第071話 道草
港町ダリスを発ったヒナたちはヒュドラゾンビがいるというサナタリア島を目指している。途中にあるリンクシャア連邦国を抜けると整備された街道はなくなっており、南へ向かう道は荒れ果てたものとなっていた。少し進む度に、倒木やら岩やらを除去しなければ進めないほどである。
一ヶ月以上を要して二人はゼクシルという無政府国家へと到着。ゼクシルは数年前まで王国であったものの、反乱軍が勝利した挙句、雇われの傭兵団が自治権を主張し、不法に占拠してしまったのだ。
傭兵団は王家を上回る圧政を住民に課し、富裕層は概ね国外へと逃げていった。結果としてゼクシルは圧政者と貧困層のみとなり、対外的に国家と認められない無政府状態となっている。
「お嬢様、お気をつけください。祈りが済めば直ぐに出発いたしましょう」
エルサはゼクシルでの用事を聖堂での祈りだけとするつもりだ。隙あらばという悪漢が溢れる町に長居する気はさらさらない。
「大丈夫よ。わたくしも強くなったのだし、少しくらい平気です!」
「お嬢様ぁぁ、そう言って問題を抱え込むのは勘弁してしてくださいよぉ?」
まるで信頼されていない。ここでもまたやらかすのではと、ヒナは疑われていた。
聖堂前で馬車を停車し、ヒナだけが聖堂へと入る。二人して入ると馬車が盗まれる恐れがあるからだ。
ヒナが聖堂に入ると、シスターが祈りを捧げていた。ヒナは彼女の祈りが終わるときを待ち、シスターが立ち上がるや、ディーテ像の前へと進む。
「女性とは珍しいですね……」
手を合わせたヒナに、シスターが声をかけた。珍しいと言われても、シスターだって女性に違いない。
「シスター、ここでは女性が祈ることなどないのでしょうか?」
流石に問いを返す。どの街でも女性だって祈りを捧げる。世界中で行われていることだとヒナは考えていたからだ。
「ゼクシルは荒れ果ててしまいましたから。女性や子供を街中で見ましたか?」
どうしてか質問返しがある。さりとて、それはヒナも違和感を覚えていたことだ。ここに来るまで力無く横たわる男性しか見ていない。
首を振るヒナにシスターが続ける。
「女性や子供は直ぐに捕らえられ、奴隷として売られてしまうのですよ。ゼクシルの地にはもう加護などないのかもしれません」
シスターは現状に憂えて絶望感すら覚えているような表情。聞いた通りに街は荒れ果てていたけれど、ヒナには疑問もある。
「シスターはどうして無事なのでしょう?」
街中の女性や子供が奴隷として売られてしまうのなら、教会のシスターはどうして問題ないのかと。
「私はディーテ教団から派遣されておりますから。流石に狙われることなどありません。修道着以外で彷徨くと、ひと溜まりもないでしょうが……」
なるほどとヒナ。如何に無政府状態であったとして、ディーテ教団を敵にはしたくないようだ。もし仮にシスターが音信不通になれば、瞬く間に本部から僧兵が派遣されてしまうはず。現状の無政府状態を是正しようと動くだろう。
「そうでしたか。わたくしはあまり良い状況だと思えません。シスターはネオシュバルツの本部に伺いを立てられていらっしゃいますか?」
「もちろんです。非道な事案が毎日のように起きていること。私は魔力不足で伝心通話が行えませんが、伝書術にて鳥を飛ばしております」
瞬時にヒナは理解していた。伝心魔法が使えぬのであれば、本部には届いていないのだと。教会から飛び立つ鳥は確実に始末されているはずだ。
「シスター、どうかご安心を。わたくしはこれでも聖女なのです。ディーテ様にはわたくしからご報告させていただきます」
エルサに釘を刺されていたというのに、ヒナはゼクシルの問題に首を突っ込もうとしている。現状があまりにも酷い状況だと感じて。
「聖女様!? 貴方様が本当に聖女様なのですか?」
「今からディーテ様に顕現願います。わたくしはゼクシルの現状を良く思いません。ディーテ様も同じように感じられているはずです」
言ってヒナはディーテ像に祈りを捧げる。ゼクシルに幸があるように。力無きシスターに助力いただけるようにと。
しばらくすると、ディーテ像が輝きを帯びる。シスターにとって、それは明確に奇跡であった。何もない空間から、主神ディーテが降臨するだなんて。
「ヒナ、貴方も色々と抱え込むのですね……」
苦笑いのディーテにヒナは大きな笑みを返す。願った通りに顕現してくれたディーテには感謝しかなかった。
「ディーテ様、わたくしはゼクシルの現状を捨て置けません。たとえ急ぐ旅路の途中だとしても……」
ディーテは今更ながらに思い知らされていた。世界がヒナを聖女として選定したその理由について。
彼女は自身の生命を優先することなく、寄り道をするというのだ。制約の日まで八ヶ月しかないというのに、ヒナはゼクシルの現状を変えたいと願う。
「まあそうですね。ワタシも正直なところ気にはなっています。ですが、ヒナは一刻も早く成長すべき。ワタシはそう考えております」
