第062話 クリエスとシルアンナ

 大深林を抜けて平原へと差し掛かった頃。不意にクリエスの脳裏にけたたましい音が鳴り響いていた。


「なんだ?」


 クリエスが意識を向けると脳裏には文字が浮かんで見える。しかしながら、レベルアップ時のような通知とは異なっていた。


『着信 シルアンナ』


 どうやらシルアンナの寵愛による通信らしい。どこでも連絡を取れるようになっていたけれど、シルアンナからも通信できるようだ。


『ああ、俺だけど?』

『クリエス! あんた邪竜に狙われてるの!』


 いきなり本題を繰り出すシルアンナにクリエスは眉根を寄せる。魔王候補ならいざ知らず、邪竜だなんて急すぎると思う。


『遂に邪竜まで発生したのか?』


『そうなのよ! とりあえず被害は最小限なんだけど、クリエスを殺そうと西に向かってるの!』


『落ち着けって。何がどうなって俺が狙われているんだ?』


 シルアンナの取り乱しようは危機を明確に感じ取れるものだった。クリエスこそが狼狽える場面であったけれど、自分以上に慌てふためく彼女のおかげで逆に落ち着きを得られている。


『実は南大陸の東に古龍が住んでいたのよ。人化の術を覚えたらしくて、人里に下りていってしまったの』


 まるで要領を得ない話だが、クリエスは相づちを打っている。詳しく聞かねば理解できないのだからと。


『まあそれで、なぜか私の像を見て一目惚れしたらしくて、私と会うために古龍は神竜になろうとしてしまったのよ』


 話は益々難解な方向へと進む。流石にクリエスは問いを返すしかない。


『良く分かんねぇな。確かシルアンナの像ってディーテ様の石像ほど精巧な作りじゃなかったよな? 整った感じではあったけど、石像の顔は一目惚れするほどの見た目だったか?』


 クリエス自身もシルアンナ教徒なのだ。どこの聖堂にも同じような石像があったと記憶している。実物ならばともかく、シルアンナ像は美しいだろうなと想像する余地を残していたのだ。よってシルアンナ像を見て一目惚れするなど考えられない。


『……ぅだからよ』

『んん? 何だって?』


 あまりに小さな呟きにクリエスは聞き返している。

 少しばかりの沈黙。何が何だかクリエスには分からなかったけれど、どうしてかシルアンナは躊躇っている模様だ。しかし……。


『私が貧乳だからよ!!』


 今度は頭が破裂しそうになるほどの怒声で返されていた。極端すぎる声量に驚くクリエスだが、言い淀んだ原因をようやくと理解する。


 それは禁句なのだ。想像するに貧乳ですら生温い言葉を古龍から浴びせられたはず。シルアンナ像とリアルシルアンナを知るクリエスには推し量れていた。


『ああ、そういうことな。んで、神竜になろうとした古龍はどうして邪竜に?』


『えっと、神竜なんて簡単になれるものじゃない。世界に認められなきゃいけないのよ? かつて狂竜とまで呼ばれた古龍がなれるわけないじゃない?』


『いやでも、邪竜にはなれるのか?』

『邪竜に神格は必要ないし。昇格したいという願いと能力値があれば叶う可能性はある。加えて今は世界のバランスが最低だから、災厄級以上が生み出され易い状況ね。狂竜ナーガラージが邪竜化する舞台が整っていたとも言える。不本意ながら、私を起点として……』


 流石に女神としてやりきれないだろう。自身の存在が災厄へと繋がってしまったのだから、どうすることもできないとはいえ苦痛に違いない。


『なら、どうして邪竜は俺を殺そうとしているんだ?』


 シルアンナが取り乱していた理由は間違いなくそれが原因である。薄々と勘付いていながらもクリエスは問いを返していた。


『私は邪竜と会うために降臨したの。それで邪竜にクリエスが使徒であることを伝えた。最終的に約束したのよ。クリエス以外を殺めないようにって。でもまさか、一直線にクリエスがいる方角へ進むなんて考えもしていなかったの。どこにいるのか伝えていなかったというのに……』


