第070話 陽が落ちて……※胸くそ展開(下部に要約あります)

 クリエスが意識を戻したのはナーガラージが飛び去ってから数時間が経過した頃であった。


 もう完全に陽は落ちて、周囲は闇に染まっている。


「ぅぁ…………」


『婿殿、気がついたのか!?』


 朦朧とする意識。定まらぬ焦点。しかし、クリエスの瞳は心配するイーサと濡れタオルを用意するベルカの姿を捉えていた。


「ミアは……?」


 まず気になるのはミアのことだ。意識を失う直前、ナーガラージに捕らえられた彼女がどうなっているのかと。


『駄肉は連れ去られた。無駄にデカすぎるオッパイのせいでな……』


 クリエスの問いにはイーサが答えている。ディーテ神とタメを張る巨乳のせいでナーガラージに気に入られてしまったのだと。


「イーサ、ミアを助けてくれよ……」

『分かっとるが、まずは婿殿じゃ。妾は心配でならんかったのじゃ……』


 唇を噛むクリエス。自身の弱さのせいで、ミアが連れ去られてしまった。突然襲った胸の痛み。我慢して気を失わなければ、イーサはミアを救えたかもしれないというのに。


「すまん。俺が弱すぎたせいだ……」


『婿殿、駄肉もまた強者じゃ。自身の最後は自分で決めるだろうて……』


 酷く心が痛む話であった。無理矢理に連れ去られたミア。彼女に触れられるナーガラージがこのあと何をするのかと考えてしまう。さりとて、予想できる結末は一つしかなかった。ミアの初めてを奪うためだけに、邪神竜は連れ去っていったのだから。


「ミア……」


 意図せず涙が零れた。不甲斐ない自身のせいでミアが苦しむなんて。邪魔に感じていたのは事実だが、今となってはミアが心配でならない。


『婿殿、あの駄肉は弱者ではない。トカゲに蹂躙されるタマではないのじゃ。それに婿殿には妾がおる。美巨乳たる妾がいれば問題ないじゃろ?』


 イーサ的に精一杯の鼓舞であったと思う。それが分かったからこそ、クリエスは怒鳴り返すことなく頷きを返している。

 失意に暮れていても変化などない。前を向き、最善の行動を取るだけであった。


「取り戻すぞ。ミアは俺の従者なんだ……」


 再び心に強さが宿る。どうあっても取り戻そうとクリエスは思った。男女交際はミアにとって後悔の念に他ならないが、望まぬ相手と済ますだなんて考えていないはずだ。


『うむ、妾もトカゲのやつは許せぬ……』


 イーサも同じ気持ちである。ミアを無理矢理に攫っていったナーガラージを彼女も許すつもりはないらしい。


「よっしゃ、行くぞ!」


 クリエスが立ち上がったそのとき、どうしてか視界が輝き始める。

 目映く煌めいた空間は徐々に輝きを失い、その中に人影を投影していく。


 唖然とするクリエス。なぜなら輝きの中にミアの姿を見たからだ。


「ミア……?」


 幻覚にも似たそれにクリエスは話しかけた。突然、舞い戻ってきたかのような彼女に声をかけている。


 問いかけには頷きが返されていた。やはり現れたのはミア。彼女は邪神竜による拘束を逃れて戻ってきたのかもしれない。


『旦那様、私は不貞を犯しました。あろうことか邪神竜に奪われてしまったのです。私が現世に留まった理由は旦那様も知る通り。男女の交際を知るためでした……』


 語られる話はクリエスも知っていたことであり、危惧していた内容そのものであった。男女交際を知ることなく天になど還られないのだと彼女は話していたのだから。


「お前……?」


『申し訳ございません。私は男性を知ってしまいました。本当に申し訳ないと思っております。心残りを解消した私は天へと還る運命。しかし、強制的な力に抗い、こうして旦那様の元へと戻ってきました。その理由は二つ。邪神竜の元を去るのに存在の多くを失いましたが、私はまだ存在を残しているのです。その力を旦那様に捧げたい。更には最後の心残りを解消していただきとうございます……』


 声を震わすミアにクリエスは何も言えなかった。恐らくミアの魂強度では神格を持つナーガラージに敵わず、何の抵抗もできなかったのだろう。


 また望みを叶えたミアであったが、もう一つあった心残りのおかげか、天へと還る前にクリエスの元へと辿り着いている。


『私は愛を知りたい。肉体を絡め合い、お互いに愛を感じ合う。身体はどうしようもございませんけれど、せめて言葉だけでもいただきたく存じます。最後は旦那様に送っていただきたいのです。乾ききった私の心を満たしてください。どうか意を汲んでいただきとうございます』


 クリエスは何も答えられない。ミアは今にもこの世から去ろうとしていたというのに。


『私の全てを旦那様に。そしていつかあの邪神竜を殺めていただきとうございます』


 ミアの強い意志をクリエスは痛いほど感じ取っている。彼女の無念は充分に伝わっていた。


『もう時間がありません。邪神竜ではなく、貴方様の手によって私は天へと還りたい。嘘でも思いつきの言葉でも構いません。私は貴方様の声が聞きたい。その声によって天へと還りたいのです……』


