第060話 エルフの国

 クリエスは大深林を突き進み、ライオネッティ皇国へと入っていた。

 かといって森の中を延々と進んでおり、土地勘のないクリエスには近付いているのかどうかすら分からない。


『旦那様、もう直ぐです。見えてきました!』


 ミア曰く、首都コロポルックが見えてきたという。しかし、クリエスには道中と変わらぬ森にしか見えない。


「どこに街があんだよ?」


 そう返答した直後、視界が一度に変化していた。

 木々が生い茂る光景は変わらなかったものの、明らかに人が住んでいる雰囲気。木の幹をくり抜いたような家や、苔の生えた土壁の家が建ち並んでいる。


『幻影魔法が施されています。コロポルックはエルフにしか見つけられないのですよ』


 自慢げな顔をしてミア。やはり近代的な建物ではなかったけれど、首都と聞いて分かるくらいには大勢のエルフが通りを行き交っていた。


「止まれ! 貴様たち何者だ!?」


 しかし、街の手前にある巨大なツリーアーチのところでクリエスたちの馬車は止められてしまう。ハーフエルフが操る馬車であったものの、顔を出していたクリエスが問題となったのかもしれない。


「おい、貴様は人族だろう? 皇国になんのようだ?」


 槍を突きつけたエルフが聞く。幌から顔を出していたクリエスの責任であるけれど、この行動は裏目にしか出ないと思う。


「兵隊さま、槍を収めてください。あたしは貴方の為を思って忠告しております」

「何だと!? 人族に与する汚らわしいハーフが!」


 せっかくベルカが間に入ってくれたというのに、衛兵は聞く耳を持たない。彼にはミアの姿が見えないのか、クリエスに槍を突きつけたままだ。


『槍を収めろ、雑兵ォォッ!!』


 怒鳴り声を上げるのはミアである。今までに増して強大な魔力を垂れ流していた。これでは姿が見えぬエルフにも彼女の脅威が伝わったことだろう。


「なな、何だ……?」


 男が後ずさりするや、手に持つ槍が腐り始める。瞬く間にそれは手元まで達し、遂には男の手も腐り落ちてしまう。


「うあぁあぁああああっ!?」


 男の絶叫に兵が集まり出す。全員が武装した兵であり、益々騒動が大きくなっていた。


「ああいや、俺たちは怪しい者じゃない! この馬車には姫様が乗っているんだ! 幽霊だけど……」


 堪らずクリエスが言葉を発する。このままでは全員が大地の肥やしとなってしまう。怒り狂う姫殿下によって、全員が輪廻へと強制送還されることになるだろうと。


「何だと!? 皇国に姫君などいない!」


 後から現れた一人がクリエスに返す。しかし、そういった瞬間に彼の全身は腐り果て、徐に大地へと崩れていく。


「ふ、腐食術!?」


 全員が言葉を失っていた。魔法に長けたエルフは多くいたけれど、無詠唱腐食術の使い手は後にも先にも一人しかいない。


『全員、ウジ虫の餌になりたいようですね……?』

「えっと、腐りたくないのなら槍を収めてくださいと、姫君は申しております……」


 激怒するミアの通訳をクリエスは買って出る。しかし、そのまま伝えるわけにはいかないと、できる限り誤魔化すような感じで。


『ミア・グランティスが千年の時を超え、皇国に帰還したのです! 雑兵はそこを退けっ!』

「ミア・グランティスです。せっかく戻ってきたので、どうか皇城まで通してくださいなと申されております」


 クリエスの通訳にようやく兵たちは顔を見合わせて頷いていた。


「人族、お前は本当にミア殿下がそこにいらっしゃるというのか?」


『旦那様にお前とか無礼千万! 腐り果てなさい!』

「頼みますから、俺に強く当たらないでくださぁぁい!」


 瞬時にクリエスが叫ぶも時既に遅し。声をかけた兵は先ほどと同じように朽ち果てていた。

 これには全員が目を丸くしている。此度も術式の発動が少しも分からなかったのだ。明らかに無詠唱の腐食術だと分かるものである。


「兵隊さん、騒がないで! ミア殿下は気が短いので、本当に通してください! 全員腐食術をその身体に受けたいのですか!? ハイエルフであれば姿が見えると仰っていますから!」


