第044話 宿場町ココナ

 聖都ネオシュバルツを発ってから一ヶ月が過ぎていた。

 ヒナたちはアルテシオ帝国へと入っている。帝都ラベンズリはまだ先であったけれど、街道沿いにあるココナという宿場町で一泊することにしていた。


「お嬢様、宿が取れました。あまり良い宿ではありませんけれど……」

「エルサ、何も問題ございませんわ。それよりお腹が空きました……」


 疲れよりも空腹を気にする公爵令嬢。エルサは笑みを浮かべている。


 この一ヶ月は歩き通しだったのだ。時にトレーニングと走ったりもしたというのに、世間一般の令嬢とヒナは一線を画する。幼い頃から鍛え上げているだけはあった。


 到着した宿の一階は場末によくある感じの酒場となっている。

 そこはとても公爵令嬢が踏み入る雰囲気ではなかったけれど、どうしてかココナの宿は高級宿ほど人気を博していたのだ。走り回ったエルサはスラムともいえるストリートにようやく空き部屋を発見している。


「わぁ、とても賑やかですね!」

「お嬢様、コレは騒がしいというのです……」


 酒場は飲めや歌えやの大騒ぎであった。殴り合いの喧嘩まで見てとれる。一般人でも立ち入りを躊躇うような状況に他ならない。


「エルサ、わたくしたちもここで食事にしましょう!」

「本気ですか? 部屋で食べた方が安全ですよ?」


「郷に入っては郷に従えと言うではありませんか? わたくし、このような食事処は初めてです。白金貨で足りるでしょうかね?」


「銀貨でも余ります! お願いですから、迂闊に白金貨を取り出さないでくださいよ?」


 ヒナは白金貨しか持っていない。必要に応じてエルサは受け取っているけれど、白金貨は両替の時点で困難なのだ。またこのような酒場で白金貨を取り出すのはトラブルの元である。公爵譲りの金銭感覚を持つヒナには釘を刺しておかねばならない。


 エルサは過度に嫌な予感を覚えていたのだが、世間知らずなお嬢様に現実を知ってもらうのも成長かと思い直す。

 見たところ自身より腕の立つ冒険者もいないようだし、とりあえずは注文をして席に着いた。


「皆さん、何かいいことでもあったのでしょうか? とても楽しそうです!」

「酒を飲んで浮かれているだけですよ。視線を合わせないよう願います」


「あっ! あそこの方、樽を抱えてお酒を飲んでいますよ!」


 エルサが危惧していた通りの反応。ヒナは手を叩いて喜んでいる。

 当然のこと気の荒い者はヒナの反応を良く思わない。少女であったとして、絡んでくるのは目に見えていた。


「おうおう、嬢ちゃんよ。ワシらを見て笑っていただろ?」


 二人の元へやってきたのは屈強なドワーフである。樽酒の一気飲みをしていたグループの一人であった。


 嘆息するエルサ。難癖をつけられている今もヒナは手を叩いて一気飲みの応援をしているのだ。従ってエルサはヒナに代わってドワーフへの対応をした。


「何か問題でも? 馬鹿にしているというより、我が主人は樽酒の一気飲みを応援しているだけだぞ? それにこの方を怒らせるのは貴殿のためにならない。見ての通り無害な方。喧嘩を売ったわけではなく、純粋に楽しんでおられるだけだ……」


