第048話 契約
予想通り鍛冶屋街サイオンへの道のりは一ヶ月を要していた。
長旅の疲れを癒すため、クリエスはどこかに一泊しようと手頃な値段の宿を探す。
「割と高ぇな……」
節約しようとしているのだ。よって銀貨を要求するような宿はあり得ない。予算的には銅貨数枚で素泊まりできなければ論外であった。
「やっぱスラム側か……」
『貴族様なのにのぉ。まあどこでもいいではないか? 妾は婿殿がベッドの上であられもない格好をするのが見たいのじゃ!』
『そうですよ! 旦那様は泊まる場所云々ではなく、湯浴みをすべきです! それこそ一糸纏わぬ姿で……』
悪霊たちは興奮している。この一ヶ月というもの、野宿ばかりだったのだ。部屋着を着ることなどなかったし、鎧姿は見飽きてしまったのかもしれない。
「お前たちは俺を視姦するな。とりあえず俺はゆっくりしたいんだ……」
最終的にクリエスはボロボロの宿を選ぶ。空き部屋を探して回るなんて無駄なことだと。露店で買った夕飯を食べて、早くベッドに倒れ込みたいと思う。
スラム街の路地にあった格安の宿。汚い部屋ではあったけれど、疲れもあって熟睡できている。悪霊の興奮した息遣いも気にならないほどに。
朝食は宿で済ませようと、クリエスは一階へと降りていく。割と遅くまで寝ていたからか、食堂兼酒場は閑散としていた。
適当な席につき、クリエスは一番安い朝食用プレートを注文。ここでもクリエスは節約をし、オプションとなるものは一つとして頼まない。
「何だか気分が優れないな……」
体調が悪いわけではない。それこそクリエスは十時間近くも寝ていたのだ。どうにも気合いが入らない理由はベルカのことが気になったからである。
ベルカが本当に大量殺人鬼であるのかどうか。道中は無心になって歩いていたけれど、やはり宿泊をして気が緩んだのか彼女のことを思い出していた。
「ここ良いかな?」
クリエスが溜め息をついていると声をかける者がいた。相席が必要なほど食堂は混雑していないというのに。
クリエスはゆっくりと視線を上げ、声の方を向く。
「えっ?」
ゴクリと唾を飲み込む。不意に現れたのは今まさに思考の大半を占めていた人物である。随分前に王都デカルネを発ったはずのその人であった。
「ベルカさん!?」
「やあ、お久しぶり! あのときはごめんねぇ。君はサイオンに着いたところかしら?」
悪ぶる様子はなく、ベルカは平然と席についた。既にクリエスが彼女の行為を把握しているとも知らずに。
クリエスは思案していた。彼女を諭すべきかどうか。男たちを誘って身ぐるみ剥いでしまうなんて荷馬車の御者がする副業だとは思えない。
「ベルカさんはずっとサイオンにいたのですか?」
まずは日常会話的に始める。ベルカがずっとサイオンにいたというのなら、三週間くらいは滞在していることになった。
「いやいや、あたしは荷馬車の御者だよ? サイオンに到着してから、鉱山都市ミクスまで行ってきたよ。今はミクスから鉱物を運んできたところね」
どうやらベルカはクリエスの目的地であるミクスまで行ってきたところらしい。何事もなければ相乗りしたかったところであるが、生憎とクリエスは乗車した者たち全員の末路を知っている。
「俺はミクスまで行きたかったんですよ」
「あらそうだったの? 無理にでも乗せてあげれば良かったわね?」
この表層的で無意味な会話がいつまで続くのか。
クリエスは躊躇いを振り払うように頭を左右に振った。せっかく再会できたのだ。ここで彼女に釘を刺しておかねばならない。
「そりゃあ、ミクスまで行きたかったですよ。無事に送ってもらえるのなら……」
鋭い視線でクリエスは睨み付ける。如何にも全て知っていると言わんばかりに。
少しばかりの沈黙があった。しかし、ベルカは笑って誤魔化すようにする。
「アハハ、道中にそれほど強い魔物はでないわよ。いたとしても、あたしが倒すからね」
