第079話 苦境
クリエスは戦い続けていた。もう何時間、戦っているのか分からない。戦闘は順番待ちが発生しているような状況であり、一体倒せば次が襲ってくる。
「ちっとは魔物同士で戦えっての!!」
斬っても斬ってもきりがない。徐々に道幅は広くなっていたけれど、現れる魔物も巨大であり、クリエスは苦戦している。
『婿殿!?』
ここでクリエスは初めて攻撃を受けた。安物の鎧は無惨にも破壊され、肩口からは血が流れている。
「ヒール! 心配すんな!」
『いやしかし、この先も所狭しと魔物が湧いとるぞ!? ブリブリブリィィというくらいに!』
イーサの冗談に突っ込む余裕はない。クリエスはひたすら剣を振り、ダンジョンを下りていくだけだ。自身の弱さのせいで天へと還ったミアに報いるためにも。
「くっそ!!」
ポーションの類は買いだめしている。よって気にすることなく魔法を放ち、剣を振るだけ。クリエスは必死に戦っていた。
『サンダーウェーブの熟練度が100になりました』
火属性との相性が比較的良かったサンダーウェーブ。ここで熟練度がマックスになった。
『サンダーウェーブはサンダーストームに昇格しました』
初級の雷撃魔法サンダーウェーブが昇格するという有り難い通知。中級の攻撃魔法へと昇格している。
「サンダーストーム!!」
即座に脳裏へと展開される魔法陣。クリエスは理解が深まるよりも早くサンダーストームを撃ち放つ。
順番を待っていたようなファイアーゴーレムに強大な稲妻が落ちた。しかも一発ではない。ファイアーゴーレムを中心として立て続けに落雷がある。
「マジか……」
一度に二体を討伐してしまう。どうやらサンダーストームは一発の威力だけでなく、範囲攻撃であるらしい。
「いけぇぇっ、サンダーストーム!」
剣を振るのに疲れていたクリエスはサンダーストームを連発していく。これによりかなり進む速度は上がったけれど、最下層はまだまだ先であった。
もう一日が過ぎたのではと思う。疲労と空腹に加え、眠気まで襲っている。しかし、魔物は今も列を成しており、今更上階まで走って逃げられるのか分からない。加えて入口まで逃げたとして、魔物が見逃してくれるとは考えられなかった。
『婿殿、手を貸すぞ!』
「やめろ! 俺は強くなんだよ。休んでなんかいられねぇんだっ!!」
幾らレベルアップしようとも疲労は蓄積していく。ヒールやポーションによって表面上の回復はできても、精神的な疲れは癒されることがない。
「ぜってぇぇ、踏破してやんからなっ!!」
クリエスの気迫はイーサにも伝わっている。だからこそ言葉がない。魂レベルで繋がるイーサには明確に彼の限界が感じられていたというのに。
『婿殿……』
もうやめろと言いかけてイーサは口を噤む。
疲れ以上に心へと伝わる感情にイーサは気付いていたから。
それは自分自身への憤り。邪神竜に対する怒りに他ならない。負の感情を爆発させ、クリエスが自分自身を奮い立たせていることくらい手に取るように分かった。
『婿殿、もしも妾が同じように天へと還ったら、婿殿はその相手を憎んでくれるのかえ?』
戦闘中であり、確認を取るべき状況でもない。しかし、イーサは問わずにいられなかった。
「そんなこと考えるのなら、自発的に天へと還ってくれ!」
返答は期待するものではなかったけれど、ある意味望んだ通りであった。
同意も否定もなかったけれど、イーサは満足している。強制的に輪廻へと戻された場合は、ミアと同じように彼は怒りに震えてくれるだろうと。
『婿殿、妾は生涯を捧げるつもりじゃ!』
「もう死んでるじゃねぇかよ!?」
こんな今も必死に戦うクリエスにイーサは何かしてやりたく思う。必死に考えるも、霊体である彼女にできることなど限られている。
『やはり飯くらいは食べてもらわんとな……』
言ってイーサは爆裂魔法を唱える。無詠唱であるそれはいきなり効果を発揮していた。
『メガインプレッション!!』
強力な爆発がマグマ溜まりで発生していた。それはマグマを広範囲に飛散させ、壁際に列を成す魔物たちを焼き尽くしていく。
「おい、イーサ!?」
『婿殿、妾とて手加減を覚えた。ダンジョンを破壊するような真似はせんよ。それより飯を食うのじゃ。婿殿の精気がみるみると減っておるのは流石に見ておれん』
イーサはメガインプレッションを連発している。魔物たちはその威力よりもマグマ溜まりで何が起きているのかと戦々恐々としていた。この隙に食事しろという攻撃であり、イーサには魔物を全滅させるつもりなどない。
