要となりますが……」


「ならば研究しろ。やはり虫けらは気分が悪い。せめて性別が明確な種族を交配していけ。我の営みに耐えうる女を作り出すんだ!」


 急な命令に絶句するインク。どの種族も一回で死に絶えるからこそのサンドワームなのだ。流石に難題すぎると思う。


 ところが、キュバスは頷いていた。性行研究者である彼の目は輝いている。


「ならば素体をお願いします。時間はかかりますがよろしいでしょうか?」

「構わぬ。完成するまではサンドワームで我慢してやる。して、素体はどれくらい必要だ?」


 インクを余所に話が進んでいく。どうしてかキュバスは乗り気であり、ケンタもまた彼の研究に期待している。


「それなりの体格をした男女を一万ずつ。成長促進をし、できる限り早巻きで研究いたしますので」


「容易い! 俺様は魔王候補だ! ならばチビはその都度、喰ってしまって問題ないな?」

「そこはお任せいたします。私は研究素体が集まればそれで結構ですので」


 トントン拍子で話が決まってしまう。しかし、インクはケンタに仕えて初めて高揚していた。期待した世界征服とは異なるけれど、魔王候補ケンタが遂に動き出そうとしているのだ。


 男女合わせて二万。しかも体格が良いという条件付きだ。ゴハラ砂漠の周辺だけでは絶対に足りない。間違いなく二大陸を駆け回ることになるはずだと。


「ケンタ様、私もご一緒いたします!」

「インクよ、ついてこい。俺様の狩りを見せてやろう。矮小なるゴミが魔王候補に蹂躙される様を見届けるが良い!!」


 風雲急を告げる。アストラル世界は最悪の方向へと舵を切った。

 終末警報そのままに、終焉へと向かっていく……。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 オルカプス火山のダンジョンから、ようやく出られたクリエス。やはり下りよりも登りはキツい。ダンジョンコアの破壊を諦めたせいで、引き続き魔物が湧き一週間も要してしまった。


 山頂でパンを囓っていると、


【寵愛通信】シルアンナ


 シルアンナから連絡が入った。何事かと思うも、クリエスは食事をしながら、脳裏に彼女を喚ぶ。


「おう、どうした?」

『いや、大変なのよ!』


 のっけから慌てたようなシルアンナにクリエスは一定の覚悟をしている。女神シルアンナが世間話をするために通話してくるはずがないのだ。まあしかし、察しはついていた。恐らくは邪神竜ナーガラージについてだろうと。


『実は魔王候補ケンタが覚醒するかもしれないの!』


 伝えられた問題はクリエスの予想と異なっていた。発生してから魔王候補については少しも話題になったことがない。近付くなと釘を刺されただけである。


「魔王候補? いきなりどうして?」


 発生から十七年が経過している。しかし、魔王候補ケンタはこれまで大した動きをしていなかったのだ。前兆すらない状況で覚醒するなんて意味不明である。


『災禍警報が終末警報に格上げされたのよ。また魔王発生率も限界値。邪神については注意報のままだし、終末警報に格上げされる原因は魔王候補の覚醒しか考えられないわ』


 なるほどとクリエス。災禍も終末も危機には違いないが、魔王候補の覚醒は危機レベルを格上げするほどの脅威であるらしい。


『クリエス、魔王化を阻止して欲しい』


 ここで通信の真意が告げられている。シルアンナはレベル1600超えとなったクリエスに魔王候補の討伐を求めていた。


「北大陸だろ? ヒナは南大陸にやって来たのか?」


『ヒナは南大陸の西南にいるわ。でも彼女には戦う術がない。天使に昇華したけれど、天使は神格を持つ中で最低ランクだし、彼女は今も攻撃手段を持たない後衛職なの』


 ここで知らされる妙な話。確かヒナは聖女であったはず。しかも割と最近の話であったと思う。


「昇華? 昇格じゃなくてか?」

『天使は神格なの。今までの昇格とは次元が違うわ。神格を得ることを昇華といい、天使となったヒナは神格持ちへと昇華したのよ』


 クリエスは唖然と首を振る。天使についてはシルアンナから聞いていたけれど、死後の話だと考えていた。しかし、ヒナが昇華したという天使は聞く限りに同じものである。


「じゃあ、ヒナは死ねば天界に?」

『もちろん、そうなるでしょう。天使は天界にいるべき存在なのだし……』


 経緯は理解したが、何がどうなって天使に昇華したのか疑問である。眉根を寄せながら、クリエスは問いを続けていく。


「どうやって昇華したんだ? ヒナは戦えないのだろ? 神格を奪うにしても、神格を有する敵を討伐できないだろう?」


『まあそれなんだけど、早い話が大精霊の魂と融合したの。元大精霊サラ・マン・ダァァは大部分の力を失っていたけれど、魂の格は変わらない。彼女を取り込んだヒナはエレメントハートという神格を手に入れた。またそれは聖女と統合し、天使へと昇華したのよ』