悪事がバレているとも知らず、ベルカはそう返す。クリエスが魔物の話などしていないことに気付いていないようだ。
「ベルカさん、貴方はお金持ちであるはず。でも、安宿に泊まって、次なる獲物を捕まえようとしているんだろ?」
「どういうこと? あたしは店を持ちたいのよ。だから節約してるの。高級宿に泊まったからって何も変わらないわ」
あくまでも、しらを切るつもりらしい。店を持ちたいという話は真実かもしれないが、彼女の目的は節約だけではないはずだ。
「そういえば道中は無事だったんですかね?」
「ああ、心配してくれたんだったね。でも見ての通り、あたしは問題ないよ」
今も惚けたようなベルカ。クリエスは長い息を吐く。
「ああいえ、そういう意味じゃなくて、俺が心配していたのは……」
クリエスは踏み込むつもりだ。もう誤魔化しようがないほどに。
「幌の上にいた男たちのことですよ――――」
クリエスの話にベルカは絶句している。どうにも嫌な予感を覚えていたのか、彼女の表情から笑みが消えていた。
「ど、どういうことかな?」
流石に問いを返すしかない。ベルカはようやくクリエスの意図に気付いたかのようだ。
「そのままです。あの男たちが背後から刺されたりしていないかと心配していたのですよ」
「いや、盗賊の類なんか、あのルートには現れないよ?」
「いえ、違いますよ……」
再び顔を振るクリエス。ベルカの話が的外れであると。
「どこかの愛らしい御者さんにです」
ベルカの表情が一度に曇る。明らかに疑われていること。直ぐにベルカは察していた。何しろクリエスは同じルートを歩いて来たのだから。
「なるほど、君は見つけたんだね? あの泉にあったものを……」
「ええまあ。明らかに不意を突かれたような死体が山ほどありました。見覚えのある顔も転がってましたね」
どうしてかクスッと笑い声を上げるベルカ。こんな今も彼女は悪事だと考えていないようだ。
「しょうがないでしょ? あの前日、彼らはあたしを犯す順番を決めていたんだし」
ここで真相が語られていた。信じる信じないはともかくとして、彼女は正当防衛であるのだと主張する。
「まあ、あの男たちの目的は明らかでしたからね。でも、俺はそれ以前に男ばかりを乗車させる貴方の行動を咎めています。それに襲われるのが嫌なら、冒険者でも雇っておけば良いじゃないですか?」
クリエスは正論で返した。ベルカの行動が正当防衛であったとして、そこまでの状況を作り出したのは明確に彼女なのだと。
「男たちは素っ裸でしたよ? あれでは強盗が目的としか思えません」
「あたしはお金が欲しい。男たちはあたしが欲しい。勝った方が全てをいただくの。あたしが負けたら、良いように扱われていただろうし。お互い様でしょ?」
クリエスにも彼女の話は理解できた。あの男たちは間違いなくならず者である。ベルカだけじゃなく、他の女性たちに対しても同じようなことをする輩だ。従って計画を知ってからの行動を責めるつもりはない。
「では何事もなければ、彼らを無事にサイオンまで送り届けたと?」
「もちろんよ。信じてもらえるかは分からないけれど」
現場を見てしまったクリエスには信じるなんて難しい。彼女が話すように嘘だとしか思えなかった。
「あたしにだって相手を選ぶ権利くらいあるでしょ? 彼らがイケメンなら恋に落ちたかもしれない。でもあいつらは完全にオーク。あたしの趣味じゃないわ。君だったらもしかするともしかするけどね?」
ニコリと笑うベルカにクリエスはドキリとさせられる。しかしながら、気を許すわけにはならない。クリエスが知っているだけでも、既に彼女は十人の男を殺しているのだから。
「何だったらミクスまで送ってあげるわよ? 二人きりでデートを楽しむのも悪くないでしょ? 若いんだし、発散したいものがあると思うのだけど」
確かに溜まりまくっていたけれど、今のクリエスには心に決めた人がいる。据え膳食わねばであった頃とは何もかもが違うのだ。
