第076話 現世と前世

 ヒナとエルサは森を抜け、岩山に囲まれた道なき道を進んでいた。


 左右に切り立った崖があり、薄暗い道である。本当にこの谷間が大陸の南端まで続いているのかと不安を覚えてしまう。


 そんな折り、二人して気付く。妙な気配をずっと感じていたけれど、それらがようやく行動に移したことを。


「お嬢様、囲まれました……」

「ええ、そうみたいね……」


 随分と前から二人の馬車はつけられていた。背後から迫っていたのは知っていたけれど、今は前方にも気配を感じている。


「エルサ、馬車を止めてくれる?」


 ヒナは決断する。恐らくは盗賊の類に違いない。

 地図を見る限り、ゼクシルより南には街などなかった。恐らくは南部に根城を構える盗賊であろう。仮にゼクシルにいた盗賊だとすれば、ヒナたちに襲いかかろうとは考えないはずだ。


 エルサが馬車を止めると、ヒナは勢いよく扉を開いて飛び出していく。気付いていることを知らしめ、早く姿を現すようにと促していた。


「はん、俺らに気付くとはやるな? 人族にしては……」


 しばらくすると岩陰から髭もじゃの男が現れている。また彼は明らかにドワーフであり、小さな身体に不似合いな大斧を持っていた。


「何用でしょうか? 盗賊様でしたら誠に申し訳ございませんが、ご容赦いたしかねますわ」


 切っ先をドワーフに向け、ヒナが言い放つ。もっとも彼女には威圧するような言葉も迫力もなかったのだが。


「それはこっちの台詞。ここら一帯は我らドワーフの聖地なんだ。人族が立ち入る場所ではない」


 代表して答える男。恐らくはリーダーなのだろう。周囲には二十人ばかりのドワーフがいたけれど、彼以外は戦闘態勢を取るだけであった。


「御仁、私たちは南西にある島を目指しているだけ。ドワーフの聖地に踏み込んだことは謝罪させてもらう。どうか通してくれないか?」


 エルサが頭を下げた。敵意はないこと。通行したいだけなのだと。

 ドワーフたちは顔を見合わせている。そんな折り、谷間に強風が吹き荒び、ヒナのブラウスが風によって身体に密着した。


 本日の制服はセーラ服。薄手のブラウスは身体のラインを露わにしてしまう。


「ぬおおおっ!?」


 瞬時にざわつくドワーフたち。彼らは数珠つなぎに視線を合わせていく。どうしてか彼らは全員が頬を染め、遂には武器を収めている。


「お前たちはディーテ様の信徒だろうか?」


 代表の男が再び口を開いた。なぜか信仰について彼は質問している。


「ええまあ。わたくしはディーテ様の信徒であり、使徒でもありますから……」


 ヒナの返答に益々騒々しくなる。使徒とまで話したのは間違いだったのだろうか。彼が敬称を付けてディーテを呼んでいたのだから、使徒であることを告げるべきだと判断しただけなのに。


「お前ら、静かにしろ! 使徒様に無礼だろうが!」


 ざわめくドワーフたちを一喝する代表の男。とりあえず戦闘は回避できたのだと思われる。使徒様といった彼にはヒナに対する敬意があるはずだ。


「俺はドワキチといいます。実は俺らもディーテ様を信仰しているんだ。谷に住むドワーフは二神教。生産神ツクリ・マース様と豊穣の女神ディーテ様を信仰している。使徒様とは知らず、申し訳ない」


 ドワキチもまた頭を下げている。彼らは人族が攻め入って来たのだと考えていたのだろう。


「御仁、私は従者のエルサという。こちらのお方は聖女ヒナ様……」


 エルサの紹介にドワーフたちは再びざわついている。想定内ではあるが、過剰すぎる反応は想像以上でもあった。


「どうかしたのか?」


 流石に大袈裟すぎると感じたエルサが聞いた。使徒も聖女もあまり変わらないだろうと。使徒や聖女に反応するだなんて、ドワーフたちは考えていたよりもずっと信仰心のある種族なのかもしれない。