 立て続けの腐食術。あまりに強力なそれを目の前にいる人族やハーフエルフが唱えられるはずもない。


 少しばかり話し合ったあと、

「よし、通って良い。しかし、確認できるまでおかしな行動はするなよ?」

 とりあえず兵たちはクリエスの話を信じることにしていた。


「そこはもっと丁寧に言ってもらわないと、貴方が腐っちゃいますよ!?」


 クリエスは声を張る。

 一人、二人と腐ってしまえば、流石に大人しく通訳などできなかった。


「ミアも落ち着け! 俺は人族なんだ。彼らが疑うのは必然だって!」


 何もない空間に話しかけるクリエス。かなり怪しかったけれど、彼が本当に焦っていることだけは全員に伝わっている。


「兵たちも頼むから、もうミアを刺激すんなよ! コロポルック全体が腐ったとして俺は知らねぇからな!?」


 必死の懇願が通じたのか、それ以降エルフたちは何も言わなかった。何もいない空間に恐れながらも、クリエスたちの馬車を先導していく。


 程なくクリエスたちは巨大な大木の前に連れられていた。ミアは喜々として馬車から大木の前へと飛び、何やら魔力を注ぎ込んでいる。


 刹那に大木が輝き出し、どうしてか扉が現れていく。更には触れてさえいないというのに、自動でそれは開かれていた。


「お、皇城の扉が開いた!? まさか本当にミア殿下が!?」

「だから言っただろ!? 無駄に死にやがって!」


 既にクリエスもへりくだるのをやめ、強気に話す。ここはミアのお膝元。彼女がどれだけ暴れようがハイエルフにさえ会えたのなら、全てが不問とされるはずだ。


 大扉が開くと、中から若く見えるエルフの女性が現れていた。


「えっ……?」


 クリエスは驚いている。彼女には見えていると思えてならない。視線は宙を舞うミアにピタリと合っていたし、王女殿下であるミアに頭を下げる様子は彼女が見えているという証しであろう。