「俺はクリエスって言います。メロン級以下はタイプじゃありません……」
クリエスは自己紹介だけでなく、好みの体型まで口にしてしまう。
「うふふ、じゃあクリエス君にだけ教えてあげる。あたしはテラパイナップル級よ……?」
思わぬ返答にクリエスは大きく深呼吸をする。好みを口にしたせいで、邪念が頭をよぎることに。
パイナップル級は巨乳好き界隈で最も人気が高いのだ。手の平から溢れるほどの大きさであるけれど、概ね形が良いと評判。前世でそんな話を聞いていたクリエスは密かにパイナップル級に憧れを持っていた。
「マ、マジすか……?」
巨乳とされるバストサイズは最大のドデカカボチャ級からスイカ、パイナップル、メロン、リンゴ、ナスビと続く。また細かく分けるのに、テラ、ギガ、メガと先に付けることが慣例となっていた。最大級であるドデカカボチャ級だけはテラ以上を超と呼んでいる。
「嫌な思いさせちゃったからね。代わりに良い思いさせてあげるよ……」
ゴクリと唾を呑むクリエス。もうベルカの胸から目を離せなくなってしまう。
『旦那様、見るだけでしたら私の超ドデカカボチャ級を!』
『妾も美巨乳を提供する用意がある!』
言って悪霊の二人はクリエスの眼前に胸を放り出す。
触れることは叶わないのだが、一糸纏わぬその姿。初めて見るパラダイスにクリエスは鼻血を吹き出して突っ伏してしまう。ニヤけた顔をして彼は失神してしまった。
「あらあら、ウブだったのね?」
ベルカがそう言うと、どうしてかクリエスが再び顔を上げる。
しかし、ニヤけ顔は消え失せ、鋭い視線がベルカに向けられていた。
「ハーフエルフ、貴方の所業は許せません……」
クリエスは確かにそう言った。しかし、口調が異なっているし、何やら危ない気配をベルカは感じ取っている。
「誰……なの?」
明確にクリエスであるけれど、心を押し潰すほどの殺気を放っているのがクリエスであるとは思えない。
「私はミア・グランティス。穢らわしいハーフエルフが私と同じテーブルにいるなど無礼千万です!」
失神したクリエスの身体を乗っ取ったのはミアであった。
エルフは生まれにより明確に階級が分けられている。皇族はハイエルフのみ。一般国民はエルフであり、その下にダークエルフが位置し、ハーフエルフは最下層の階級であった。
「ミア……グランティスって?」
まだ若いベルカにはピンとこなかった。しかし、お伽噺のような伝記の中にその名を聞いたことがある。
「ミア……姫殿下?」
戸惑うベルカの声にコクリと頷くミア。身体は明らかにクリエスであったけれど、ベルカは放たれる威圧感に身体の震えが止まらなくなっている。
「ハーフエルフ、貴方がどれだけ人を殺めようと知ったことではありません。けれど、尊きこの方を騙そうというのなら、幾千の毒と幾万の呪いによって、あらゆる苦しみを与えた末に殺す……」
今も肌が裂けるほどの殺気をベルカは一身に受けている。手も足も硬直したままだ。まるで本当に皇族がそこにいるような感覚をベルカは覚えていた。
「いやでも、ミア姫殿下って千年も前の話よ!? 作り話でしょ!?」
「愚かね……? なら手を出してみて」
ミアがそういうと金縛りのような身体の硬直が解けた。更には意志に反して、ベルカは手をミアの前に差し出してしまう。
頷くミアはベルカの手を取り、ニヤリとした笑みを浮かべる。
「私は毒だけでなく、腐食させて死に至らせることもできるのよ?」
刹那にベルカの手の平は感覚を失う。かと思えば、一瞬にして手を合わせた部分が腐り始めている。しかし、それはただの警告であったらしく、手首まで腐り落ちることはなかった。
「腐食魔法……?」
感覚が戻り、激痛に見舞われながらベルカが問う。
幼き日に聞いた伝記。ライオネッティ皇国が世界の中心であったというその物語は強力な闇属性の使い手が主人公だった。またそれは主人公ミア・グランティス姫殿下が圧倒的な軍勢を率いて南大陸を制圧したという嘘くさい話であったはず。
