第084話 窮地を脱する方法

 シルアンナはクリエスの現状を伝えようと、ディーテの業務室を訪れていた。


「失礼します……」


 業務室に入るや、大きな溜め息が聞こえる。美しい女神がどうしてか頭を抱えて不似合いな表情を浮かべていた。


「ディーテ様、どうされたのでしょうか?」


 シルアンナが問いかけると、虚ろな目をしたディーテが振り向く。


「シル、ワタシは地上に介入しようとしています……」


 何が何だか分からない。地上とはアストラル世界であるのは明らかだが、介入という意味合いが謎である。


「介入ですか?」

「ええ、そうです。ワタシは使徒を守るためだけに介入しようというバカな女神なのよ……」


 続けられた話にようやく内容が見えてきた。使徒とはヒナのことだ。だとすれば、ディーテは彼女のために何かしようとしているはず。


「確か祝福は与えていましたよね?」


 シルアンナの問いにはどうしてか首を振るディーテ。祝福に関しては間違いないと考えていたというのに。


 ところが、シルアンナは知らされている。ディーテが首を振った意味。それは問いに対する返事などではないことを。


「ワタシは天変地異を起こそうとしている――――」


 絶句するシルアンナ。天変地異は女神の裁量で行う数少ない超常現象である。主に未発展の世界にて使用されるもので、信仰が根付いた世界で行使するのは御法度であった。


「いや、どうしてです!? あれって査定に響くのではないですか!?」


 天変地異は神の力を誇示する意味合いがある。大海を割ったり、神雷を落としたりして住人の求心力を高める神業に他ならない。発展した世界で使用すると、既存住人に多大な迷惑がかかるので、発展途上世界以外での使用は原則として禁じられている。


「どうしようもないのよ。ワタシは世界を救う以前にヒナを救いたい……」


 シルアンナは言葉に詰まる。これほどまでにディーテが追い詰められている原因。ただならぬ事態であるのは明らかで、シルアンナはそれを知りたいと思う。


「ヒナの制約はまだ先でしょう?」


「違うのよ。ヒナは今、ミア・グランティスのヒュドラゾンビに挑んでいるのだけど、問題が発生してしまったの……」


 溜め息と共にディーテは語る。ヒナの現状を。迎えようとしている残酷な結末について。


「五体のヒュドラゾンビは共食いをし、一体だけが残った――――」


 シルアンナは息を呑む。確かミア・グランティスのヒュドラゾンビは単体でも災害級以上の魔物である。一体だけが共食いの勝者であれば、その一体はレベル2000に迫る災厄級に達している可能性まで考えられた。


 ディーテはヒナのモニタリング中にヒュドラゾンビの詳細を確認したらしい。ヒナを介してでしか調べられなかったとはいえ、最悪の現実を突きつけられている。


「ヒュドラゾンビはキングヒュドラアンデッドに進化してしまったのよ……」


 恐らくはヒュドラの上位種だろう。女神学校でも習ったことのない魔物が誕生してしまったようだ。


「ヒナでは准SSランク級にダメージを入れられない。しかもレベルは1980もある。倒せないのであれば、ワタシは彼女が逃げる時間を稼ぐしかありません。男神たちの文句を聞くのはあとの話です」


 准SSランク級とは神格を持たない種別で最上位である。純粋なSSランク級は神格を有した存在のことであり、つまるところキングヒュドラアンデッドは神格さえあれば完全なSSランク級の魔物だと言えた。


「それで天変地異を使うのですか? あれは一千万とかいう途方もない神力が必要なはずでしょう? それに何が起きるのか分からなかったかと……」


「何としてもヒナを逃がしたいのよ。彼女を追い込んだのはワタシ自身。此度の窮地もワタシの提案が原因です。制約よりも前にヒナが失われてしまうなんてあってはなりません。ヒナの献身に主神として応えたいのです。大津波が起きれば恐らくアウト。希望は神雷だけど、大地震でも構わない」


 天変地異は世界への介入であるけれど、その実は世界に神力を与えて促すだけである。よって何が起きるのかは世界次第。目標も正確には決められず、世界が任意に決定する事象だ。


