第041話 故郷を離れて
ヒナはテオドール邸をあとにし、冒険者ギルドへとやって来た。公爵令嬢という肩書きは持っていたけれど、他国へ行くのにギルドカードという証明が一番手っ取り早いと聞いたからである。
「お嬢様はここでお待ちください」
エルサが受付を済ませてくれるらしい。ヒナは既に大注目を浴びていたから、一人でいるよりも一緒にいたかったというのに。
「姫様、一杯奢りますよ!」
エルサが離れた途端に冒険者たちが群がる。既に全員が彼女の実力を理解しているようだ。ガーゴイルの討伐を伝え聞いたものたちは公爵家の姫君というより、冒険者としてヒナに親近感を覚えているらしい。
「無礼者! ヒナ姫殿下に近寄るでない!」
ここで大きな声が冒険者ギルドに木霊した。
瞬く間に群衆が割れる。声を上げた者とヒナを一直線で結ぶように。
振り返るヒナ。彼女もまた群衆と同じく驚いていた。冒険者ギルドに最も似つかわしくない人物を視線の先に発見したからだ。
「ルーカス殿下……?」
家臣を引き連れ現れたのはグランタル聖王国の王子殿下。要件は容易に推し量れたけれど、冒険者ギルドまで追いかけてくるのは想定外だ。
「ヒナ、やはり僕は君に求婚する……」
突然の告白に冒険者たちから拍手が巻き起こる。しかし、それはルーカスに向けたものではなく、明確にヒナを祝福してのことであった。
流石にヒナもカチンときてしまう。ルーカスに対しては鬱憤が溜まっているのだ。
「殿下、そのお話はお断りさせていただいたはず! 十年前でしたら受け入れる用意がありましたのに、今になってそんなことを申されても(追放されない現状では)心に響きません!」
ヒナの返答にまたもや外野から拍手が送られる。どちらの意見が通ったとしても観衆としては面白いらしい。
「いやそれは……」
ルーカスにとって、その話は何を口にしたとして言い訳だ。今になって惚れた腫れたと入れ込むのは貴族社会として遅すぎるように思う。
「しかし、ヒナもずっと相手がいなかったじゃないか?」
「わたくしは待っておりましたから!」
この話題でルーカスに勝ち目はない。待っていた人を放置していたのだ。婚約を諦めた頃になって声をかけたとしても遅すぎる。
「ルーカス殿下、ヒナお嬢様は旅立たねば、あと二年も生きられないお身体なのです。それに神託によって定められたお相手もございます。お嬢様のことを想っていらっしゃるのでしたら、どうか身を引いてくださいまし」
流石の騒ぎにエルサが戻ってきた。魔力認証するだけのギルド証を持って。
少しばかり黙り込むルーカス。彼とてヒナの境遇を理解している。しかしながら、神託により決まったという婚約者については納得できない。
「とりあえず旅の安全を祈る。でも僕は君を諦めたわけではないからな……」
言ってルーカスはヒナに背を向けた。悔しさを滲ませた表情。自分自身に憤りを覚えながら、彼は冒険者ギルドを去っていく。
ルーカスが扉の向こうに消えるや、冒険者たちがワッと声を上げた。
聖王国の王子殿下を振ったのだ。女性なら誰しもが即答するだろう話を。流石は我らの姫様だと冒険者たちは喝采の声をヒナに向けていた。
「お嬢様、このカードに魔力を流してください」
「水晶で能力判定しないの?」
「それは一般の冒険者用ですよ。お嬢様のジョブや能力は私が申告しておりますから」
能力判定は属性とジョブくらいしか判明しない。しかもヒナのジョブは特殊であったから判定したとして受付を混乱させるだけだった。当然のことエルサは聖女としてヒナの申告を終えている。
「そうなのね。じゃあ、魔力を流すわよ?」
言ってヒナが手の平に魔力を集める。すると周囲は神々しい純白の輝きに満たされていく。
「おお! 聖女様の輝きだ!」「聖女様の魔力だぞ!?」
冒険者たちは好き勝手に盛り上がっているが、実際にヒナの魔力はディーテより祝福を授かってから、明らかに質が変わっていた。
「ヒナ、あーしお腹が減ったし!」
ヒナが魔力認証していると、首筋からサラが飛び出してくる。
彼女の登場に、またしても騒々しくなるギルド内。聖女と呼ばれるヒナが妖精を連れているだなんてと。
「姫殿下が妖精を飼い慣らしている!」「流石は聖女様だ……」
口々に感想を述べるのだが、サラはご立腹である。
「やい、よく聞け! あーしは元大精霊サラ・マン・ダァァだよ! ちんけな妖精と一緒にするなし!」
制止するべきであったが、サラは騒動を大きくしてしまう。精霊が顕現するなど妖精よりも機会がない。しかも大精霊というのだから、ヒナの神聖性は余計に高まっている。
「サラ、飴玉あげるから大人しくしといて?」
「わぁぁい! 嬉しいし!」
サラが飴玉を食べていると、魔力認証が終わったらしい。
「お嬢様、完了です。それではいよいよ旅立ちましょうか?」
「ええ、そうしましょう……」
「むぐっ……。あーすぃもぉ……モゴモゴ」
これより三人での旅が始まる。それはヒナにとって初めての冒険。夢にまで見た異世界での冒険が始まろうとしていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