「ミア殿下……お帰りなさいませでよろしいでしょうか?」


 やはり千年も経過していては確信が持てなかったのだろう。彼女はミアに気付いていたというのに、問いを返している。


『久しぶりね、マール。お父様を呼んできてくれるかしら?』


 ミアは故郷に着いた頃から割と高圧的な喋りを続けている。姫殿下という立場的なものなのかもしれない。


 しばらくしてマールというハイエルフが戻り、深く礼をしている。大扉の向こう側に現れたのは威厳のある格好をした若々しい男性であった。


『お久しぶりでございます。お父様……』


 お父様ということは現れたハイエルフはミアの父であり、ライオネッティ皇国の皇様ということになる。

 皇様は小さく息を吐いてから、ミアに話しかけた。


「生きておったのか、ミア……」

『いえ、見ての通り死んでおります』


 二人共が黙り込む。感動の再会であったというのに、会話が繋がらない。

 下手に見えているのが原因だろう。ひょっとするとクリエスが見るよりもハッキリと皇様には見えている可能性があった。


「ゴホン、まあなんだ。ミアも元気そうじゃないか?」

『だから死んでおります』


 再び嫌な沈黙があった。眉をピクつかせる皇様にミアはただ薄い視線をして眺めている。


「ええい、まどろっこしい! ぶっ殺してやろうか!?」

『死んでいると言っているでしょう!? 脳みそ腐ってんじゃないですか!?』


 どうしてか喧嘩に発展してしまう。千年ぶりの再会だというのに、この親子は最低な結末を迎えている。


「ミア、かかってこい! 再教育してやる! まあ半殺しで勘弁してやろう!」

『半分どころか全死だと何度言えば分かるんです!?』


 狂気のハイエルフとその父親による戦闘。今にもアストラル世界に終焉が訪れようかというとき、


「やぁめぇぇなぁぁさぁぁい! 二人とも仲良くしなさい!」


 この世のものとは思えない美しいエルフが大木の奥から現れた。

 はだけた胸元には丸々とした巨乳。今にも零れ落ちそうな胸をした超美人が登場している。


「貴方、せっかくミアが戻って来たのよ? 喧嘩してどうするのです?」

「ううむ、マイアすまん……」


 どうやら現れたのはライオネッティ皇国のマイア皇妃様であるらしい。つまるところミアの母親であるようだ。


『お母様! お会いしとうございました……』

「ええ、本当に。しかし、死んでしまったのね? 殺しても死なない子だと思ってましたけれど……」


 マイア皇妃はちゃんと理解している。ミアが既に霊体となってしまったことを。


『実は魔王候補という馬鹿げた無き者に謀られまして……』

『誰が馬鹿げた無き者じゃ! 駄肉風情が大口を叩くな!』


 せっかく災禍が過ぎ去ろうとしていたのに、どうしてかイーサまで会話に加わってしまう。これは明確に終末の予感。クリエスは戦々恐々としている。


「あら、貴方は北大陸を壊滅に追い込んだ魔王候補だったかしら?」


『むぅ? 妾を知っておるのか?』


 三つ巴の喧嘩に発展するかと思いきや、皇妃はイニシアチブを握ったままだ。上手くイーサの気を引いている。


「ワタクシは残念な皇に代わって実権を持っておりますので。確かイーサ・メイテルさんでしたね?」


『その通りじゃ! 妾は世界中の男を虜にしようと考えておったのじゃ!』


 頷きを返す皇妃。ちゃんと話を聞くところは流石である。実権を持っていたとの話は完全な嘘ではないのだと思われる。


「貴方様も随分と長く消息不明でしたわね? どうされていたの?」

『むむぅ、語るほどでもないのじゃがな。妾は勇者ツルオカに負けたのじゃ』


「まあ、勇者ツルオカですか! あの者には直にお会いしましたが、無愛想な方でしたね」


 ツッコミどころが多かったのだが、クリエスは沈黙を続ける。ツルオカは間違いなく皇妃の爆乳に嫌悪感さえ抱いていたのだと容易に察知できたからだ。


『そうか、あのあとツルオカは大深林まで来よったのか。どこへ行くつもりだったのか気になっておったのじゃ』

「ええまあ。あまりに強者でしたので好きにさせました。彼はエルフの娘を一人連れて行きましたね」


 ここでツルオカの情報が飛び出している。思わぬ話にクリエスも頷きを返してしまう。


「エルフの娘って、彼女は胸のない人でしたか?」


 人族であるクリエスが発言して良いものか分からなかったが、疑問の回答を知りたいと思う。


「貴方はどなた? ミアの奴隷かしら?」

『お母様、失礼ですよ!? この方はクリエス・フォスター様です。私の依り代であり、旦那様なんです!』


「まあ、ミアは結婚していたのね!?」

「違います! ただ取り憑かれているだけですから!」


 全力で否定しておかねば、外堀を埋められてしまいそうだ。ただし、クリエスの話など誰も聞いちゃいない。


『旦那様は尊い方。この世界が向かう終末を阻止しようとする救世主なのです! 私はそんな彼に一目惚れしました。一生涯この方についていこうと……』


「もうその生涯は終わってんだろ……。それに危機が迫れば逃げるつもりだっただろうがよ?」


 事実を歪曲して伝えるミアにはツッコミを入れるしかない。一目惚れは間違いないかもしれないが、クリエスと共に輪廻へ還る気はさらさらなかったはずだ。


「結婚式は済んだの!? 子供はどうなのよ!?」

『お母様、まだ新婚なのですから焦らないでくださいまし!』


「いや、霊体には触れられないし!」


 クリエスは完全に蚊帳の外であり、何を言っても無視されてしまう。もっとも皇様でさえも二人の会話に入っていける感じはなかったのだが。


「クリエス君、ミアをよろしく頼むわね?」

「いや、死んでるんですよ、彼女……」


「頼むわね!」

「は、はい……」


 どうにも押しが強い。ここは肯定の返事をするまで永遠に続きそうだったので、クリエスは不本意ながら同意している。


「それでツルオカが連れ去った女性について聞かせてください。彼女が貧乳であったことは分かっていますけど……」


「あらよく分かったわね? ハイエルフは基本的に胸が大きいのだけど、エルフは駄目ね。総じてスタイルが悪いの。ツルオカが連れ去ったのは男の子かと間違うような板胸……いえ痛胸のリルという女性でしたね」