「あの伝記は事実をねじ曲げて書かれている! 貴方は誰よ!?」
「あら、まだお気付きでない? 言ったではありませんか……」
睨みを利かした視線を向けながらミアは口にする。ベルカの問いに対する回答を。
「狂気のハイエルフその人であると――――」
ベルカは再び動けなくなってしまう。圧倒的な殺気が向けられ、呼吸すらできなくなっていた。
「ハーフエルフ、貴方の罪状は重い。我が主人クリエス・フォスターを騙そうとしたこと。胸ポケットの貴族章が見えたのでしょう? 主人の財を手に入れるという欲望が目覚めたのですよね?」
ミアの問いには何とか首を振るけれど、ミアの追及が終わることなどない。
「我が主人は純粋で優しいお方。穢れたハーフエルフなどにも慈悲を与えてしまう。彼に代わって私が殺して差し上げます。ただこの宿を破壊してしまいそうなので外にでましょうか。旦那様に嫌われるのは私が望むことではありませんし」
ミアがそういうと、どうしてかベルカは立ち上がらずにいられなかった。魂に刻み込まれた恐怖心に抗う術はない。外に出るや殺されると分かっていたというのに。
「お、お許しください! 確かに隙あらばと考えていました! どうか下劣なハーフに機会をお与えください! 汚れ仕事でも何でもこなしますから!」
懇願するベルカ。自身の命は宿を出るまでだ。それまでにミアを説得できなければ確実な死が待っている。こんな今もミアの命令に背くことができず、意志とは裏腹に身体は大人しく後をついていくしかできなかったのだ。
ベルカが声を張ったあと、ミアが立ち止まる。ゆっくりと振り返る彼女は邪悪な笑みを浮かべていた。
「ハーフエルフ、ならば奴隷となりなさい。貴方は荷馬車。生命などないただの運搬具です。旦那様が望むところに連れて行くだけの道具。そうなるのであれば、殺さずにおきましょう」
願いは通じたけれど、それはベルカが求めたチャンスではない。道具とまで呼ばれた人生が幸せなはずもなかった。
だが、ベルカは頷いてしまう。もとい彼女には決定権がない。全てミアが話すように身体が動いていたのだから。
「手を出しなさい……」
再び手を差し出せとミア。ここもベルカは言われるがままだ。奴隷契約が待っていたのは明らかなのに、身体はミアに抗えない。
「本当にミア様なのでしょうか? 確かミア様は千年前、行方不明になったと……」
ここまで来ると信じるしかなかったが、ベルカは問う。クリエスの身体を使って話している人物が誰であるのかを。
「私は千年前に死んでおりますからね。ずっと霊体のままです。現在は旦那様に取り憑い……、いえ仕えているのです。彼がいなければ、今も私は名もなき泉に囚われていたでしょう」
伝説のハイエルフが既に死んでいるなど信じられない。ハイエルフの寿命は何千年もあり、加えてミア・グランティスは最強であったのだから。
「まあ、そのあたりは追々知ることになるでしょう。とにかく私は霊体なのです。しかし、魂はこの世界に残ったまま。よって支配契約は問題なく成されることでしょう」
言ってミアは黒い霧のようなものを吐き、それは瞬時にベルカの手を覆う。
「永遠の忠誠を旦那様と私に。如何なる時も主人を守り、自己犠牲を優先すること。身体、精神、思考に至るまで存在の全てを譲渡することを誓いなさい」
この命令に同意してしまえばベルカは廃人同然だろう。支配契約と口にした術式が普通の奴隷契約であるはずがない。
さりとてベルカがミアに抗う術など残っていなかった。
「誓います……」
ベルカがそういうと黒い靄は手の平に吸い込まれていく。完全に靄が消え去った頃、ベルカの手の平にはグランティス皇家の家紋が赤く刻み込まれていた――――。
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