 自身が狙われるなんて想定していなかったものの、クリエスは頷きを返していた。

 シルアンナは罪悪感を覚えているようだが、賢明な判断であったと思う。彼女は信徒たちを守るために使徒を使っただけ。どのみちクリエス以外にはどうにもできないはずだ。


『よくそんな条件を邪竜が受けたな? とても信じられないけど』


 疑問がないわけではない。一方的な約束を邪竜が受けるはずもないのだ。邪な竜と書くだけの中身があるはずだと。


『実はね……』


 徐に真相が語られていく。重い口ぶりのシルアンナを見る限り、駆け引きとしては最低の約束事を交わしたに違いない。


『誰も殺めずクリエスだけを倒した場合に、私は邪竜ナーガラージを天界に迎える約束をした……』


 意味が分からない。邪竜を天界に喚ぶとか。流石に質問を返すしかなかった。


『端折るな。ちゃんと教えろ。どうやったら邪竜が天界に行けるってんだ? 女神には悪の魂をも神に昇華させられる力があるってのか?』


『そんな力はない。貢献した使徒の魂を天使として迎え入れる制度があるくらいよ。助手として働いてもらうためにね。まあ私は熱くなってクリエスの話をしちゃったのよ。それで邪竜はその位置に自分を据えろと言い出した……』


 聞けば納得の話である。召喚される魂は往々にして使命を持つのだ。死後の優遇が用意されていてもおかしくはない。従って羨んだ邪竜がクリエスを殺そうとしているのだと。


『でも使徒に限るんだろ? 天使になれるのは?』


『そうなの。でも私は約束してしまった。地上の如何なる存在に対しても、女神は約束を果たさなければならないのに。仮にクリエスが負けてしまったら、私は重い罰を受ける。もしかしたら女神ではなくなるかもしれない』


 クリエスは驚いていた。守れもしない約束をしてしまったシルアンナに。罪になると知ってまで信徒たちを守ろうとした彼女に。


 言葉を失ったクリエスに対してシルアンナが続けた。


『私が天使として迎えたいのはクリエスだけ――――』


 思わぬ話にクリエスは唖然としている。何だか告白のようにも感じられて。

 頬を染めるシルアンナを見ると、必ずしも間違っているようには思えない。


『シル……』


 初めて愛称で呼ぶ。天界でのいざこざから躊躇っていたのだが、自然と口を衝いていた。

 クリエスは思案する。しかし、今は彼女への返答を考えるべき時ではなく、シルアンナを安心させることこそが求められる行動であると気付く。


『死んだ後の話なんかすんな。全て俺に任せろ。俺の心配なんかしなくていい……』


 邪竜が向かってくるというのなら腹を括るしかない。クリエスは決意を言葉にしている。


『邪竜ナーガラージはぶっ殺してやる――――』


 天使に昇華できるのは貢献した使徒の魂である。クリエスはまだ何も成し遂げていない。強くなる過程であって、自身を誇れる結果など残していなかった。だからこそシルアンナに返事をする場面ではなく、彼女の期待に応えるべく邪竜を討伐するだけだ。