「悪りぃ。直ぐに済むから」
ここでクリエスはパンを取り出し、齧り付く。既に100以上もレベルアップしていたけれど、イーサが倒してしまわぬ内に食事を済ませようと思う。
パンを呑み込み、水を飲む。それだけでクリエスは生き返ったような気になっている。
「よっしゃ、代わるぞ! 俺は絶対に踏破するからな!」
クリエスの声にイーサはメガインプレッションの詠唱を止めた。嘘かと思うくらいクリエスの精神値が回復していたのだ。
これなら充分に戦えるはず。イーサはクリエスが更なる輝きを放つことを期待している。
小さく笑ってからイーサは声をかける。
彼女らしくとても卑猥なエールをクリエスへの言葉とした。
今宵もギンギンでイクのじゃ――――と。
◇ ◇ ◇
クリエスがオルカプス火山に挑んでから、実に四日が過ぎていた。一度も睡眠は取っていない。しかし、クリエスは最低限の食事だけで剣を振り続けている。
「ようやく、底が見えてきたな……」
一歩ずつ近づく最下層。それだけが彼の精神力を支えていた。必ずや踏破し、更なる力を得るのだと。
レベルは既に千に迫る991となっている。災害級とされるレベル1000に近づいているのだ。階層を下りるごとに魔物は強くなっていたけれど、サブジョブにSランクジョブが二つあるクリエスは魔物たちよりも早く成長を遂げていた。
『婿殿、ちいっとばかしヤバいやつがおるぞ? 妾に任せるか?』
ここでイーサが口を出す。今のところは戦える魔物であったが、彼女はその先を見ているらしい。
「どんな魔物だよ!?」
剣を振りながら聞く。既にクリエスは災難級ならば最上位のレベル帯である。イーサがヤバいと話す魔物なら、それは災害級を意味している。
『蛇じゃの。デカい蛇が上って来ておる。しかも魔物を丸呑みにしながらな……』
ここまで魔物は共食いをしていない。しかし、イーサが見た蛇は順番を守ることなく、前にいる魔物を丸呑みしているようだ。
「マジ? しっかし災害級なら天界で注意報くらい出てんじゃねぇのか?」
そんなことを考えた直後、脳裏に通知音が鳴る。だが、それはレベルアップでもスキルの昇格通知でもなかった。
【寵愛通信】シルアンナ
今の会話を聞いていたのか、いきなりである。まあしかし、彼女が伝えたいのなら、クリエスは聞いておくべきだ。
「なんだよ!?」
『あら、素っ気ないわね? せっかく疑問に答えてあげようと通話してるのに……』
「俺は戦闘中なんだ! 見てたなら察しろ!」
まあ確かにとシルアンナ。かといって使徒であるクリエスの疑問を解消してあげたいという気持ちが抑えきれなかったらしい。
『災厄級までなら世界には割といるのよ。古龍が邪竜になったみたいにね。警報は世界に対して危険かどうかを判断した結果なの。先にいる蛇やダイヤモンドアントに警報が引っかからないのは、魔物の魂強度を奪って成長したからよ。輪廻へと還る魂を大量に殺める危険性があれば、即座に反応するわ。警報外ってことは、その蛇が火口から出ないってこと。そこは魔素も餌も充分にあるみたいだしね』
なるほどとクリエス。確かに火口の魔素濃度は高く、次から次へと魔物が湧くのだろう。こんな今も背後にまで魔物が湧くのだ。災害級以上の蛇にとってはパラダイスかもしれない。
『とにかく無茶をし過ぎよ。気持ちは分かるけど、邪神竜はあれから姿を消したままだし、引き返すことも手よ? 通話はそれを伝えるためなんだからね?』
「忠告は有難いが、俺はもう嫌なんだ。だから自分にノルマを課しているだけ」
クリエスはシルアンナの提案に首を振り、戦う決意を固めた心の内を語る。
「もう俺のせいで誰かが死ぬなんて嫌だ――――」
シルアンナは思った。クリエスはやはり高潔な聖職者なのだと。
死は誰にも等しく訪れるものであったけれど、途中退場していく姿を見ていられないのだろうと。たとえそれが悪霊であり、本来なら現世にとどまるべきではない存在であったとしても。
『ま、頑張ってね。邪神竜は私も許せない。ディーテ様に潜伏先を探ってもらってるから、また連絡するわ』
戦闘中ということもあり、シルアンナは早めに話を打ち切っている。彼女の目的である撤退は叶わなかったというのに。
クリエスは再び集中し、戦闘を続けた。思わぬ主神からの忠告であったけれど、決意は揺るがないのだと。
しばらくして通路に空間が生まれている。間隔が空いた向こう側にはシュルシュルと舌を伸ばす大蛇の姿。どうやら途中にいた魔物は巨大な蛇が食べ尽くしてしまったようだ。
「魔眼!!」