「今からヒナの前に降臨します。用事はしばらく待ってください」


 とてもクリエスの報告などできる雰囲気ではなかった。一千万という神力。恐らくこの十七年で溜め込んだほぼ全てであるはず。しかし、ディーテは次なる使徒の準備に充てる神力をヒナに使うと決めたらしい。


「まったく、使徒と話をするのに、どうして神力を要求するのかしらね……」


 ブツクサ言いながらも、ディーテは女神デバイスを操作。ヒナの思考を邪魔しないように、彼女の側へと降臨する。


『ディーテ様!?』


 流石にヒナは面食らっている。ヒナ自身、ディーテに祈っていたところ。まさか本当に降臨してくれるなんて考えていなかった。


「ヒナ、よく聞きなさい。あの魔物はただのヒュドラゾンビではありません。進化したキングヒュドラアンデッドです。アンデッド化していることで災禍級の危険度となっております。ワタシが時間を作るので、ここは逃げなさい。アンデッド化しているのは今回に限り運が良かった。かの魔物は泳げないのです。レベル帯は災厄級でありますが、この島から出られません」


 頷くヒナにディーテは笑みを返す。まだ時間はあるはず。彼女たちがこの災禍から逃げ切るまで。


『ディーテ様、わたくしには倒せないのでしょうか?』


「間違いなく倒せません。何しろ魂の格が違いますし、レベル差が大きすぎるのです。せめてSSランクジョブであればダメージを与えられたでしょうが、SSランクジョブは神格持ちを意味します。事実上、SSランクジョブへの昇華は不可能であり、今まで放ったセイクリッドフレアは少しの効果もないはずです」


 ディーテの話にヒナは納得したようだ。不服そうなのは、南大陸を縦断した結果が無駄に終わったからだろう。


「もうそこまで来ております。さあ、早く坂を下りて船に乗って逃げなさい。時間は稼ぐつもりですから」


 ここでディーテは消えていく。まだ話したいことはあったけれど、自身も天変地異を実行せねばならないのだ。


 世界への降臨を終了するや、直ぐさまディーテはデバイスを操作。溜め込んだ神力のほぼ全てを費やし、天変地異を発動させる。


「お願い。ヒナを助けて――――」


 世界に願う。神雷がキングヒュドラアンデッドへと突き刺さるイメージをして、ディーテは発動ボタンを押した。


 アストラル世界の命運は皮肉にもアストラル世界の裁量によって決まることになる。


 ヒナが失われたとすれば、もうディーテに神力はない。新たな使徒を召喚するにしても端数ともいうべき神力で引いた魂を送り込むしかできないのだ。


 しかし、ディーテは信じている。

 天変地異によりヒナが生き残り、果てには世界を救うはずだと……。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 突然のディーテ降臨から命令にも似た指示。ヒナは駆け出していた。

 少しのダメージも与えられないのであれば勝機はない。ディーテが時間を作ると話していたから、坂を下りてエルサたちとの合流を急いだ。


 後ろを振り返ると、もう巨大な頭が見えている。キングヒュドラアンデッドは考えていたよりも素早く巨大であるらしい。


「猛毒に気を付けないと……」


 九つある頭から猛毒を吐いてくるのだ。島の端から山頂まで届くのだから、撃ち下ろされたとすれば、エルサたちに当たる可能性がある。従って逃げつつも、猛毒を清浄しなければならない。


「清浄!」


 山頂の向こう側の頭が猛毒を吐くや、ヒナは清浄で打ち消す。撤退を決めたものの、逃げることに集中できないでいる。


 一瞬のあと、どうしてか空が真っ暗に染まる。

 何事かと思うも、ヒナはそれがディーテの神業であると分かった。何しろ彼女は足止めをすると話していたのだから。


 刹那に強大な稲妻が天より降り注ぐ。それは耳をつんざく轟音と空気を焼くほどの稲光を伴いながら、大地へと突き刺さっていた。


 あまりの威力にヒナは思わず足を止めてしまうけれど、再び走り出す。


「当たってない!? 一発だけなのでしょうか!?」


 威力は充分すぎるものであったが、明らかに命中していなかった。今もまだ地面から炎と煙が立ち上っていたけれど、頂上に現れたキングヒュドラアンデッドを見る限りはハズレたと考えるべきだ。