 エルサは端的に説明したけれど、ドワーフには伝わらない。何しろドワーフは彼女たちに目をつけただけ。因縁をつけるのに理由など関係なかった。


「知ったこっちゃねぇ! お前たちには夜の相手をしてもらうからな!」


 ドワーフが大声を上げるや否に、エルサの剣が彼の喉元を捉えている。剣先が刺さり、彼の喉元をからは血が流れていた。


「ま、待て。ちょっとした冗談だ……」


 ドワーフは両手を上げ、小さな声で返す。女性二人だと侮っていたのだが、思わぬ手練れであったことを理解している。


「ほう、貴様は刺し殺されても文句は言えんのだぞ? 我らに夜の相手を強要しようとしたのだからな?」


 エルサは剣を収めない。こういった問題は優劣を確実に付けておくべき。彼女は徹底的にドワーフを問い詰めるつもりだ。


「悪い。許してくれ。身の程知らずな女だと勘違いした……」

「私に許しを乞うな。我が主人に聞けばいい」


 エルサがそう言うと、ドワーフは視線だけをヒナに送る。しかし、当人は他のテーブルでの一気飲みに夢中であった。


「嬢ちゃん、こっちを見てくれ! 素直に謝るから……」


 ドワーフが懇願するように話すと、ようやくヒナが顔を向けた。

 どうしてかエルサが剣を突き立てている現場。何が何だか分からなかったヒナであるけれど、エルサが意味もなく武器を取り出すとは思えない。


「オジ様、わたくしは酒場の雰囲気を楽しんでいるのです。わたくしが楽しんではならない決まりごとでもあるのでしょうか?」


 ドワーフは眉根を寄せる。まるで意味が理解できない。首元に流れる血を見ても、少しも動じない彼女に。


「いや酒場は楽しむべきだ。誰であろうと金さえ払えばその権利がある……」

「では、どうして貴方様はわたくしの従者に剣を突き立てられているのでしょう? わたくしたちの権利を奪おうとしたからでは?」


 グゥの音も出ない。ドワーフは頷くしかできなかった。楽しんでいる彼女たちに因縁をつけたのは自分自身なのだから。


「だから謝っている。ワシを許してくれ!」


 少しずつ押し込まれる剣先にドワーフは焦っていた。だからこそヒナに懇願を続けている。何とか溜飲を下げてはくれないかと。


「それは剣を突きつけられたからでしょう? もし仮に、わたくしたちが無抵抗なら貴方様はどうされましたか?」


 見た目からは考えられないほど鋭い返しがあった。ドワーフは難癖をつけて、彼女たちを慰みものにしようと考えていたのだ。柔らかい笑みを浮かべる少女から、まさか強気な質問返しをもらうだなんて想像すらしていない。


「すまん……。弱者ならば今晩の相手を願おうと考えていた……」

「素直なことは美徳であります。けれど、貴方様の目的は条理の埒外です。魂を浄化するためにも、相応の報いが必要かと存じます……」


 柔らかい口調とは裏腹にドワーフは厳しい処分を突きつけられている。剣先を押し込まれるだけで、彼はその報いを受けるのだから。


「お嬢様、この不埒ものを処分しても?」


「待ってくれ! 謝る! ワシは反省してるんだ!」

「本当にそうでしょうか? ココナに到着する道中で悪漢と遭遇しましたけれど、わたくしを前にして悪漢は同じように懇願していました。どうか助けてくれと……」


 彼女たちの会話に全員が聞き入っていた。酒場は一転して静まり返り、固唾を呑んで見守っている。ドワーフが迎える未来を朧気に予想しながら。


「わたくしはその悪漢を斬りました――――」


 ヒナの話に見守る者たちはオッと声を上げる。

 堂々と場末の酒場にやってきた女性二人。身の程知らずどころか、この場で誰よりも修羅場を潜り抜けている感さえあった。


「や、やめてくれ……。ワシには妻も子供もいるんだ……」


 最後の懇願にもヒナは首を振る。相手のことなど考えず、最後まで自分勝手な彼に対して。


「ならば、わたくしに想い人がいないとでも?」

「そんな意味じゃない! どうか助けてくれ!」


「貴方様は同じような状況で弱者を助けた経験がおありで?」


 何を願っても無駄である。相手が弱者と知れば、徹底的に貪り尽くす輩しかこの酒場にはいないのだ。


「であれば自身も殺されて然るべきではないでしょうか? 何か弁解することはございますか?」


 与しやすしと考えていた少女は予想よりも遥かに場慣れしている。もはや彼女に言い争いで勝てるような気がしない。


「ワ、ワシは……」


 ヒナは思案していた。ここで見逃したとして、恐らく彼は同じ過ちを繰り返すだろう。強者にはへりくだり、弱者には同じような行動をするはずだ。


「お嬢様、足か腕で勘弁してやりますか?」


「やめてくれ! ワシは鍛治師なんだ! 働けなくなってしまう!」


 せっかくエルサがフォローしてくれたというのに台無しである。ヒナは罪を認め、罰を受け入れるなら見逃すことも考えていた。しかし、彼は最後まで自分のことしか考えていない。


「エルサ、命まで奪う必要はありません。反省と後悔。生きている限り思い出し、魂を浄化できるように……」


「だそうだぞ? 良かったな。貴様は明日を迎えられるらしい」


「いや、腕を切られたら失血死するだろ!?」

「お嬢様は神聖魔法の使い手でな。ヒールにて止血するので死にはせん……」

「せめてハイヒールだろうがよ!?」


 ヒールは基本的に細かな傷しか治療できない。死に至るような傷の止血はハイヒールの使用となる。だが、ヒナの信仰値は高く、ディーテに祝福をもらってからはヒールの効果が大幅に増強されていた。


