第049話 聖女

 ミアが暴走する数時間前。ココナを発ったヒナとエルサは魔物を倒しながら帝都ラベンズリまで到着していた。


 その期間は一ヶ月。道中にあった村には宿泊せず、ただひたすら突き進んでいたけれど、やはり一国を徒歩で横断するのはかなりの時間を要している。


 仮眠を取っただけで歩き通し。早朝ともいえる時間であったけれど、ヒナたちは宿を取り、ベッドで休む計画を立てていた。


「ここが帝国の都……?」

「千年前に世界の狭間が北大陸を割ってから、遷都したと伝わっていますね。真偽の程は定かではありませんけれど……」


 ここでも話題になる世界の狭間。東西に長く割れたことにより、北大陸はそれまでの生活を一変させたらしい。聖王国は遷都の必要がなかったものの、帝国においてそれは遷都せざるを得ない状況であった。何しろ聖都ネオシュバルツとの街道が途切れたのだ。当時の人々は信心深く、首都が聖都と繋がっていないなど考えられない話であったという。


「アルテシオ帝国は聖王国と親密な関係です。特に公爵様は所領の特産品を色々と輸出されておりますし。皇帝に謁見されますか?」


 ここでエルサが提案をした。先を急いでいるようで、その実はレベルアップが優先である。従ってヒナは国家間と父親の顔を立てるつもりだ。


「あまり気乗りしませんが、顔見せくらいはした方が良さそうですね……」


 必ずしも軽い足取りではなかったけれど、とりあえずヒナはラベンズリ城を目指す。形式的な挨拶をして、直ぐに旅立てばいいだろうと。


 城門前。どうやらヒナの容姿は知れ渡っていたらしく、ブレザーの制服姿であったというのに、疑いもせず御前へと通されている。

 まだ陽が昇りかけた頃であるのだが、どうしてか皇帝は早朝から起きており、謁見可能であるらしい。


「おおヒナ、久しいな! 幾つになった?」


 早朝からテンション高めのアルテシオ皇帝。割と気さくな感じの人柄であるようだ。ヒナの記憶によると五年ほど前に会ったのが最後だと思う。


「先日、十七歳になりました」


 ヒナは旅の途中で誕生日を迎えていた。従って制約の日まであと一年を切っている。


「いや、美しく成長したな。まだ婚約者はいないのだろう? ロベールはどうだ?」


 ロベールとはアルテシオ帝国の第二皇子殿下。面識はなかったけれど、聞いた話ではヒナの一つ年上であったはず。


「いえ、わたくしには旅を続ける必要がありますので……」

「ちょうど、これから遷都記念のパーティがあるのだ。本日は帝国全土が祭日。朝から晩まで祝い続けることになっておる。ヒナも参加していきなさい」


 皇帝はまるで話を聞いていない。どうやら早朝からアルテシオ皇帝が謁見可能であったのは祭事とも呼ぶべきパーティーが催されるからであるらしい。加えて皇帝はヒナの事情など考慮せず、パーティーへの参加を強制的に決めてしまう。