「大精霊ってシルフみたいなやつだよな? あいつら自分勝手だし、強制的に取り込んだのか?」


『いいえ、違うわ。サラは自発的にヒナに力を授けた。ミア・グランティスのヒュドラゾンビがどこにいるのか聞いたじゃない? アレが進化してて、討伐に向かったヒナは失われる寸前だったの。ヒナを救うためにサラは全てを彼女に捧げてしまった……』


 自発的にというのなら、手懐けていたのだろう。シルフを知るクリエスには信じられなかったけれど、ヒナは大精霊によって命を助けられたという。


「進化したヒュドラゾンビを倒せたのか?」


『神格を得たからね。それにヒナはアンデッド特化のスキルを持っていたから。キングヒュドラアンデッドを討伐した今はレベル1000を超えたところよ』


 この回答には安堵する。絶望的とまで言われていたヒナなのだ。ゴールが見えてきた現状はクリエスにとっても嬉しい話であった。


「なら、ヒナは邪神竜と戦えるのか?」


 ここで質問の方向性を変えた。南大陸にいるヒナが邪神竜に脅威を感じないのかと。


『無理よ。神格持ちではあっても、下級天使は攻撃スキルなんか持っていないからね。ヒナには火属性魔法くらいしかないし、彼女の戦闘値は200にすら届いていないのだから』


 やはりヒナは戦えない。アンデッド退治をしてレベルが上がっただけだ。元々の属性魔法しか攻撃手段がないようだ。


 少しばかり考えるクリエス。しかし、ここまでの内容を精査するのは難しい話ではなかった。


「シル、すまん。俺はヒナを助ける――――」


 思わぬ返答にシルアンナは声を失う。クリエスであれば引き受けてくれると考えていたというのに。


『邪神竜はあれからどこにいるか分からないのよ? それに現状のクリエスはまず先に魔王候補と戦うべき。幾らレベルが上がろうと邪神竜は神格を持っている。格の違いを埋めるには更なるレベルアップが求められるわ。魔王候補を仕留めたのなら、充分戦えるはず』


 シルアンナは説得するけれど、クリエスは顔を左右に振っている。彼は主神の願いよりも、ヒナを優先するつもりらしい。


「悪いと思ってる。だけど、ヒナまで殺される可能性があるのなら、俺は魔王候補よりもナーガラージを優先する」


 二人が天界で交わした約束はシルアンナも知っている。クリエスがヒナに会おうと無茶をしていることだって分かっていた。けれども、アストラル世界のことを考えると、クリエスの返答は明確に間違っている。


『クリエス、アストラル世界が滅びたあとで悔やむなんてできないのよ? ディーテ様も魔王候補の討伐を最優先とされたの。邪神竜が表立って行動しないのなら、今は魔王候補を倒すべきよ!』


 ディーテの名を出してみるも意味はない。クリエスが首を縦に振ることはなかった。


「ヒナとの合流が先だ。そのあとでなら、魔王候補と戦ってもいい。俺はもう大切な人を失いたくないから……」


 クリエスなりの妥協案であろう。察知したシルアンナは頷いていた。取り憑いた悪霊が失われただけで、怒り狂うクリエスである。ヒナを失った彼がどうなってしまうのか、容易に想像できたからだ。


『分かった。ヒナはそこからずっと西に向かった場所にいるわ。いち早く合流して。邪神竜が再び動き出す前に北大陸へと向かいなさい』


「ああ、了解した。魔王候補を斬ったあと、邪神竜も絶対に倒す。ミアの仇討ちなんだ。俺はあの邪竜を許すつもりなどない」


 クリエスは決意を口にしている。少しでもシルアンナが安心できるように。我が侭を聞き入れてくれた主神に感謝の印として。


「アストラル世界は俺が必ず救済するから」――――と。

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