とりあえずは弱点などのチェック。既にクリエスよりも魂強度が優れているのは分かっている。攻撃すべき弱点などが判明すれば戦いやすくなるはずだと。
【名前】アスラ
【種別】巨蛇種
【属性】火
【レベル】1201
【体力】950
【魔力】369
【戦闘】992
【知恵】421
【俊敏】2599
【スキル】
・丸呑み(三倍の大きさまで飲み込める)
やはりイーサが指摘するくらいには強かった。しかし、邪神竜ナーガラージは更に強いのだ。蛇に負けるようでは先が思いやられてしまう。
「いくぞ!」
明確な弱点は見当たらない。強いて言えば口の中に黄色いマークが見えた。恐らく鱗が固く、開かれた口の中が一番脆い部分なのだろう。
勢いよく駆け出すクリエスであるけれど、彼は見落としていた。パッと見た限りは勝てそうだと考えていたのだが、巨蛇がこのダンジョンを生き抜いた理由について理解していない。
「ぬぉっっ!?」
巨蛇は考えていたよりもかなり素早い。確かに俊敏値はチェックしていたけれど、目で追えないくらいの速さだなんて想定外である。
意気込んで挑んだクリエスであったが、呆気なく巨蛇に丸呑みされてしまう。
「ヒール!」
咀嚼されないのは助かっていた。しかし、喉元の肉がクリエスを押し潰すように圧迫してくる。長剣が突っ張り棒となり何とか堪えているけれど、徐々にクリエスは奥へ奥へと送られていく。
『婿殿、頑張れ! もう少しで開けたところにでるのじゃ!』
イーサの声に勇気づけられる。もう完全に鎧は大破してしまったけれど、ヒールをかけ続けて抗っていた。剣と鞘で空間を作りながら、開けた場所へと流れ落ちる時を待つ。
しばらくしてクリエスはヌポンと押し出される格好で広めの空間へと落ちた。直ぐさまライトを詠唱し、周囲を見渡している。
「胃の中なのか?」
足元からは煙が出ていた。恐らくそれは何でも丸呑みしてしまう巨蛇の強酸だろう。クリエスも装備ごと溶かされる運命なのかもしれない。
「浄化!!」
クリエスは浄化を試みる。毒の沼地にも有効な浄化魔法ならば、強酸の水溜りも何とかなるだろうと。
「煙はでなくなったけど、再び分泌が始まる前に脱出しないと……」
魔物の骨らしきものが胃には僅かに残っていた。しかし、クリエスが浄化を唱えたことで、それらはもう煙を上げていない。
『クリエス殿!!』
脱出方法を考えていたクリエス。だが、思考を邪魔するようにドザエモンが大声で彼を呼ぶ。
「何だよ? 俺は真剣に考え事をしてんだぞ?」
不機嫌そうにクリエスが言うも、ドザエモンは続けた。
『いや、儂の愛刀があったんだ!――――』
眉根を寄せるクリエス。確かドザエモンは愛刀の行方を知りたいという未練があり、地縛霊として世界に残ったはず。もし仮にそれが見つかったというのなら、彼は成仏できるかもしれない。
「良かったな。輪廻に還っても頑張れよ!」
『そんな殺生な! 我が愛刀ラブボイーンを見てくだされ!』
しきりに話すのでクリエスは思考をやめ、彼が指差す方向を見る。すると、そこには薄桃色に輝く細長い刀が突き刺さっていた。
「マジかよ、これ……?」
神秘的な薄桃色の輝き。特殊な製法で作られているのは明らかであった。何しろ暗がりで光を発する刃物なんてクリエスは見たことがなかったのだ。加えて強酸を浴びても原形をとどめていることには驚愕するしかない。
『超希少金属モモイロカネ。親方は巨双丘の頂上に咲く薄桃色の蕾をイメージしたと話しておられた。金剛石よりも固く、錆びることも朽ちることもありませぬ!』
自慢げに語るドザエモン。再び愛刀を目にした彼は喜びのあまり涙を流している。
『恐らくコウイチが火口に投げ捨てたのでしょう。師を超えた証として……』
触れようとしても触れられない。霊体である彼には思い出を振り返ることしかできなかった。
『さあ、クリエス殿。ラブボイーンを手に取ってくだされ。そして振ってみてください』
ドザエモンは涙目のままクリエスを見つめている。クリエスに相応しい刀がここにあるのだと。
「お前はそれで成仏できるからいいけどな。俺は蛇の腹ん中だぞ?」
『クリエス殿、ラブボイーンはただの刀ではござらん。儂が剣聖にまで上り詰められたのはラブボイーンがあったからこそ。魔法適性のない儂であっても魔力刃を撃ち出せるのです!』
ドザエモンの説明には小首を傾げる。聞き違えたのかとも思う。何しろ魔力波は魔力のある者であれば誰にでも出せるし、余程の強さでない限りは攻撃力などないのだから。
