第059話 水の大精霊
帝都ラベンズリを発ったヒナとエルサ。ようやく世界の狭間という谷が細くなり、橋がかかる場所まで到着していた。
「お嬢様、その妖精ずっと寝てますね? お菓子を食べる以外は……」
「きっとまだ子供なのよ。あと大精霊って言ってあげなきゃ怒るわよ?」
エルサは大精霊という話を少しも信じていない。何しろ見た目は完全に妖精なのだ。悪戯好きであるし、自由気ままな彼女が大精霊だなんて話は信憑性に欠けた。
「ようやく南下できましたね。あとは港町ルッペンへと行けば、南大陸へと向かう船に乗るだけです」
ルッペンはまだアルテシオ帝国内である。北大陸南端のど真ん中に位置し、あらゆる航路が存在する北大陸随一の港街であった。
程なく二人はルッペンに到着。早速と馬車ごと乗船できる船を探す。
「ああ、悪いね。今は南大陸への航路が使えないんだ」
ところが、どうしてか航路が使えないと船乗りはいう。ルッペンからは行き先を選べるほどの海路があったというのに。
「御仁、なぜです? 全航路が使えないなどあり得ないでしょう?」
「いやそれが、幽霊船とクラーケンが問題になっていてな。西には幽霊船が出没し、東にはクラーケンが出るんだよ。お上に討伐依頼を出しているところだ」
エルサが聞くと船乗りは航路に現れた障害について教えてくれた。
クラーケンは大型の海洋モンスターで非常に好戦的である。それだけでも脅威であったというのに、幽霊船というアンデッドの集合体まで出現しているのだという。
「もう何隻も沈んでいる。東も西も南も全航路でな……」
クラーケンの姿は海上からは確認できない。また幽霊船も神出鬼没であって、何もないところから急に現れるのだという。また幽霊船は襲った船員を取り込んでおり、ゾンビやゴーストの数が尋常ではない数に膨らんでいるようだ。
「帝国に対抗できる戦団があるのでしょうか?」
「それは分からん。俺ら船乗りは待つしかねぇよ。幾ら金を積まれても命には替えられねぇからな……」
船乗りの話は理解できるものだ。幾ら報酬が良くとも、全ては命あっての物種である。
せっかく急いでやって来たというのに、足止めとはついていない。時間がないヒナにとって最悪の状況である。
「お嬢様、これからどうします?」
全航路が使えないのだから、解決策などあるはずもない。しかし、エルサは主人の意見を聞くしかなかった。海路が再開されるまで待つしかなかったというのに。
少し考えるようなヒナであったが、彼女は直ぐさまポンと手を叩く。
「エルサ、船を買ってきてくれる?」
「えええ!?」
世間知らずの天然であるのは熟知していたけれど、お使いのような軽い口ぶりで船を買えだとか信じられない。
「馬車を載せられる船が幾らするとお考えです!? 白金貨が何枚必要になるか……」
「白金貨など山ほどあるのですから、幾らでも支払ってください。操舵できる方にも望む限りの報酬を……」
金銭感覚が狂っているのは父親譲りだが、エルサはヒナの本気を知らされている。公爵から預かった振出手帳さえあれば大抵のものは買えるけれど、馬車に続いて船まで買ってしまうなんて想定外であった。
「分かりました。時は金なりですものね。お嬢様に相応しい船を買ってまいります」
言ってエルサは駆け出していく。どこで購入できるのか分からなかったけれど、とりあえず船のメンテナンスをしている工房へと向かっていった。
エルサが戻るまでヒナは待つだけである。
しばらく街の散策でもしようかというとき、
「ヒナ、あそこにウンディーがいるし!!」
ずっと肩の上で寝ていたサラが叫ぶように言った。
「え? あの武具屋さん……?」
ウンディーとはサラを封印した水の大精霊ウンディー・ネネに違いない。しかし、見たところ普通の武具が並んでいるだけであった。
小首を傾げながらも、ヒナは武具屋まで歩く。珍しくサラが空を飛び、彼女を先導している。
「コレだし! この剣から匂うし! 水臭いウンディーの匂いが!」
小さな手が指さした先。そこはジャンク品コーナーであるらしく、銅貨五枚という叩き売り商品であった。
「お嬢さん、その剣ならお買い得だよ。何しろベリルマッド工房の製品だからね」
ベリルマッド工房はヒナも知っている。何しろ父であるテオドール公爵が白金貨を投げつけて買い取った工房なのだ。
「店主様、ベリルマッド工房製品ならどうして安売りしているのでしょうか?」