 クリエスの瞳に映るミアは徐々に淡く薄くなっていった。輪廻へと還る時間が迫っているのだろう。


『クリエス・フォスター様、愛しております――――』


 言ってミアは消失した。クリエスに何も言わせぬまま、好き勝手に想いを告げて彼女はこの世を去っていく。


「おい、ミア……?」


 もう空間には何も見えず、ミアの存在を示すものはどこにも残っていなかった。

 しかし、動揺している場合ではないと気付く。ミアが語った全てに応えてあげるべき時なのだと。


 正解かどうかは分からない。彼女が本心と受け取ってくれるかも不明だ。けれど、クリエスは声を張る。感情のままに言葉を返していた。


「ミア、大好きだ!!」


 彼女に届いただろうか。クリエスは不安で一杯だった。

 願わくば、この叫びが彼女へと届き、もう二度と迷うことなく安らかに逝けるように。憂えることなく来世を迎えられるようにと。


『ありがとうございます……』


 小さな声が届いた。ミアはまだクリエスの言葉を待っていたのかもしれない。

 しかしながら、もうそれ以上は何も聞こえなかった。待っていたとして、耳が痛くなるほどの静寂に包まれているだけだ。


 どうにもやり切れない。自身の無能さのせいで連れ去られ、強制的に輪廻へと還ることになるなんて。クリエスは呆然と頭を振るしかなかった。


 その刹那、


『スキル[死霊術]が使用可能となりました』

『スキル[腐食術]が使用可能となりました』


 立て続けに通知がある。ミアの置き土産なのか、使用できない状態だった彼女のスキルが使用可能となったらしい。


 戸惑うクリエスを余所に通知が続く。


『レベル699になりました――――』


 唖然と息を呑む。明らかにミアを輪廻へ還したのはナーガラージであったというのに、どうしてかクリエスが魂強度を得ている。


 全てはミアが語ったまま。彼女は魂強度を残してクリエスの元へと戻ったのだ。彼女のレベルからすれば少ない魂強度や、心残りの解消を依頼したこと。結果から考えると、ミアが望んだ通りにクリエスは送ってあげられたのかもしれない。


「ミア……」


 ありがとうと感謝される覚えはなかった。クリエスは本心を語っただけ。決して嘘を言って彼女を送ったわけではなかったのだ。


『逝ったのか……』


 イーサもまた察している。ミアがこの世に思い残すことがなくなったことを。後顧の憂いを断ち、輪廻へと還っていったのだと。


 長い息を吐くクリエス。正直に心が乱れていたけれど、湧き立つ感情は悲しみよりも憎しみの方が大きかった。

 このような結末は望んでいない。クリエスはこの状況を作り出した存在に対して、憎悪と呼ぶべき感情を抱いている。


「イーサ、ナーガラージは絶対に許さねぇ。ズタズタに斬り裂いてやらなきゃ怒りが収まらねぇんだよ。俺は必ず強くなって、あの邪神竜を殺す……」


 正義感溢れる真っ直ぐな人であるとイーサは分かっていた。しかし、現状のクリエスからは邪悪とも思える禍々しさを感じ取っている。


『妾は婿殿に強くなって欲しいのじゃ。よって妾は手伝うぞ。あのトカゲを真っ二つにしてやれ……』


 イーサなりのエールは心に響く。彼女もまたミアの消失には怒りを覚えているはず。更にはクリエス自身がかの邪神竜を討つことこそが弔いなのだと理解していた。


 背中を押されたクリエス。絶対にやってやろうと意気込んでいる。しかし、待っていたのは更なる悲しみであった。


「あぁああぁあああぁっっ!!」


 急にベルカが苦しみ始めたのだ。彼女はその場へと倒れ込み、苦しさからか爪で土を思い切り掻いている。


「ベルカさん!?」


 あっという間の出来事である。地面に伏し、十秒も経たないうちにベルカは動かなくなってしまう。


「ベルカさん! ベルカさん!」


 幾ら叫べども返答はない。それどころか彼女の体温は急激に失われていった。

 呆然と顔を振るクリエスにイーサが声をかける。


『婿殿、此奴は闇の支配契約を結んでいたのじゃ。魔物の使役とは根本的に異なる生殺与奪の支配術。駄肉が失われた以上、魂を支配された此奴はこの世で生きてはいけん。特に此奴の場合は魂の殆どを奪われておったしな……』


 どうやらベルカはほぼ全ての魂をミアに奪われていたらしい。生命をミアに依存していたベルカはミアの消失と共に失われる運命。ミアが失われた今、ベルカはこの世に留まれないようだ。


「ちくしょう……」


 益々腹が立っていた。全ての原因である邪神竜や、何もできない自分自身に。

 クリエスは唇を噛み、どこを見つめるでもない瞳には怒りが満ちていた。


「邪神竜をただ殺すだけじゃ俺の気が済まねぇよ……」


 らしくないドスの利いた声。怒りという感情が発したその言葉にイーサは魂が震えたような感覚を覚えている。


「魂まで完全に破壊してやる――――」


 未だかつてクリエスがこれ程までに怒りを露わにするのは見たことがなかった。

 威圧感を伴う怒声には頷くしかできない。宥めたり諭したりするような言葉は少しも返せなかった。


「二人の弔いなんだ。派手なパーティーにしようぜ……」


 必ずや邪神竜を亡き者にしようとクリエスは決めた。天へと先に還っていったミアとベルカのためにも、ナーガラージだけは命に替えても仕留めるのだと。


 邪神竜ナーガラージは己の手によって斬り裂く。それこそ魂がすり減るまで斬り刻んでやろうと。

 クリエスは邪神竜の討伐を誓う。彼を庇護する女神たちや世界にではなく、天へと還った仲間たちに対して……。





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↓↓胸くそ展開苦手な方への要約↓↓


 ナーガラージに攫われたミアは天へと還されてしまう。しかし、強い意志によって天へと還る力に抗いクリエスの元へと。

 ミアはクリエスに残る魂強度をクリエスに与えて、天へと還っていく。彼がナーガラージを討伐してくれることを願って。

 クリエスはミアの想いを真摯に受け止め、復讐を誓う。必ずやナーガラージを討伐してやるのだと。強くなることだけを考えていた。

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