「魔力波なんか出したところで、魔力の無駄使いだろ?」
『違います。魔力刃です! 魔力波を一点に集中させたもの。通常は広範囲に発せられる魔力波を一方向にだけ撃ち出したものこそが魔力刃なのです!』
その話には息を呑む。波ではなく刃。もしかしてと、クリエスはドザエモンに視線を合わせる。
「おい、ドザエモン……?」
『ええ、この状況を打破できるかと。鱗までは分かりませんが、内臓をズタボロにできるのではと考えます』
何とか希望が見えてきた。長剣で斬りつけたとしても、粘液が邪魔をして刃が通らないのだ。魔力の刃であるのなら、斬り裂けるのではないかと思う。
『名匠ドワサブロウのレアスキル【生産神の閃き】。一万分の一の確率で生産アイテムにスキルが付与されるというもの。まさにラブボイーンは神に愛されし刀なのです。ドワサブロウ氏も驚いておりました』
聞けばスキル付与された武器はかなりレアであるらしい。打った本人も驚くような確率でしか、それは成し得ないのだという。
『儂は付与スキルで強敵を斬り裂きました。無属性魔法であるが故に苦手な相手はおりませぬ。スキルが付与されたその瞬間に、名匠ドワサブロウは最強の刀に相応しいスキル名を心に抱いたと聞いております』
最強と聞くだけでワクワクする。聖職者のクリエスだが、そこはやはり男の子であった。
『そのスキル名はボイウェーブ……』
「まるでワクワクしねぇな!?」
クリエスとて巨乳好きではあるが、ボインボインと口にするのは憚られている。流石にボイウェーブはないなとクリエスは思った。
まあしかし、かなりの逸品には違いない。超稀少金属モモイロカネなんて初めて聞くし、その硬度は強酸に晒される胃の中でも溶かされなかったことで証明されている。
「ならば、お前の刀は俺が譲り受けよう……」
クリエスは歩を進め、刀の柄を掴む。割と長いもので、巨蛇の胃に深々と刺さっている。不気味に輝く薄桃色の刀身。幾重にも重なった波紋が美しく煌めいている。
クリエスは少しばかり心躍った。初めて握る刀という武器に。
『ラブボイーンですぞ!』
「心躍らせろよ!!」
感慨に耽っていたのだが、ドザエモンの補足説明にウンザリとする。その銘だけは今も受け入れられないままだ。
クリエスは深く刺さった刀を抜く。こんな今も刀身は薄桃色をした輝きを発していた。
このあとクリエスはドザエモンから刀の振り方について指導を受ける。常に刃先の方向を意識すること。握り手の位置や構えに関してまで。
『さあ見せてください。その一振りにて儂の心残りを断ってくだされ……』
恐らくクリエスが力強い振りを見せると、ドザエモンは輪廻に還るのだろう。彼もそのことを分かっているのか、穏やかな表情である。
「よし、いくぞ……」
受けた指導のまま、クリエスは上段にラブボイーンを構えた。刃先を意識し、握り手も確認する。精神を研ぎ澄まして力の限りに振り下ろす。
「だぁぁあああっっ!!」
初めてにしては上手く振り抜けたと思う。けれども、聞いていたような魔力刃などでなかった。胃袋の中は相変わらずである。
何が駄目だったのかとクリエスはドザエモンを振り返った。すると彼は頷きを見せて、クリエスに微笑んでいる。
『素晴らしい太刀筋でしたぞ? 儂はようやく理解しました。千年前に我が愛刀を弟子コウイチに奪われたこと。無念に感じていたことは全てこのときに誘われておったのです』
元々、透けて見えていたドザエモンの身体が一層薄くなっていた。今し方の一振りに彼の心残りは解消されたのかもしれない。
「おい待て! どうして魔力刃がでないんだよ!?」
『ふふ、それは念じなければ発動しません。キーワードを心の中に念じるのです……』
ドザエモンは回りくどく原因を口にする。幾ばくも時間は残されていないというのに。
語られるキーワード。魔力刃を発動させる言葉が告げられていた。
『巨乳ラブと……』
「そればっかだな!?」
クリエスのツッコミにもドザエモンは笑顔である。もう悪霊らしさは感じられない。魂が浄化されたのか、旅立つ準備が整ったかのようだ。
『時間がありません。クリエス殿、せめて武人の情けを。儂に向かってボイウェーブを放ってくだされ。儂は自分を守ったその業で天に還りたく存じまする』
霊体に攻撃は効かない。それを分かってドザエモンは願っている。だからこそ、最終的な手段を彼は付け加えていた。
最後の命令をお願いします――――と。
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