「いや、この里には聖女伝説が残っていてな。まあ、そのせいで俺たちはディーテ様を信仰し始めたんだ」


 聖女伝説とは何か。エルサだけでなくヒナも気になっている。


「どういうお話なのでしょうか?」


 興味津々である。かつて聖女が存在していたのは知っていたけれど、彼女の話なのかどうか、若しくは彼女が何をしたのかが気になってしまう。


「もう千年以上も昔の話なんだが、聖女だという女が里にやって来たんだ。彼女の名はシエル・ディア・ラマンダ。俺たちはマザーシエルと呼んでいたらしい」


 それはディーテから聞いた名前であった。かつて存在した聖女シエルはドワーフの里を訪れたのだという。


「マザーシエルは全国を回ってディーテ教の布教活動をしていたようだ。俺たちには生産神ツクリ・マース様がいらっしゃったのだが、俺たちは瞬く間にディーテ教団を受け入れていた」


 シエルは転生者ではなかったはず。しかしながら、彼女は主神に祈り、布教することを生業としていたらしい。


「シエル様は熱心に布教されていたのですね? ドワーフ様たちを説得するなんて」


 通り過ぎようとしただけで尾行してくるほど用心深い。ドワーフたちを改宗させるのは容易ではなかったはずだ。


「いや、俺たちは数分も要せず受け入れたらしい。マザーシエルに俺たちは服従するしかなかった。マザーシエルの戦闘力に抗う術がなかったのだと、伝記には記されている」


 聖女シエルの話にヒナは小首を傾げる。聖女の戦闘値が上がりにくいという例としてシエルの話を聞いたのだ。しかも確か彼女はレベルが60くらいしかなかった。ドワーフ全員を戦闘力によって屈服させられるとは思えない。


 しかしながら、ヒナは知らされていた。ドワーフたちが瞬殺された理由について。


「あの爆乳には抗えなかった――と記されている」


 エルサは軽蔑の眼差しを向けている。同じディーテ信徒として恥ずかしく感じてしまう。ひと思いに叩き斬ってやろうかと考えてしまうほどに。


「信仰をスタイルで決めるなど低俗な……」


 エルサは気にしているのか胸を押さえている。幼少の頃から鍛え上げた肉体。彼女の胸はとても残念な感じに成長を遂げていた。


「お前さんなら改宗せんかっただろう」

「やかましいわっ!!」


 痛いところを口にするドワキチをエルサは殴りつけている。とはいえ、既に打ち解けたような雰囲気。それにより不穏な空気にはならなかった。


「んん? では、わたくしたちが警戒を解かれたのはどうしてでしょう? あのときはまだ何も話していなかったかと存じますが……」


 ヒナが質問をする。確かにドワーフたちは突如として武器を収めたのだ。まだ聖女だと話したわけではなかったはずなのに。


「それはヒナ様が……」


 顔を赤らめるドワキチ。もう既にエルサは嫌な予感を覚えている。


「痩せ巨乳とか最高だっ!!」

「貴様ら死にたいようだな!?」


 苛立ちを隠せないエルサ。間違いなくヒナが巨乳であったから、ドワーフは武器を収めた。世に蔓延る巨乳信仰にエルサは憤りを覚えている。


「お前さんだけなら戦闘は続いた……」

「やかましいわっ!!」


 エルサはご立腹である。ヒナは彼女も認める巨乳であるけれど、貧乳だと思われるのは流石に腹が立つ。


「それで貴様ら、お嬢様に近付こうってのなら全員ぶった斬っるからな? このスットコドッコイ髭もじゃチビ野郎が!!」

「急に態度が悪くなったな、お前……」


 歩み寄れたはずが、今度はエルサが喧嘩腰である。さりとて、ドワーフたちには用事があった。聖女だと知った彼らには頼みごとがあったのだ。


「礼はさせてもらう。聖女ヒナ様に俺たちは用事があるんだ……」

「ああん!? 聖女は慈善事業じゃないっての!」


「まあまあ、エルサ。世の中にはどうしても覆せない事象があるでしょう? 諦めることも肝心だとわたくしは習いました。エルサに胸がないのは今に始まったことではありませんし、胸がなかったとしてエルサには問題なんてないでしょう? エルサには無い胸を見せつける恋人なんていないのですし」