シスターは呆然としていた。女神ディーテが降臨しただけでなく、可愛らしい女性と普通に会話しているのだ。とても現実に起きていることだとは思えない。
「ディーテ様、わたくしは傭兵たちを倒すべきでしょうか? 仮に倒したとして現状が改善されるでしょうか? わたくしはそれを知りたく存じます」
ディーテは長い息を吐いた。諭すような話を考慮せず、意志のまま語る彼女に。割と頑固なところがあるのは知っていたけれど、やはりヒナは彼女の正義を曲げるつもりはないらしい。
「そうね。現状の貴方なら問題なく倒せるでしょう。問題はそのあとです。現状の統治者を排除したとして、同じような輩が必ず現れます。人は貴方が考えるよりも、ずっと悪意を持っているのですから」
ディーテは遠回しに無駄なことだと伝えている。傭兵たちを排除したとして、次なる圧政者が現れるだけなのだと。
「だからといって見過ごせません。それであれば、わたくしが統治者としてゼクシルに残れば、問題は噴出しなくなるでしょうか?」
絶句するディーテ。旅の目的を履き違えるヒナに。あろうことか彼女は貴重な時間を費やしてまでゼクシルを救おうとしていた。
「ヒナはどうしようもありませんね。ですが、貴方がここに残るのは却下です。ゼクシルの地は教団に任せましょう。エバートン教皇に神託を出しておきます。責任を持ってゼクシルを統治し、善政を敷くようにと」
ヒナは笑みを浮かべている。ディーテ教団であれば下手なことにはならないだろうと。きっと弱者たちは救われるはずだと。
「ありがとうございます、ディーテ様。とりあえず現状の圧政者たちは排除していきます。少しばかりの時間でも民が救われるように」
ヒナの言葉にディーテは頷きを返していた。ここで話は終わりかと思われたものの、ディーテは別件を口にし始める。
「ヒナにも伝えておきましょう。クリエス君に取り憑いていた悪霊の一体が天に還りました。かの悪霊の魂強度を得たクリエス君は大幅にレベルアップを遂げ、尚且つ呪いのレベルを上げていた従者も失われたのです。一度に二つも呪いのレベルが低下したことにより、ステータスの減算は二分の一となっております」
伝えられた話は吉報であった。しばらく祈りを捧げる場がなかったヒナはここでクリエスの現状を知らされている。世界救済のネックとなっていた悪霊が一つ天へと還ったのだと。
「それは喜ばしいことですね」
「まあそうなのですが、邪神竜はあの悪霊を簡単に蹂躙しておりました。考えていたよりもずっと強いのだと思われます」
吉報に続いて告げられたのは悪い知らせだ。災禍級の悪霊が一体減ったのはクリエスにとって幸運だが、邪神竜の強さが明らかになってもいた。加えてクリエスは邪神竜と戦う戦力を失っていたのだから。
「悪霊の消失はヒナにも影響があるのです」
妙な話にヒナは小首を傾げている。クリエスの悪霊が天に還った影響がどうして自分にもあるのかと。
「なぜでしょうか?」
「実は貴方が討伐を考えているヒュドラゾンビは消失した悪霊ミア・グランティスの使い魔であったのです。主人を失った使い魔がどう動くのか分かりません。五体のヒュドラゾンビに命令できない状態なのです。ヒナが倒しやすい状況を作り出すのは不可能であり、サナタリア島は完全に無秩序な状態といえます」
ヒナは頷いている。確かに楽ではなくなったけれど、今さら引き返すなんてできない。
クリエスと合流してから再び目指すのなら、かなりの日数を無駄にしてしまう。自分で討伐できる魔物であれば、無駄な時間を使うべきではない。
「わたくしはこのまま進みます。クリエス様にはよろしくお伝えください。無茶はしないようにと……」
「分かりました。貴方も無茶はやめるのよ? 世界は予想よりも随分と早く終末へと向かっております。新たな使徒を準備する時間などないと心に留めてください」
ディーテはヒナを止めなかった。時間がないのはディーテも分かっているのだ。クリエスと合流するよりも、個々にレベルアップする方が理にかなっているのだと。
ここでようやく祈りが終わる。顕現したディーテの姿が淡く消えていった。
唖然と眺めていたシスター。立ち上がるヒナに声をかけずにはいられない。
「聖女様、ゼクシルをお救いいただけるのでしょうか!?」
縋るような目にヒナは笑みを返す。一部始終を見届けた彼女の期待に応えるつもりである。
「もちろんです。ディーテ様が仰ったように、ゼクシルはディーテ教団によって統治されることになるはず。民が嘆くだけの時代は終わらせます」
礼をしてからヒナは聖堂をあとにする。エルサへの報告が億劫に感じられていたけれど、彼女はゼクシルを救うのだと決めたのだ。
専属メイドに堂々と道草を主張するだけであった。
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土日は1話ずつの更新となります。
時間が足りない……(>_<)
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