「なぜ言い直した!?」


 マイア皇妃の性格が掴みきれない。まあしかし、予想通りだ。ツルオカは地平の楽園だなんて名の宗教団体に崇められる男である。生粋の板胸好きであったのは間違いない事実だ。


「それで彼はどこへ行ったのです?」


 女を一人攫っただけだとは思えない。彼は目的があって大深林まで来たはずだ。


「ああ、精霊の森について聞いていましたから、精霊の森へと向かったのでしょう。連れ去ったリルは案内役であったはず」


「精霊の森?」


 初めて聞く地名である。クリエスは質問せずにはいられなかった。


「この大森林を北に向かった場所にあります。アル・デス山脈の山麓です」

「そこには何があるのでしょう?」


「別に特別なものはありませんよ? ただ大精霊たちが好んで住まう場所ってだけですから」


 クリエスは考える。千年前といえば世界がバランスを崩したとき。ベリルマッド六世が大精霊を武具の材料とした頃である。


「その頃は全ての大精霊がいたのでしょうか?」


 返答は分かっている。何しろツルオカが召喚されたのは世界がバランスを失ったあとだ。従って三体の大精霊が姿を消していたに違いない。


「いいえ、大精霊は四体とも消息を絶ちました。直ぐさま新しい大精霊がその地位に就きましたけれど……」


 聞いていたように世界は消息不明となった大精霊たちの代わりを選定し、新たな大精霊たちがその座へと収まったらしい。


「四体? 土の大精霊ノア・オムだけが残ったのではないですか?」


 クリエスの予想では最後に飴玉をもらったノア・オムは初代のままであるはず。なぜならベリルマッド六世は既にシルフを封印しており、土の大精霊を封印する手段がなかったからだ。


「四体とも一新されましたね。この森を管理する我らは大精霊の動向に注視しております。全て事実です」


 精霊信仰が根強いハイエルフの皇妃が四体とも一新されたというのだから、それは真実なのだろう。しかし、土の精霊ノア・オムまで失われた理由がよく分からない。


「とりあえず精霊の森へ向かってみます。何か分かるかもしれませんし」


 かつてツルオカが目指した精霊の森。アル・デス山脈の麓であるのなら特に遠回りでもない。クリエスはツルオカの目的を確認してみようと思う。


「それならばこれを持って行きなさい」


 マイア皇妃は懐から小袋を取り出していた。それは金貨でも詰め込まれたかのようにゴツゴツとしている感じだ。


「これは何でしょう?」

「それはハチミツ玉という結晶体です。大精霊たちの好物なんですよ。仄かに甘いらしいので……」


 甘味であるのなら納得である。異様に感じるほどシルフが飴玉に固執していたのは彼女たちがハチミツ玉を好物としていたからだろう。


「へぇ、ハチミツの飴玉って感じですかね?」

「ああいえ、それは別に甘味ではありませんよ? 粘液を特殊な製法で固めたものですからね」


 予想と異なる返答にクリエスは小首を傾げている。

 エルフの秘法なのだろうか。ハチミツ玉は何かしらから抽出された粘液を固めたもの。名前の通りにハチミツが原料ではないらしい。


「特別なものなのですね? 貴重なものをありがとうございます」

「幾らでもございますから気にしなくても構いません。何しろハイエルフは濡れ事で大いに興奮した際に……」


 マイア皇妃の説明にクリエスは眉根を寄せる。今はハチミツ玉について話しているというのに、なぜか夜の営みについて聞かされていた。


「局部からハ(イエルフの)恥蜜ちみつを分泌します」

「汚ええぇぇっ!!」


 絶叫するクリエス。ハ恥蜜だなんて最悪だ。しかし、投げ捨てるわけにはならない。大精霊との会話を上手く進めるにはハチミツ玉は必須アイテムなのだから。


「まあ、ありがとうございます。俺は先を急ぎますので」

「あらまあ、次に会ったときには子供の顔を見せてちょうだいね?」

「だからミアは死んでいるので不可能です!」


 言ってクリエスは手を挙げる。次なる目的地は精霊の森。エルフの国に長居する用事などなかった。


 クリエスたちの馬車がコロポルックをあとにしていく……。

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