「わたくし、ドレスをもっておりません……」

「直ぐに仕立てよう。おい大臣、裁縫士を呼べ!」


 何を言っても無駄のよう。どうやら本日はアルテシオ帝国に足止めとなるらしい。

 仕方なくヒナは採寸を受け、見立ててもらった純白のドレスに袖を通す。その可憐な姿に裁縫士は感嘆の声を上げていた。


「お嬢様、お似合いです。まあ一日くらいは構わないでしょう。外交も令嬢の務めでありますし……」


 エルサはパーティーへの出席を悪いこととは考えていないようだ。ずっと戦い続けていたのだから、休息も必要だろうと。


「しょうがありませんね……」


 かといって既にヒナも諦めている。皇帝の誘いを断るなんて流石にできない。祖国や父親に迷惑をかけるわけにはならないのだと。


 聞いていたまま朝だというのにパーティーが始まった。どうやら要人や貴族たちは前日から帝都入りしていたようだ。


 明らかにヒナは注目を浴びている。隣国の姫君であり、聖女だという噂。彼女の容姿もまた耳目を集める理由に他ならない。


「ヒナ、楽しんでいるか? 紹介しよう。第二皇子のロベールだ」


 皇帝自ら紹介を受ける。連れられてきた第二皇子は武の才に秀でているという。


「ロベールだ。よろしく……」


 ぶっきっらぼうな挨拶とは裏腹にロベールは顔を真っ赤にしている。事前にどのような説明を受けたのか分からないけれど、間違いなくヒナを意識している感じだ。


「ロベール殿下、お初にお目にかかります。わたくしはヒナ・テオドールですわ」

「ああ、知っている。見目麗しい聖女に会えるとは幸運だよ」


 このあと二人はダンスに興じる。アップテンポな曲からムーディーな落ち着いた曲まで。もっともそれはロベールのリクエストであり、全ては雰囲気作りのためであった。


「ヒナ、なかなかの腕前だな?」

「殿下の足手纏いとなってしまい申し訳ございません」


 交わされる会話は形式上である。褒められたとして真に受けてはならない。初対面での会話に本心など含まれないのだから。


 二人の様子を来場者は微笑ましく見ていた。ヒナ以外の全員がお似合いだと感じている。幾つもの武勇伝を持つ勇猛な第二王子と見目麗しい他国の姫君。このパーティーが二人のお見合いという意味合いを持つことを暗に知らされていた。


 一日中続くというパーティー。しかし、昼頃になると緊張感もなくなり、見知った者での歓談が目立つようになっている。

 もうそろそろ会場をあとにしても構わないだろうかとヒナは考えていた。しかし、ロベールとヒナの元へ大きな笑みを浮かべた皇帝が来てしまう。


「ヒナ、どうだロベールは? なかなかの男だろ? 婚約者になる決心はついたか?」

「ち、父上!?」


 流石にロベールは焦っている。徐々に踏み込む予定だったのか、段階をすっ飛ばしたアルテシオ皇帝に困惑顔であった。


「陛下、わたくしには旅がございますので、殿下とは今回限りですわ」


 ルーカスのように誤解されてはならないと、ヒナは毅然と返している。相手は大国の主君であったというのに。


「むぅ、何が足りない? 自慢の息子なのだぞ? 不満点があるというのなら、言ってみなさい」


 しかし、アルテシオ皇帝は引き下がらない。どうにも気に入られてしまったようだ。とはいえヒナが望むことなどない。よって彼女には何も返答できないはずだった。


「それでは失礼して。陛下はココナの現状をどうお考えでしょうか?」

「お、お嬢様!?」


 慌ててエルサが口を挟むも、ヒナは首を振る。明らかに内政干渉であったけれど、それを目的としてラベンズリ皇城に来たわけではないのだ。不満点を問われたから答えただけとヒナは考えている。


「ココナ? 何か問題でもあったのか?」


 ヒナの意図を皇帝は理解できない。地方都市は基本的に貴族の支配地である。何の報告も上がっていない現状では仕方のないことであった。


「実はラベンズリを訪れる前に立ち寄ったのです。しかし、政治が腐敗し、悪人が幅を利かせているというのに放置されております。住民は泣き寝入りするしかない状況。わたくしはそれが適切だとは思えませんでした」


 どこからともなく拍手が巻き起こる。皇帝と皇子、他国の姫君の会話に来場者たちは聞き耳を立てていたらしい。聖女との評判に恥じない立派な発言を評価したのだと思われる。


 ヒナの質問に返したのは皇帝ではなく、意外にもロベールだった。


「ヒナ、残念だが、ココナは地方都市だ。皇帝が関与すべき問題ではない」

「ロベール殿下、お言葉ですが、ココナは帝国外なのでしょうか?」

「お嬢様ぁぁっ!?」


 エルサは気が気でない。ぼんやりしていそうに見えて、ヒナには胆力が備わっている。物怖じしない彼女なのだ。失礼な話を続けてしまうのではないかと狼狽えていた。


「いや、帝国領に決まってるだろ? でも政治は異なる。皇帝に願っても無駄だ」

「帝国民が困窮しているのですよ!? 殿下は何も感じないのでしょうか!?」


 ヒナは徐々にエスカレートしていく。エルサが危惧した事態へと突き進んでしまう。


「住人の管理は貴族の務めだ。問題提起されない限り国が動くことはない。現に住人が蜂起したり、問題が報告された事実もないんだ。ヒナの思い過ごしだよ」


 ロベールの話にも頭を振るヒナ。自身はその目で見てきたのだ。泣き寝入りしている住人がいることは明らかである。


「わたくしはココナの現状を見てきました。住人は諦めるしかない状況です。統治する貴族が悪い? ならば酷い統治者を据えている帝国もまた最低な国家です! 住人が本当に気の毒ですわ!」