ヒナは疑問を口にする。手に取った感じはサラのような気配はしない。従って取り憑かれる心配がないというのに、叩き売りとか意味が分からなかった。
「それはなぁ、剣としてもう寿命なんだ。刀身が割れておっての。コレクションくらいにしかならんのだよ」
どうやら内部に亀裂が入っているようだ。かなり使い込まれた感じはあるし、残念ながら剣としての使命を終えたものらしい。
「どうして打ち直ししないのです?」
逸品であれば修理をして再販すればいい。なのにどうして叩き売るのか。ヒナの疑問は尽きない。
「いやそれがだな、こいつはオリハルコンという稀少金属で鍛造されているんだよ。しかも、かなり劣化しているらしくてな。再鍛造には相当量のオリハルコンが必要となるらしい。かといってオリハルコンなんぞ市場に出回らんし、出たとして修理するより新しい剣を作った方が楽だからな」
店主の説明にヒナはようやく納得していた。要は修理するに値しない。飾りとして買うくらいしか価値がないようだ。
「これくださいな。足りるかしら?」
ヒナはアイテムボックスからポーチを取り出し、その中から白金貨を取り出していた。
「は、は、は、白金貨だとう!? 銅貨五枚なのだぞ!?」
流石に店主は驚いている。加えて、ここでは釣り銭など出せないと話す。
「お釣りってなんでしょうか? 端銭のことでしたら必要ありませんわ」
「いやしかし、店ごとを売ったとして金貨500枚にもならんぞ!?」
明確に店主は困惑しているが、ヒナとしては白金貨一枚など大した額ではない。
「店主様、端銭の代わりに、あそこにある鞘を一緒にくださいな。それで結構ですから」
戸惑う店主に礼をして、ヒナは商品を受け取る。本当に端銭はいらないのだと念を押しながら。
ヒナは武具店をあとにし、人目につかない細い路地へと入っていく。
「ねぇサラ、この剣って全然反応がないけど、本当にウンディーって子が入ってるの?」
「うん、入ってるし! 封印式がまだちゃんと機能してるんだ!」
「それなら、わたくしには解除できないかもしれないですねぇ」
封印式の綻びがなければヒナが解除するのは困難である。仮にも一流工房が施した術式なのだ。緩くなった紐を解くのとは異なる。
「あーしがサポートするし! へーきだからやっちゃって!」
大精霊の補助があるならとヒナは思い直している。ディーテの祝福があるヒナは取り憑かれる心配がないし、試してみるだけなら構わないだろうと。
「言っとくけど、喧嘩しちゃ駄目よ? もし喧嘩するなら、もう飴玉はあげませんからね?」
「えええ!? あーしは飴玉だけが楽しみなのに! どうして、あーしを封印したウンディーに仕返ししちゃ駄目なの!?」
「駄目ったら駄目! 仲良くしないのなら術式も解除しません!」
子供を諭すように。ここまでの旅でサラの扱いには慣れていた。そもそも契約により上下関係は明確に決まっている。最悪の場合は命令するだけであった。
「ぐぬぬぅ……」
「良い子だから、拗ねないの。ほら飴玉あげるから」
「やったぁ!」
直ぐに機嫌を戻すので子供よりも簡単である。問題は封印されているというウンディーの方。彼女が言うことを聞くかどうかは解除してみないと分からない。
「まあ、何とかなるかしらね?」
ヒナはアイテムボックスから魔道書を取り出し、以前と同じように術式の解除を試みる。しかし、術式が機能しているという手応えはなかった。
「ヒナ、あーしも頑張るし!」
サラがそういうと、急に魔力が失われ始める。ちゃんと術式が機能している感じ。ヒナの魔力とサラの魔力が剣へと注がれていく。
「解除!」
ヒナがそういうと、なぜか甲高い金属音がしてオリハルコンの長剣は折れてしまう。
「あっ!?」
流石に驚いて、ヒナは折れた長剣を拾い上げている。すると折れた刀身からコロリと小さな妖精らしきものが零れ落ちた。
どうやら熟睡している様子。ウンディーという大精霊は地面に転がったあとも、眠り続けている。
「んんー、どうも術式が機能していることで折れなかっただけのようね。実際は初めから折れていたみたい」
本来なら、とうの昔に折れていたのかもしれない。術式により何とか原形をとどめていただけのようだ。
「ウンディー、ここであったが千年目だし!」
「サラ、大人しくして!」
サラを一喝してから、ヒナはウンディーを拾い上げる。水色の髪をした可愛らしい妖精にも似た姿。思わず頬が緩んでしまう。
