第045話 諭されるヒナ

 翌朝は雨が降っていた。ファンタジー感満載のアストラル世界でも、天気や気候は地球世界と変わらない。天候が崩れることもあれば、季節ごとに気温が変化したりもする。


「お嬢様、コートをどうぞ」

「ありがとう。それでは教会へと向かいましょうか」


 もうヒナたちに絡む者などいない。普通に朝食を取り、二人はチェックアウトを済ませた。


 スラムにも似たストリートを行く。教会は治安のいい場所にあったため、かなりの距離を歩くことになった。しかしながら、ヒナは楽しそうだ。生憎の雨ではあったものの、初めて歩く異国での散策を満喫している。


「お嬢様、コートを預かります」

「アイテムボックスに入れておくから、エルサのも貸してちょうだい」


 従者であるというのに、扱いはとても良い。長い息を吐きつつも、エルサは言われた通りにコートを手渡す。教会内で濡れたコートを持ち運ぶより、主人のギフトに頼るべきだろうと。


「まずはお祈りさせてね。少し時間がかかるかもしれない」


 言ってヒナはディーテ像の前に跪き、両手を合わせた。世直しすることを主神に伝えられるように。


『ディーテ様……』


 心のうちに祈ると、期待通りに脳裏へとディーテが降臨している。けれども、おかしなことに現れた女神はディーテだけではない。


『シルアンナ様……?』

『ヒナ、お久しぶり。頑張っているようで何よりだわ』


 どうしてか女神二人が脳裏へと顕現していた。

 異様な光景にヒナは少しばかり嫌な予感を覚えている。


『あの、わたくしに何か落ち度でもございましたか?』


『ヒナ、別に貴方のことを話し合っていたわけではないの。クリエス君からの報告を受けて、ワタシたちにできることを話し合っていたのよ』


 そうでしたかとヒナ。急な戦力外通告と勘違いした彼女は胸を撫で下ろしている。


『レベルは順調に上がっているようね?』

『ええまあ、それなりには……』


 ココナまでの道中に魔物はあまり現れなかった。レベルアップの大半はホリゾンタルエデン教団の僧兵によるものだ。


『そういえば地平の楽園を名乗る僧兵たちに襲われました』


 ヒナは先日はあったことを報告する。ディーテなら既に知っているかと思うけれど、今後の対応を知りたく思って。


『どうやら彼らは北大陸のどこかに本拠地を構えているようです。北端か東の端。ワタシの神力が通じにくい場所だと思われます。既に各地で大規模な活動を始めておりまして、非常にマズイことになっていますね』


『マズイことでしょうか?』


 活動を始めた事実は聞いていたので、何か良からぬ企みが教団にあるのだと容易に推し量れている。


『実は輪廻に還る魂が激減しております。悪霊化の確率を考えても、計算が合わないのですよ……』


 魂が悪霊化すれば地上に留まってしまう。しかし、その確率は有史以来変化がないという。つまりは何らかの問題が発生しているのだと考えられた。


 ディーテは少しばかり考えるようにしてから、その理由を口にする。


『還るべき魂は邪神の贄とされております――――』


 ヒナはゴクリと息を飲み込む。贄とされた魂は天に還ることなく、邪神に取り込まれてしまうのだという。


『邪神の復活は成されるのでしょうか?』


『必要量は生半可なものではありません。彼らは贄となる魂を厳選しているようですので、まだ時間は残されているかと思います。しかし、ホリゾンタルエデン教団の活動が大々的になったことで世界のバランスは大きく乱され、邪竜警報が臨界値に達しております。近々、邪竜もまたアストラル世界に生み出されてしまうことでしょう』


 ヒナはココナの現状を把握しようと祈りを捧げたというのに、アストラル世界の窮状を知らされていた。局地的な世直しどころではない話を。


 ところが、ヒナは首を振る。彼女はココナを救うと決めたのだ。たとえそれが自己満足の域を出ていないとしても、苦しむ市民がいる事実は彼女が行動する明確な理由となった。


『ディーテ様、わたくしはココナの住民を救いたい。守るべき行政が腐敗しているなど許せないのです。しかし、わたくしは部外者らしいのです。ココナの救済は越権行為だと言われてしまいました』