 頭を抱えるエルサ。やはりヒナの正義感は見て見ぬ振りができない。この発現により国家間の問題へと発展していくだろう。


「ヒナ、分かってくれ。俺にはどうにもできない。ココナの問題はココナで解決すべきだ」

「どうして他人事なのでしょうか!? わたくしには理解できません!」


「君こそどうして首を突っ込む? 下手をすれば国際問題だぞ?」


 もう我慢ならなかった。既に暴言を吐きまくっていたヒナであるが、彼女としてはまだ抑えていたというのに。


「国際問題だとか、わたくしの知ったことではありませんわ! 困窮する住民がいて、改善できる権力者にお願いしただけです! わたくしは帝国民が不憫で仕方ありません! 帝国の政治は圧政でしかないのですから!」


 言ってヒナはロベールに背を向け、不満げな表情のまま視線だけをエルサに合わせた。


「エルサ、出発します。もう帝国に用事などありません!」

「は、はいっ!?」


 アルテシオ皇帝を振り返り、軽くドレスの裾を上げてから、ヒナはカツカツとパーティー会場を歩いていく。如何にも不機嫌そうに。エルサを引き連れて会場を後にして行った。


「お嬢様ぁぁっ、絶対に怒られるやつですよぉ!」


 半泣きのエルサ。彼女はヒナの護衛だが、未成年であるヒナの保護者でもある。従って先ほどの暴挙を咎められてしまうはずだ。


「わたくしは何も悪くありませんわ!」


 今もまだヒナは激昂したままだ。皇帝陛下への謝罪を請うエルサだが、頑固なヒナが意志を曲げてまで頭を下げてくれるとは思えない。


「はぁ、これは間違いなく処罰対象です……」

「知りません! 悪いのは帝国です!」


 ヒナの着替え中もエルサは溜め息を吐きまくっている。皇帝への謁見を勧めたことを今更ながらに後悔していた。


 ようやく着替えが終わり、ヒナとエルサはドレッシングルームを出る。

 すると、そこにはどうしてかアルテシオ皇帝の姿。ヒナの着替えを待っていたのかもしれない。


「あ、えっとその……」


 先ほどまでの啖呵は影を潜め、ヒナは冷静さを取り戻している。皇帝の姿に暴言の数々が脳裏に蘇っていた。


「少々、熱くなりすぎたように存じます」


 だが、こんな今も謝罪は口を衝かない。エルサがしきりに脇腹を突いていたけれど、ヒナは自身の正義を曲げるつもりなどなかった。


「ああ、そのことだが、儂が間に入るべきだったな。あまりの迫力に圧倒されてしまったぞ?」


 アルテシオ皇帝は乾いた声で笑っている。

 皇帝の様子に安堵するエルサ。どうやら断罪されるような雰囲気ではない。


「まあ悪く思わないでくれ。ロベールのやつも政治を学んでおる。しかし、学んだこと以上のことができんようだの。まだまだ未熟だ……」


「陛下、言ってはなんですが、帝国民とは何でしょう? 庇護すべき国民ではないのでしょうか?」

「お嬢様ァァ!?」


 せっかく上手く纏まりそうであったのに、怒りの矛先は皇帝陛下にも向けられてしまう。再びエルサは皇帝陛下への謁見を後悔する羽目になっていた。


「はっは! 従者が困惑しておる。それくらいにしてやってくれ。ロベールも言っておったが、本当に何の報告も上がっておらんのだ」


「それは国の体制に問題があるからです。報告がなければ善政であるなんて思い上がりも甚だしい。わたくしは憤慨しております!」


 ヒナは止まらない。冷静さを取り戻したはずが、話し始めるや彼女の正義感は真っ直ぐ皇帝に向けられてしまう。


「ヒナは気が強いの? ああいや、正義感が強いのか。他国の一般市民のために声を上げられるものは多くない」


「わたくしの評価など必要ありません。対策できるのかどうかをお答えください! ココナの政治は酷い有様です。役人への賄賂が横行しており、悪人はお金さえ支払えば罰せられないのです。弱者や貧困に喘ぐものは犯罪を受け入れるしかなくなっております」