「わたくしも水色の髪でしたら、今頃は悪役令嬢と呼ばれていたでしょうに……」
自身の言動を棚に上げ、ヒナはそんなことを思う。髪色のせいで悪役令嬢になれなかったかのように。
「サラ、彼女は寝てるだけかしら?」
「そうじゃない? 術式が機能していたら、ずっと魔力を奪われるし!」
魔力切れならと、ヒナは魔力回復のポーションをウンディーの小さな口に注いでみる。サラを封印した理由が聞きたいし、可愛らしい彼女が苦しんでいるのなら手助けしたかった。
しばらくすると、手の平のウンディーが動き出す。ピクリとしたあと、ゆっくりと目を開いている。
「気が付いた? わたくしはヒナ・テオドールよ?」
ヒナは自己紹介を済ませる。彼女の警戒心を解すようにニコリと微笑んで見せながら。
「あれ……? あたいは……?」
「貴方はウンディーでしょ? サラに聞いたのだけど」
「サラ!? 生きてたの!?」
サラの姿にウンディーは飛び起きた。自分でも悪いことをしたと感じているのかもしれない。
「ウンディー、あーしは怒ってるけど、怒ってないし! 飴玉好きだし!」
意味合いを理解できるとは思えぬサラの話であったけれど、どうやらそれだけでウンディーには通じている感じだ。
「あたいも飴玉……」
「駄目だし! ウンディーはあーしより一個多くもらったし!」
即座に駄目だとサラは口にするが、ヒナはアイテムボックスから飴玉を四個取り出している。
「サラにも二つ。ウンディーにも二つ。仲良くするのよ?」
「わぁぁい!」
「飴玉ありがとなの!」
解放された事実に疑問を抱くことなく、ウンディーは飴玉を受け取っては頬張っている。
サラもまた過去の恨みより現実の飴玉が重要であるらしく、黙々と飴玉をなめていた。
「ヒナ、ありがとなの! あたい外に出られたんだね?」
飴玉を食べ終わったウンディーは笑顔でヒナに話しかけている。
「術式を解除するのにサラも手伝ってくれたのよ? それでウンディーはどうして封印されていたの?」
恐らくは同じような経緯であるはず。盾に封印されていたサラ。剣に封印されていたウンディー。大精霊の力を求めた職人の仕業であろう。
「あたいは飴玉をくれるベリルマッド六世って人についていったの。そしたらシルフとサラがいてサラは飴玉を食べてたの」
シルフは鎧の中に隠れていたけどとウンディー。どうやら既にシルフは封印されたあとであるらしい。
「んでさ、サラが飴玉をもらって盾の穴に入ったところで、あたいは封印の手伝いをさせられたの。飴玉を三個もらったからね」
どこまでも飴玉で動く大精霊たち。ヒナは不思議に思うと同時に面白いと考えてしまう。
「あーしは二個しかもらってなかったし!」
とりあえずは二人も喧嘩を始めない雰囲気だ。ウンディーには悪意を感じないし、二人仲良く飴玉を舐める様子はとても可愛らしい。
「お嬢様! こんなところにいらしたのですか?」
ここでエルサが戻ってきた。船の買い付けが終わったにしては流石に早すぎる。
「何ですか、この折れた剣、……って妖精が増えてる!?」
流石に驚くエルサ。少し目を離した隙に新たな妖精を手懐けてしまうなんてと。
「妖精じゃないの! 大精霊なの!」
「あーしは大精霊だし!」
即座に否定する二人を余所に、エルサは折れた長剣をヒナから受け取っている。
「それオリハルコン製の長剣なのよ。ベリルマッド六世が鍛造したものらしいわ」
「オリハルコン!? 折ってしまったのですか!?」
「元々、折れていたのよ。ウンディーの封印術式によって形を保っていただけみたい」
「そうですか。さぞかし斬れる逸品だったのでしょうね……」
剣士としてエルサは残念に感じている。オリハルコンだなんて初めて見るのだ。是非とも使って見たかったと思う。
「しかし、お嬢様は白金貨以外をお持ちだったのでしょうか?」
ここで疑問が一つ。街中での買い物はエルサの役目であり、支払いに適さない白金貨はお金が足りないときだけヒナからもらい受けていたのだ。
「いいえ。だから白金貨で支払いました。端銭とか必要ないですし」
「お嬢様ぁぁぁっっ!?」
エルサは酷く頭痛を覚えていた。一人にしたのは失敗である。稀少金属オリハルコンとはいえ、折れた長剣に白金貨を支払ってしまったなんて。店ごと買い取ってもお釣りがあったはずである。
「お嬢様、お釣りは恐らく金貨999枚はあったはず! どこの武具屋ですか!?」
「もういいじゃない? 店主様も喜んでおられたし」