 突然、切り出されたヒナの話。予想していなかったのか、ディーテとシルアンナは困惑顔を浮かべていた。


『ヒナ、貴方は優しい子ね。見て見ぬフリをすれば、それでも世界は回るのよ? 貴方がココナへ来るまでも、ココナの住人は生きてきたのだし』


 諭すようなディーテの話だが、ヒナは口元を結んで首を振る。もう決めたことだと真っ直ぐ揺らぐことなくディーテを見ていた。


『仕方ないわね……。ワタシもその事実は把握しておりますが、基本的に社会の問題は世界に生きる人々に任せております。貴方が看過できないというのでしたら、今回は手を貸しましょう』


 ディーテはヒナの意を汲むようだ。ヒナは自身の使徒。彼女が世界を導くというのなら、助力を惜しまぬつもりらしい。


『アルテシオ帝国に神託を授けます。聖女に助力すべしと。ただし、ココナ支部のブラウン司教に直接神託を授けることは叶いません。彼の能力では声すら届かないのです。よって、ある程度の時間が必要となります』


『わたくしが帝都へ乗り込んでもよろしいですか?』


 時間がかかると言ったからか、ヒナは直接帝都へと向かうつもりらしい。地方の行政を正すには根本から正すべきだと。


『ヒナ、張り切るのは構わないのですけど、先走らないようにね? 現状の貴方は聖女候補であって、聖女ではないのです。貴方の介入が問題となったとき、事態はより悪化するでしょう』


 ディーテが介入を望まない理由。それは最悪の事態を考えてのことであり、予想される結末は明らかであった。


『聖王国と帝国は戦争状態となるやもしれません――――』


 人類の歴史は争いの歴史である。千年以上見てきたディーテには小さな綻びでさえ、そこへ帰結することが容易に察せられた。


『戦争ですか……?』

『可能性として高くなります。ヒナのジョブはJKです。それは調べたなら分かること。神託を与えようとも、偽物の聖女とされてしまうでしょう』


 ヒナは戦争なんて想定していない。彼女はただココナの住民が安全に暮らせる社会を望んだだけだ。しかし、戦争に発展してしまえば余計に彼らが苦しむことになるだろう。


『わたくしはどうすれば……?』


 ヒナは再考を迫られていた。彼女は良かれと思い行動しようと考えたのであるが、あまりに浅はかであったことを知らされている。


『ヒナ、大局を見極めなさい。貴方にはその場その場で揉め事を解決できる力がございます。けれど、全体として考えたとき、介入すべきかどうか。ワタシは世界全体を考えて欲しいと思います』


 どうやらディーテはヒナに助力すると話しながら、その実は彼女を導いている。目指すべき正しい方向へと。


『ディーテ様、わたくしは悔しいです……』


 ポツリと返した。ヒナは無力感を覚えている。苦しむ人々を見て見ぬフリで放置しなければならないこと。介入すれば余計な苦痛を与えてしまう矛盾。放置がベストだなんて考えもしなかった。


『ヒナ、強くなりなさい。圧倒的な力を得なければ世界は変えられません。勇者、英雄、大賢者など登り詰めた者たちには世界を変える力が責任と共に生まれます。もちろん、貴方が目指す聖女もまた世界の流れを変えられるものです』