「し、死にたくねぇ……」


 ドワーフは声を絞り出すけれど、エルサは剣を振った。彼女は躊躇いなくドワーフの右腕を切断してしまう。


「ヒール!」


 即座にヒナの魔法が酒場を照らす。血飛沫が飛び散ることなく傷口を塞いだ。

 刹那にゴトンとドワーフの腕が落下する。瞬時に唱えられたヒールは斬り落とした腕の傷さえも癒やしていた。


「ワワ、ワシの腕が……」


「はん、貴様は救済されたのだ! このお方は聖女様である! 本来なら斬り捨てられるところを反省し、真面目に生きる機会を与えられたのだ!」


 エルサの口上に酒場がどっと湧く。どうやら聖女が現れたとの話は既に知れ渡っているようだ。

 加えて全員が信じてしまう。今し方の神聖魔法は明らかに異質な輝きを放っており、魔法が持つ効果以上の回復力を見せていたのだから。


「お客さん、すまないね。こいつはいつも女性客に難癖をつけるんだ。斬り殺しても良かったんだがな……」


 ここで店主らしき男が二人に近寄ってきた。サービスなのか肉の炒め物をテーブルに置きつつ、地面に這いつくばるドワーフを睨みつけている。


「店主よ、ならば衛兵に突き出せばいいじゃないか? 放置するから問題が先送りされるのだ」


「衛兵とか誰よりも信用できん。地方の役人は袖の下次第なんだよ。貧乏人の要望を聞き入れてくれるような役人などいない。ココナは表向き賑わっているけれど、それは富裕層だけの話。政治は腐敗しており、改善する見込みもないんだ。低所得者は高額の税金を払うために寝る間を惜しんで働くしかない」


 どうやら宿場町ココナは法が遵守されていないらしい。安い宿しか空いていないのは安全が保証されていないからだという。


「ならば他に斬るべき客はいるか?」


「ああいや、今は問題ないよ! まあでも、このストリートには善人の方が少ないかもな。正直に住人は危険と背中合わせで暮らしている。用心棒を雇う余裕など、このストリートの住人にはないからな……」


 店主はココナの情勢を色々と教えてくれた。商人たちの往来で賑わっている傍ら、犯罪が横行しているらしい。しかも大金を支払わねば、犯罪であったとして役人を動かせないのだと。


「それは許せません。エルサ、役人と会えますか?」


「お嬢様、聖王国ではないのですよ? お嬢様であれば面会くらいは可能でしょうけれど、明らかに内政干渉です」


 エルサは首を振る。他国の政治に首を突っ込むのはタブーだ。聖王国の公爵令嬢といえども、それは変わらない。


「テオドール公爵家の名を出してもでしょうか?」

「それこそ問題になります。お嬢様がココナの現状を肯定できないのは分かりますけれど、身にふりかかった火の粉以外を払うなどあってはなりません」


 公爵家の名を出せば解決する問題かもしれない。聖王国に逆らえる国があるはずもなく、甘んじて受け入れるだろう。しかし、公爵家に対する不満が利権者から噴出するはずで、テオドール公爵家に対して抗議の声が上がるのは間違いない。


「だったら、わたくしが火の粉を被れば問題ないですね?」

「お嬢様ぁぁっ! そういった話ではありません! 越権行為だと申しているのです!」


 エルサは訴えるも、ヒナは首を振った。せっかく縁あって泊まることになったのだ。自身にできることで改善を図れるというのなら、是非とも何とかしたいと思う。


「エルサ、わたくしの旅は成長だけでなく、悪評を覆すという目的もあるのです。どん底に落ちた世間の評判を改め、わたくしは正しき道を歩むのですよ」

「覆す悪評などありませんけどね?」


 評価がいつどん底に落ちたのかとエルサ。しかし、ヒナの中では追放された体で話が進んでいるらしい。


「とにかく世直しは旅の醍醐味ですよ? わたくしたちにその力があり、愛すべき民が困っているのなら手を貸すべきです。わたくしたちは世のため人のために立ち上がりましょう!」


「お嬢様はどこまで聖女なのですかぁ?」


 嘆息するエルサだが、言い出したら聞かないことも熟知している。先を急ぐ旅でもなかったけれど、他国の問題に介入するなんて思いもしなかった。


「しかし、火の粉を被るといって、どうするのです? スラムを歩いたとして悪漢に絡まれるだけで、根本の問題は残ってしまいますよ?」


「わたくしに考えがございます。まずは明日の朝一番に教会へとまいりましょう」


 エルサにはその意味合いが理解できなかったけれど、よくよく考えると教会であれば助力を得られる可能性は高い。何しろディーテ教は北大陸の全域に支部を持っている。ディーテ教団であれば国は関係なく、公認聖女であるヒナは彼らの助けを得られるだろう。


 朝食後に教会へと行く約束をして、二人は眠りにつくのだった。

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