「お嬢様の言葉が一番キツいです!!」


 わぁぁんとエルサは泣き出してしまう。彼女は本当に傷ついていたのかもしれない。


「それでドワキチ様、わたくしに用事とはなんでしょうか?」


 どうやらヒナはドワーフたちの願いごとを聞いてみるつもりのよう。ここでも世直しを考えている感じだ。


「ありがてぇ。やはり胸のデカさは懐の大きさなんだな……」

「おいチビ髭、ハムのように斬られたいのか!?」


 エルサを宥めながらヒナは要件を聞く。聖女に願うこととは何なのかと。


「実はドワゴロウという鍛冶工房の親方が一ヶ月も病で伏していてな。ドワゴロウが作る武器は里の貴重な財源なんだよ。まだ若いというのに、病気は酷くなるばかり。聖女様なら治せないだろうかと」


 どうも回復魔法を期待しているようだ。ドワーフは種族的に魔力が少なく、適性もイマイチである。よって病気はクスリに頼っているという。


「それくらいならお安い御用ですわ。患者様のところへ案内してくださいまし」


 ヒナは安請け合いしてしまう。このとき彼女はヒールをかけるだけだと考えていた。簡単な病気くらいはヒールなら一発で健康状態を取り戻せるからだ。


 ヒナとエルサはドワーフの里へと案内されている。あちこちから煙が出ている理由は鍛冶工房が乱立しているからだろう。ドワーフの里は独特の雰囲気が漂っている。


「ここがドワゴロウの家だ。ヒナ様、見てやってくだせぇ」


 ドワキチに案内されたドワゴロウ親方の家。中に入ると衰弱したドワーフがベッドに伏せっていた。パッと見た感じでもかなり具合が悪そうである。


「これは……?」


 ヒナは一目見た瞬間に理解できた。ヒールをかけて終わりという状態ではないと。明らかな問題をドワゴロウは抱えている。


「ヒール!」


 回復魔法は気休めでしかないことなど、ヒナも分かっている。なぜならドワゴロウの身体からは黒い靄が見えており、それは全身を縛るような形状で彼を蝕んでいたのだ。


「ドワキチ様、ドワゴロウ様は呪われております」


 ヒナの所見に間違いはない。呪いや毒を受けた人を治療したことがあるのだ。明らかにこの容体は呪いであって、しかも割と複雑な呪術を受けていると思う。


「呪い? ドワゴロウは恨みを買うような人間じゃないですよ?」


 ところが、ドワキチは首を振る。ドワゴロウをよく知る彼には呪われているなんて信じられないらしい。


「とりあえず浄化を試みますが、治る保証はございません」


 浄化の熟練度は99になってから全く上がっていない。昇格していない現状で、この呪いが解けるとは考えにくい。


「浄化!」


 魔力を注ぐとドワゴロウの身体が輝きを帯びる。程なくその輝きは失われたけれど、ドワゴロウの身体を締め付ける呪いは今も健在であった。


「やはり浄化魔法では厳しいみたいですね……」


「聖女様でも治せないなんてどのような呪いなんですか!? 伝記にある聖女様はどんな病気も怪我も治したと記されてますよ!?」


 ドワキチが声を大きくする。ドワゴロウは彼の親友だったそうで、ヒナに縋るようにして聞いた。


「わたくしは聖女となって間もないのです。ですので詳しいことは分かりかねます」


 辛い宣告であった。現状のヒナではどうしようもできないのだと。

 肩を落とすドワキチにヒナは長い息を吐いた。


「ディーテ様を祀る場所は里にございますか?」

「それなら集会場にディーテ様の像がある……」


 ヒナは何も言わず、集会場へと向かう。理由を告げることなく、彼女は祈り始めていた。

 すると直ぐさま反応がある。ヒナの脳裏にディーテが顕現していた。


『ヒナ、貴方は色々と首を突っ込みすぎよ?』


 いきなり注意されてしまう。けれど、ヒナにも思うところがあってのことだ。


『ディーテ様、わたくしは聖女シエル様と同じようにしたいだけなのです。彼女にできて、わたくしにできないなど受け入れられません』