 また暗雲は既に晴れており、二発目を期待するなんて無駄である。命中してこその足止めであって、ヒナに逃げる余裕なんて生まれていない。


 清浄を放つために後ろを振り返りながらヒナは走って行く。一刻も早くエルサたちと合流するために。


「わたくしはまだ死にたくありません!」


 必死で猛毒を清浄し坂を駆け下りるけれど、キングヒュドラアンデッドは下り坂に差し掛かるや、そのスピードを上げている。


「お嬢様!?」

「作戦は変更! 船の準備を!」


 声を張り上げ、エルサに指示を出す。船に乗って沖へと向かえば、泳げないキングヒュドラアンデッドからは逃げられる。飛んでくる猛毒を清浄するだけであった。


 全力疾走を続けたヒナであったけれど、やはり後ろを確認しながらの逃走には無理がある。あろうことかヒナは蹴躓き、派手に転がってしまう。


「っ!?」


 倒れたまま後方を見る。やはりこの隙を見逃すはずはない。吐き出された猛毒が彼女に迫っていた。


「清浄!」


 立ち上がろうとするヒナ。すると、視界に赤色の物体が映り込んだ。


「ヒナ、死んじゃだめだし!」

「ヒナ、早く立って!」


 それは大精霊たち。サラだけかと思いきや、ウンディーまで近くにいた。ヒナとしては巻き込みたくないと考えていたのに。


「貴方たち、早く船に戻りなさい!」


「ヒナ、あーしは契約してんの。ヒナが死ねば、あーしも死ぬし! だから、ヒナを守るって決めたし!」


 意味が分からない。サラはヒナが死ねば死ぬという理由でヒナを守るという。元よりサラには守るような力はなかったというのに。


「いや、貴方には無理よ!」

「あーしにもできることがあんの。全てを受け入れて。そーしたら、ヒナはあの怪獣をやっけられるし!」


 本当に理解不能である。こんな今もキングヒュドラアンデッドが近付いており、一刻も早く海へと逃げるべきときだ。サラたちと話し込む時間はない。


「サラ、あたいも!」

「ウンディーはヒナを守ってあげて。あーしは先に還るよ……」


 言ってサラはヒナの胸の中へと入っていく。かといってブラウスの中ではない。身体の中へと溶けていくようにして彼女は消えてしまった。


「ちょっと、サラ!?」

『あーしを受け入れて。絶対に助かるから。あーしの声が聞こえなくなれば、ヒナは世界に願えばいいし。あーしもまた願うよ。怪獣をやっつける力をヒナが手に入れられるように』


 サラは一方的に語りかける。助かるという持論を曲げなかった。


『あーしの全てをヒナに……』


 次の瞬間、ヒナの身体に異変が起きる。胸の中が熱くなり、燃えるような感覚を覚えた。


『ヒナ、あーしは少し熱いけど我慢だし! あの怪獣をやっつけるんだし?』


 ヒナは心の呼びかけに頷いている。早く逃げなければいけないというのに、倒れ込んだままだ。


『死んじゃダメだよ、ヒナ。あーしはたくさん飴玉をもらえて嬉しかったし。このあと、もう一回あのびびーってやつを撃てばいいし!』


 まるで理解できないが、この危機を乗り越えられるとサラは今も考えているようだ。


『じゃあね――――』


 そう聞こえた直後、ヒナの脳裏に通知が届く。


『エレメントハートを獲得しました』


 唖然とするヒナ。何か分からぬものを獲得したかと思えば、更なる通知が届いたからだ。


『エレメントハートはメインジョブ聖女との統合が可能です。統合しますか?』


 もうサラの声はしない。理解不能な状況であるけれど、ヒナは思わず頷いていた。

 サラから聞いたままに願う。この窮地を脱する力。エルサたちを守る力を。キングヒュドラアンデッドに対抗できる術をヒナは欲している。


 このあと信じられない事態となる。統合に同意したかと思えば、予期せぬ通知をヒナは受け取ることになった。

 愕然とするしかない。初めから最後までヒナは理解できないままだ。


『ジョブ[聖女]は[天使]に昇華しました――――』





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

土曜と日曜は二話更新です!

朝七時と夕方五時頃を予定しております。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る