「そりゃぁ、喜びますよ! 修理不可能な長剣で丸儲けなのですから!」
声を張るエルサだが、生憎とヒナは何も気にしていない。世直しでもしたかのような、したり顔である。
「まあ、オリハルコンが手に入ったら鍛造し直してもらいましょう。お父様が格安で買ったベリルマッド工房製ですし」
「そういえば公爵様は白金貨二千枚という超大金で買収されたのでしたね……」
幾ら古くともベリルマッド工房ならば修理が可能だろう。オリハルコンという鉱石の有無こそが重要であるはずだ。
「お嬢様、それで船なのですが、直ぐには建造できないようです。数年はかかるかと……」
「まあ、それは大変ですわね? 白金貨を千枚詰んでも駄目なのでしょうか? 一万枚とか?」
「お金で解決できないこともあるのですよ! 手こぎの小舟くらいしか直ぐには手に入らないですね……」
沿岸の漁業ならまだしも、二人は大海に出て南大陸へと向かうつもりだ。従って小舟だなんてあり得ない。海にはクラーケンと幽霊船が出没するのだから。
「え? お船に乗るの? 乗りたいの!」
「あーしも乗りたいし! ヒナ!」
船の話をしただけで騒ぎ立てる大精霊たち。耳元で大声を出すものだから、うるさくて仕方がない。
「お嬢様、目を離した隙に、こんなにも懐かれるなんて……」
流石は聖女だとエルサは思う。普通の人族は死ぬまで妖精なんて見ることがない。気難しい精霊の類は基本的に人族を嫌っているのだから。
「んん、でもね小さなお船は手で漕がなきゃいけないの。わたくしたちは南大陸へいくのよ。とても時間がかかるし、手で漕ぐのは難しいの」
何とか二人を宥めるヒナ。自身は手こぎでも構わなかったけれど、強大な魔物が出現するのだ。戦闘中に操舵できない手こぎは流石に選択できない。
「だったら、あたいが水を出してあげるの! スーって進めばいいのでしょ?」
諦めていたのだが、ウンディーが解決策を口にした。エルサは信じていないけれど、彼女は水の大精霊である。よって水を噴射させるくらいは造作もないことであるらしい。
「ホント? 大丈夫なの?」
「任せてなの! ぴゅーって進むの!」
ここでヒナは考えを改めていた。元より時間がない。魔物退治を待っている暇などないのだ。建造に数年かかるのも却下であるし、ここはウンディーを信じようと思う。
「エルサ、早くこの白金貨で小舟を買ってきて!」
「お嬢様、私の手持ちで充分ですから……」
興奮するヒナを宥めてから、エルサは小舟を買いに戻る。時間がないことは百も承知。今は無理をすべき場面であり、小舟で大海を突っ切っていくだけだ。
小舟の買い取りは直ぐに終わった。しかしながら、足元を見られたのか、金貨三枚を要求されている。
「お嬢様、真っ直ぐ南へ向かうのは危険です。東か西。幽霊船かクラーケンのどちらかに絞るべきです。流石に両方が現れてしまっては勝ち目などありませんから」
出発前にエルサ。確かに真っ直ぐ南へ向かうと両方に出会う可能性があった。東を選べばクラーケン。西を選べば幽霊船である。
「もちろん、幽霊船よ! 聖女になったとき、聖魔光っていうAランクスキルを獲得したの。アンデッドを天に還すための魔法らしいわ」
「なるほど、良いかもしれません。それで馬車はどうするのでしょう? 南大陸ではまた歩くのでしょうか?」
小舟で南大陸へ向かうのは構わない。しかし、買って間もない馬車を載せられないのは問題であった。
「馬車だけならアイテムボックスへしまい込めるのですけど、馬は生き物ですので収納できません。まあでも馬車は……」
ヒナは少し考えたあと、結論を口にする。
「新しく買えばいいじゃない?」
「徐々に悪役令嬢っぽくなってきましたね……」
再び頭痛を覚えるエルサ。まったくと嘆息しつつも、彼女は頷いている。確か旅立つ前にヒナが話していたのだ。各地でお金を使い経済を回すのだと。
これにて全ての問題がなくなっていた。二人と大精霊が小舟へと乗り込む。
「出発するのぉ!」
話していたようにウンディーが水流を噴射。瞬く間に小舟はスピードに乗って大海原へと出て行く。
ヒナにとって初めての南大陸。幽霊船という難題が待っていたけれど、彼女は期待していた。もう直ぐクリエスに会えるはずと。
天界での約束をようやく果たせるのだと……。
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