 はぁっと女神の溜め息が届く。ヒナ自身も我が儘であることは分かっていたけれど、苦しむような人がいて死が迫っていると知ってまで放置できるような胆力を持っていない。


『まあ、見て見ぬ振りができない貴方の性格は理解してはおりますけれど……。呪いについて簡単に説明しますと、苦しみを与えつつ死に至らせることが目的です。まだ一ヶ月であるのなら時間は残っているでしょう。また解呪に関してですが、術式による強制解除と術者が解く場合の二通りあるのです』


 ディーテは説得を諦めたのか、呪いについて話していく。まだ時間が残っていること、更には解呪の方法について。


『術者は闇属性を持つ者です。呪術師ではないのであれば何らかの魔道具を用いたのでしょう。術者を見つけ出すことが手っ取り早い解決策です。術者を天へと還すだけで呪いは解けるのですから』


『確かクリエス様は強力な呪いに遭ったのですよね? クリエス様とお付き合いされていた彼女様は呪術師だったのでしょうか?』


 ここで疑問が一つ。クリエスが受けた貧乳の呪いは恐らく一般女性によるものだ。彼女が闇の属性であったとして、魔道具を持っていたとは思えない。


『クリエス君の呪いは少し方向性が異なるのですよ。彼が受けたのはカルマ的な呪い。行き過ぎた愛が憎悪を伴い恨みへと変化したもの。対象を殺めることで解消される場合もありますが、クリエス君のように強大な憎悪が魂に刻まれると呪いになってしまうのです。そういった呪いは前世の業とされ、魂が誰かに転生したとき効果を発揮します。そういった呪いは想いの強さだけであり、術具や術式を必要としません』


 どうやらクリエスの呪いは未確定の誰かに対する呪いであるようだ。刺し殺したという結果で解消できなかった憎悪が魂に残ってしまう事象らしい。またクリエスを強力な呪いにかけたアリスでも、生きたままクリエスを呪うなど不可能だと付け加えられた。


『それでは術者様を見つけられない場合はどうしたら良いのでしょうか?』


 恐らく術士は里にいるだろう。しかし、見つけ出すのは容易ではないはず。属性しか判明していないのだから。


『術士の発見が不可能であれば、現状でできることはありません。魔道具の使用であれば恐らくそこまで強い呪いではないはずです。ただ浄化で解呪できないのなら、Aランク相当のスキルが必要ですね。浄化の昇格先である[清浄]というスキルが……』


『清浄であればクリエス様の呪いも解呪できるのでしょうか?』

『いいえ、彼の魂に刻まれた呪いはそう簡単に解除できるものではありません。何しろ前世に遡って解呪する必要があるからです。呪いをかけた人物が完全に想いを断つか、或いは最上位の浄化魔法であるカタルシスでもなければ無理でしょうね』


 聞けばカタルシスはSSランクの魔法らしい。習得難度は異様に高く、聖女級の支援職でも習得は困難であるという。


『とにかく清浄で解呪するにしても問題がありますから、ワタシとしてはお勧め致しません。現世内の呪いは術士と対象者が接続しております。強制解除は術士の腕を斬り落とすようなもの。呪いが強力であればあるほど、術士は呪いの反動を受けることになります。仮に反呪で死んでしまえば、穢れたまま魂が天へと還ることになるのです』


 解呪を試みるにしても、問題があるとのこと。強制解除により術士は相応のダメージを被ることになる。罰を与える前に死んでしまい、魂が穢れたまま送還されることをディーテは望んでいないようだ。


『であれば、わたくしは術士を探してみます』

『ほどほどにしなさいよ? 簡単に片付く問題ではないのですから』


 言ってディーテは消えゆく。少しばかり釘を刺してから。


 さりとてヒナはやるつもりだ。呪いに苦しむ人を放置などできないと。

 彼女は信念に従い行動するだけであった。

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