『クリエス……?』


『まあ、遅かれ早かれだ。それで俺は何処に行けば良い? 邪竜の強さはどれくらいなんだ?』


 ヒナに会うという目的があったものの、真っ直ぐに邪竜が向かってくるというのであれば、作戦の一つくらいは考えておかねばならない。


『ディーテ様が仰るには狂竜と呼ばれた時代に1500近くあったらしいわ。だから現状のクリエスが戦うのは避けたいのだけどね』


『邪竜には俺の居場所が分かるのか? 俺は逃げ切れるのか?』


 質問を重ねていく。これから取るべき行動。逃げるのであれば、いち早く移動しなければならない。


『分からないと思う。でも迷うことなく西へと向かっているの。とりあえずナーガラージは人化したままでいるという約束を守っているわ。だから馬車なら逃げ切れるはず』


 逃げるとすれば来た道を戻るくらいだ。アル・デス山脈の北側に邪竜がいるのなら、クリエスは南側へと戻るべきだ。


『しかし、いつまでも逃げられんぞ? 俺が強くならなければ、根本的な問題解決とはならない』


 それはシルアンナも考えている。逃げるだけでは強くなれないこと。


『今度は街道ではなく、アル・デス山脈の麓を移動してくれる? 明らかに強い魔物がいるし、きっと強くなれる』


 シルアンナの提案であったが、クリエスは首を振った。正直に時間がかかりすぎる。そのような逃げ方ではヒナと会う約束が果たせなくなってしまうからだ。


 目を瞑って考える。

 圧倒的に時間が足りないヒナ。更には向かい来る邪竜。まだ弱い自分自身や千年前の災禍である悪霊の二人。全てを勘案し、クリエスは限られた時間の中で取るべき行動を見出している。


『シル、俺は戦おうと思う――――』


 思わぬ返答に息を呑むシルアンナ。ろくな提案ができなかったのは事実だが、クリエスの話は彼女が望むものではない。


『クリエス、貴方が今天界に戻っても、輪廻に還るだけなのよ!? 確かに水竜の討伐とかスタンピードを未然に防いだけれど、それらは世界の危機じゃない。優遇するには功績が全く足りないのよ。しかも私は何の力もない新米女神なの。ディーテ様のようにゴリ押しする権力もない。もしもクリエスがナーガラージに殺されたのならば、貴方はそこで終わりなのよ!?』


 説得するようなシルアンナ。現状でクリエスを天使とするには実績が足りない。でまかせで了承した邪竜の一件とは違うのだ。


『だとしてもだ。俺は世界もヒナも救うと決めた……』


 クリエスが本気だということくらいシルアンナにも分かった。冗談で災厄と闘うだなんて話ができるはずもないのだ。


『じゃあ、どうするつもり?』


 一応は作戦があるのか聞いてみる。決して同意などできないだろうが、シルアンナもクリエスの考えが気になっていた。


『戦うだけだ。剣と魔法を駆使するだけ。レベル1000超えだって? 一気に強くなれるチャンスじゃねぇか……』


 やはりノープランであるらしい。かといってクリエスには負けないという確信もあった。


『最悪の場合はイーサとミアに命令する。邪竜と言っても、あいつらより強いはずがない』


『彼女たちにまともな戦闘ができると思うの? 千年前は北大陸と南大陸を破壊し尽くしたのよ!?』


 シルアンナが調べたところによると北大陸はイーサが蹂躙し、南大陸はミアが破壊し尽くしていた。加減を知らぬ彼女たちの力を借りるのは正直に不安である。


『そういうわけだから、万が一の時は少しばかり地形が変わっちまうかもしれない。大目に見てくれよな?』


 何を言おうと、もうクリエスは逃げないのだろう。シルアンナもまた覚悟を決めるしかなかった。信頼する使徒が戦うというのだ。彼を信じて背中を押すだけである。


『分かった。絶対に死なないと約束しなさい。天界で雑用させる予定なんだから。クリエスが天に還るのはずっと先。約束するのなら納得してあげる』


 クリエスは小さく笑って返す。好意を向けられていることは疑問に感じていたけれど、今やその理由がよく分かった。どうやら彼女は主神として最後まで自身の面倒を見るつもりなのだと。


『ああ、約束するよ。じゃあ、俺が天に還るまでバストアップに励むことだな?』

『うっさいわね! 地獄に落とすわよ!?』


 最後は笑って通話を終わらせる。女神にそんな裁量がないことくらいクリエスにも分かっている。魂は天に還るだけ。寄り道をするかしないかだと知っているのだ。


 じゃあなと言ってクリエスは現実に意識を戻す。進路はこのままだ。

 邪竜が向かってくるのなら、迎え撃つだけであった……。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

只今、絶賛校正中です。40%くらいの

確率でもう1話更新するかもです(笑)

とりあえず頑張ります(二日連続白目)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

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