 ヒナは訴えた。一度は諦めたことであるけれど、やはり捨て置けない。皇帝と差し向かいで話す機会はこの場を逃して存在しないのだと。


「それほど酷い状況か? ココナは税収も多く、帝国経済に必要な都市だ。長く侯爵領となっており、毎年の納税も滞ったことなどない」


「圧政だと申し上げます。権力が過ぎた状態。今はまかり通っておりますが、わたくしには危うい状況に写りました」


 忌憚ない意見に皇帝は頷きを返す。ヒナの話は真摯に受け止めるべきものだと感じる。

 なぜならヒナは本当に正義感で意見しているだけなのだ。少しのメリットもないというのに、他国の姫君が無礼を承知で進言している。彼女が意見した理由はそれほど酷い惨状であったからだろう。


「流石は聖女。噂に違わぬ女性だな? ロベールには勿体ないくらいだ」


 言って皇帝は目を瞑る。何かを思案していたようだが、割と早く結論に至ったらしい。


「ヒナ、帝国はその歴史に胡座をかいているのではない。帝国民のためにだけ存在しておる。お前を不快に思わせたのなら、皇家の怠慢に違いない。ココナを治める侯爵家を徹底的に調べ上げると約束しよう」


 繋がりの深いテオドール公爵家の娘であるからだろうか。かなり失礼なヒナの話を皇帝は受け入れてくれた。徹底的と語ったのだから、侯爵家の断罪は避けられないだろう。何しろ隠蔽できないほど、公然と不正が行われていたのだから。


「皇帝陛下、ありがとうございます。また、全ての無礼はわたくし個人の責任。できれば公爵家内に留めていただきとうございます。聖王国に迷惑をかけるくらいなら、わたくしの首を斬り落としてくださいまし」


 ヒナも自身がしたことを理解している。皇帝陛下に対して直談判だなんて帝国の上位貴族であっても許されないことだろうと。


「皇帝陛下、どうかお嬢様をお許しください! 私は従者でありますが、保護者でもあるのです! 未成年者の罪は保護者の責任です! 鞭打ちでも斬首でも必要な罰をお与えくださいまし! まだ世界にはお嬢様が必要なのです!」


 エルサが前に出て頭を下げた。ヒナの無礼は自身の非であると。未成年者の管理を怠った自分自身に罰を与えるべきなのだと。


 アルテシオ皇帝は呆気にとられていたが、直ぐさま笑みを浮かべている。


「ヒナ、よい従者を持ったな? 何の問題もないぞ。ここに部下はおらぬし、儂は帝国の内情を知れたと考えておる。今まで美辞麗句を並べられていただけだということを、ヒナは教えてくれたのだからな」


 言って皇帝は不敵な笑みを浮かべている。ふふふと低い声が廊下に響いていた。


「これを機に儂は帝国に蔓延る悪とやらを一掃してやろうと思う。聖女様に指摘されてしまっては動かぬ訳にはならん」


 ガハハと笑うアルテシオ皇帝陛下。どうやら目から鱗の指摘であったようだ。これまで良い報告しか受けていなかった彼は内政状況を誤解していたのかもしれない。


「陛下、ありがとうございます。帝国はきっと素晴らしい国であり続けるでしょう。ココナはごく一部の悪を排除することで、笑顔が絶えない都市となれるはずです」


「ああ、儂も助かった。民の不満は地震と変わらん。いずれ国を傾かせるほどの揺れとなるはずだ。燻っている間に手を打たねば大変なことになったかもしれない。勇気ある忠告には感謝しておるぞ」


 ここでアルテシオ皇帝とヒナは握手を交わした。力強いそれは互いが満足した証し。恐らく帝国は新たな舵取りを迫られるだろうが、ヒナはこの国の発展を疑わなかった。


 立ち話は握手にて終止符が打たれている。皇帝とヒナは互いに違う方角へと歩んでいく。


 ヒナたちは皇城から去って行き、アルテシオ皇帝は緊急的な会議を開くために、臣下を集めようとしている。


 満足げにヒナは皇城をあとにしていく。この後、思いもよらぬ事態に発展するなど考えもしていなかった。


 一時間程度が経過しただろうか。どこまでも拡がる帝都を歩き始めたヒナの脳裏に予期せぬ通知が届く。


 不意に知らされた内容は、まるで想定していないことであった。

 メインストリートを歩む足が止まる。ヒナは呆然と脳裏に届いた通知を眺めているだけだ。


『ジョブが聖女に昇格しました――――』


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