 ディーテの話にヒナは頷く。現状の自分自身が弱すぎることを知った。力がなければ理想の世界など手に入らないのだと。


『ディーテ様、先ほどの話はお忘れください。しかし、わたくしは必ずやココナの問題を解決しとうございます。五年かかろうと十年かかろうと……』


『そうしてください。切り捨てるわけではないのです。今はその時ではないだけ。貴方の強い願いはいずれ達成されることでしょう』


 ディーテは笑みを浮かべている。

 本当に聡く、素直だとヒナを再評価しているかのよう。


『ヒナ、恐らくクリエス君は世界を救うでしょう。あの子はもうレベル321。アストラル世界でも指折りの強者となりました』


 ここでディーテはクリエスの現状を伝える。彼の成長を知ることで、ヒナが今よりも奮起できるようにと。


『321って本当ですか!?』


 流石に驚くヒナ。一ヶ月以上早く旅立ったのは聞いていたけれど、流石にそのレベルは理解できない。


『彼は取り憑いた悪霊を上手く操っております。味方につけ、強敵を次々と屠っているのです』

『一体何を討伐すればそのようなことになるのでしょう!?』


 自身は制約を遂げねばならぬ身である。従ってヒナはその方法を知りたがった。


『内訳の大部分は竜種と災難レベルの昆虫を討伐したことです』

『昆虫ってどういう意味でしょうか?』


 流石に意味が分からない。自身も知る昆虫であれば脅威はないはずである。


『そのままです。生きとし生けるもの全てにレベルがあるのですよ。昆虫がレベルアップすることなど稀なことでありますが、ポイズンアントという昆虫は奇跡的にミノタウロスを討伐し、進化を遂げたのです。ダイヤモンドアントとなったその昆虫は強者を喰らい尽くし、レベル500超えの災難級となりました』


 主に危険度は災難級から指定となり、災害、災厄、災禍、終末級と上がっていく。それは天界が定めた危険度であったけれど、レベルの概念がない地上でも似通った認識を持っていた。


『クリエス様は災難級の昆虫を討伐されたのですか?』


『あの子には信念を貫く力があるのです。レベル不足により討伐は不可能であったはず。けれども、彼は世界を味方につけたかのように、土壇場でスキルの昇格を果たし、ダイヤモンドアントを討伐しました』


 やはり格が違うのか。ヒナはそんなことを考えてしまう。ホリゾンタルエデンの僧兵を退けただけで調子に乗っていたのだ。拡がっていく差にヒナは愕然とさせられてしまう。


『ヒナ、悲観することはありませんよ? 貴方とて世界に認められる可能性を秘めています。でもなければSランクジョブを得るまでに聖女と呼ばれるはずもありません。目指すべき道は明確なのです。JKであるうちにレベルアップをし、制約の規定値に達すること。聖女へのジョブチェンジを目指すのは制約の数値を満たしてからとなります。聖女にジョブチェンジしてしまうと、今よりも戦闘値と体力値は上がりにくくなりますからね』


 以前にも聞いた話だ。聖女というジョブは上位ジョブであるけれど、明確に支援ジョブであって前衛職のステータスは伸びなくなってしまう。


『了解しました。早くクリエス様にお会いしたいです』


『強い想いは必ずや叶います。貴方の王子様は既に子爵位まで得ているわ。貴方に会おうと彼も必死なのよ』


 ディーテの話にヒナは頬を染める。天界で会っただけの彼。だが、クリエスの頑張りを耳にするたび会いたいと思うようになった。

 真っ直ぐに生きている人だと分かる。天界にて必要だと言われた自分を彼はまだ求めているのだ。既に約束から十六年が経過していたというのに。


『さあ、旅立ちなさい。ココナの現状は貴方が関与すべき事柄ではありません。もしも現地の人間が立ち上がったとすれば、そのときに助力すべき話なのです。今はレベルアップに専念して制約をクリアしてください』


 言ってディーテとシルアンナは薄く消えていく。もう話し合いは終わりなのだと。


 意気揚々と民の救済を願ったヒナであったが、諭される羽目になっている。

 局所的ではなく大局を見るのだと。やるべきことと、できることを混同してはならない。ヒナはアストラル世界を救うべく召喚されているのだから。


『ディーテ様、ありがとうございます』


 最後にヒナは礼を言う。この祈りがなければとんでもない過ちを犯す寸前であったのだ。

 今日のことを戒めとし、ヒナはやるべきこと、できることを考えていくつもりだ。

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