聖都ネオシュバルツをあとにしたヒナたち。馬車での移動は何度もあったが、ヒナにとって街の外を歩くのは初めてのことである。
「エルサ、道中の魔物は任せて!」
「お嬢様、最初からそんなに張り切らなくても……」
エルサが話す通りである。これから長い旅が始まるのだ。幾つもの街道を進み、数多ある町に寄っていく。新鮮なのは最初だけである。
張り切るヒナだが、やはり聖都に近い街道は魔物など現れない。警備兵や冒険者たちによる駆除がなされており、安全な旅が約束されていた。
「エルサ、走って行きましょう! 鍛錬です!」
流石に暇だったのか、ヒナが走り出す。正直にエルサは急ぐ必要もないと考えていたけれど、うかうかしていると見失うほどのスピードで走り出した彼女に強制ロードワークを強いられてしまう。
「お嬢様、なかなか体力がついてきましたね?」
盾はアイテムボックスにしまっていたけれど、ヒナは腰に刀を携えている。約一時間走り続けた彼女にエルサは目を細めていた。
「当たり前よ! わたくしは旅立つ時のために身体を鍛え上げていたのよ?」
まだヒナには余裕がありそうだ。この分であれば徒歩での旅も問題はないだろう。出来る限り魔物と戦う目的で徒歩を選択したのだ。疲れ果ててエルサが全て倒すという事態は避けられそうである。
日が傾き、西日がキツくなった頃。街道脇には岩山が多くなっていた。
「お嬢様、何者かが尾行しています……」
エルサが言った。振り返ることなくエルサは気配を感じ取ったらしい。
「魔物じゃないのね?」
「恐らく盗賊かと。相手はお任せください」
エルサは盗賊を引き受けるという。それはそのはず、ヒナは人を斬った経験がないのだ。旅の初日からトラウマを抱える必要はないのだと。
「いいえ、わたくしは躊躇いたしません。相手が悪であれば、人を斬る覚悟も済ませておりますから」
初っ端から対人戦だとはついていないとエルサは思った。まあしかし、ヒナの覚悟は常日頃から見ている。公爵令嬢とは思えぬ彼女の頑張りは本気であることの証明なのだ。
「分かりました。二人して対処しましょう」
しばらくは尾行されているだけ。だが、街道の両側が切り立った崖になったところで、状況が一変する。
「挟み撃ちか……」
前方に人影が現れていた。街から離れたこの場所に都合よく旅人がいるとは思えない。
「ふはは! 女の二人旅とか正気じゃねぇな!」
前方には四人。しかし、盗賊ではないように感じる。何しろ四人は法衣のようなものを着込んでいたのだから。
「貴方たちは何者でしょうかね? わたくしたちの後をつけている者たちと関係がおありでしょうか?」
ヒナが聞く。しかし、エルサは呆れていた。明らかに悪漢である彼らに礼儀正しく問うだなんてと。
「お嬢様、待ち伏せをする男どもが善人であるはずがありません。叩き斬って然るべき相手です。まともに名乗れる身分を持っているはずもありませんし」
「そうだせ、ピンク髪のお嬢ちゃん。お前が聖女と呼ばれているんだろ?」
ますます怪しい発言であった。どうやらヒナが聖女と呼ばれていると知って尾行していたようだ。
「それで貴方様は何者でしょうか?」
マイペースに問い続けるヒナ。この辺りは肝が据わっているというか、天然と呼ぶべきか。
「俺たちは地平の楽園。全員が僧兵だ。聖女の抹殺を仰せつかっている」
ヒナはディーテから聞いていた。ホリゾンタルエデン教団という敵がいるという話を。ならば彼らは全員が敵に違いない。
一つ頷いたヒナは表情を厳しくする。
「ホリゾンタルエデン教団。であれば魂の浄化を。申し訳ございませんが、我が主神様より貴方たちの穢れた魂を解放するよう仰せつかっております。よって、わたくしは手加減できません……」
淡々と告げる。多勢に無勢であるのは明らかであったというのに、ヒナは強気で言い放っていた。
「笑わせるなよ? お前たちは十五人に囲まれているんだ。世間知らずなお嬢ちゃんだとは聞いていたけどな!」
代表して喋る男はヒナの話を笑い飛ばした。女性二人が男十五人にどうやって抗うのかと。
「お嬢様、後方はお任せを……」
エルサはそういうが、ヒナは首を振った。彼女はディーテから言付かった通りに自ら殲滅するつもりのよう。
「ハイプロージョン!!」
無詠唱で後方へと爆裂魔法を撃ち放つ。更には愛刀クサカリマルを抜き、前方の男たちに斬りかかった。
この行動には流石にエルサも仰天している。躊躇いなく殺傷力のある魔法を撃ったこと。加えて素早く斬りつけたヒナに彼女の決意を感じ取っていた。
「後方の残党は私が斬ります!」
「お願いね!」
瞬く間に僧兵たちは数を減らす。もっとも最初の爆裂魔法の時点で生き残りは僅かであったのだが。
「お、お助けを……」
最後の一人は腰を抜かしていたけれど、ヒナは左手で空に十字を切ってから、クサカリマルを振り下ろす。
「弁明は天界にてお願い致しますわ――――」
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